2014-08経営者135_恩賜上野動物園_土居様②1

「万里一条の鉄」を実践して
大都市・東京ならではの
動物園づくりに挑戦するリーダー

恩賜上野動物園 園長

土居 利光さん

東京の真ん中・港区の、当時は豊かだった自然の中で育つ。千葉大学に進学して造園の研究を行い、それを活かして環境保全や都市計画の仕事をするため、東京都庁に就職。高度成長期における多くの都市開発において、生態系保全や自然環境保護など多くのプロジェクトにかかわる。こだわったのは、 「地域の住民を巻き込む仕組みを作ること」で、「そうしなければ環境保全は実現しない」との信念を持つ。多摩動物公園の園長に任命され、日本一の動物園を目指してさまざまな改革に取り組んだ後、2011年8月より恩賜上野動物園の園長に就任。大都市・東京にふさわしい動物園づくりに挑戦するリーダーに話を聞いた。
Profile
東京都港区で育ち、千葉大学で植物などについて研究した後、1975年に東京都庁入庁。都市計画や小笠原諸島の生態系保全、自然環境保護などを担当後、多摩動物公園園長となり、6年半にわたって企画立案や改革にかかわる。2011年に恩賜上野動物園園長となり、東京ならではの国際的な動物園を目指し、現在に至る。

人が自ら動く仕組みを作ることが、地域や組織を動かすことと知りました
地元の人が自ら監視し、自然を保護する仕組みを作らなければならない

— 動物園の経営についてインタビューするのは初めてですので、とても楽しみです。もともとは、大学で植物を研究されていたそうですね。まずは、土居園長のキャリアについてお聞かせください。
東京都港区で生まれ、豊かな自然の中で育ちました。当時の東京は、いまと違って自然にあふれ、たくさんの生き物がいました。そんな環境で育ったので、昆虫や植物に触れて遊ぶのが当たり前で、植物の魅力に自然ととりつかれていきました。

そこで、大学では植物や緑地づくりを研究し、それを活かす道として、生物系の職として東京都庁に入庁したのです。当時は、できたばかりの国土利用計画法に基づく都の計画を策定する仕事などにかかわりましたが、まだまだ駆け出しの頃でしたので、毎日コピーとりのような仕事をしていました。

当時のコピー機は、性能もいまほど良くなくて、コピーをとるのにも結構時間がかかったので、その間に書類をじっくりと読むことができて勉強になりましたね(笑)。ゆとりのある、良い時代だったと思います。その後、管理職になると区役所に出向し、「みどりの課長」を任されました。戻ってからは、「緑の情報担当」など植物屋としての仕事が多かったですね。

その後、環境局では生態保全担当課長を務めましたが、ここはよろず相談窓口のようで、さまざまな仕事にかかわりました。東京版の「レッドデータブック」や「緑の東京計画」、水の仕事などにも携わりました。東京には700 ヵ所以上の湧水がありますが、それを守るための仕事です。生態系保全の仕事は、保護団体などとのかかわりが多く、気を遣う部分もありました。
— 私も生まれは港区です。奇遇ですね(笑)。たしかに、東京=大都会という側面だけではありませんよね。
小笠原の環境保護の仕事にも取り組みました。当時の知事が熱心でしたので、東京版エコツーリズムの立ち上げなどを行ったのです。父島、母島、御蔵島で導入しましたが、従来のように利用を促進するものではなく、むしろ逆に規制するような珍しい取組みでした。当時、観光ガイドを養成したのですが、地元在住であることを要件とし、ツアーへの1日あたりの参加者数も規制しました。本来は市町村が自ら行うべき仕事なのでしょうが、都として積極的に取り組んだというのも珍しかったと思います。

最初は反対されることのほうが多かったですね。評論家は、「自然を守れ」などと簡単に言いますが、いくら法律を作って規制しても、悪いことをする人はいなくなりません。地元の人たちが自ら監視し、自然を保護するような仕組みを作らなければならないのです。それを作ることを目指しましたが、良い経験になりましたね、人が自ら動く仕組みを作ることが、地域や組織を動かすことと知りました。
ー そのようなご経験が、いまの動物園経営に活かされているのですね。
その後、多摩動物公園の園長を任されたのが、動物とのかかわりの始まりでした。最初は「専門外の植物屋が来た」ということで、周りからも好奇心を持って見られていた気がします。私は、動物園の現場実習で各部門を回り、その仕事を体験して理解することから始めました。
多摩動物公園には、入場者 100 万人の確保という不文律があり、それが結構なプレッシャーでした。天候の悪い日が多かったりすると、あっという間に 100 万人を割り込んでしまいますからね。多摩動物公園は観光客主体の動物園ではないので、とにかくリピーターになってもらうことが大事だと思い、年間スタンプラリーなどを企画しました。

これは、毎月指定された動物のスタンプを押していくものです。1年間を通じて、毎月異なるスタンプを用意し、台紙のデザインも思わず欲しくなるようなものにして、リピーターの来場を促したのです。ヒントになったのは御朱印ですね。御朱印もまた、良いデザインで人をひきつけていると思いましたので(笑)。
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ー 公務員でありながら、数字の目標というプレッシャーがあったのですね。多摩動物公園は広いですから、スタンプラリーには向いていますね。
そのほか、はとバスと組んでバスツアーを招いたりもしました。近くにあるサンリオピューロランドとの連携で、都心から人を呼ぶ企画です。残念ながら、こちらはうまくいきませんでしたが、どうやらそれぞれの客層が違ったようでした。

また、「サイエンズーカフェ」という取組みも行いました。サイエンスカフェのように動物について学びながら、お酒も楽しめる企画です。でも、来園者にはあまりお酒を飲みたい人がいなかったようで、また夜の多摩動物公園は真っ暗ですので、それほど参加者は集まりませんでした。その後改善されて、いまも継続して行っています。でも、こういった失敗も良い経験です。学ぶことがありますから。

私が多摩動物公園の園長に就任したのは、50 周年を迎える直前で、その準備も大変でした。記念誌づくりやイベントの企画、式典へ呼ぶ人の人選や手配など、やることが山積みでした。視察にいらっしゃった天皇皇后両陛下など、VIP の皆様のスケジュール調整にも苦心しましたね。

また、東京都の監理団体だった東京動物園協会へ動物園運営を移管する時期でもあり、円滑に移行させるのも私の仕事でした。都から派遣された飼育を中心とする職員と、協会固有の職員との一体化を図ることが課題でした。そのときから、東京都にある4つの園、上野動物園、多摩動物公園、葛西臨海水族園、井の頭自然文化園は協会の運営となっています。

失敗を恐れてはいけないと思います
少しくらいの失敗は恐れる必要がありませんし、それ以上の効果があります

ー 失敗から学ぶことは多いですね。特に初めての動物園経営において、忙しい中でもさまざまなチャレンジをされたのですね。
失敗を恐れてはいけないと思います。大きな失敗はダメですけれどね(笑)。そのようなチャレンジをすることで、職員たちも自ら積極的に考え、行動するようになります。そう考えると、少しくらいの失敗は恐れる必要がありませんし、むしろそれ以上の効果があると思っています。

もともと私は、周りに自分の考えを押しつけて、命令によって仕事をさせるタイプではないようです。「どうしたら良いかな?」、「何か良い考えはないか?」と相手の考えを求めていくマネジメントスタイルです。もちろん、「これをやってほしい」と要求することもありますが、そうしたケースは少ないと思います。

相手も、園長から聞かれれば真剣に考えざるを得ません。それでアイデアが出始めたらしめたもので、そのままやり続けることで本人のやる気につながっていくのです。

自ら主体的にかかわっていると思えなければ、本当のやる気にはつながりません。職員に聞いたり、泣きついたり、頼み込んだりすることで、相手の意見を引き出していくのが私流ですね(笑)。

上野動物園がなければダメだと、地域で思ってもらえるかどうか
そのような外部とのつながりを作っていくのも、園長の重要な仕事です

— そのような働きかけは、忍耐のいることですよね。自分でどんどん進めたほうが、リーダーとしては楽ですから。
園内の職員だけでなく、外部との連携も重視しています。動物園の使命は4つあると言われています。1レクリエーションの場、2野生動物の保全、3子どもたちを中心とする教育、4動物に関する研究、です。でも、私はそれ以外にも重要な役割があると思っています。

それは、メッセージの発信と地域との連携です。動物園だからこそのメッセージを力強く発信し続けていくこと、地域の信頼を得ながら核となるような活動をしていくことです。上野動物園がなければダメだと、地域の人たちに思ってもらえるかどうかですね。そのような外部とのつながりを作っていくのも、園長の重要な仕事だと思います。

この地域では月に一度、役所や警察、税務署、郵便局、企業や商店関係者などが集まる「上野会」を開催しています。地元や地域を大切にする人たちの集まりで、上野動物園は動物や自然保護などの情報を発信しています。このような会では、さまざまな企画も生まれますし、地域のつながりが多方面にメリットをもたらします。

たとえば、上野駅の JR 職員の方々と仲良くなれば、上野動物園についてよく理解してもらえるようになり、情報発信などもいただけるようになります。乗客に上野について聞かれた際に、動物園の情報や取組みを伝えてくれ、その人たちが私たちのお客様になってくれることもあります。こうした努力が、動物園の存在感を高めてくれるのです。
— そのようなご経験を積まれて、上野動物園の園長に就任されたのですね。これまでの集大成として、どのようなことに取り組まれたのですか。
個別の動物で言えば、上野動物園ではゴリラの飼育に力を入れてきました。この取組みは、日本で唯一だと思います。

ゴリラは、1頭のオスが複数のメスと子どもを従え、群れで暮らす動物です。外国ではすでに当たり前の取組みですが、上野動物園ではそのために2家族で暮らせる施設を作っています。

また、ゴリラの生活も変えました。ニシローランドゴリラは野生の果物などを食べますが、人が食べる果物は糖分が多く、運動量も野生と比べると少ないため、肥満になりがちです。そこで、野菜中心の食事に切り替えました。また、夜間には各部屋からの出入りを自由にし、自然な生活ができるようにもしました。

そのほか、ホッキョクグマ舎にもさまざまな工夫を行い、世界的な基準に沿って作りました。「ホッキョクグマが見られたくないと思ったときには、快適に隠れられる場所を確保する」という基準があるため、そのような施設にしています。また、「部屋に自然の光を取り入れるように」という基準は、鏡などを使って実現しています。
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動物の確保という点では、野生の動物を捕獲してくることは減っており、世界中の動物園がそれぞれの強みを活かして動物の繁殖を行い、動物園間で血統の管理をしながら交換を行うことが主となっています。そして、海外の動物園では施設管理の基準が厳しいため、その水準をクリアする動物園経営が求められます。

人気者のパンダであっても、子どもが産まれたら、ある程度育ててから移し、次の繁殖に貢献します。パンダ舎も移転する予定ですが、園の面積は 15 ヘクタールと限られているため、その中で工夫しながら運営しています。上野動物園では、海外動物園との人の交流や情報交換のほか、国際会議にも参加しています。

コンパクトにまとまり、自然も多く、人がいきいきと暮らせる都市
コンパクトな五輪を目指すことは、東京の未来のコンセプトにふさわしい

— 土居園長は都市開発のご経験も深いので、その話もお聞かせください。東京オリンピックに向けて、東京は日本の首都として、どのような都市を目指していくべきでしょうか。
東京は自然に恵まれており、世界自然遺産である小笠原などはもちろん、都心でも大小の公園や緑に親しんでいる家庭は多く、これほど緑あふれる都市は世界でも少ないのではないでしょうか。交通網も発達しているため、短い距離であれば徒歩で移動する人が多く、エネルギー的にも効率が良いと言えます。このように資源が豊富な都市ですので、それをどう活かすかが重要です。

世界的な多くの環境問題は、人口の増大とエネルギー問題が原因となっています。東京はエネルギー効率が良く、人が長く暮らせるような都市を目指すべきだと思います。エネルギー問題は、個人が自覚を持って動かなければ解決できません。私も自宅に太陽光パネルを設置しましたが、それによって電気の使い方などについては気づきがあります。いま、どれだけ電気を使っているのかなども提示されますからね。

こうした活動を広げていくためには、やはりメッセージが大切だと思います。電車を利用することで、どれだけエネルギーが節約できるか。農地や森林の保護についても、看板を立てることを含め、その存在意義についてしっかりとメッセージを発信すべきです。東京が持つポテンシャルを、最大限に発揮しなければなりません。

これだけ大勢の人が住んでいるのに犯罪も少ないのは、身近な監視体制が行き届いているからです。大きいながらもコンパクトにまとまっており、自然も多く、人がいきいきと暮らせる都市。コンパクトな五輪を目指すことは、東京の未来のコンセプトにふさわしいと思います。
— これからの動物園経営でやりたいことは、どのようなことでしょう。
たくさんありますが、その1つが都市づくりへの貢献です。上野動物園内にはモノレールがありますが、これを延長させることで、効率良く、お年寄りも安心して高低差のある上野の地を楽しむことができます。それによって、上野自体がエコシティのモデルとなり、多様な世代の方々が楽しめる街になるのです。

動物たちに対しては、より自然に近い形で暮らしてほしいですね。群れで暮らす動物は群れで飼育するなど、生態に合わせた展示が理想です。しかし、限られたスペースでそれを実行しようとすると、種類を減らさなくてはなりません。ですから上野動物園は、見本園としての発展を目指し、繁殖などは他の動物園と連携すれば良いのだと思います。

旭山動物園のように観光客が多い動物園は観光客への PR、多摩動物公園のような地域型の動物園はリピーターの獲得が大事ですが、上野動物園はどちらの面も持ち合わせています。外国人客も多く、平日には3割を超えることもあります。アンケートで調べたところ、60 ヵ国以上から訪れていました。パンフレットをそれぞれの言語で作ると、コストがかかり、資源も使いますので、今後は Wi-Fi などを使った多言語での情報提供が必要です。動物園の国際化も重要な課題ですね。

園長の仕事としては、動物屋の視点とは違う、植物屋・自然保護屋の視点を持てることが私の強みだと思っています。他の職員とは違う視点で物事を見て、疑問に思ったことなどを発信していく。動物については一生懸命勉強してきましたが、自ら飼育した経験はありません。その分は、別の視点を提供することが私の役割だと思っています。

自分の意志を曲げずに、信じて続ける生き方を実践するのが私の挑戦
下手でも失敗しても良いから、ずっと続けることが大事だと思います

— 最後に、土居園長にとっての挑戦とは。
もともと好奇心は旺盛なのですが、何事にも興味を持つことが大事だと考え、さまざまなことにかかわってきました。インドネシアの民族音楽であるガムランの演奏などもやりました。その中で続いていることに、茶道があります。練習はあまりできていませんが、長く続けているので、得るものは多くなっています。

片桐石州を流祖と仰ぐ「石州流」という流派で学んでいますが、茶道の教えの中でも「一期一会」という考え方がとても好きで、常にこれが最後と思って誠心誠意、出会った人と接するようにしています。そういった行動を続けていると、さまざまな縁が生まれますし、人生が潤ってきますね。

さらに影響を受けた教えに、「万里一条の鉄」というものがあります。これは、現象は変化しても、実相は永遠に不変で連続していること、つまり物事が絶えることなく続くことを表しています。自分の意志を曲げずに、信じて続けることが大事ということで、そのような生き方を実行することが私の挑戦と言えますね。下手でも失敗しても良いから、ずっと続けることが大事だと思います。私は飽きっぽい性格ですので、そう心がけなければ続けることができませんから(笑)。
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公益財団法人東京動物園協会 DATA

発足:1947年12月24日、基本財産:6億円、総事業費:91億円(平成26年度予算額)、従業員数:423名(うち118人は東京都派遣職員)、事業目的:動物園および水族園の事業の発展振興。動物とその生息環境について知識を広め、人と動物の共存に貢献すること。恩賜上野動物園、多摩動物公園、葛西臨海水族園、井の頭自然文化園の運営公益財団法人東京動物園協会
目からウロコ
昭和は遠くなりにけりだが、懐かしき 20 世紀の会社経営は、何と言っても経済的成長が目指すべきものだった。それが今世紀になると、サスティナブル(持続的)な成長が意識されるようになり、環境保全や社会貢献などへの意識が高まり、CSR はもちろん、グリーンマーケティングや環境会計に取り組む企業も増えている。

土居園長は、環境破壊の根元にはエネルギー問題があり、大都市の役割として都が積極的に取り組むべきで、それだけのポテンシャルが東京にはあると指摘する。東京に生まれ育ち、自治体において一貫して環境保全や都市開発に取り組んできた自信と地域愛を強く感じた。そのためには、住民1人ひとりが自ら動くような仕組みづくりが必要という、環境保全への取組みから身につけた手法も、これからの組織運営の大きなヒントとなる。地域との共生という考え方も、大いに参考にすべきだ。

多くの老舗企業の経営の特徴として、地域との高い親和性が挙げられている。東京は世界の大都市で、日本だけでなく世界各地から人材が集まる都会と思われているが、私自身も含め、そこで生まれ育った者にとっては愛すべき郷土であり、自然や人間がもっとも大事な要素である。動物園という自然保護をミッションとする組織だからではなく、多くの企業が東京の都市づくりにかかわるべきだ。1社1社、1人ひとりが環境保全や省エネを真剣に考えることで、東京はより素晴らしい都市になり、その構成員である人や企業も発展するだろう。
(原 正紀)

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