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診断士資格を持つ首長の挑戦
「青森市をチャレンジの街にしたい!」

青森市長

小野寺 晃彦さん

Profile
1975年生まれ。県立青森高校卒業後、東京大学経済学部に進学。卒業後は自治省(現・総務省)に入省する。宮崎市財務部長、愛知県財政課長など地方自治体での勤務を経験し、地域力創造グループ地域政策課理事官として地方創生に力を注ぐ。退職後、青森市長選に立候補して当選、2016年11月に市長に就任。中小企業診断士の資格は2015年に取得。
HARA'S BEFORE
地方創生は、現在の日本の大きな課題である。小野寺市長の活躍はよく耳にしていた。おそらく日本で唯一の中小企業診断士である市長は、その知見をどのように市政に活かしているのか。地域の課題をどのようにとらえ、どういった解決の戦略を描いているのか―。

3つの緊急課題を半年で解決

原:まずは、市長に就任されてからのこれまでのご活動を教えてください。
小野寺:青森駅前にあるアウガという建物は、24億円の借金を抱えた第3セクターが経営していました。市長就任時に直面したのは、この借金をどうするかという、いわば「経営問題」でした。さらに、市役所の移転、青森駅前の再開発をめぐるJRとの関係性の亀裂という、この3つの大きな問題が絡まり合っていた時期に、私は市長に就任したのです。  

いずれも緊急課題として、超短期での解決に注力せざるを得ませんでした。市役所の移転・建て替えについては当初、10階建てで計画されていたものを3階にダウンサイズし、残りの7階分をアウガに居抜きで入れることで、2つの課題をセットで解決しました。「そんなこと、できるわけがない」という声が多かったですが、やり切ることができました。JRとの関係も、「駅前再開発をやる」と方針を決めたことで修復しました。超短期の重要課題3つをほぼ半年間で解決したことは、市民の皆様に評価いただけたと思っています。
原:市長が方針に掲げておられる「仕事づくり」というのは、地方における重要なテーマですね。仕事が増えて、人が集まり、街がにぎわうというお考えはその通りだと思います。具体的にどのように進めていますか。
小野寺:今日この取材をお受けしている場所は、「青森スタートアップセンター」といいます。その前は、ここにはカプセルホテルとプールとフィットネスジムがあったのですが、経営がうまくいかなくて、ゴーストビルという惨憺たる状態でした。商工会議所が腹を据えてここに移転してきて、1階をスタートアップセンターとして開放し、仕事づくりの「センター・オブ・センター」にしようとしています。インキュベーションマネージャーという専門の相談員を置いて、キッチンがあったり、日本酒のバーをやったりして、人が集えて相談できる場所にしています。  

「産官連携」として、商工会議所と市役所が本気で起業すると宣言し、その象徴としてこの場所を開いてもらったんです。スタートアップセンターは、以前は商店街の中にあったのですが、その時と比べると、1.5倍の人数の方が来ています。
原:仕事づくりとともに、人づくりにも取り組んでおられますね。
小野寺:IT教育に力を入れています。2in1パソコンを市内すべての小中学校に導入しました。プログラミング教育がもうすぐ義務化されますが、2in1パソコンはタブレットにできますから、外にも持っていけるわけです。算数・数学と理科で使うというイメージを強く出しています。たとえば、理科の授業で天体を見ることもできます。黒板では説明しきれないことを、タブレットなら動画で見ることもできる。学校に2in1パソコンが設置されているだけでなく、一人ひとり自分に合った理科の授業が受けられるわけです。  

もう一つ取り組んでいるのが、食育です。全小学校、全保育園、全幼稚園で食育プログラムに取り組んでいます。赤と黄と緑の食べ物の違いを説明できる食生活改善員を派遣し、授業をやっています。

診断士のスキルを存分に発揮

原:診断士としての知識やノウハウは、市政のどんなところに活かされていますか。
小野寺:このセンターでは毎月第2木曜日に、士業の方に相談できる仕組みをつくっていますが、これは診断士だからこそ感じた問題意識なのです。専門性のある士業の方は特殊な能力を持っていて、価値があります。社労士なら労務のプロとしての力がある。相談したいときにできる仕組みがあるといいと思っていました。  

中小企業診断士のスキルを活用できる局面というのはたくさんあって。たとえば、空き店舗になった所をどうリノベーションしていくかというのは、実務研修そのものです(笑)。
どんなに小さな街でも、商店街の活性化や、駅前の再開発は重要な課題じゃないですか。そこで何に着目してプランニングするのかは、まさに「ザ・診断士」なんですよね(笑)。24億円の負債やJRとの関係など、マイナス面からスタートしたのが、ようやくプラス面に取り掛かりつつある。このスタートアップセンターも大きなシンボルになっています。足場ができて、診断士としてのキャリアを活かした部分を、スタッフたちが形にしてくれるという状況になりつつありますね。これから動き出すわけで、私もワクワクしています。
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原:それは楽しみです。
小野寺:ただし、目先の利いた自治体は、すでに取り組んでいます。商店街の活性化という面で切り口はたくさんありますし、西日本の自治体など、いい先輩がたくさんいます。いい事例をどんどん取り入れて、自分のふるさとを良くしていきたいです。
原:官僚時代の豊富なネットワークも活かされているのでは?
小野寺:地域づくりに関心があったから、アンテナが高くなって情報も集まりやすかったのでしょう。福岡市長の街づくりは、以前から興味があって、公務員をしていた頃、講演を聴きに行きました。起業都市として先進的な福岡は港町ですが、青森も港町。同じことができるのでは……という思いがくすぶっていたのです。いいところはお借りして青森なりのアレンジをし、どんどん仕掛けていきたい。市民の方から「最近の青森市は面白いことやっている」と思ってもらえるようになったのは、非常に嬉しいことですね。

国際観光都市・青森の可能性

原:学生時代のお話も聞かせていただけますか。
小野寺:実は商社マンになりたかったんです。世界を飛び回って仕事をしてみたいという、漠然とした憧れがありました。ただ、アイスホッケーばかりやっていたから、世界を飛び回るのに必要な英語を勉強できなかった(笑)。就活を本気で考えたときに、青森出身というローカルな部分が活かせるものは何かと探した結果、国家公務員を受験し、総務省(当時、自治省)に入りました。
原:診断士資格を取ったのは、国家公務員の頃ですよね。
小野寺:総務省では地方自治担当の公務員でした。若い人たちが地方から減っていく現状を目の当たりにしていました。どうやって地域に人を残すのか。経営不振で会社をたたむ人が多くなると、人が都心に流出していきます。「仕事がなければ人は残らない」、さらに「起業家がいなければ地域は活性化しない」と考えて、中小企業診断士になろうと考えたのです。
原:市長になって、ふるさとの新たな可能性を見出されたとか。
小野寺:青森港は東北で一番クルーズ船が来る所で、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなどから、海外のお客様がたくさん来るんです。クルーズセールスとして、ヨーロッパへ営業に行っています。青森を国際的にPRする仕事をやらせてもらえるのは、学生時の夢がかなったような気持ちですね(笑)。  

青森港は今年新たに台湾への定期便も就航しました。海外からのインバウンドの宿泊人数の伸び率は、過去5年で全国で1番。国際観光都市になっているんです。
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ねぶた祭りや弘前城の桜などのコンテンツも素晴らしいけれども、青森駅前には青森市文化観光交流施設「ねぶたの家ワ・ラッセ」の中に「ねぶたミュージアム」あって、そこに来ればいつでもねぶた祭りに触れることができます。海外の方に認められているのは、とても意味のあることだと思うんですよね。  

東北は全体的にそうですが、青森県民は特に控えめな方が多い。海外からのお客様が青森を選んでいる事態をできるだけポジティブに捉えるようにしています。私がやっていることで一番大事なのは旗の振り方であり、できるだけ前向きに旗を振るということですね。仕事づくりや起業創業の部分は、前向きに旗を振る最たるものだと思っています。

市民一人ひとりが挑戦する街に

原:今後はどのような方針をお考えですか。
小野寺:現在、筆頭に掲げている仕事づくりの分野で言えば、学生のビジネスアイデアコンテストをインカレ方式で行いました。青森市には、いくつかの大学がある。その立地を活かしたイベントを企画したわけです。大学を卒業したら、学生は地元青森に残るのか、仙台などの都会に行くのかという選択を迫られます。地元に人を残すためには、仕事づくりには必ず力を入れなければならない。市内の6大学が連携してやることを非常に重視しています。競い合ってこの青森で何かを始めようという雰囲気づくりを行い、「大学生ができるなら大人でもできる」というアプローチで輪を広げたいと思います。  

今年は、大人版の「あお★スタピッチ交流会」という事業のプレゼン会もやりました。事業者が短いプレゼンテーション(ピッチ)を行って、投資家やベンチャーキャピタルの支援を仰ぐ活動も、ようやく緒に就いたばかりです。今回は玉子乗せプリンを作っている会社が表彰されました。世の中は、AIやIoTなどテクニカルな成長企業が目立ちますが、青森ではプリン製造や美容室などの小さな創業で引っ張る人をどう育てていくかが大事だと考えます。「青森に残って頑張ることが格好いい」と思ってもらえるようなことを仕掛けていきたい。青森市の総合計画というものがあります。企業でいう中長期経営計画ですが、そのタイトルを、「市民一人ひとりが挑戦する街」にしているんです。仕事づくりに限らず、文化でもスポーツでも農業でも、新しいことに市民一人ひとりが挑戦するというメンタリティを持つ、前向きな気持ちになってもらえる、青森をそういう街にしたい。そのためには、まずは自分が挑戦しないことには始まりません。当然うまくいかないこともありますけど、それでも新しいことをやってみる意欲を持ち続けたい。
原:市長自ら先頭に立ってチャレンジしていくということですね。
小野寺:青森自体も歴史的にそういう存在なんです。津軽藩の出先の港として育ってきて、北前船という廻船が来て、お店を作って商売をしてきた商都です。だから「青森を新しいことにチャレンジできる町にしましょう」と言うと、先輩方の目の色が変わる。地域創生はゼロから作るのではなくて、「あるもの探し」で、昔からあったものを探すことが大切だと思います。
HARA'S AFTER
首長にとって大事な要素とは、小野寺市長が指摘するように「旗振り」であろう。どんな旗を、どう振るか、それが首長の個性となる。 

小野寺市長には総務省という行政キャリアと、中小企業診断士として企業経営支援者という軸がある。「産×公」という軸は、地域にとって大変価値が高いものだ。国の地方創生施策では「まち・ひと・しごと創生」と名づけられているが、小野寺市長は自身の知見から「しごと・ひと・まち創生」、つまり仕事が充実してこそ人が集まり、それにより街が栄えるという考え方で施策を進めている。その通りだと思う。優れた行政手腕が青森市をどれだけ進化させるか、大いに楽しみにしたい。

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