2015-01経営者140_田村農園_田村様 (1)

マーケティング重視の経営で
「農業振興」、「地域発展」に
取り組むリーダー

田村農園株式会社 代表取締役

田村 臣希さん

南房総に生まれ、畜産業を営む家庭に育つ。兄も姉も後を継がない状況の中、自らを育んでくれた家業を継ぐために、明治大学農学部に進学。その後、家業は畜産業から農業へと転換し、自身は大学卒業後にオランダで最新の農法を学び、実家に戻る。補助金に頼らない自力の農業を展開するために、毎年50アールほどの農地を増やしつつ、作物は菜の花を中心に種類を限定し、売り先の確保を考えながら展開する。観光客に対して体験農業を展開する事業を始め、農業生産法人田村農園株式会社を設立。年間1万人もの観光客を受け入れ、マスコミにも取り上げられる。農業の振興と地域の発展を目指す、挑戦する地域リーダーに話を聞いた。
Profile
明治大学農学部卒業後、農業を学ぶため、オランダに留学。帰国後は家業を継ぎ、農地拡大や観光客受け入れという独自のビジネスモデルを展開する。生産物の種類を絞ることで、規模の利益を追求し、大手との取引にも成功。田村農園株式会社を設立して、独自モデルをさらに拡張し、環境保全への取組みも始める。

何度も失敗しましたが、そこから知識や知恵を得て、次に活かしました
いまでもその連続ですね(笑)

— 田村さんは、農業と観光を融合させた新たなビジネスモデルで成長されているそうですが、家業を継がれたのですね。
もともと実家は畜産業でした。父親がいなかったため、祖父母と母親でやっていましたが、子どもの頃から手伝いをしながら、「とても大変だなぁ」と思っていました。私が生まれたのは“畜産バブル”で供給が追いつかないほどの時期でしたが、その後は、乳価が徐々に下がって安全管理の要求が強くなり、飼料費も上がり、経営環境はどんどん厳しくなりました。そのため、実家は途中で農業も始め、畜産と農業の二本立てになっていきました。

大学を選ぶ際は、家業を継ぐつもりで、明治大学農学部農業経済学科に進みました。大学では、グリーンツーリズムなどについては学ぶことができましたが、直接農作物を作ったりすることは学びませんでした。

そこで、大学卒業後にゼミの先生の勧めで、1年間ほどオランダに留学し、半年間は施設農業について、残りの半年間は無農薬農業について学びました。留学先にオランダを選んだのは、日本に似て、狭い土地で効率的に生産しているため、学ぶことが多いだろうと考えたためです。「自分をできるだけ磨き、人と違うことを経験して帰りたい」という気持ちが強かったですね。

帰国後はすぐに実家に戻り、家業の農業に取り組みました。その頃、実家は畜産業をやめており、農業オンリーでやっていたんです。

私は中学生の頃から、家業を継ぐことを決めていました。兄がいるのですが、教員を目指しており、姉も家を継ぐ気はないということでしたので、苦労は見てきたものの、自分がやるしかないと思っていました。母親に農業をして育てられ、大学まで行かせてもらったのに、自分が継がなくてどうする、という使命感もありました。

最初は、それまで親がやっていたことをそのまま受け継ぐ形でスタートしました。でも、それだけではなく、農協の指導や近所の人のやり方なども取り入れながら、試行錯誤をくり返して自分なりに実験を重ねていきました。

最近は、気軽に農業に参加される人も多いですが、そんなに甘いものではありません。私も何度も失敗しましたが、それによって知識や知恵を得て、次に活かすことができました。いまでもその連続ですね(笑)。
— まさに、農業の申し子のようなキャリアですね。強い思いがチャレンジ精神になり、ほかにはない農業の道を歩んでいらっしゃるのでしょうね。
実家が畜産業をやめたのは、私が大学3年の頃でしょうか。私は平成18年に就農したのですが、当時は田村牧場から田村農園へ転換した直後で、200アールの規模でのスタートでした。その後、試行錯誤を重ねて年間50アール以上の拡大を続け、現在では750アールほどの農地と、20アールほどのハウスで生産を行っています。当初は、家族と手伝いの4人でしたが、現在は15人ほどの従業員でやっています。

生き物を扱う畜産業はとても大変で、一時期は70頭ほどの牛を保有していましたが、朝から晩まで世話を焼くだけでなく、病気になったらずっと看病をしたりもします。乳牛でしたので、子どもを産ませないと乳が出ず、そのために子どもを作らせるのですが、そのときは昼夜を問わず世話をします。祖父母も母親も、文字どおり働きづめでしたが、その割に収入は多くない。そうした理由で、もちろん私自身が農業をやりたいという希望もありましたが、畜産業には見切りをつけてやめたというところです。

同級生で就職した友人などが、すでに年収500万円ほどを稼いでいる話などを聞く一方で、当初は月5万円ほどしか収入にならないような状況でしたが、「いつか必ず抜いてやる」と思っていました。その後、平成23年に会社を設立したのですが、当時掲げた目標は「年商1億円」でした。

年間50アールの面積拡大を目指して、いまもそのペースを継続していますが、農業というのは面積を拡大すればするだけ、比例して収入も増えていくことを知りました。売り先の確保が大事になりますが、やった分だけわかりやすい見返りがあるのは、ほかの仕事にない面白さだと思います。 企業理念には、「楽農〜地域農業の未来を明るく豊かにするために率先して行動しよう〜」という言葉を掲げており、自分たちがモデルとなるように努力しています。単なる商売として、「売って終わり」ではなく、消費者を笑顔にしていきたいと考えて、「楽農」に取り組んでいます。農業は厳しい世界で、そこには自然や人との闘いが存在しますが、だからこそ楽しみながらやっていきたいと思うんです。

「楽農」という言葉を掲げたのには、地域農業の未来を明るくするために、人を喜ばせることを考えようという思いもあります。人が喜んでくれれば、結果としてお金がついてくる。人との出会いがとても大切で、出会った人を喜ばせることで、自分たちの道も拓けてくると考えています。私たちは観光業に取り組んだこともあり、多くの人と出会うことができました。

出会いからは、多くの喜びが生まれます。時として、クレームも生まれますが(笑)。でも、それも勉強の1つで、ある意味ではチャンスだとも考えています。どのような状況でもプラス思考で、たとえ天候が悪くて不作でも、グチを言ったりはしません。良いときはすんなりと物事が進むため、あまり勉強にはなりませんが、常にプラス思考でいれば、失敗しても次のステップに行くことができるんです。
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試しにちょっとではなく、最初から大きな規模で、何にでも挑戦していきたい
それによって、勉強することができますので

ー 田村さんを見ていると、農業への誇りを感じますが、楽しんでいらっしゃることもにじみ出ていますね。もちろん、ご苦労も多いでしょうが。
農業には投資も必要で、目標年収の3倍程度は投資しないとダメだと言われています。でも、その投資に対する回収率は、高くはない。さまざまな作物がありますが、すべてに職人技が必要で、何を作るかによってやることが異なるのが農業の面白さです。とは言え、うちではそれほど多くの種類は作っていないのですが。

一般の農家では、年間にわたって収入を継続するために、時期に合わせて数種類の作物を生産しますが、うちは面積が広い割に、作っている種類は少ないんです。それによって効率が良くなり、直接的な売り先の確保につながるため、このやり方を取り入れています。これも試行錯誤の中から、独自に考えて生み出した知恵です。

主力商品は菜の花ですが、その作付は日本一だと思います。全体の売上の4分の3ほどが菜の花ですからね。通常、1つの農家で栽培する菜の花の作付面積は、多くて20アールほどと言われますが、うちは700アールほどの農地で栽培しています。おかげで、規模のメリットが出ていますね。売り先の確保やノウハウの蓄積はもちろん、供給量とスピードで他を圧倒的に上回っていますので、その供給力が大きな差別化につながっています。

菜の花は、冬〜春にかけて収穫しますが、そのほかにも5月にはそら豆を、夏にはとうもろこしやゴーヤ、トマトを生産しています。菜の花はさまざまな場所に供給していますが、そら豆ととうもろこしは観光用に、トマトはカゴメにジュース用に、そしてゴーヤはセブン-イレブンに惣菜用に卸しています。1社に卸すのは、供給量を確保できて効率的ですので、これからも開拓していきたいと思っています。

同時に、売上拡大だけでなく、採算のとれる仕組みづくりも目指しています。そのためには、私たちが価格決定にも関与することが重要ですが、農協などに卸すだけでなく、自ら小売業者と交渉する機会を作っていこうと考え、積極的に動いてきました。たとえば新しいものを作る際も、試しにちょっとやってみようというのではなく、最初から大きな規模でやるようにしています。何にでも挑戦していきたいですね。それによって、勉強することができますので。
ー 「挑戦とは勉強」ですか。良い言葉ですね。「挑戦する経営者」の連載ですので、テーマにぴったりです。観光への取組みもお聞かせください。
うちの農場は幸い、「道の駅」に近くて街道沿いと立地条件が良かったため、旅行代理店と連携して観光事業にも乗り出しました。地元が観光地でもあったため、その業界に入りやすかったことと、地域にお金を落としてもらいたいという思いもありました。

現在は、多くの観光客がバスで、「とうもろこしもぎ取り体験」や「そら豆狩り」に来てくれます。とうもろこしは3本500円で、生のとうもろこしの試食もできます。畜産をやっていた当時の畜舎が、作業場や事務所として役立っているんです。
農業体験に来たいという都会の人も多いですね。旅行代理店経由でバスに乗って来る人、ご自身で見つけてマイカーで来る人などを合わせて、年間1万人ほどの人が農場に来てくれます。観光の売上は、全体の20%ほどになりました。コンクリートに囲まれて暮らしていると、自然に触れたいという気持ちがわいてくるようで。皆さん、とても疲れていて、癒しを求めているんです。私は、土を触っても癒されませんが(笑)。

観光に取り組み、多くの人との出会いがあったことで、私自身もいろいろと勉強になっています。収穫した作物を「美味しい」と言ってくれると、とても嬉しいですし、テレビなどでも取り上げてもらえますので、良い宣伝にもなります。また、この活動を通じて多くの人が南房総を訪れてくれ、地域に貢献できていることも嬉しいですね。
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大事にしているのはQ (クオリティ) 、C (コスト) 、D (デリバリー) の感覚
さらに、経営者には「運」も大事だと思っています

— 農業も経営も、大学を出てどこかで修業をするのでなく、スタートから自力で取り組まれていますね。経営はどのような方針でされていますか。
経営的に心がけているのは、誰かのためになること、人に喜んでもらうことです。そのためには、組織を支える人たちに満足してもらうことがスタートです。管理面積が広いため、私1人ではとても目が行き届きません。強い組織には明確なゴールがあり、熱意のあるリーダーがいて、風通しの良い仕組みがあり、さらに仲間を思う気持ちも強いことが必要です。何かの請け売りですけれどね(笑)。特に大事なのは、仲間を思う気持ちではないでしょうか。

観光事業に取り組んだことで、観光客に対してマナーを持って接することの大切さなども感じています。その基本は、相手に対する思いやりの気持ちで、常に相手を尊重することやほめることを意識しています。また、人とのコミュニケーションでもポジティブストロークが大事で、組織のメンバーに対しても、お客様に対しても、そのような前向きのコミュニケーションを心がけています。

良い意味でお客様を裏切ることが大事で、期待していた以上に満足してもらうことで、「また来たい」という人が増えてもらいたいですね。これも、観光事業に取り組んだからこそ気づけたことでしょう。同時に、農業も含めて生き残っていくには、マーケティング的な感覚も持っていなければなりません。よく言われるQCDの感覚を大事にするようにしています。

具体的には、Q(クオリティ)、C(コスト)、D(デリバリー)を平均的に行うだけでなく、どこかを突出させることが、今後事業を進めていくうえで重要になると思っています。「長所を持たせる」経営です。うちがこだわるのはデリバリーですが、必ず約束どおりに納品すること、また素早く必要な量を届けることなどが、競争力につながっていくのです。もちろん、コストについても強く意識しています。

さらに、経営者には「運」も大事だと思っています。「運」とは「運ぶ」という漢字ですよね。自身のアンテナを張り、人を喜ばせる努力をして、困っている人を助けたりしていると、運を運び入れることができるのです。実際、大手との取引が成功した際などは、運を感じることが多い。そういったことも、仕事をやる喜びですね。

「農業をしているなら、数多くある補助金を使ったほうが良い」とアドバイスされることがよくあります。もちろん、使わせてもらうこともありますが、基本的には補助金に頼らずに自力で行きたい。補助金も良いのですが、中には、田畑を持っているだけの兼業農家で、あまりやる気のない人の手に渡ってしまう場合もあるように思います。せっかくなら、真剣に農業に取り組み、それで生計を立てていきたいと頑張っている人たちの支援をしっかりと行ってほしいですね。

私たちが根差している南房総もそうですが、これまでの農業政策の影響で畑と民家が混在し、虫食いのような状況になっています。誰かがやめたり、農地に家を建てたりなどしているうちに、そうなったのです。田村農園の農場も虫食い状に点在していますが、この国の農業にはそうした問題がまだまだ山積みです。現場の努力で1つひとつ解決しながら、農業を通して地域の発展に貢献していきたい。それが私の経営の方針です。
— 今後の田村農園の展開を教えてください。
今後、農業が衰退することはないと思います。いつ、どのような出会いがあるかわかりませんので、常にさまざまな場所に顔を出し、運をつかもうと思っています。農業を通じた地域活性を目指していますが、そのための今後のビジョンは、現在検討中です(笑)。規模の拡大を目指して農地を広げていく方向はこれまでどおりですが、オランダで学んできたような施設農業、食物工場づくりにも取り組みたいですね。

また、さらに別の価値も求めていきたいと思っています。その1つが、環境問題への取組みです。具体的には、森林をきれいにしていくために、林業などを考えています。
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私が住んでいる南房総の館山でも、森や川が汚れています。私は、環境を改善していく基本は森だと考えていますが、その森からの水が川から海へと流れ込み、魚にも影響を与えています。まずは森がきれいになれば、自然全体がきれいになっていくのではないでしょうか。
現在では、森の木を切る人がいなくなり、どこへ行っても木が生え放題です。農業の現状と同じで、担い手が不足しているんですね。環境の変化で、水を浄化できる微生物が住みづらく、育たなくなっているいま、林業こそが森を救う産業だと思います。農業では、永遠に栄えるような土づくりや栽培方法実現に取り組んでいますが、そのためには、農業以外の自然環境も考えなくてはなりません。

まずは、壊れてしまった自然の循環を、再度生み出すことだと思います。それによって、川や海がきれいになり、人も健康になれる。そのような地域づくりに取り組みたいですね。自分と家族、組織のメンバーや地域にかかわる人々皆に幸せになってもらうことが、私の仕事だと思っています。

私にとって農業は「挑んでいく産業」
「楽農」の精神で観光やマーケティングにも注力し、輝く農業を作っていきたい

— 最後に、田村さんにとっての挑戦とは。
毎日が挑戦ですね(笑)。どちらかと言うと、保護する産業、守る産業だった農業ですが、私は挑んでいく産業と捉えています。補助金などの援助がなくても、自力で活路を見出していきたい。

残念ながら現在、農業をやってみたいという人は少なく、従事している人の中にもやめたいと思っている人が多い状況です。実際に農業に携わっている私たちが、いきいきと楽しく働いていないと、誰もついてきませんよね。だからこそ、「楽農」の精神で取り組み、観光やマーケティングにも力を入れて、輝く農業を作っていきたいと思っています。
目からウロコ
経営者には、経営を行っていくうえでの経験・スキル以上に、自分が成し遂げたいものに対する純粋な情熱が必要だ。そして、情熱があれば、スキルは後からついてくるというケースも多々あるが、田村さんのケースはまさにそれだ。周囲に対する感謝や貢献を大事にしながら、大学卒業後はすぐに家業を受け継ぎ、ビジネスとして成立させつつある。農業の世界については、多くの方にお話を伺ってきたが、自然との闘い、消費者や売り先との闘い、仕入先や農協との闘い、そして同業ライバルとの闘いと、非常に熾烈な競争の中にある印象だ。併せて、大手などは農業法人を設立して参加するし、TPP問題に象徴される海外のコンペティターの存在もある。そのような競争下で生き抜いていくには、地道な努力だけでは難しく、当然のように勝ち抜くための戦略が必要だ。

田村さんは、家業を受け継いだ当初から常に挑戦を続け、進化しながら戦略を練り上げている。他社で実務経験を積んだり、ビジネススクールで学んだりしてから経営に携わる人が多い中、いきなり現場から経営を始めて軌道に乗せていくという、若者の特権的な挑戦スタイルだ。田村さんが成功することで、他の農家の参考になるだけでなく、若手経営者の良いモデルとなるはずだ。まだまだ挑戦は続くだろうが、ぜひ農業経営、地域振興の成功事例になってほしいと、心から願う。
(原 正紀)

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