1万人超の企業グループを作り上げた、
鬼の志を持つ筋金入りの起業家

TCSホールディングス株式会社 代表取締役社長 

髙山 允伯さん

学生時代から起業家を目指し、いくつものチャレンジを重ねる。コンピュータの将来性に着目して創業した東京コンピュータサービスは、一度も赤字になることなく30余年増収増益を続ける。M&Aの積極的な展開により、1万人を超える従業員を抱える大企業グループを作り上げた。
“人材、時流、信念”の3つが成功の要因と語るが、これまでの経営者としての実績がそれを裏付ける。経営は人により成功も失敗もするという言葉には、人の価値も危うさも知り尽くした経営者の実感がこもる。自分の代では完遂しないかもしれないという大きな目標に向かい、着実に前進する経営者に話を聞いた。
Profile
早稲田大学在学中より起業家を目指し、71年に東京コンピュータサービスを創業。99年以降はM&Aを推進、上場企業4社を含む50社を超える企業グループに育て上げる。05年には持株会社TCSホールディングスを設立。

— 髙山社長は71年の東京コンピュータサービスを創業以来、一度も赤字になることなく増収増益を続けられ、1万人を超える企業グループに成長させました。日本に起業家は大勢いますが、これほど着実に成長させるケースは珍しいです。
一意専心といいますが、ソフト開発一筋で歩んできまして、ここ数年はM&Aによりメーカー、商社などを買収し、グループの多角化を図っています。ソフト開発の場合、業務を拡大することは人を増やすことであり、海外との競争の激化や少子化を考えると、ソフト事業だけでは限界を感じました。

そもそもM&Aの対象となるのは経営状況が厳しい会社で、立直しに数年はかかるものです。はたで見ているほど簡単なものではありませんよ。一番大変なのは社員に自信を持たせることです。異業種は面白いと思って立て直しを買ってでますが、そこからが苦労の連続です。改めてソフト業界も捨てたもんじゃないと見直したりしました(笑)。

現在では1万人を超える従業員、2000億円を超えるグループ売上と、目標に掲げた数字を順調に達成していますが、あとは現状130億円ほどの利益を200億、300億という水準にしたい。中核企業の東京コンピュータサービスでは、現在450億円の売上を1000億円にしようと宣言しています。

ソフト業界で2倍もの目標は大きすぎるという声もありますが、もともと2000万円強の売上から始めたのが、現在ではグループ全体で2000億円を超えていますから、1万倍に成長したわけです。それに比べればたいしたことないと発破をかけているところです(笑)。
— 学生時代から起業に向けていろいろチャレンジされたそうですね。学生起業家も今は珍しくありませんが、当時はあまりいなかったのでは。
私の実家は公務員で、農業も営んでいました。しかし自分は東京に出て自分の力を試すのだという、強い思いを持っていました。前橋高校から早稲田大学に進学して、1年生のときは勉強に励んだのですが、遊び人の先輩の影響で2年生のときからはあまり勉強せずに、様々な活動をするようになりました。

ビジネスに強く興味を持ち、クロレラが理想の健康食品と聞いたので、自分で製造販売の会社を立ち上げしました。学生のやることなのですぐに行き詰ってしまうのですが。今でも夢にうなされるくらい、強烈な失敗体験でしたね。続けていれば今頃は健康食品会社で成功していたと思いますが(笑)。
その後も味付け卵の会社を作ったり、ヘアスプレーの製造販売をしたり、どれもものにならなかった。お世話になっていた同郷の先輩である小渕元総理から「いい加減に目を覚ませ」といわれるほど熱中していました。辛い時代でした。同級生はしっかりした企業に就職しているのを横目で見ながら、一人だけもがいていましたから。

とにかく自分で何かをやりたい、組織に入っても先が見えていてつまらないという思いでした。なかなか事業がうまく行かず、議員の秘書などをやりましたが、体調を崩し28歳の時に急性肝炎で入院してしまいました。しかし、病院で読んだ本に「これからはコンピュータの時代」と書いてあったのが、現在に至るきっかけになったのです。
ー 若い頃の苦労は買ってでもしろという言葉がありますが、起業への挑戦や失敗などのご経験が、その後の成功につながっているわけですね。
とにかく常にどんな商売をしようか考えていたので、これからはコンピュータという話にはすぐにピーンときました。技術もお金もない私が、既存の市場に入っても勝てるはずはありません。カオスの状態、マグマのような状態でかつ将来性があるような事業を探していましたから。

コンピュータの勉強を半年した後に調査会社で働いていましたが、その取引先から「コンピュータ会社を作ってうちの仕事をやってほしい」と声をかけられました。最初に取引先が確保できたのも幸運でした。

当時は電気メーカー系の会社くらいで、ソフトウェアの独立系の会社はほとんどありませんでした。計算センターなどがあるくらいでしたね。創業後2、3年してから現われ始めましたが。

起業する場合にはどんな事業をやるかという選択が非常に重要なことです。同じ努力でもどの事業を行うかで、結果はまったく違ってくる。これほど大きくなるとは思いませんでしたが、2・3年してからこれはいけると思いました。
ー そこまでの思いを持って起業にチャレンジし続ければ、道は拓けるものですね。起業には事業の選択が大事と改めて高山社長から伺うと、その重みを感じます。その後は順調な道のりでしたか。
それからは人の問題が一番大変でした。知り合いを訪ね歩いて人材を探したものです。ソフトの事業もうまく説明できないので、当初はものすごく手間がかかりましたね。最初はアルバイトを雇っていましたが、そこから定着する人が出てきて組織が拡大していきます。

さらにオイルショックの影響で、思いがけずうちで大卒が採れる状況になります。当時40数人の社員数でしたが、50人の採用をして周りからは笑われたものです。後のドルショックの時も思い切って採用しました。私の経営者としての歴史は、人の採用の歴史であったといってもいいほどです。

バブル崩壊のときも最初は採用を止めますが、コンピュータのオープン化の波を感じ取ったので、再度積極採用に踏み切りました。世の中ではリストラで騒いでいるときに、1000人も採用したのです。どの企業も人はいらないといっていたので、大手企業からもずいぶん中途採用の応募がありました。

以前は1500人くらいの社員数でしたが、あれよあれよという間に1万人を超えてしまいました。バブルショックがなければ今のTCSグループはなかったでしょう。でも人が増えると自分の方針が伝わらない、組織にロスが多くなってくるなどという悩みも生まれますね。
— 株の世界の逆張りの発想のようなものですね。他の企業が採用しない時期に、思い切って採用する勇気を持つことが、成長する企業の条件かもしれません。やはり事業を発展させるのは人ですから。さらにM&Aという新たな拡大手法も導入しますね。
ソフト事業では売上を倍にしようと思ったら、人を倍にしなければなりません。人を使わないで成長できる事業を追及したいと思い、異業種のM&Aに踏み切りました。人を採用するのはとても大変なことであり、しかも当たり外れが大きい。労務管理にかかる労力も大変なものです。

「隣の芝は青い」ではないですが、他の人がやっている商売が魅力的に見えまして(笑)。同業者へのM&Aはどの会社も取り組みますが、私は異業種に参入することに全く違和感を覚えません。若いころの多様な経験が生きているのでしょうか。 

M&Aは買収の後が大変です。特に再生のノウハウなんていうものはないと思います。がむしゃらに、愚直に、悪いところをひとつずつ直していくこと、その努力に尽きるのではないでしょうか。社員の心の扉を開けるのが大変です。
 
皆さんプライドを持って仕事をしているので、「お前たちに何がわかる」という反発心も強い。それでも中に入って常に先頭に立ってがむしゃらに働くことで、人はついてくるようになります。

M&Aは、何よりも経営者としての自分自身の知識と経験を豊富にする効果が大きい。それは本業の経営にも役に立っています。M&Aは最高の経営者教育ですね。
— 50社を超える一大企業グループになって、TCSホールディングスという持株会社を設立しましたね。第2創業ともいえる時期だと思いますが、これからのビジョンについてお聞かせください。
原点からのスタートだと思っています。これまではコンピュータ関連業界の成長という、時流に乗ってきました。情報化社会の波を泳いできたのですね。しかし拡大するとともに、経営の観点から無駄も目に付くようになってきました。

ある会社で経営の効率化に着手したときに、営業マンの数を見直し40人に減らした後に、営業車をチェックしたら、50台も有った。こんな笑い話のようなことはめったにないでしょうが、気がつかない無駄というのは結構多いものです。

これからは「ビッグからベストへ」という考え方でやっていきたい。量的な拡大を抑えて、1社1社を強くすることです。規模の大きさではなく、質的な強さを目指します。無駄の原因の一つには、規模の小さい会社を数多く作ってきた、ということも挙げられると思います。

これまでは戦略的に会社をたくさん作って伸びてきました。大きな狙いは人材の確保でした。1社で100人集めるよりも、4社で25人ずつ採用するほうが簡単です。そうした手法がここまで成長できた大きな要因ですが、これからは路線を変えていくつもりです。
— これまでのソフト一筋から、異業種の買収により多様なグループを作り上げてきました。その多様性を活かして、どのようなシナジー効果が狙えるのでしょうか。
ソフト開発にハードのメーカー、商社という異業種を加えて、グループは多様化しましたが、今のところそのシナジー効果というものは、はっきりは出ていません。まだ各社が小さすぎるので、今はそれぞれが自立する段階だと思います。

M&Aの対象の企業は、明日の手形の決済もできない状態だったりします。まずは普通の状態にすることから始めなければなりません。
ようやく利益は出るようになりましたが、まだ本当の強さはないと思います。

いつも最初はあまり考えずに買い、あとでその大変さに気が付きます。一番困るのは社内にエネルギーが感じられない状態です。いろいろ話をしても反応が有りません。海外工場閉鎖なども経験しましたが、苦しいことの連続ですね。うまくいき始めると楽しみになりますが。

これまでとは別の業種のM&Aもありえます。まだまだ発展途上ですね。
— ここまでの企業グループを作り上げた高山流経営をご自身ではどう分析されますか。
それは自分でもよくわからないですね(笑)。無我夢中でやってきましたので、無手勝流とでもいうのでしょうか。ダメだと思うところをつぶして、いいと思うところを伸ばしていく、そんな当たり前のことをやり続けることです。

これまでの私の仕事といえば人集め、苦労しましたが人で成功することもできたのです。今でも毎日のように採用活動を行なっていますが、創業以来ずっとスカウトマンですね(笑)。ここまで辿り着けたのは、人に恵まれたこと、時流に乗れたこと、それから強い信念を持つことができた、という3つが要因だと思います。

企業は人で成功も失敗もします。一人ひとりの社員の強みに磨きをかけ、グループ各社をベストにしていくこと。今のプロセスはまだまだ骨組みを作っている程度で、私が理想に描くビジネス像は、次の世代で完成するほどのものかもしれません。未完成のまま渡していくことも、後進のためにはいいことなのではないでしょうか。
— 3つ目の成功要因である強い信念とはどのようなものでしょうか。
企業がまとまるためには、経営者が志を示す事が最も大事です。私は志の鬼になれという意味で“志鬼”という造語を使います。何かをやるときには鬼のごとくやるべしということ、無我夢中の心を伝えたい。

日本人は頭が良すぎるせいか、何かをやろうとするときに、考えすぎてしまうようです。私は一度決めたら、わき目もふらずに突っ走ってきました。それが鬼の志です。とはいえ見当違いの方向に突っ走っては困るから、最初の見極めは大切ですが(笑)。

やりながらいろいろ考えすぎてしまうと、だんだんと走るスピードが遅くなり、やがては止まってしまったりします。会議などでもやらないで済む理由を考えるようなことになり、結局何もできない組織になってしまう。

もう一つの志の鬼とは、経営者として持つべき非情の心です。時には人に辞めてもらったり、鬼の心を持たなければならないのが経営者です。たとえ厳しいことでも、必要なときは断行できなければ、企業は存続できません。そこで躊躇するような経営者では困ります。

私はサラリーマンの気持ちが、よくわからないときもあります。あまり知る必要もないと思っています。組織をつくる人間と組織を支える人間では、その役割は違うのです。経営者は経営者の仕事をしなければなりませんから。
— 多くの人と接してこられ、最近の世代に感じられる特徴などはありますか。
優秀なのですが、指示されたら動くという側面が強く、自分で考えて行動できる人は少ないかもしれませんね。組織の中にも言われたことだけをやって、次の指示を待っているような人がいます。出された問題は解けますが、自分で問題を作ることはできません。

この時代は何をしても食べていけますので、考える力が弱くなっているのかもしれません。ベンチャー経営者などでもお金がすぐ集まりますので、道を誤る人がいます。ハウツーなどはよく知っていますが、ロボット的なので、状況に柔軟に対応する力が必要だと思います。

組織をリードするには経営者が率先して働くこと。そうすれば社員もついてくる。明確な志とビジョンを掲げて、社員とは同志として一つの目標に突き進むことで、会社は成長します。
— 高山社長にとっての挑戦とは。
自分ができないと思えることに立ち向かうことが挑戦です。自分の代だけでは作れないもの、もしかしたら永遠にできないものを作ろうとすることです。持続する経営、ずっと上がり続けるような経営をすることが理想です。ぱっとすぐに咲いて、散っていくような経営はしたくありません。

持続させることはとても難しい。長く続くと組織は緩んでくるものです。それを見つけて変えていくこと、その間でも優れたところは伸ばし続けること、それが持続する経営ではないでしょうか。

強い会社にはスピリットのようなものがあります。それは経営者の志もありますが、社員の行動によって決まってきます。すばらしい人材が揃って努力するような会社は、強い会社になります。そんな会社にしていきたいものです。
目からウロコ
第一印象はとても温厚な紳士だが、言葉の端々から強い信念、経営に対する自信、人への深い洞察が見え隠れする。これだけの企業グループを一代で作り上げた経営者が、ただの温厚な紳士であるはずもない。最も印象に残った言葉は「志鬼:」であった。そこには「絶対に曲げない信念」と「ならねばならない心」という2つの意味が込められている。これは成功する創業経営者に、最も必要とされる資質ではないか。そこに”人材”と”時流”という要素が加われば、成功の方程式になる。「志鬼」を持つこと、それは挑戦の結果だと思う。志や動機は誰にでもあるが、それを“鬼”という域まで高められるのは、失敗・挫折も含む自らの挑戦体験だろう。高山社長が持っていた起業への志が、「辛い20代だった」と語るほどの挑戦と苦労の結果、鬼の域まで達したのではないか。

人の重要性を説く経営者は多い。しかし高山社長は「企業は人で成功失敗もする」と語るように、人の恐ろしさをも知る経営者だ。ゆえに仏にも鬼にもなれるのだろう。経営者は人を大切にしなければならないが、同時にその恐ろしさも知って、最善の人材マネジメントを心がけなければならない。自らの経営を「悪いところを改め、良いところを伸ばす、その努力を続けているだけ」と語るが、その継続こそが最も難しいことだ。鬼の志を持つ経営者がどんな会社を作るか、刮目したい。
(原 正紀)

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