2016‐12経営者163_UHM_木下様

ミシュランガイドで評価され続ける
「美しいモダンな和」の
ホテルを生み出した経営者

株式会社UHM 代表取締役 (庭のホテル東京総支配人)

木下 彩さん

1935年に祖父が旅館(森田館)を開業、父の代にはビジネスホテル・チェーンを経営する創業家に生まれ育つ。他社のホテル勤務、結婚・出産などを経て、実家が経営するホテルの代表取締役となる。彼女が生み出した「庭のホテル東京」は、オープン半年後に早くもミシュランガイドで評価され、「上質な日常を提供しているホテル」として7年連続で2つ星を維持し続けている。ビジネスホテルでの事業承継から、国内外の顧客に評価されるホテルへと業態改革を成し遂げた女性リーダーに話を聞いた。
Profile
1982年に上智大学卒業後、株式会社ニュー・オータニに入社、ホテルニューオータニのフロント業務に携わる。1994年に株式会社東京グリーンホテル(現株式会社UHM)に取締役として入社し、翌年に代表取締役就任。2009年5月に「庭のホテル東京」を新築オープン。「美しいモダンな和」をコンセプトに話題を呼び、ミシュランガイドにて開業の年から7年連続で2つ星の評価を獲得している。

流れで引き継いだ実家のホテル業

— 「庭のホテル 東京」は、事業承継したビジネスホテルチェーンからの新たな展開だそうですね。設立以来、ミシュランで2つ星の評価を受け続けていらっしゃいます。経営ヒントが満載ですね。
祖父の代から旅館を経営しており、それを銀行に勤めていた私の父が継ぎました。父は銀行の仕事が好きだったそうで、必ずしも本意ではなかったようです。そういった経緯だったため、両親は子どもに無理に継がせるようなことはしたくないと話をしていたようです。
 
私には兄が2人いるのですが、継いでくれないと困るといった話もなく、それぞれ畑違いの仕事をしていたこともあったため、まさかと思ったのですが、私にオハチが回ってきました(笑)。大学卒業後はホテルニューオータニに勤めていたのですが、それは家業を継ごうと思ったわけではなく、他の業界も受けた中でたまたま受かった会社だったからなんです。大学で勉強していた英語を使うこともできるだろうと考えていました。
 
父が亡くなった後に経営を引き継いでいた母も60代で他界し、誰かが継がなければならなくなりました。当時の私は、大きな責任のある仕事をしていたわけではなかったため、兄たちから「じゃあ、お前がやれば」と言われて、否応なく引き継いだのが実際のところです。一足先に私の夫が会社に入っていたこともあり、深く考えた決断というよりも、他に選択肢がないなら仕方がないという感じです(笑)。最初のうちは本当に何もわからず、長年いる幹部の人たちにお任せして、私がついていくようなスタートでした。
— 結果的には、同族にありがちの確執もなく、スムーズに事業承継がなされたわけですね。
たしかに、よく相続の問題の話を聞きますが、わが家は全員欲がなく、もめることはなかったですね(笑)。私も社会人経験はあったのですが、自分が責任を持って部下の面倒をみるような仕事をしたことがなく、最初はすべて手探りでした。ホテルニューオータニに5年弱在籍して、28歳で出産したため、リーダーや管理職の経験もありませんでした。まったく経験がなくてどうしたものか、と思いながら引き受けました。
 
社長に就任した時には、事業としてはビジネスホテルの東京グリーンホテル3ヵ所と、熊本会館という熊本県の施設の運営を長年やっており、計4つになります。業界としては競争が激しくなっており、業績も徐々に下がってきている状況でしたが、慌てて何かしなければならないほどではありませんでした。
 
それでも、このままではジリ貧になっていくだけと考え、周囲に相談して思い切ってホテルを建て替えることになりました。現在の「庭のホテル 東京」である「東京グリーンホテル 水道橋」が一番大きい規模だったため、まずはここを建て替えることにしたのです。
 
実は、何か別の形態にしたいと考えており、極端な話としては、オフィスビルを建てる選択肢もあったんです。でも、経験がないことを始めるより、ホテルがよいと考えたのです。当然、ビジネスホテルの形態も考えてはいましたが、建て替えてすぐはよいとしても、10~20年経過すると同じようなことが起きると予想されました。
 
また、ちょうど建て替え計画を練っているときに、大手のホテルチェーンが近隣に進出してこられることがわかりました。そうであればなおさらのこと、ここをビジネスホテルにしても差別化が難しいし、大手のチェーンには太刀打ちできない部分があります。ですから、違ったタイプにして、安売り合戦にならない、独自の価値で選ばれるようなホテルを生み出したかったのです。

目指したのは、すっきりしてさりげない“粋な和”

ー 国内外の資本がひしめき、競争が激しくコストが高い、世界の大都市・東京のホテル業界での新たな価値創出は難しかったのではないですか。
そうですね。安売り合戦にならない違った価値で面白いもの、個性が明確にあるものでなければならないと考えました。「どのようなコンセプトがよいのか」という話をする中で、和のコンセプトにすることは早めに決まりました。元々、旅館であった伝統があることと、私自身が和の文化が好きだったこともあります。
 
年を重ねるほど日本的なものに惹かれる気持ちが強まっていたため、このコンセプトはとても気に入りました。一言で和のコンセプトといっても、多様なものがあると思います。京都風の雅な和と、江戸風の粋な和を対比として考えると、目指したのは粋であり、すっきりしていて、さりげない感じのテイストですね。さりげないけれども、実は深く考え抜いたすえのもので、押しつけがましくないほうがよいという思いです。

自身はどのようなホテルならくつろげるのか、考えてみました。非日常を味わうこともよいのですが、私が求めるのは、自分の家のようにくつろげる、第二のわが家的ホテルです。コンセプトは和に加えて、日常の延長にある「上質な日常」にしようと思いました。自身をモデルとしたペルソナマーケティングを行ったわけですね。ですから、価値基準がぶれることはありませんでした。
 
そういったコンセプトの実現では、当初からかかわってもらった設計事務所や造園、建設会社、コンサルティング会社の方々の力添えもいただいて、このホテルが出来上がったのです。デザイン的にもそうですが、サービスとしても「おもてなし」を押しつけるのではなく、適度な距離感と欲しいものが用意されていることの両立―実現は非常に難しいのですが、それが目指すべき姿なんです。
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2つ星のおもてなしは、家族的な組織風土から生まれた

ー 実現が難しいだけに、まさにそれが評価されていて、ミシュランで2つ星という結果になっているのですね。おもてなしの徹底はどのようにしているのですか。
グリーンホテルを経営しながら思っていたのですが、当社は社風として家庭的なんです。中途で入社した人などからアットホームな会社とよく言われますし、働いている人たちもその良さをわかっていますね。そして、その良さがお客さまにも間違いなく伝わっていると思っています。
 
スタッフの対応に関して褒められることが多く、よく「どのような教育をしているのですか」と聞かれますが、特別なことはあまりしていないため、どうお答えしようかといつも悩みます(笑)。他の会社の教育と同じで、新入社員教育、フォローアップ教育、リーダーシップ教育などはある程度はやっていますが、そういうプログラムがシステム的に組まれているわけではありません。
 
研修も適度にやってはいますが、基本はOJTで教育しているため、何となくそういった家族的な社風が伝わって、良い接客になっているのではないかと思います。採用時にも自然と社風に合う人を選んでいるのでしょう。旅館の頃から家族でやっている雰囲気で、仲居さんも住み込みで生活を共にしている感じでした。両親は若い従業員たちの東京のお父さん、お母さん代わりでしたね。
 
その風土は、今後も失わないようにしたいと思っています。新しく入ってくる人たちにどう感じてもらうかが大事で、教えるような感じではなく、自ら感じ取ってもらえるようにしたいですね。おかげ様で、社員は伸び伸びと仕事をしていると思います。私も庭のホテルができるまでは細かいことにも口を出していたのですが、オープンしてからはスタッフとお客様が作っていくホテルだと考えて任せています。
— その風土は強く感じますね。ご両親やご兄弟もそうですが、皆さん自由かつフランクで、経営者一族の気質が組織風土になっているんですね。任せる経営には不安はありませんか。
良いことも悪いことも基本的に共有するようにしていますね。誰がやった、何が悪いということではなく、悪い事例があれば皆がそこから学べるように、お客様からの褒め言葉やお手紙も、従業員食堂に貼るなどして共有しています。アンケートやネットの口コミも含めて、社員が誰でもパソコンで見られるようにまとめています。
家族的な組織の悪い面として、切磋琢磨しながら競争する気が少ないようなので、ある程度は成長のための厳しさは必要かと思っています。まだ取り組み始めたばかりですが、人事考課を見直しています。以前は完全に年功序列だったものを少しずつ変えてきて、今年から考課制度を変えていきます。人事考課で全員が納得する評価は難しいかもしれませんが、ある程度は皆が理解してくれるものを作りたいと思っています。
 
ビジネスホテルをやめて新しいタイプのホテルにするときに、スタッフから不安や反対の声がなかったのかとよく聞かれます。しかし、それもあまりありませんでした。もしかしたら、内心で「大丈夫かな?」と思っていた人はいたかもしれませんが(笑)、おおむね信頼してくれていたのだと思います。
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— 経営者と従業員の信頼関係が組織風土の根底にあるのですね。しかし、事業所の中で一番規模の大きいここを休業して建て替えたのであれば、どうしても人員の余剰が出たのではないですか。
2007年3月にビジネスホテルを閉めて、2009年3月に竣工し、5月にオープンに至りました。

工事期間中は、残る3事業所でスタッフを吸収しました。定年間近で希望退職に応じた人が若干はいましたが、他のホテルに勉強のために出向してもらうなどして雇用は守りました。
 
生え抜きのスタッフなどは、当社しか知らない人が多かったため、他のホテルも見たほうがよいという考えもありました。私の古巣であるホテルニューオータニに行ってもらった人もいるのですが、良い教育の機会にもなったと思います。ずっと無借金経営で余裕があったため、先代の母の堅実経営に感謝しなくてはいけませんね。

外国人客と日本人客の違い

— コンセプトとされている「上質な日常」や「美しいモダンな和」を随所に感じます。この和のテイストは外国人にも人気ですが、従来の顧客層は日本人中心だったでしょうから、対応は難しかったのではないですか。
外国人客と日本人客の違いで最初に戸惑ったことは、はっきりと主張するか、しないかといった違いですね。「察してください」というのは外国人には通用しません。主張してこられる場合に、こちらがノーとはっきりと言えるまで試行錯誤していたこともあります。たとえば、朝8時に来られて、「ロングフライトでとても疲れているから、早く部屋に入れてほしい」というお客様がいたのですが、チェックアウトまで時間が大分あり、掃除もできていないため、「無理です」とはっきりと伝えるまでやり取りが続きました。
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ビジネスホテル時代には外国人客は少なかったのですが、現在は欧米の方が多く、英語での接客がかなり増えてきました。最初は英語が得意なスタッフが担当していました。いまでは右も左も海外の人ばかりなので、従業員は皆「自分もやるしかない」という感じになっていますね(笑)。
 
英会話レッスンを毎日強制的に実践している感じで、普段から使わないといけないフレーズなどは皆ができるようになりました。英語はオープン前に研修したり、TOEICで一定得点以上を取った社員に報奨金を出したりしていました。オープンしてからしばらくは、皆が英語の必要性を感じて、英語の講師を呼んで館内で定期的に英会話をやっていましたね。新しく採用する人には、英語力を重視しています。
— 今後の戦略としては、どのような展開をお考えでしょうか。良いパッケージができたら、他にも展開していくのがセオリーだと思いますが、いかがでしょうか。
「次はどこに進出するのですか」とよく聞かれますが、いまのところ予定も計画もありません。各種条件が合致することがあればあり得ますが、目の届かない所で庭のホテルブランドだけで勝負することは、まだまだ難しいと考えています。
 
日頃から運営にあまり口出しはしません。しかし、ずれていると感じたときには軌道修正をかけています。それが離れた場所となると難しいですし、雰囲気のずれは離れているとなかなか気づけないですよね。それこそ、日報や数字を読んでいるだけではわからない部分があると思います。ただ、他の人にそれをやってもらえれば大丈夫、と確信できるようになればあるかもしれないですね。
— ホテルはお客様との接触時間が長いサービス業ですので、日常の対応力が重要ですね。
商品を生産して売っているわけではありませんが、私たちの一番大きな商品はスタッフだと思います。おかげ様で、それほど広告を打たなくてもご利用いただけるようになってきました。しかし、ホテル好きの方にはよく知られていても、まだまだ当社のことをご存知でない方も大勢いらっしゃるでしょうから、一般的な知名度向上の余地はあります。 

傾向として、女性にはよく知られているようですが、男性ビジネスマンにはまだまだのようですね。ビジネスとレジャーで比較したら、日本人客はビジネスユースが多く、平日はどうしてもレジャーは少ないです。外国人客はレジャーが多いですが、ビジネスでのご利用の割合も上がってきています。また、直営のレストランの売上拡大も課題ですね。
 
庭のホテル開業と入れ替わるように事業所を2つ閉めたのですが、現在も残っているビジネスホテル「東京グリーンホテル 後楽園」は、もう30年以上経過しました。途中で改修はしているものの、やはり建物自体に年季が入っており、いずれはそちらも考えないといけないとは思っています。ただ、ロケーションが大通りに面していてコンセプトが合わないため、庭のホテルを作る気はないですね。

スタッフのホテルへの愛が、顧客満足につながる

— 最後に、木下さんにとっての挑戦とは。
普段から挑戦という意識はあまりなく、流されてきた感じです(笑)。ここの建て替えは他に選択肢がなかったためですし、それほど意識して挑戦してこなかったのが私流なのかもしれません。
 
ただ、挑戦という言葉が当てはまるかどうかはわかりませんが、経営者しかできないことは改革だと思っています。私は、全責任は自分が負う、いざとなったらどこででも働く、という思いで改革に取り組みました(笑)。長い目で見たときに、「これは、やらざるを得ないだろう」と思えることを実行することが改革です。それが挑戦ですね。改革が形になった後の日々の改善は、私ではなく現場のスタッフが取り組んでいくことだと思っています。
 
ホテル経営で一番大切なことは、スタッフが「庭のホテル東京」を好きかどうか、やりがいを感じるかどうかで、それなくして顧客満足はあり得ないと思います。私自身は、「いつも機嫌の良い人でいること」を心掛けています。常に笑顔でいたいものです。そのためには、毎日を楽しく生きることも大切ですね。
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目からウロコ
ミシュランでの国際的な評価を獲得するほどの業態改革を断行した経営者として、取材前に私が考えていたイメージとは違い、実際の木下代表はとても穏やかな印象だった。それは旅館の時代から培ってきた、家族的で人間的信頼感をベースとした創業家としての経営スタイルを引き継いだもののように感じた。
 
創業家に生まれ、旅館経営で従業員も含めた家族的な組織風土を肌で感じながら育ったこと、銀行員でありながら旅館を引き継ぎ、ビジネスホテルチェーンとして成功させた父親の経営を見てきたこと、さらに新卒入社した最上級のホテルでの勤務を経験したことから培われた見識が、庭のホテルの成功につながっているのではないか。
 
木下代表の経営者としてのキャリアは、事業承継、業態改革、差別化、おもてなし接客、インバウンド対応、そして女性経営者としての活躍といった、多くの方の参考になる旬なテーマにあふれた事例と言える。ホテルを見学したが、雅で派手なテイストの和ではなく、江戸の伝統である粋を感じさせながらも、控えめで自然な和を感じさせる雰囲気が細部に行き届いており、ミシュラン2つ星も納得の施設だった。

併せて重要なのが、和を感じさせるおもてなしだ。それを生み出しているのはマニュアルや教育ではなく、組織風土としての家族的な空気感であり、その良い雰囲気が顧客に伝わり、特に外国人からは「和のおもてなし」と映るのだろう。最大の教育は組織風土なのだと改めて感じた。
(原 正紀)

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