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学校経営の変革、教育の改革に挑戦する
人材育成のニューリーダー

品川女子学院 校長 

漆 紫穂子さん

教育一家に生まれ、大学卒業後には教師として充実したキャリアを歩む。しかし両親が経営する品川女子学院が経営危機に陥り、自らの充実した仕事を辞めて、学校経営の道に入る。類まれな行動力を発揮して改革を推進する。平成元年から取り組んだ学校改革によって、7年間で入学希望者数は60倍、入学偏差値は20も上昇させた。試行錯誤を繰り返して、多くの失敗の中からも、他校から目標とされる学校へと変貌を遂げた。
教育のゴールを28歳に置き、社会で活躍する女性を生み出す方針は、世の中の流れと見事にマッチした。これまでの学校教育にない付加価値を創出する、挑戦する教育者に話を聞いた。
Profile
創立者の家計に生まれ、中央大学卒、早稲田大学教育学部専攻科修了。都内私立中高の国語教師を経て、両親が経営する品川女子学院に勤務。2006年より校長に就任。文部科学省のステアリング・コミッティ委員、産経新聞教育コラム「解答乱麻」執筆、品川女子学院ホームページで「校長日記」の執筆などを行う。

— 漆さんは品川女子学院を経営危機から立て直す原動力になるだけでなく、新たな教育の手本となるような学校を作り上げられました。最初は他校に就職されたそうですね。
私は品川女子学院の創立家に生まれたのですが、家中が教育者という家庭でもありましたから、4歳くらいから自然と先生になるという夢を持っていました。だから就職するときには迷わず教師を選びました。最初に勤めたのは都内にある中高一貫の私立女子高校です。

目の前の子供たちと接することはとてもやりがいがあり、充実した毎日を送っていましたが、あるときに先輩の先生から「あなたの実家の学校は経営危機ですよ」と聞かされたのです。廃校危険度ランキングを見たら確かに高かった。

さらに副校長である母親が癌であるということが判明しまして、余命半年と宣告されました。校長だった父親は学校改革に着手しようとしていました。そういう重大なことが重なったのです。

個人的には一教師として担任をするのが天職と思っていましたが、家族が代々この学校を身を削って守ってきたのを見ていましたので、自分だけの幸せを考えていてはいけないと、母の跡を継ぐ決心をしました。苦労は覚悟していましたが、その方が後悔しないと考えました。

当時の品川女子学院の中学の生徒数は、1学年で5人まで落ちたこともありました。高校主体の経営でしたが、それだけでは少子化の進展でやがて立ち行かなくなるだろうと、容易に想像できました。早急に中等部を拡大し、一貫校として教育内容を充実させる必要があると考えました。
— 中高一貫体制が盛んに経営に取り入れられた時期ですね。しかしそこまで危機的状況に陥ると、再興も並大抵ではないでしょう。
私は他校からこの学校を見ていたので、社会のニーズと学校の体制とのギャップに気づくことができました。女子校にも躾や情操教育だけでなく進学指導が求められる時代になっていました。そのためには中高一貫の教育体制が不可欠なので、なんとしても中等部の入学者を増やしたかったのです。

小学生はどうやって進学先の学校を選ぶのかを、先入観なしに考えてみました。そんな時にどうやら塾の先生の影響力が強いらしい、ということに気がつきました。そこで塾に対する学校の広報を始めました。

伸びた学校、効果的な募集活動をしている学校の話も聞きに行きました。若くあまりに物を知らない私に驚き、親切に色々なことを教えてくださる先生方に助けられました。その過程でどの学校も純粋に生徒のことを考えていること、そしてそれを外部へどう知らせるかによって大きな違いが出ることを学び、先進的な学校や企業の活動を取り入れることが効果的だと思いました。

話を見聞きしていいなと思ったことは、片っ端からやっていきました。「あきらめずに、ひたすらやり続けていれば結果が出る」とか、「これ以上落ちないから何をやっても大丈夫」などといってくれる方もいましたね(笑)。

必死でしたが、今思えば当時の方が楽だったかもしれません。逃げ場がなかったし、守るものもなかったので、思い切った決断がしやすかった。今は守るものもあり、選択肢も広いので、決断するのはずっと難しくなっています。
— 確かに決断とは“決めて絶つ”ことですから、絶つべきものが少なければ思い切りやすいですね。重要なのは行動で、片っ端から取り組んだという行動力が結果につながったのでしょう。
制服や校舎など、変化がわかりやすいものから取り組みました。どちらも子供たちが毎日接する大切なものです。制服の素材については、それまでは丈夫で長持ちが最善とされ、発色がよく着心地がいいなどということは重視されていませんでした。でも毎日着る子供たちは着心地がよくて見栄えのいいものを着たいですよね。
私は子供が大好きなので、子供のために学校を良くしていきたいというのが、すべての行動の原点です。とはいえ、情熱だけで改革の手法を全く知らないので苦しかった。それまでのやり方が正しいと信じている人たちをずいぶんハラハラさせたと思います。

それまで校長と教職員の信頼関係が厚く、比較的団結力がある学校でしたから、反対意見も学校のためを思ってのことでした。私がオーナー一族ということも、サポートしてもらえる要因となり、運がよかったと思います。改革はスピードを重視し、小さなプロジェクトチーム単位でどんどん進め、後から皆に協力を募りました。一つ一つ職員会議で全員で相談すると時間がかかりますから。
057①
ー それぞれ一家言持つ“教師”の集団であり、保守的な気質の強い“学校”という組織で、変革をスピーディに行なうことは生半可なことではないでしょうね。
とにかく「やる」と宣言してしまいました。やらなければつぶれるだけですから。「言ってしまったからお願いします」ということもありました。(笑)。多少の障害には目をつぶってでも、スピードを重視してやることが、改革には不可欠でした。

そして、一度手がけたことでも、うまくいかないことに対しては撤退も早かったと思います。例えばあまりに生徒に対するサービスを考えて、迎合しすぎたことがありました。でも子供たちは楽に流れやすいので、将来のため厳しくすることも必要だと気づき、そのやり方も改めました。

うまくいかなかったことはすぐ忘れてしまうので憶えていないのですが(笑)、細かいことを含めると8割くらいはうまくいかなかったのではないでしょうか。周囲は「また思いつきで何かやろうとしているな」とヒヤヒヤしていたと思います。

新しいことは必ず失敗のリスクをともないますが、それを乗り越えなければ変わらないのです。特に一度始めてうまくいったことを、さらに次をみて方向転換する際には反対も多く、勇気が要ります。しかし、上向きのときに先手先手を打っていくことが大切なのです。一方、一時的に組織がギクシャクしたこともあり、改革には副作用があるということも実感しました。

ある時、卒業生から「自分のふるさとである学校を守って欲しい」といわれました。私が書いている校長ブログを、毎日読んでから働き始める人もいるそうです。そういう卒業生の期待が私を支えています。

私の使命は、学校のミッションに基づき生徒を育てることと、いまでは2万人になっている卒業生の母校を守ることの2つです。そのためには失敗や摩擦を恐れずに、やるべきことを実行していかなければなりません。
ー 改革の過程では失われるものもありますが、やはり得るものの方が大きいのでしょう。企業のやり方も取り入れられたそうですね。
企業経営的な考え方や、研修などです。最初はPDCAという言葉さえ知りませんでしたが、今ではC=チェックの大切さを意識しています。研修導入により更に学校を伸ばしたかったのですが、皆になかなか受け入れられませんでした。トル考えあぐねて知人のコンサルタントに相談したところ、「分かってもらえないのは研修が足りないのではなく、目標が共有されていないのでは?」とアドバイスされました。それで大事なのは想いを共有していくことだと気付きました。

みんなで話し合って決めたのが「私たちは世界をこころに、能動的に人生を創る日本女性の教養を高め、才能を伸ばし、夢を育てます」というミッションです。それに基づいてビジョンとバリューも設定しました。

また目標を定めたからには、それに合わないことをいさぎよく捨てることも大事だと知りました。一例として、中高一貫での教育体制を作るために、高校入試をやめることにしました。6000万円ほどの減収になるため躊躇もありましたが断行しました。右に行こうと決めたときに、惜しんで左の要素を残すとうまくいかない。決断に際しては目標に照らし、変えるべきものと、変えてはいけないものの見極めが重要になると思います。
— これほどの改革を実行されてきた漆さんならではの、改革成功ポイントを教えて下さいますか。
改革を経験して大事だと思うことはいくつもあります。第一に軸を変えないこと。軸がぶれると回りが混乱します。私は実は気が弱くあまり人の話を聞きすぎると判断軸がぶれるので、聞くのが怖くなった時期もあります。今は、話を聞いた上で軸に照らして判断ができるようになりました。

第二にその上で目標を共有すること。目標を共有するには共感することが大事ですが、学校は生徒のためにという基本的な部分で共感できるから、目標は共有しやすかったかもしれません。

共感のためにはまず自分が相手の立場に立って考えることが大切、次が情報の共有ですね。自分だけが外で情報を得ていても、中にいる人と差が出てしまいますし、中の情報がわからなくなることもある。だから他校見学など外に行くときは誰かと一緒に行きました。特に校長になってから公平性をこころがけ、現場でのヒアリングは全員からしました。

第三に自分自身が情熱を持ち続けることです。改革が進み権限を委譲していくと、自分がいなくても組織が回っていくような気がして情熱がうすれる時があります。しかし、自分のモチベーションが落ちると徐々に組織の活気もなくなってしまいます。常に前に向かう情熱を保ち続けるには、危機感とビジョンの両方を持ち続けることが大事だと思います。

第四が自分のマネジメントスタイルを知り、それが変化することも理解しておくことです。人の真似をしたくなることもありますが、なかなかうまくいかないし継続できません。自分のできる範囲で、自分のスタイルを確立することです。
— 私も仕事で多くの若者と関わりますが、学校教育の重要性を心から感じています。教育についてはどのようなことを目指されていますか。
それも少しずつ固まってきたのですが、その原点は日本は今後ますます女性の活躍が不可欠な時代になるだろう、という思いでした。目の前にいる生徒が幸せになることが、一教師としての夢でした。学校のミッションなどを固めていくうちに、経営者としての考えも固まって行ったのです。
057②
本校の創立者は政治家の娘ということもあり、はじめから地域や社会に還元したいという思いが強かったようですが、私もそういう気持ちが強くなってきています。人口減少による国力の衰退が問題視されている一方、日本にはM字カーブという、女性の就業率が一時的に下がる現象があります。女性は日本の含み資産です。もっと女性が活き活きと活躍できる社会にしなければなりません。

私は創立者が女性参政権のない時代に女子校を創ったように、国や誰かのせいにするのではなく、自分ができることをやっていきたい。経営的には共学にした方がいいという人もいるかもしれませんが、女子高にこだわって、活躍する女性を育て続けたいと思います。
— 企業とのコラボレーションも大変活発で、28プロジェクトという活動もされているそうですね。
最初は企業の方に特別講師でお話いただいたのがきっかけなのですが、現在では企業とのコラボレーション授業で、商品開発などを行なっています。サンリオさんと品川女子バージョンのキティちゃん、ポッカさんと桃恋茶などの開発をして、実際に販売しています。

親や教師以外の大人との接触が少なくなっている子供たちに、マナーやコミュニケーション力などのいい勉強になるだけでなく、社会での活躍がイメージできて、学習のモチベーション向上にもつながっているようです。

28プロジェクトとは、28歳のときの自分をイメージして、人生設計を考えていこうというものです。本校の教育のゴールを28歳に置いているのです。高校を卒業する18歳を区切りで考えると、どうしても大学受験が目的化し、考え方が狭くなってしまいますから。

私自身もそうでしたが、女性にとって28歳という年齢は、とても大事な時期です。仕事のこと、出産時期のことなどをしっかり考えなければならない。17歳くらいで進路選択をするときにも、28歳の自分をイメージすると、悔いのない選択につながります。「数学が苦手だから文系に行く」などと安易に決めないでほしい。
— 教師の採用も企業経験を重視されたこともあるそうですね。企業での実務研修もされたとか。
教師募集の際に一般公募をしました。数百人という応募者の中には企業経験者も多くいました。新人教師は1年間企業に研修に行ってもらったりもしましたが、今はノウハウもたまり、校内で育てています。学校には企業とは違った組織文化があることを再認識しました。

学校としてはめずらしい変形労働時間制なども導入しましたが、それもメリットとデメリットがあります。試行錯誤でいいものを残していきたいと思っています。

今の段階で大事だと思っているのは、危機管理についてです。危ないと思ったらラインを飛ばしてでもすぐに直接私の耳に入れてと頼むと、実際その99%は通常の仕組みの中で処理できることであったりもします。でも今はそれを聞いていかないと1%の本当に必要な情報が入ってこないので、手間を惜しんではだめなんです。今後それをどう効率化していくかですね
— まだまだ改革は続きますね。漆さんにとっての挑戦とはどのようなことですか。
トライアスロンに挑戦したいですね(笑)。体力・気力を充実させることで、新しいことをやりつづける情熱を保つため、常に自分を鍛えていたいと思います。校長という仕事では常に鍛えられていますけど(笑)。

私は経営者というよりコーディネーターだと思っています。学校において教職員など内部の人と、社会の外部の人をコーディネートして、最善の教育を提供していきたいです。生徒に対しては「学力保証」と「進路保証」、つまり大学への進学と社会での進路を、本人が満足できるものにすることを約束したいと思います。

私のようなタイプは、突っ走りころびますので、補佐役には逆のタイプの人になってもらいます。マイナス面ばかり指摘されると頭に来ますが(笑)。ある意味いつでも自信がないので、できるだけの手を打っておきたい。

自分のリミットも決めています。マックスで65歳までです。どんなに優秀な人でも、いずれは判断が鈍ってきます。今は確かに早い決断ができていますが、いつかは独善的になってしまうかもしれない。だから自分をクビにするシステムも作っておかなければなりません。私にとって一番大切なのは学校です。今だけでなく将来の学校のため、必要な手はすべて打っておこうと思っています。
目からウロコ
データなし
(原 正紀)

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