2013-04経営者119_東京一番フーズ_坂本様02

難しい「ふぐ料理店」の東京展開で上場を達成
漁業での新事業にも挑戦する経営者

株式会社東京一番フーズ 代表取締役

坂本 大地さん

大阪で生まれ、高校時代のディスコでのアルバイトで、商売の面白さに目覚める。
起業を目指して高校を中退、就職し、関連会社の魚屋で仕入れなどの業務を行う。
だが、5年目で念願の独立を果たし、ディスコを経営するも、半年で倒産。
借金返済のためにさらに資金を借り、総額4、000万円の負債を背負う中、とらふぐ料理専門店を開業し、今度は3年間で4店舗、6億円の売上にまで成長させた。その後、恩義ある社長とのバッティングを避け、誰もが反対した東京でのとらふぐ料理店展開に挑戦。2006年に東証マザーズに上場し、さらに漁業などの新事業にも挑戦を続ける経営者に話を聞いた。
Profile
大阪で生まれ、17 歳の頃からディスコでアルバイトをして、18 歳で起業を目指す。5 年間の魚仕入れ業務などを経て、ディスコ経営をスタートさせるが、半年で倒産してしまう。リベンジを誓って、とらふぐ料理専門店を始め、3年で4店舗、年商6億円にまで成長。28 歳の頃に東京に進出し、東証マザーズで上場を成し遂げて現在に至る。

養殖事業の可能性には、大いに期待しています
四方を海に囲まれた日本は、もっと漁業を発展させるべきです

—— 難しいと言われた、東京でのふぐ店展開で上場まで成し遂げ、成長を続けていらっしゃいますね。養殖事業も手がけられたとか。まずは、事業の現状を教えてください。
養殖事業の可能性には、大いに期待しています。漁業というのは、典型的な個人事業主の世界で、大ざっぱに行われている部分が多いんです。さまざまな利害関係が絡み合う、複雑な世界でもあります。それだけに、事業として改善の余地が大きく、これまで順調に成長してきました。

とは言っても、国内にはベンチマーク先がほとんどなく、試行錯誤の末にノウハウをつかんできました。国内では、大手水産会社と言われる会社が数社あるくらいですが、世界にはもっとメジャーな会社があります。国内は規制も多く、やりにくい面もありますが、それだけに今後の可能性も大きい事業と言えます。

もともとは、とらふぐを仕入れていた長崎の生産者とのつながりの中で支援を頼まれたのですが、2011 年2月に弊社グループが漁業権を取得し、養殖事業を始めました。現在では、高級魚のクロマグロとヒラマサの養殖も手がけています。クロマグロは 1,000 匹、ヒラマサは3万匹ほどで、ともに順調に成長しています。

自社の店舗で使うだけでなく、外販でもいけますね。そのあたりのマーケティングは、子会社の社長に任せています。養殖を国内で手がけている会社は、大手水産会社や商社など限られており、当社のように飲食会社が手がけるケースは稀です。参入規制も厳しいので、このチャンスを活かしていきたいと思っています。

農業などは比較的参入しやすく、流通系の会社なども手がけていますが、漁業は大変です。陸上と違って海の上なので、身の危険、自然との闘い、生き物を扱う難しさなど、非常に高い壁があります。これまでのお付き合いの中で、漁師さんたちからノウハウをいただき、それを仕組み化して事業を進めてきました。四方を海に囲まれた日本は、もっと漁業を発展させるべきだと思います。

多店舗展開をするには、仕入力と人材力が不可欠です
ここ3年くらいは新店舗展開を抑え、内部充実に取り組んできました

—— 近年、6次産業化というキーワードもよく聞かれますが、わが国の食糧の自給率を上げるためにも、さらなる進化を祈りたいですね。本業の飲食業でも、多角化を始められたとか。
新しいことをやりたくて、東京でのとらふぐ料理専門店の多店舗展開に挑戦してきましたが、気づくとNo1になっていて、第2弾の挑戦ができていなかったという反省があります。そこで、ふぐのシーズンオフでの二毛作的展開として、冬は「とらふぐ亭」で、夏は串かつ「串の助」という店舗をスタートさせました。一晩で店舗の模様替えをしてしまうので、近所の人から夜逃げしたと思われるほどです(笑)。

串かつと言っても、大阪によくある「2度づけ禁止」的な大衆路線ではなく、素材にこだわり、当社の強みである新鮮な海産物も堪能できる店です。新鮮な魚や串かつとお酒を飲んでも、4,000 円くらいの価格帯のお店です。仕入力があるため、この価格でできるのです。これによって、夏場の売上が向上しましたが、もっと上を狙えると思っています。

さらに、おいしい寿司と活魚料理「魚の飯(さかなのまんま)」も始めました。こちらも、同様の価格帯で楽しめる店です。どちらも、これまで培った仕入れのネットワークに加え、腕の良い職人の育成にこだわってきたからできる業態です。多店舗展開をするには、仕入力と人材力が不可欠です。東京で「とらふぐ亭」を多店舗展開してきた当社だからこそ、できる事業展開だと思っています。
ー多業態への展開は、飲食業ではよくある話ですが、とても慎重にされていますね。本業で培った強みである人材力・仕入力を活かした、手堅い展開です。それも、本業がしっかりしているからできることですね。
本業である「とらふぐ亭」の業態については、ここ3年くらいは新店舗展開を抑え、社員教育など内部充実に取り組んできました。その間に大震災があり、売上が伸び悩んだ時期もありましたが、ここ 19 ヵ月は連続で昨対比 100%を超えています。この価格帯のお店としては、珍しいのではないでしょうか。

上場前後に大量出店をした影響で、全体のクオリティが下がったという危機感を持ち、仕組み化を促進するなどの見直しも行いました。1都3県をベースに拡大してきて、現在は 44 店舗になっています。まだまだ首都圏のマーケットはあると見ていますが、クオリティを落とさずに展開することが最大のポイントです。「安かろう、悪かろう」では続きません。
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私は大阪出身なので、安くて良いものを売る大阪の価値観がしみついています。経営理念でも謳っていますが、これまでの展開も自社なりのこだわりを持ってやってきました。食材へのこだわり、サービスへのこだわり、空間へのこだわり、仲間へのこだわり、生き方へのこだわりです。私が主宰する社長塾や、各種勉強会の開催、お店での OJT などで、その思想を浸透させてきました。

和食の世界での人材育成は、技を盗む、背中を見て育つといった、職人的な独自の価値観で行われてきました。当社では、それをもっと仕組み化する必要があると思い、マンツーマンで組織的に育てるような取組みを行っています。包丁を持ってお客様に料理を出すには、しっかりとした教育が必要だと思っています。

川上を押さえているので、十分なトレーサビリティが可能です
魚歴も確認できる、安全安心で美味しいとらふぐを提供しています

ー東京では大阪と違い、ふぐという料理に特別な高級感を抱いていたと思います。接待でなければ、食べられないというような(笑)。それに対応するには、店づくりが大切ですね。
クオリティの低下という危機感を感じるようになったのは、サービスの対応力についてでした。料理の質に自信がある一方で、それに甘えてしまってサービスが疎かになるという事態です。安くて良いものを出すことに注力してきましたので、サービス向上への対応が甘かったと反省しました。

他社では、調理に苦労するものかもしれませんが、当社では調理関係は仕組み化できたので、それに見合うサービスが課題です。そこで、入社2年目の若手女性社員などのチームにサービス向上を担当させました。このチームが一生懸命に取り組んでくれて、顧客対応力が随分向上しましたね。夏場などの時期にセールを行うなどして、そこでお客様への対応力を高めたりしました。

ブランディングにも力を入れています。書画に定評のある片岡鶴太郎さんに文字や絵を書いていただき、それを名刺やお店の飾りに使っています。芸能活動以外にもこだわりの強い方で、ふぐも大変お好きなので、当社のコンセプトとぴったりです。お付き合いいただいて 10 年ほどになりますが、当社のブランドづくりに大変貢献していただいています。

品質管理にも最大限努力をしており、素材のトレーサビリティ、つまり魚歴管理も行っています。魚の世界では、国産と外国産の見分けがつけづらく、私たちプロでも難しいときがあります。でも、当社では川上をしっかりと押さえているので、十分なトレーサビリティが可能となるのです。生産管理がしっかり行われ、魚歴も確認できる、安全安心で美味しいとらふぐを提供しています。

また、グローバル展開も視野に入れています。私は、EO ジャパンという国際的な経営者団体に所属しており、世界各国のベンチャー経営者などとも交流がありますが、これからは世界に出ていかなければならないと強く感じています。本格的な和食の展開で勝負していきたいと思っており、インドでのシーフードショーに出展するなど、活動を始めたところです。グローバル展開には、ふぐよりもマグロのほうが良いかもしれないと思っています。
— もともとは、別の業態からスタートされたそうですね。起業の経緯を教えてください。
高校生の頃、ディスコでアルバイトをしたのがきっかけでした。そのときのディスコの経営者の影響で商売が面白くなり、そのまま高校を中退して就職してしまいました。最初は、家が近かったのでアルバイトをしたのにすぎませんでしたが、そのまま引っ張り込まれたのです(笑)。

ディスコは大阪の郊外にあったのですが、非常に繁盛していました。アルバイトからリーダーへ、そして店のマネジメントを任されるにつれて、商売の面白さに気づかされます。父はサラリーマンで、その大変さをそばで見ていたこともあって、あまり迷わずに商売の道を選ぶことにしました。

私が就職した頃、その会社では魚屋の事業を始めました。トラックに水槽を積み、活きた魚をいけす料理店に卸す商売です。そんなわけで、ディスコに勤めたつもりが、気づけば魚屋になっていました(笑)。魚の名前もよくわかりませんでしたが、とにかく懸命に働きました。

入社当時は従業員5人の会社でしたが、5年後には従業員 200 人で、売上も 30 億円くらいに急成長していました。実は、入社の際の口説き文句が「5年で独立させてやる」だったので、23 歳の頃に独立に踏み切りました。
社長は約束どおり独立を認めてくれ、資金まで貸してくれました。私はさっそくディスコを始めたのですが、クラブが主流になりつつあるタイミングで時流に合わず、半年で倒産してしまいます。ニューヨークに行ってクラブを研究し、その要素も取り入れたのですが、まったくお客様は来ませんでしたね。そのときに体験した倒産の怖さは、いまでも夢に出てくるくらいです。

「東京にはニーズがない」という人はいても、実際に行った人はいない
美味しいふぐ料理を東京の人が食べない理由はないと思っていました

— でも、若いうちに失敗を経験することは、その後の経営にとって大変貴重な知恵になりますね。
あの失敗があるから、いまがあるのではないかと思います。23 歳にして倒産を経験し、2,000 万円の借金をしてしまったのです。それを返済するために、さらに 2,000 万円を借り入れて、それを元手に大阪の今里でふぐ店を始めることにしましたが、そのときも同じ社長が、資金を貸してくれました。5年間培った魚の知識を活かして、もう一度勝負することにしたのです。

結局、この店が非常にうまくいき、4店舗まで展開できるようになります。借金も返済でき、商売は好調でしたが、恩義ある社長が経営する別のふぐ店が 30 店舗ほどになっていたので、バッティングを避けるために、東京への進出を考え始めました。多くの人から、「東京の人はふぐを食べないから、やめとけ」と言われ続けましたが。

でも、「東京にはニーズがない」という人はたくさんいても、実際に行った人はいませんでした。私は、当時流行っていた「料理の鉄人」というテレビ番組を見ていて、世界の料理が東京で流行っているのに、こんなに美味しいふぐ料理を東京の人が食べない理由はないと、不思議に思っていました。だから、行ってみようと考えたんです。
1号店は、新宿歌舞伎町に出しました。何となく大阪的な匂いがしましたので(笑)。まったく知り合いがいなかったので、スタート時は大変でしたね。大阪では行列のできる店だったので、東京でもお客様は来てくれると、うぬぼれていた面もあったと思います。でも、こんな大きなマーケットで、飲食店がいくらでもある中にいきなりお店をオープンしても、誰も来ませんよね。1ヵ月間は閑古鳥が鳴いていました。

そのうち、大阪の人が来てくれるようになり、少しずつ来客が増えていき、口コミで多くの方に認知されるようになりました。当時はすべて自分で指揮していましたが、3年くらいで2店舗目を出すことができました。
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2006 年には上場を達成しましたが、このときは違う筋肉を使った感じです。でも、そのおかげで、会社の基礎を固めることができました。もっとも苦労したのが、バックオフィスの充実です。ずっと現場のお店でやってきたので、事務所にはできるだけお金をかけず、お店にばかり投資してきましたから。知識もコストもない中、手探りで何とか上場にこぎ着けることができました。

株式公開によって、会社に正しいルールができたと思います。それがなければ、この先の繁栄はあり得ません。私自身がお付き合いする人も、一気にレベルアップしました。もし上場していなければ、養殖や海外展開などできなかったでしょう。倒産という失敗からのスタートでしたが、その経験が後の事業に活きていますので、その順番で良かったと思います。逆だったら、大変でしたね(笑)。
今後の展開は、どのようにお考えですか。
もちろん、基本は「とらふぐ亭」です。まだまだ出店を続けて、海外も含めて成長していきますよ。そのうえで、もう1つの柱として、水産事業を育てていきます。農業への進出企業は多いものの、漁業は少ないので、先行メリットもあります。

養殖ビジネスでの海外展開も、視野に入れています。日本は食糧の自給率が低いだけでなく、その改善を妨げる規制も多い国です。多くの人がそれに危機感を持っていますが、それでも変わりません。当社が、そのような
現状を変える起爆剤になりたいと思います。

私は、起業家の勉強会である「EO ジャパン」という世界的な組織のメンバーで、海外のベンチャー経営者などとお会いする機会が多いのですが、やはり日本には規制が多いことを感じさせられます。海外では、民間企業も積極的に養殖などを手がけているようです。

EO ジャパンでの人脈はとても広がりがあり、日本の同年代の経営者だけでなく、アジアなどの元気な経営者との会合も多くあります。中には、上場した経営者だけの会などもあり、良い刺激になっています。日本版ダボス会議などにもかかわっており、現状では200 人くらい会員がいますが、ライバルでもありパートナーでもある、とても心強い存在ですね。

リスクが大きいほどリターンも大きいので、やりがいがあるんですね
自分でリスクをとって、リターンを求めていくのが、私の挑戦です

— 最後に、坂本さんにとっての挑戦とは。
これまで、すべて自己責任において事業を進めてきました。国の力や補助金などをあてにしたことはありません。自分でリスクをとって、リターンを求めていくのが、私の挑戦です。だから、リスクにチャレンジすることは、まったく気になりません。リスクがないと、寂しいくらいです(笑)。リスクが大きいほどリターンも大きいので、やりがいがあるんですね。漁業に進出する際は、監査法人にまで心配されましたが(笑)。

養殖については、現場で見ていると、大変夢のある事業だと思います。私は疑問を感じたら、常に現場に行くようにしていますが、その動きの速さが自分の強みだと思います。これからも、可能な限り動いていきたいですね。常に行動し続けてリスクテイクをし、できないと思われるようなことを実現していくこと、それが私の挑戦です。
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株式会社東京一番フーズ DATA

創業:1996 年10 月,設立:1998 年10 月,資本金: 4 億7,229 万5,000 円, 従業員:177 名,事業内容:東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県内にある泳ぎとらふぐ料理専門店「とらふぐ亭」の運営,ふぐ料理専門店「ふぐよし総本店」の運営,おいしい寿司と活魚料理の「魚の飯(さかなのまんま)」の運営,おいしい刺身と串かつ「串の助」の運営,水産物の販売など
目からウロコ
飲食ビジネスは新規参入者が多く、すぐに真似されるため、常に競争下にある。仕入れた素材を店舗で加工する“製造業”であり、それを売る“流通業”であり、楽しい時間や空間を提供する“サービス業”でもある。つまり、作って、売って、サービスするという、人の生み出す価値が非常に高いビジネスとも言える。

取材のコメントのとおり、人の力が非常に重要で、それを誰よりも感じている坂本社長は、人の強化に力を入れている。商品を生み出す主体である調理人の育成では、ふぐという商材を扱う以上、美味しく安全に食べてもらうという強い責任が生じる。そのための仕組みづくりに注力し、曰く「他者に負けない育成力」を持つに至った。次に着手したのが、サービスを担う戦力の充実で、2年目の社員を中心に、自ら主体的に学び、成長させるようなマネジメントを行った。人に教えることは難しく、自ら学ぶ意志を持つ者だけが成長できるのだ。

同社の経営には、大胆さと慎重さが共存している。もともとは挑戦的なタイプの坂本さんは、若い頃にリスクテイクの結果、倒産という挫折を経験した。その体験が、性能の良いブレーキとして残っている。新たな挑戦として漁業にも乗り出しているが、これまた楽しみな世界だ。将来的に、マグロが日本人の食卓から消えるのではという危惧もある
中、その担い手に大きな期待がかかるのは必然。飲食業から6次産業へ、同社の今後の動向に大いに注目していきたい。
(原 正紀)

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