a2018‐05経営者180_クオリティ・オブ・ライフ_原様

個人のキャリア充実により企業と社会を元気にする
「人」を活かすソーシャルカンパニーを創造する経営者

株式会社クオリティ・オブ・ライフ 代表取締役

原 正紀さん

リクルートでの人材ビジネスの経験を存分に活かし、起業。企業や官公庁、教育機関に対し、幅広く人材関係の提案を行う。新時代における人と組織のベストマッチング、若者からシニアまでのキャリアトランジション支援、パーソナルサポート、ダイバーシティを目指す組織の支援など、多様な人と組織の関係を追求。個人のキャリアと組織のあり方に新たな価値を創出する、この分野の第一人者かつ本連載インタビュアーである創造的経営者・原正紀さんに話を訊く。
Profile
早稲田大学法学部卒業後、大手機械メーカー勤務を経て、株式会社リクルートに入社。本社および関西支社で営業部長を務めた後、フリーランスを経て、2006年に株式会社クオリティ・オブ・ライフを設立し、企業や官公庁、教育機関に対し、人材関係の提案を行っている。また、一般社団法人留学生支援ネットワーク、一般社団法人産学協働人材育成コンソーシアムを設立し、理事を務める。高知大学客員教授、成城大学非常勤講師を務めるほか、国や自治体の委員も歴任。著書は『採用氷河期』(日本経済新聞出版社)、『優れた企業は日本流』(扶桑社)、『インタビューの教科書』(同友館)など多数。

事業領域は「人」―ほかにない新サービスで挑戦

— 原さんが経営されているクオリティ・オブ・ライフの事業内容について教えてください
事業領域は「人」です。その領域は非常に広く、採用から始まって、教育、動機づけ、コミュニケーション、評価、処遇、人事制度などが入ってきます。企業だけでなく、個人や社会の視点も必要となる分野です。「人」とひとことで言っても、やれることはいくらでもあるということですね。
 
当社の特長は、独自のポジショニングです。僕らは「産・学・公・個の間」と言っていますが、産業界(企業)、教育界(学校)、公共関係、個人、と幅広く対象としています。それらの中間にポジショニングして人材に関するさまざまな取り組みを行っていることが、当社の独自性・他社との差別化につながっています。
 
企業向けに採用や教育や人事コンサルティングなどを行っていたのが、もともとのスタートです。現在は、人材にかかわる公共関係のプロジェクトの受託が増えてきています。学校関係では、学生のキャリア教育やインターンシップ、就職支援を行っています。個人向けには、スキルアップやキャリアデザインの支援などです。
 
まだまだ小さい組織ですが、東京と大阪に拠点を設けて、沖縄にも「沖縄QOL」という会社を創っています。そのほかに「産学協働人材育成コンソーシアム」と「留学生支援ネットワーク」という2つの一般社団法人も立ち上げています。
— 「産・学・公・個」のキャリアセンターを目指されている中で、「キャリア・トランジション」と「ダイバーシティ」の2つをテーマにして、事業を行われていますね。
キャリア・トランジションとしては、就職、転勤、結婚、出産、転職、退職など、人生に存在する重要かつ、つまずきやすいトランジションにおいて、キャリア充実につながるようサポートするのが当社のミッションです。
 
特に力を入れているのが、新卒が大学から企業へ入るSTWT(School To Work Transition)です。学生には就職支援やキャリア教育、企業には採用や定着や育成の支援をしています。
 
また、ミドル・シニアを対象としたトランジションも重視しています。「人生100年時代」と言われている今、一つの企業の中だけでは、個人が望むキャリアはなかなかまっとうできない。こうしたセカンドキャリアのトランジションをサポートするのも、当社の大きな役割の一つですね。
 
ダイバーシティとしては、外国人、シニア、女性などの活躍のほか、フリーターやニートといった非正規社員、不安定就労と言われている人たちのマッチングサポートを行っています。特に力を入れているのは、シニアと外国人です。
 
シニア向けには、「生涯プロフェッショナル」というサービスを立ち上げました。シニアの方々が、中小企業支援で長く活躍できるような新しいサービスを提供しています。現在、約4,000名の方にご登録いただいていますが、中小企業診断士の方も多くいらっしゃいますよ。
 
外国人向けには、特に高度外国人材といわれている外国人留学生のキャリア支援、就職支援に注力しているところです。留学生支援では、現在、日本の主な大学と協力関係を築けているほか、JETRO関係のプロジェクトともかかわっています。
 
こうしたキャリア・トランジションとダイバーシティの2つをテーマにして、先ほど述べたように2つの一般社団法人を創りました。双方とも、さまざまな組織と連携しながら、事業を確立しつつある段階にあります。
 
当社の事業においては、公共事業関係の受託等が全体の半分以上を占めています。毎年、複数のプロジェクトを動かしていて、その中から新しい事業が立ち上がったケースもあります。シニアや留学生向けの事業は、こうしたプロジェクトの中から立ち上がってきたものです。
 
公共事業では、若者支援、留学生支援、シニア支援、女性支援、中小企業支援などが多いですね。
ー 同業他社には大手企業が多いと思われますが、その中での強みとは何でしょうか。
当社の規模で大手の派遣会社や人材コンサルティング会社を相手に戦えているのは、社外のネットワークを活用しているからです。シニアの方や他社とのアライアンスなどですね。パートナー企業をはじめ、フリーランスの人、兼業・副業の人、外部のリソースを活用しながら事業を進めています。
 
これからの中小企業は、自社で社員をたくさん抱えて成長するだけでなく、外部のアライアンスやフリーランスとの協業が重要だと思います。当社の規模で若者からシニア、外国人までを対象とし、幅広く実績を積んできた会社は少ないでしょう。
 
人材ビジネスというと派遣・紹介・メディアなど採用支援系が多いのですが、当社はそこだけに重きを置かず、企画プランニング、プロジェクト進行、コンテンツ作成、新サービス創出など、他ではあまりやられていないことに挑戦して取り組んできました。それらが全部、自社のリソースになってきたということです。

社会貢献に臨むマインドのルーツは学生時代の体験に

ー 個人の人生の充実からソーシャル・カンパニーを目指すというのが、御社の企業理念ですね。
当社が「クオリティ・オブ・ライフ」という社名にしたのは、組織の中の個人、一人ひとりが充実していくことで、組織も社会も良くなっていくという考えが経営のベースにあるからです。
 
実際に、僕はこれまで2,000人以上の経営者と面談し、それ以上の会社を見てきました。活力のある会社は、人が生き生きとしているし、一人ひとりに魅力があるケースが多いのです。それが理想だと思いますね。もちろん、力の発揮の仕方は人によって違う。シニアの発揮の仕方、若者の発揮の仕方、これらは違っていい。まさにダイバーシティであり、当社はそれをサポートしているということです。
 
近年、ソーシャル・セクターといわれる非営利の社会貢献的な組織がどんどん増えていますが、僕たちの2つの社団法人もその一翼を担っています。非営利組織とはいえ、ある程度はビジネス化しないと拡大・継続しないというのが、僕の考えです。社会課題を解決するときに、公共事業を請け負い、それを自立化させたうえで、自分たちの事業として続けていくのです。
 
たとえば、公共事業で若者のキャリア・トランジションや外国人留学生の支援を請け負っていたので、一般社団法人の設立につながりました。シニアについても、公共事業でシニア人材と中小企業のマッチングを請け負っていたので、「生涯プロフェッショナル」事業を自立化させました。
 
公共事業というのは、いわば税金ですよね。今、日本は収支が非常に厳しい状況ですから、社会課題を解決する際には、できるだけ税金を使わないほうがいい。もし民間のビジネスセクターが、若者やシニアのキャリア支援事業を自立化させてビジネスとして運営できる仕組みができたら、税金を使わなくて済むのです。それがソーシャル・カンパニーの役割だと思います。
 
僕は、リクルートではバリバリの肉食ビジネスの世界で生きてきました。それなのに、公共事業が今の自分にしっくりきているのは、世の中のためという純粋なやりがいや社会貢献で満足を感じる、そういったマインドが自分の中にあったんだなぁと、新たな発見をした思いです。
 
すっかり忘れていたんですが、僕は大学時代にボランティア活動をやっていたんですよね。東京・世田谷区の事業で、障がいを持つ子どもたちを旅行に連れて行くという活動があって、これに参加していました。土日を使って、子どもたちの家に行って、車で公民館に連れて行って、ミーティングして、旅行やイベントを行う活動でした。今思えば、あの頃からそういう興味があったのかと、その中に自分らしさ、今の公共事業に取り組むルーツのようなものがあるのかなぁ、と感じているところです。
 
今もNPOの研修講師やソーシャルセクターの団体から頼まれて、マネージャー向けの研修などを行っています。そういうことは、ビジネスにならなくてもやらなきゃいけないと思うので、頼まれたらできるだけ引き受けています。
— 御社の強みの源泉は、原さんのキャリアの中にありそうですね。これまでの歩みを教えてください。
大学卒業後、最初は大手の機械メーカーに入社し、5年ほど勤めた後、通信事業に乗り出していたリクルート社に魅力を感じ、転職しました。通信分野を希望して入社したのですが、配属先は人材の部署でした。当時、人材については知識も興味もありませんでしたが、そのまま人材一筋で、いつのまにか自分のライフワークになっていた感じです(笑)。
 
人材の部署では、企業に対して採用や教育の提案を行っていました。採用の広告メディアや企画を提案して、採用を成功させていく仕事です。入社2年でマネージャーになって、次長、部長と来て、20年弱ほど頑張りましたね。
 
メーカーでは機械というハードを売る仕事だったのが、リクルートではソフトを売る仕事に変わり、自分のアイデアや企画からまったく違ったものを生み出す仕事に取り組みました。僕が現在、独立起業できているビジネススキル全般は、リクルートで鍛えられたと思っており、とても感謝しています。
— ビジネススキルを養いながら、独立への興味が沸々と湧いてきたわけですか。
もともと、将来は独立しようと考えていました。リクルートには、3年働いたら1ヵ月休暇を取ってもよいという面白い制度があったんです。それを30歳過ぎの時に利用し、大好きな街だったニューヨークのアパートを知人から借りて、1ヵ月間、マンハッタンをブラブラして過ごしていました。
 
実は、そこで自分の将来を突き詰めて考えたんです。考えていくうちに、40歳くらいで会社を作ることを一つの目標にすることを決めました。結局、リクルートの居心地が良かったので45歳までいたのですが(笑)、起業する前提で自分に実力をつけたり人脈を広げたりと意識して動いていました。
 
中小企業診断士の資格も、それまで東京で大手企業担当だったのが、中小企業の街である大阪に転勤したことをきっかけに、中小企業の経営を知るため、仕事の合間に勉強して取りました。

リクルートやジョブカフェの仕事が今日につながる

ー そして、いよいよ独立ですね。
独立前からしっかりとしたビジネスモデルがあったわけではなく、まずは独立して人材分野で何かやっていこうというくらいの考えでした。いよいよ独立する時に、それまで仕事でつながりがあった経済産業省の担当者に「リクルートを退社します」と挨拶に行ったところ、「辞めるんだったら、ジョブカフェのサポートセンターの仕事を引き受けてほしい」と打診されました。
 
ジョブカフェとは、経済産業省と厚生労働省が行っていた若者のキャリア支援事業で、雇用関連のサービスを提供する施設を運営しています。「自分で独立起業したいので、週3日でやらせていただきます」という契約で引き受けました。
 
以来、フリーの立場でありながら、ジョブカフェ・サポートセンター代表として、全国にジョブカフェを広げるためのサポートをする組織づくりに7年ほど携わりました。結局、週3日で終わらずに、ほぼ毎日、働いていましたが(笑)。
 
フリーの期間中は、早稲田大学のビジネススクールにも通いました。受けた科目は、起業論、マーケティング論、財務、企業研究と、もちろん、会社を創ることが目的です。おかげで、財務などを深く理解できるようになり、自分の会社のコンセプトをまとめたり、ビジョンを作ったりする際に、とても役立ちました。知識を体系的に学ぶことには、大きな意味がありますね。
 
こうしてフリーとなって1年後、ようやくクオリティ・オブ・ライフを立ち上げて、ジョブカフェの仕事もそこで請け負うようになりました。ですから、ジョブカフェの仕事が、クオリティ・オブ・ライフの第1号の仕事になります。
— 会社設立から11年の歩みはいかがでしたか。
ジョブカフェの仕事が評価されたこともあって、公共事業に関してはさまざまな話が来て、自然な流れで仕事は増えていきました。公共事業として新卒支援や留学生支援をやっているうちに、大学からもお呼びがかかるようになりましたね。そのおかげで、会社設立から9年連続で増収でしたが、そこで1回、売上を落としたんです。
 
中小企業の場合は規模を拡大していくと、常に資金繰りがつきまとうんですよ。僕らは収益性の高いビジネスはやっていないので、ずっと自転車操業でありながら、規模がどんどん大きくなっていき、資金繰りも大変になってくる。そんな時に、ある本を読んだら「売上を落として、利益を稼ぐ視点が大事だ」とあったので、楽に考えるようにしました。
起業してからしばらくは、いわば“原商店”として経営してきたんです。自分の独立の延長でやりたいことをやり、特に拡大志向もなくIPOは考えずに、目の前の仕事に取り組んできました。
 
でも、社員が1人、2人と増えてきて、今は20人くらいになっています。そうなると、個人商店では心もとないですよね。社員と家族、顧客や取引先などステークホルダーの期待に応えられる企業にならなくてはいけないと、最近は強く思っています。
 
10年やってくると、さすがにリソースも蓄積されてきます。特に当社は、知的資産といわれる独自のノウハウ、ネットワーク、コンテンツなどが充実しています。それを活用して、これからはビジネスモデル創出期にしていきたい。2017年には資本提携も行っており、今後は充実拡大志向でいくつもりです。
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— 2つの大学で教鞭を執られたり、官公庁の委員も務められているそうですね。
高知大学の先生と縁が生まれ、「大学の教職員向けに講演をしてほしい」と招かれて、さらに諮問委員を務めることになりました。客員教授も頼まれて、10年近くのお付き合いになります。成城大学の非常勤講師は、現在は週1コマの授業を持っていますが、これも5年目になりました。学生たちとの出会いは楽しくやりがいがあり、インプットにもなるので、趣味と実益を兼ねている感じですね(笑)。
 
委員はこれまで何度も引き受けており、今も3つくらいやっています。国のほうは経済産業省、中小企業庁、文部科学省、厚生労働省などの人材にかかわる委員で、自治体では雇用対策や企業の人材対策にかかわる委員です。経済団体からも頼まれます。委員を務めていると、役所の人から意見を聞かれ、政策に関して提言を行う機会が多々ありますね。
— 幅広くマルチに活躍されているようですが、ほかにはどのような活動をされていますか。
まずは、「書く」ことです。本は10冊以上出していて、月に2本くらいは原稿を書いています。「話す」ことも大事な仕事で、毎年50回以上は講演をしています。「診る」ことでは、多くの会社に顧問やコンサルタントとしてかかわっています。上場企業の株式会社スマートバリューは、クラウドとモバイルの相乗効果で社会にインパクトを与えている技術&マーケティングの会社ですが、上場前から社外取締役を務めており、自身もいい勉強をさせてもらうとともに、経営にも貢献できていると思います。 

「書く」ことは特に好きな活動で、趣味としてもずっと続けていきたい。もともと本が好きで、小学生の頃は「シャーロック・ホームズ」や「少年少女名作全集」を毎日読まないと眠れないほどでした。

リクルート時代にメディアの取材に同行することが多くなり、ライターが書いた記事をチェックしているうちに、「これなら自分も書けそうだ」と思って書き始めました(笑)。同社で出版していた週刊誌『ビーイング』でトップインタビューの連載も1年間引き受けて、本も出すようになりました。朝日新聞で1年間、コラムを連載したこともあります。「挑戦する経営者」も、その頃の持ち込み企画です。

インタビューは人生のエッセンスを吸収できる体験

— 本企画も全180回と長期連載となりました。振り返ってみて、いかがですか。
自分が経営者としてやってこられたのは、本連載で多くの経営者の話を直接聞いてきたことが大きいですよね。インタビューは、約1時間の中で相手の人生のエッセンスを吸収できるスゴイ体験なんです。しかも、取材して終わりではなく、書くことでさらに復習できる。いろいろな人が、いろいろなやり方で経営していますから、価値観の多様性も学べる。
 
僕が書いた『インタビューの教科書』(同友館)も増刷して5刷になりますが、あの本にこれまでの取材のエッセンスが詰まっています。インタビューはプラスになることが多いですよね。
— ソーシャル・カンパニーの経営者として、現在の社会の人材に関する課題は何だとお考えですか。
現在の日本でいえば、今あるものの変革や、今ないものの創造ができる人材は少ないですよね。なぜなら、「教育がそうじゃないから」とよく言われていますし、そういった機会も少ない。チームワークを重視するような組織づくりが多いので、創造的な人材が出づらいのかもしれません。
 
だけど、変わってきましたよね。今の若手経営者を見ていると、そういうやり方にこだわらずに、自身のスタイルで仕事をする人が増えていますし、そこから新しい価値が生まれるケースも出てきた。組織から少し抜け出す、もしくは組織の中にいても従来のやり方に従わない、常に前向きで新しいものに立ち向かえるような人材が求められています。 

そして、最近よく言われているダイバーシティも大きな課題です。画一的な経営だと同じような人しか活躍できませんが、スタイルが変わってきたら、従来は評価されなかった人も活躍できるようになる。多様な人材、それぞれの力を生かせる社会づくりが、これからの大きなテーマになってくるでしょう。
— そこにどう切り込んでいきますか。
そのテーマは、当社にとって「どストライク」です(笑)。たとえば、シニアや外国人の人材をどう活かすかといったことは、これまであまり議論されてこなかったので、よくわかっていない企業が多い。でも、僕らはそういう事例を多く集めていますし、自分たちの知見を持っています。そういったものを、これからビジネスモデル化していきます。 

大手企業出身のシニアの方々が中小企業に行って力を発揮すれば、シニアの方々のキャリアも充実するし、中小企業も良くなる。今や大手企業には55歳くらいで役職定年があり、それまでバリバリやって輝いていた人が役職を外され、何となく定年まで会社に残っている状況は、本人のキャリアにとっても社会にとっても、もったいない。一方で、中核人材が欲しい中小企業はいっぱいある。そのようなニーズや社会の要請をビジネスモデル化していきます。

経営者として永続させられるビジネスを残したい

— 最後に、原さんにとっての挑戦とは。
Microsoft Word - 42 企業診断201805挑戦.docx
自分が経営しているこの会社をしっかりと永続させながら、「クオリティ・オブ・ライフがあって良かった」と言ってもらえるような組織にしていきたい。独自に培ったリソースと、最新のテクノロジーを活用して、ほかにはない自分たちのビジネスモデルをしっかりと創り育てていくことが、僕にとっての最大の挑戦です。同時に、人生100年時代におけるミドル・シニアからの起業の成功事例にもなっていきたい。
 
自己評価として、「自分はまだ一流には行けていないなぁ」と感じています。一流って、何かで突き抜ける部分がなきゃいけない。物事をうまくこなせるだけでは一流じゃない。事業の経営者として永続させられるビジネスを残すことができれば、そういうところに仲間入りできるんじゃないかと思っています。
目からウロコ
原さんの話を伺っていると、この雑誌の編集に携わっている原点に戻っていく。企業活動とは何か、社会とは何か。その答えは、原さんの学生時代の記憶が物語っている。今、私たちは日々の利益を考える。同時に、ただ単なる利益ではなく、何かのための、誰かのための利益であると思いたい。
 
好奇心が強く、マルチに活躍する原さんは、「本当は自分の会社の経営に集中しなきゃいけないんだろうけど、つい手を広げてしまう」と笑う。ただ、そこから人脈が広り、さまざまなプラスを生み出してきたことは、クオリティ・オブ・ライフの現在の展開が証明している。原さんこそ、従来のやり方にこだわらずに自分のスタイルで仕事をし、そこから新しい価値を創造するタイプの経営者だろう。

人材の世界も新時代に入った。今や、その第一人者として活躍する原さんの次なる展開と「人」をテーマとした新連載に、ぜひ注目してほしい。
(馬渕 裕介)

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