2014-03経営者130_エム・ソフト_小暮様②1

日本発の技術で
ハリウッドへの進出を目指す
世界に通用する映像ソフトのプロ集団

株式会社エム・ソフト 代表取締役社長

小暮 恭一さん

新潟大学を卒業後、技術者としてソフトウェア開発会社に就職する。技術開発だけでなく、営業部門を立ち上げ、その責任者としても活躍するが、ワンマン経営に疑問を感じて 1987 年に仲間とともに独立、株式会社エム・ソフトを設立する。目標規模を 1,100 名と定め、技術開発と人材育成に注力し、バブル崩壊やリーマンショックなどの不況も乗り越えて順調に業績を伸ばす。その技術力は大手精密機器メーカーに信頼され、映像技術を中心に重要な仕事を担う。自社プロダクト開発にも成功し、タイに海外拠点を設置。ハリウッドへの技術提供など、グローバル展開を目指す経営者に話を聞いた。
Profile
大学卒業後、技術者としてソフトウェア開発会社に入社。ソフトウェア開発のみならず、営業部門を立ち上げ、400 人を率いる事業責任者として活躍した後、1987年に独立して株式会社エム・ソフトを創業。映像関係の技術を磨いて独自のポジションを獲得し、さらに自社プロダクトで日米の特許を取得するなど、海外展開にも力を入れて現在に至る。

ソフトウェア受託開発とプロダクトサービス
この二本柱が当社の主力事業です

— 事務所には映画のポスターがたくさん貼られていて、映画配給会社のようですね。映像系の仕事が多いようですが、現在の事業について教えてください。
当社の事業はソフトウェア受託開発、プロダクトサービス、コンサルティング、保守・運用の4つの分野で構成されていますが、主力事業は最初の2つで、コンサルティングと保守・運用はサブ的な位置づけです。受託開発などでは、コンサルティング提案も必要になりますが、単独でコンサルティングだけを受注することはありません。保守・運用も、システム納品後に次の仕事まで顧客との関係性を続けるため、という位置づけです。ですから、主力事業はソフトウェア受託開発とプロダクトサービスなのです。

受託開発の主流は、画像処理と組み込みです。当社にはキヤノン社の資本が入っているため、画像系の仕事は 100%、同社からの仕事です。カメラやプリンタ、複合機などに当社の技術が使われており、特にプロ向けのカメラには多くの技術が使われています。そのようなコアの技術を任されていますので、他社の仕事を受けるわけにはいかないのです。優れた技術で評価されるのはありがたいことですが、横展開できないという悩みもありますね(笑)。

そのような仕事に関しては、こちらから提案するものより、開発を依頼されて行うものが多くなっています。こちらからの提案は、全体の 30%ほどでしょうか。とは言え、最近は徐々に、提案型の仕事も増えてきています。キヤノン社の仕事は、売上全体の 65%ほどを占めていますが、もともとは画像系の仕事よりも通信系の仕事のほうが多かったのです。業務システム系の開発も行いますが、中でもインフラ関係、流通関係、WEB 関係の仕事が多いですね。

リーマンショック後に感じたのは、環境変化が業績に及ぼす影響が強い IT 業界の中でも、何と言ってもインフラ関係の仕事が安定していることです。景気が悪くなっても、モノの流れがなくなることはありませんから、流通関係も安定した仕事の1つだと思います。このように、ビジネスの中でももっとも安定した部分だと思いましたので、私が指示して業務システム系の仕事の受託に力を入れてきました。
— 環境変化の影響が大きいシステム開発業界では、どの分野に力を入れるか、大きな決断が求められますね。貴社の強みはどの分野でしょうか。
やはり画像分野です。特に、色を処理する技術には自信があります。色については、各社で独自の判断をしていて、たとえばカメラやプリンタなどの入出力機器では、各社で発色が違います。かつては、カメラで入力した色と、プリンタで出力した色は一致していませんでしたが、長年にわたる研究の成果として、いまでは一致するようになってきました。

画像分野でのもう1つの重要な要素は、形です。たとえば人を撮影する際、背景画像と人との境目の色は微妙に異なるのですが、この境界線の形状をどのように処理するかで、見た目がずいぶんと違ってきます。このような重要なポイントの開発に、私たちは 10 数年間取り組んできました。当社のように、 画像を強みとする会社はそう多くはありませんので、独自のポジションを築くことができたのだと思っています。
— 独自の技術が明確になったことで、受託開発だけでなく、自社製品への足がかりもできていますね。そのことが、プロダクトサービスにもつながっているのでしょうか。
そのとおりです。当社では、画像技術に取り組みながら、プロダクト開発にも力を入れてきました。当社のプロダクトには、映像加工ソフトと拡張現実(AR)サービスの2種類があります。前者については、映像の切り取りを行うものと、2次元映像を3次元(3D)にするものがあります。ただ、残念ながら日本の映画界は予算が少なく、3D 映画を作成しない方針を打ち出しているため、3D 変換のシステムは海外向けに販売しています。

映像は静止画の集まりです。コンマ何秒ごとに撮影した静止画をつなげていくと、映像になる。つまり、1コマ1コマを高い質で仕上げていくことが、画像処理の優れた技術というわけです。
カメラやプリンタで培ってきた当社の高い技術力が、映像関係の優れたプロダクトにつながってきました。現状の売上は受託が 85%を占めていますが、プロダクトには今後の伸びが期待できます。

プロダクト販売には、2つのモデルを用意しています。1つはライセンス販売で、自社開発の2種類のプロダクトは、いずれも日米で特許を取得しています。もう1つのモデルは、当社のプロダクトを利用して映像の編集を請け負うサービスです。当社では多くの映画の編集を行ってきましたが、これについてはコスト対策として、タイの子会社で行うこともあります。

世の中のデジタル化を担っているのがIT業界
デジタル化されていないものもたくさんありますので、成長を持続できます

— 受託とプロダクトという2本柱のモデルで、今後の展開が楽しみですね。IT 業界は現在、どのような状況なのでしょうか。
IT 業界は、企業や社会の投資によって成長してきた業界です。好景気のときは積極的に投資されますが、不況になると一気に仕事が減ることもある。実際に、バブル後は約12%、リーマンショック後は約 20%もの落ち込みを経験してきました。このように、世の中の変化をもろに受けることもありますが、トータルで見れば、成長を持続している業界でもあります。これからも成長は続いていくでしょう。

世の中のあらゆるものがデジタル化する中、それを担っているのが IT 業界です。まだデジタル化されていないものもたくさんありますので、成長を持続できると考えられるのです。

たとえば、自動車には 200 以上もの CPU、つまり小さなパソコンが組み込まれています。家電製品も同様です。仕事や生活において、パソコンはいまや不可欠なもので、1人1台以上持っていることも珍しくありません。そのような基盤が、業界の成長を支えているのです。

個人もどんどん情報を発信する時代ですが、そこにも IT 業界のマーケットが出現しています。一方で、業界自体が成長を続ける中、人材がそれに追いついていない。この業界の最大の課題は、技術者の確保です。経済に変動があると、業界をまたいだ人の移動が起きますが、IT 業界ではそうした動きが激しいですね。

IT 業界の特徴として、参入しやすく、出て行きやすいことが挙げられます。極端に言えば、人がいれば仕事になるわけですからね。バブル前は、雨後のタケノコのように会社が現れましたが、バブル崩壊で整理され、景気回復とともに再び現れる。昔、それぞれの町に鉄工所があったように、今後もまだまだ増えることが予想されます。その中で生き残るには、強みを明確にしていかなければなりません。

三十七歳、行くあてもない中での突然の退職でしたが
人脈も結構ありましたので、自信はありました

— 小暮社長はもともと、別のシステム会社にお勤めだったそうですね。独立起業の経緯を教えていただけますか。
私は、独立系のソフトウェア開発会社の技術者で、従業員 300 人ほどの規模になった当時、営業部門がなかったため、自分で立ち上げて技術兼営業の管理職をしていました。その会社は、規模は大きくなっても個人商店のようで、従業員が 700 人ほどになってもワンマン経営を行い、気に入らない人は辞めさせるような体質でした。私にとっては、その後の経営の反面教師となっています。

こうして、だんだん会社に魅力を感じなくなってきた頃に、独立するきっかけが訪れました。
当時の部下が「辞めたい」と相談してきて、理由を聞いたところ、改善できる内容だと思ったため、「1年後に変えてみせる」と約束して引き留めたのです。でも、結果的には約束どおりに変えることができず、「私も一緒に辞めてやる」と宣言して退社してしまいました。

当時、私は 37 歳でしたが、行くあてもない中での突然の退職でした。400 人ほどの部下を持ち、会社の売上の約 8 割を稼いでいましたので、年収も同年代では高いほうだったと思います。まったく辞める理由はなかった(笑)。ですから、他社に転職するよりも、自分でやったほうがうまくいくのではないかと思い、起業することにしたのです。人脈も結構ありましたので、自信はありました。
立ち上げは、5人のメンバーと一緒でした。実は退社を宣言した際、150 人ほどのメンバーが「一緒にやりたい」といってくれたのですが、それではあまりにも会社への影響が大きいため、数名だけで立ち上げました。当時、画像分野の IT 企業はほとんどなく、仕事もあまりなかったため、通信系や業務系を中心に開発を行っていましたね。

マッキントッシュの画像技術を見てからは、いつかは自社でもやりたいと思っていました。当時は、画像を直線でしか表せない時代でしたので、ファクスなども文字認識ではなく、全体を認識して送っていました。でも、ファクスは画像に近い分野だと注目して、積極的に取り組んでいたおかげで、画像と通信という、当社を支える技術力を磨くことができたのだと思います。

設立当初から、会社の規模として
これは、一定数が辞めてもカバーしながら会社が存続できる数です

ー 起業にもさまざまな形がありますが、偶発的なスピンアウトの良い成功事例ですね。起業後は、順調に成長されたのですか。
おかげ様で、それまでの人脈を活かして、順調に仕事を受注できました。キヤノン社の画像要素技術の開発にかかわってからは、画像分野への取組みが本格化してきます。創業3年目頃から取引が始まり、10 年目頃から画像を扱い始めました。当時は、マルチメディアという言葉が流行り始めた頃ですが、当社では少し先駆けて取り組んでいました。

スタート当初は、私が経営と営業を行い、技術者4人を中心に開発を行っていましたが、その頃から管理部門に人を3名配置し、組織づくりに力を入れてきました。会社を大きくするには組織が大切ですので、そのあり方や処遇などをしっかりと作り上げるためです。普通は、そのくらいの規模で、専任の管理部門を置くことはありませんけれどね(笑)。

ですから、創業3年目には、基本的な組織マネジメントの形ができていました。設立当初から、会社の規模として 1,100 人を目指していましたが、その理由は、1人の仕事が40 年続くと考え、世代交代をしながら存続していくために必要な人員を算出したところ、1,100 人だったのです。1つの会社で一生働きたいと思う人は全体の 30%程度で、これはアンケートを見ても、20 年前から変わっていません。1,100 人とは、一定数が辞めてもそれをカバーしながら存続できる数なのです。

もう1つの理由として、それまでの会社での経験から、組織的にもっとも強いのは 300〜 400 人ほどの規模だと思っていましたが、「それが3ユニット程度あれば、世の中のおおよその規模の仕事は受託できるはず」と考えました。つまり、機動的に動きながらも、大規模な仕事を担っていくことができる組織
として、1,100 人という規模を目指しているのです。
ー 非常にうなずける適正組織規模の定義ですね。そのような組織を目指すうえで、今後の戦略についてはどのようにお考えでしょうか。
この業界の大きな欠点は、自分たちで価格決定ができないことです。自ら価格決定ができる事業を作ることが、もっとも重要だと考えています。待ちの姿勢での受注ではなく、仕事を提案し、新たな価値を創って受注につなげる。受託開発部門では、そのような展開を増やしていきます。それに加えてプロダクトの強化ですが、それらを達成するための最大のポイントが人材育成です。

当社では以前、人材育成においては、職に対する意識やテクニックを磨くことを主体にしてきましたが、結果として技術者たちが開発業の方向を向きすぎ、コスト意識が薄くなってしまいました。利益を出せる組織ではなくなり、技術者の思いだけで製品づくりに取り組む中、一時は稼働率が約 87%にまで落ちてしまったのです。少なくとも 96%程度の稼働率を維持しなければ、利益を出すことはできません。

そこで、どのように利益が発生するかといった経営的な視点の育成が必要だと思い、技術教育と経営教育を並行して行うようにしました。その成果もあり、利益は出るようになりましたが、今度は利益を重視するあまり、利益率の低い仕事を受注しないという弊害が出てきます。好況時はそれでも良いのですが、不況時は利益率の低い仕事ばかりですから、受注できなくなってしまいます。

状況の変化に合わせて会社を維持していくには、利益を得ることと事業を進めることに対して、バランスのとれた管理者や技術者を養成していかなければならないのです。そのような経営感覚を持つことに加え、仕事を行いながらその進化を考えられる自発的な人、また自立して自分を高められる人という、経営感覚、自発性、自立心の3つを兼ね備えた人材を育てることを目指しています。
— 小暮社長は、中小企業家同友会でも共同求人事業を推進されていますね。
IT 業界は労働集約型の業界ですので、人の確保が重要なテーマです。会社の規模が小さい段階では、企業間で連携しながら成長を目指すことが効果的で、それを率先して行ってきたのが共同求人事業です。それ以前に、創業当初の私が経営の勉強をするうえでも、同友会での活動は大変役に立ちました。

人材採用に成功するには、企業理念をしっかりと掲げることが重要で、それをベースに企業づくりを推進しなければならないという、経営の基本を学ぶことができました。当社ではもともと「決意書」を作り、理念を定めてはいましたが、それを社内で共有することはできていませんでした。そのように、会社を成長させる方法を考えるきっかけを得られたのも、同友会に参加したおかげだと思います。

自社プロダクト事業を発展・拡大させることが、当面の私の挑戦
経営者は自身の責任で投資し、マーケットづくりに挑戦しなければなりません

— 最後に、小暮社長にとっての挑戦とは。
社名であるエム・ソフトの「エム」は、「もっと」多くの仲間が集い、「もっと」上の品質を目指し、「もっと」前進していくという、「もっと= MORE」を表しています。常に上を目指してチャレンジすることが、創業当初からの私の基本的な考えなのです。

自社プロダクトの事業をもっと発展・拡大させることが、当面の私の挑戦です。映像の世界には、技術を持ったソフト会社はまだそれほど参入していませんので、独占的に展開できるはずと考えています。その最短距離にいるのが当社で、日本発でハリウッドに映像技術を提供することも可能だと思います。当社ではこのように、国際的に通用するサービスを作ることに挑戦しているのです。

当然、コストも非常にかかる話で、一時は2億円ほどを投資したのですが、「不良在庫化するだろう」との銀行の判断で、融資を制限されてしまったこともあります。でも、新しいマーケットにプロダクトを投入するには、ある程度の時間がかかります。「十年の計」で考えなければならないものなのですが、銀行はそうは考えてくれません。経営者は自身の責任で投資を行い、新たなマーケットづくりに挑戦しなければならないのです。

株式会社エム・ソフト DATA

設立:1987年8月11日、資本金:1億円、社員数:300名、事業内容:ソフトウェアの開発、加盟団体:東京商工会議所、東京中小企業家同友会、日本ソフトウェア産業協会、日本情報技術取引所(JIET)、イーベックスソフト事業協同組合、首都圏ソフトウェア協同組合、デジタルサイネージコンソーシアム
目からウロコ
いまの時代について、「農業革命、産業革命に次ぐIT革命の時代」という、大きな時代の転換点であるという指摘をよく聞く。小暮社長の言葉を借りるなら、あらゆるものがデジタル化していく時代と言えるだろう。その中核の産業がIT業界であり、景気の変動に合わせて多少の上下はあるものの、登場以来、成長を続けている業界だ。

小暮社長はその中で、企業の適正規模を1,100 人と位置づけ、それを目指して技術を磨き、人を育て、理念を浸透させる経営を行っている。これはITだけでなく、ものづくり全般に通用する経営の王道であり、教科書に載せたいくらいだ。小暮社長は映像分野に技術開発の舵をとったが、それが同社を独自のポジションへと押し上げた。差別化の効いた技術であり、かつグローバルマーケットでの展開が可能で、今後とも成長の基盤となるだろう。もちろん、コスト競争は避けられないが、海外拠点での展開を行うことで対応している。その戦略も、今後の成長性を裏づける要素となるだろう。

映像技術を磨いてきたメリットは、ほかにもある。小暮社長が業界最大の課題と指摘する、人材の獲得におけるメリットだ。映像という夢のあるフィールドには、多くの若手人材が興味を持つ。同社の会社説明会などには、多くの学生が参加しているそうだ。技術と人材をベースに、適正規模を定めて永続する企業を作り上げていく経営スタイルは、多くの中小企業が模範とすべきものである。
(原 正紀)

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