2017‐09経営者172_Voicy_緒方様

放送局ビジネスをプラットフォームにして
新たな「声」のビジネスを創出
楽しみながらメディア革新を目指す経営者

株式会社Voicy 代表取締役CEO

緒方 憲太郎さん

公認会計士として、日米で数多くの企業支援を経験。休職中の世界旅行で「ゼロからイチを生み出す」ことに興味を抱き、300社以上のベンチャー支援を経て、声をビジネスとするVoicyを設立。スマートフォンで手軽に放送できるアプリ等を開発した。楽しみながらメディア革新を目指す経営者に話を聞いた。
Profile
大阪大学経済学部卒業と同時に公認会計士資格取得。2006年新日本有限責任監査法人入社、企業支援に携わる。29歳で休職、世界を回る。その後、米アーンスト・アンド・ヤング社、トーマツベンチャーサポート株式会社を経て、2016年株式会社Voicy設立。2017年現在、ほか2社の経営にも携わる。
— 緒方さんのキャリアは、とても面白いですね。
大阪大学では、当初は物理を勉強していましたが、卒業後、改めて経済学部の3年に編入しました。編入後に公認会計士の勉強を始め、卒業した年に25歳で資格を取得しました。 

公認会計士になった理由は、とにかく、たくさんの会社を見たいと思ったからです。いくつもの会社に就職・転職するのは難しいけれど、公認会計士ならたくさんの会社を見ることができるため、きっと面白いだろうと思いました。 

資格取得後、新日本有限責任監査法人の大阪事務所に入り、大企業の担当となりました。この時の感覚は、現在でも強く残っています。当時、「何のために会社は存在するのか」を常に意識して過ごしていたことが、その後のベンチャー支援にも役立ちました。 

途中から中小企業を担当するようになり、組織改善や原価計算の見直しのような仕事に携わっていました。29歳の終わりに、仕事でやりたいことがやれて一段落ついたと思ったため、1年間休職して語学留学に行くことにしました。世界を2周する旅をして30ヵ国ほど回りましたが、そのことが自分の中で転機になりましたね。

世界旅行中にオーケストラの単独公演を成功させる

— 大胆なキャリアデザインですね。世界2周とは、うらやましいです。
最初に行ったオーストラリアではあまりにも自由だったため、腰を据えて勉強するためにボストンに行きました。このボストンでの経験が、旅の中で特にターニングポイントになりました。 

ボストンでは、優秀な日本人たちに出会いたいと思い、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学の間に住んで、日本人会に顔を出すなどしていました。僕一人だけが語学学校生でしたね(笑)。 

その時に、日本で東日本大震災が起こりました。ボストンには日本人の医師が多く、「日本の医師たちは自分たちの患者がいるため、震災の現場に行きにくいだろうから、自分たちが日本に行きたい」と、NPOの設立が震災当日に決まりました。 

僕も医師2人に頼まれて、弁護士にも協力を仰ぐなどして組織を作りました。日本医師会に連絡して「どこに医師が何名必要か」などを聞いて、日本航空と交渉して飛行機にいつでも無料で乗せてもらえるようにしたり、レンタカーとガソリンも準備してもらう仕組みを皆で作ったりしました。 

この時の体験で、ゼロからイチを生み出すことにとても興味を持ちました。それまでは、会計士という同じ人種が集まって価値を生んでいたのですが、異なる人たちが集まって価値を生むことに興味を引かれたのです。そんな時に、「彼はゼロイチで何かできそうだ」と、仕事を依頼されました。
それは、ゲーム音楽をオーケストラで魅せる「ビデオゲームオーケストラ」という楽団の単独公演のマネジメントでした。軽く引き受けてしまいましたが、ボストンのシンフォニーホールという2,700人が入る箱で、オーケストラとコーラスとロックバンドがすべて壇上に上がる100人規模のイベントでした。とても面白かったのですが、大変でしたね(笑)。 

イベントビジネスは全部のコストが先に決まるのに、売上は当日に決まるんです。チケットの早期割引やラストミニッツセールを行うタイミングも、よくわからない。ミュージシャン100人と僕1人といった感じのチームだったため、細部まで物事を決めなければなりません。クラウドファンディングで300万円を集めたり、資金繰りも考えたりしました。演者のお金は当日その場で払わないといけないのに、劇場のお金は3割抜かれて1週間後に入ってくるんです(笑)。
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アメリカの厳しいビジネススタイルを知る

ー とてもキャッシュフローが悪いビジネスですね、それは大変だ(笑)。
しかし、厳しかった分、終わった時の感動は大きかったですね。スタンディングオベーションの中でゾクゾクしたことを、今でも覚えています。 

その後、そのまま旅を続けて、ニューヨークに辿り着きました。ある日、飛び込みでアーンスト・アンド・ヤング(EY)社に行って、「誰かと話がしたい」と受付で頼み、日本人の方を呼んでもらったところ、話が盛り上がりました。 

そこで、EYに入社する方法はないかと尋ねたところ、「ちょうどボストンキャリアフォーラムというジョブフェアをやっているため、そこで受けたらどうか」とアドバイスされました。さっそく、そのキャリアフォーラムに参加し、EYに現地採用で入ることになりました。アメリカはビザの取得が難しい環境なのですが、それもEYがサポートしてくれました。 

とはいえ、旅に行く前に、初期状態を確認するために受けたTOEICは415点でした(笑)。監査のツールが日本と同じだったため、そこは何とかついていけそうでしたが、英語での仕事は地獄でした。日本企業を担当したものの、パフォーマンスがまったく発揮できなくて、3日目で「これはヤバイ。すぐクビになる」と思って吐きそうになったことを覚えています。 

そんな感じで四苦八苦していましたが、「クビになる」という危機感はとても大事だと痛感しました。アメリカでは、常にスキルを上げてバリューを生んでいる人間だけが残ることができるのですが、日本では「楽してお金を稼げるほうがよい」と思っている人が多いように感じます。 

僕としては、「自分が伸びていない状況でも、お金を稼げていれば嬉しい」と思える環境は、とても怖いと感じました。
ー 欧米のホワイトカラーは、日本に比べて生産性が高いといわれますが、まさにそういったスタイルの差が出ていますね。
ニューヨークでも、周りにいる日本人が優秀で刺激的でした。そこで、「若手ニューヨーク日本人勉強会」を立ち上げました。それぞれが自分のキャリアなどを1時間程度話して、その後に懇親会を行うという流れです。僕は、そのプレゼンのレビューと司会をしていました。
 
第1回は、前半は日本銀行の職員がアベノミクスを語り、後半はニューヨーク証券取引所の証券マンがそのアベノミクスにどう乗るかを語る内容で、とても面白かったですね。第1回の参加者は20人でしたが、だんだんと大きくなってきて、今では2,000人を超える規模で毎月開催されているそうです。 

そうした中で、トーマツベンチャーサポートの方とFacebookでつながって、日本に帰った時に飲むことになりました。「これからは大企業だけではなく、若い企業を伸ばしていくことが日本にとって大事だ。しかし、それを支援する人がいない」という話を聞いた後で、「一緒にやらないか」と誘われました。好きなことに何でも挑戦してよいといわれたため、その場で入ることを決め、ニューヨークに帰って退職を伝えました。 

こうして始めたベンチャー支援の仕事は、自分の人生を大きく変えましたね。ベンチャー企業は、どこも前向きで新しいものを作ろうとしていて、毎年3~4倍で成長していました。 

ベンチャーの業界はベンチャーキャピタル(VC)がとても強いのですが、金融屋としての要素も強いのです。VCは10の力のうち、お金を集めるのに5、目利きしてベンチャーを探すのに4、育てるのには1しか使っていないのではないか、と僕は感じていました。ベンチャーを成長させるところに、とことんこだわっている人は、とても少なかったように思います。 

僕はバックグラウンドが会計なので、資金調達ならできると思って、毎日5社以上は回ろうと決めました。年間300社くらいのベンチャーを見ている中で、さまざまな現場の知見を蓄えていきました。 

そうすると、「相談に乗ってほしい」という企業が増えて、「これは仕事になるな」と思いました。良い人たちと出会えて、良い会社が見られて、その知見を共有できるようになり、さらに相談の話が来るという、正のスパイラルが回っていきました。 

そのうち、自分が重点的に支援するのは、世の中に価値を、人が喜ぶ社会に幸せを生む会社にしようと決めました。

声のビジネスには大きなポテンシャルがある

— トーマツベンチャーサポートは2年の在籍だったそうですが、わずかそれだけの間に実に多くの企業を支援されたのですね。それから、いよいよVoicyの起業ですか。 
それまで、会社経営について皆にたくさん語っていたのに、まだ自分が経営を経験していないことに気づきました(笑)。新しい価値を生む世界では稼げないことが多いけれど、その中で稼げるビジネスを見せたいという気持ちがあり、それを自分が創りたいと考えました。Voicyのビジネスを選んだ理由は、五感の一つをまとめて握ろうと思ったことです。現在、目で楽しむ産業がどんどん増えていますが、声のビジネスにも大きなポテンシャルがあります。 

声はコミュニケーションや情報伝達に使われていますが、表現力や人間性、温かみや体温に近いものには、まだお金の価値が付いていません。そのような声の温かみが、製品など多彩な物に乗ったらどうなるのだろうか、そう考えると、とても面白いことが起きるはずです。将来的には、机や扉などすべての物がしゃべる世の中になると信じています。 

今、僕たちは、スマートフォンを持ち歩くことで、どこからでも声が聴ける世界を作って、画面を見なくてもその人にリーチできる新しいメディアプラットフォームを創ろうとしています。 
Microsoft Word - 企業診断201709経営者.docx
まずは世の中の人たちに興味を持ってもらう必要があるため、声で面白い事業を考えて創ることにしました。活字メディアは世の中に溢れていますから、そこに声の表現力が乗ればもっと面白いはずです。 

実は、僕の父親はアナウンサーだったんです。だから、声で何か発信ができたら面白いと考えたのかもしれません。「日本の中で、面白い話をする人が集まる場所になれば良いな」と思い、まずはスマートフォンで声を簡単に発信する仕組みを開発しました。 

僕たちの音声ニュースアプリの「Voicy」は、スマートフォンに入れると、最新のニュースやコラムの放送を、いつでもどこでも声で聴くことができます。新聞社ともコラボレーションし、多くの活字メディアとも連携しています。声の発信者として、さまざまなパーソナリティが所属しており、3ヵ月に1回ほどオーディションをしながら、その輪を広げています。

スマートフォンで簡単に放送ができる仕組みを開発

— 新形態の放送局ですね。事業としてのマネタイズはどうなのでしょうか。
お金を意識したユーザーが増えてしまうため、今はあえてマネタイズを行っていません。僕は、新しい文化を作るときには、お金は考えないことが大事だと思っています。 

そして、LIKEよりもLOVEを集めること、バズらせる(インターネット上で爆発的に多くの人に取り上げられること)よりもじわじわと浸透させていくことを心がけています。 

僕たちはアプリを2つ持っています。放送局となる録音アプリと、リスナー用の再生アプリです。録音アプリは、発信者がスマートフォンを使って、いつでもどこでも簡単に放送できるための仕組みです。 

日本にコミュニティFM局は、およそ500局あるといわれています。新しく開設するには、2,000万円くらいの費用がかかるそうです。もし、自社で音声放送をしたいと考えている方がいたら、僕たちと一緒に取り組めば、かかる費用のゼロを2つ少なくできて、メンテナンスも場所も必要のない放送局を用意することができます。
— 放送局ビジネスを一つのプラットフォームにしながら、さらに新しい声ビジネスを創出していこうとされているのですね。
そうですね。しかし、今はまだ序章です。僕たちは、誰がどこで放送を聴いているのか、年齢なども含めたリスナーのターゲティングが可能です。将来的には、音声のビッグデータを持つ唯一の存在になり、声の入出力に対する基盤を作りたいと思っているため、それまではマネタイズは焦っていません。圧倒的にパイが大きい市場ができると信じていますから、まずは大勢の方に使ってもらいたいです。 

現在、普通の放送は標準語ですが、Voicyでは47都道府県の方言チャンネルを作ってみたいと思っています。新聞社以外にラジオ局とも組んで、既存のメディアにスパイスを入れることにも取り組んでいます。どのような組織ともガンガン組むスタートアップをしている点において、僕たちの強みを活かせていると思います。
— 他にも2社経営されているそうですが、どのような事業ですか。
1つは、テーラーメッド株式会社です。僕がニューヨークにいた時に、米国のがんセンターに駐在していた日本人医師が起業した会社です。がん細胞のどの遺伝子が異常なのかを調べることで、ぴったり合う抗がん剤がわかるという検査の仲介を行っています。2014年度の全米No.1がん専門病院に選ばれた、ニューヨーク市のメモリアルスローンケタリングがんセンターの検査の仲介権を得ています。あくまでもこの検査を広めることが目的ですので、利益は出ないのですが、今は僕がオーナー兼社長で続けています。 

もう1つは、ベンチャー支援の株式会社DelightDesignです。僕が独立した時に、「まだ自社を見てほしい、相談したい」というベンチャー企業があったため、自分で別会社を立てて、引き受けることにしました。併せて、トーマツ時代にできなかった経営に参画しながら会社をぐっと伸ばす支援も行っています。

それぞれのステージで最高に楽しいことにチャレンジする

— 最後に、緒方さんにとっての挑戦とは。
僕にとっての挑戦とは、新しい価値を生むことと、楽しむことですね。これしなきゃ、あれしなきゃ、と義務に感じるのではなく、権利としてそれらを最大限に楽しむことが一番の挑戦です。持ち得るリソースのすべてを楽しみに変えるのはとても難しいことですが、そこにコミットしていきたいですね。 

自らが成長することも楽しみの一つですよね。人にリスペクトされることや、仲間ができることなども楽しみだと思います。自分だからこそのバリューを生んでいるときは、格別に楽しいです。 

人生を考えると、挑戦の20代、成長の30代、収穫の40代、投資や組織作りの50代、教育の60代、だと思っています。前のステージが次のステージに活きるため、できるだけそれぞれのステージで最高に楽しいことにチャレンジしておいたほうが良いと思います。 

楽しむためには、とにかく思考をストップさせないことです。挑戦を続けると悩みごともあるけれど、それも含めてとても楽しいです。サッカーの試合に参加して、負けたから楽しくないという人はいないでしょう。人生という一つのゲームをどれだけ楽しめるか、それも挑戦だと思っています。
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目からウロコ
声のビジネスにチャレンジしているだけあり、深みのある声と流暢な語りで、魅力にあふれるインタビューだった。言葉の持つ力と、それを表現する声の力を感じることができた。 

面白い話をいくつも割愛せざるを得ないのが残念だが、そのキャリアやビジネスプランには独自性があり、キラキラした躍動感がある。最後に、「挑戦とは楽しむこと」とのコメントには、だからこういった輝きを感じるのかと納得できた。 

論語にも「これを楽しむものに如かず」とあり、楽しめることこそ物事に取り組む最上級の手段なのだろう。「迷ったら、面白そうなほうを選択する」という言葉も印象的で、その根底にも楽しもうという精神が見える。 

ビジネスを楽しむためには、それにふさわしい力量が必要となる。緒方さんの場合は、公認会計士からスタートして、企業の経営を支える仕事に従事していた。特にベンチャー支援では、短期間で圧倒的な場数をふんでいる。若いながらも自ら多様な体験を求めて得てきた多くの場数が、事業を楽しめる感覚を持てる力量のベースとなっている。若いうちに多くの場数を踏む重要性を再認識した。 

キャリアステージ論として、「成長の30代、収穫の40代」というコメントもあったが、声のビジネスは成長と収穫が同じタイミングになりそうだ。緒方さんのチャレンジの収穫を楽しみに待ちたい。
(原 正紀)

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