2014-11経営者138_厚生労働省_事務次官_村木様②1

目の前のポストを受け続け、
官僚トップへ
「女性が輝く日本」を象徴するリーダー

厚生労働省 事務次官

村木 厚子さん

高知県に生まれ、大学まで高知で過ごす。高知大学卒業時には、女性でも長く働ける職場として公務員を選択、労働省に入省し、生まれて初めて東京の地を踏む。職業安定局への配属を皮切りに、地方でも労働基準監督署や外務省出向などの経験を経ながら、一貫して「働く」という領域でキャリアを積む。女性の雇用促進に尽力し、厚生省との合併後は福祉基盤課長、障害保健福祉部企画課長として福祉領域で活躍。雇用均等・児童家庭局長に就任後、郵便不正事件で冤罪に問われ、逮捕・起訴されたが、翌年に無罪確定。2013年、厚生労働事務次官と官僚トップに上り詰め、日本の新たな経済成長のために厚生労働行政を推進する、輝く女性リーダーに話を聞いた。
Profile
高知大学卒業後、長く働くことを目指して労働省に入省。本省や地方勤務などで、雇用均等政策や障害者政策にかかわる。補佐、企画官、課長とポストを重ね、2008年に雇用均等・児童家庭局長に就任。2009年には郵便不正事件で逮捕・起訴されたが、2010年に無罪確定。社会・援護局長を経て、2013年より厚生労働省で事務次官に就任する。

「ずっと働きたい」、「自分のことは自分で養いたい」
その思いから、国家公務員を選びました

— 16年ぶり2人目の女性事務次官だそうですね。雇用・福祉など素晴らしいご活躍が目立ちますが、これまでのキャリアをお聞かせください。
大学を卒業するときの希望は、「ずっと働きたい」、「自分のことは自分で養いたい」ということでした。民間就職も考えたのですが、当時は大卒女性を幹部候補として雇う企業はほとんどありませんでしたので、男女差別の少ない国家公務員を選びました。高知から1人で、友人も親戚もいない東京に出てきたのですが、そうした環境で仕事をすることで、自分自身が積極的になっていったと思います。

中央省庁での同期は約800人いますが、そのうち女性はわずか22人でした。私が入省したときは、お茶くみをさせるかどうかで、大激論があったそうです(笑)。結局、お茶くみや掃除などもしながら、官僚としての本来の仕事に取り組むことになりましたが、当時の上司には「本来やるべき仕事で、甘やかさずに指導してほしい」と頼みました。

直属の上司は「お茶くみ反対派」だったそうで、本来の仕事をしっかりと指導してくれました。上司に恵まれたと感謝しています。最初は職業安定局への配属だったのですが、国会関係の業務が忙しく、深夜業が多かったですね。私はハローワークの業務を統括する課で、高齢者、障害者、学卒の雇用などを担当していました。

当時は、最初の1年間は本省で働いてから、地方勤務を命ぜられるというローテーションでしたので、その後、兵庫労働局に4ヵ月間、労働基準監督署に8ヵ月間勤めました。ヘルメットをかぶって現場へ行くこともありましたが、ポートアイランドができた時期で、建設中のポートピアホテルに上り、怖い思いをしたこともありました(笑)。

その後は本省へ戻り、労働基準局に配属となりました。外務省への2年間の出向もあったのですが、基準局系の仕事が続き、島根の労働基準局監督課長も1年半ほど勤めました。現場の仕事は面白かったですね。週休2日制導入へと労働法制が変わり、労働時間が週48時間から 40時間へ移行する大きな変化の時期でした。

当時は、企業の方々にどのように理解してもらうかなどを監督官の方々と相談しながら、土曜日を休みにしてもらうように活動しました。特に地方などでは、「土曜日が休みになると、企業収益も個人の賃金も減るじゃないか」といった抵抗もありましたね。でも、実際に手応えがあるという意味で、現場の仕事はやりがいがありました。
— 当時は、土曜日が“半ドン”という半日勤務もありましたね(笑)。労働省が厚生省と合併したのはその頃でしょうか。
まだ合併前でしたね。その頃、初めての女性関係の仕事として、施行直後の男女雇用機会均等法の施行にかかわりました。「男性と女性では異なる」ことが当たり前に思われていた時代でしたから、女性でもできることをわかってもらうため、企業の方々に実際に仕事をさせるように働きかけました。良い事例を探して示すことや、企業の経営者をヘッドにした懇談会などを行いました。

役所よりも経営者から経営者に伝えるほうが良いと、資生堂やリコーなどの経営トップの方に座長になってもらいましたが、私自身も勉強になりましたね。補佐、企画官という昇進の時期や、その後、内閣府に出向したときも女性関係の仕事にかかわりましたが、戻って課長になってからは、障害者雇用対策の仕事にかかわりました。

そして平成13年、労働省と厚生省の合併があり、福祉基盤課長を2年間、障害保健福祉部企画課長を2年間と、初めて福祉の仕事にかかわります。
最初は、自分の身近ではない問題で、実態があまり見えず、少し戸惑いもありましたが、やっていくうちに、私がずっとかかわってきた「働く」という領域で共通の問題であることがわかりました。

ですが、福祉の世界には、「働く」ことと遠い人たちもいて、そのための施策は、また違った意味で重い仕事でした。雇用は、企業に守っていただくルールづくりと、それを普及することが仕事ですが、福祉は、サービスや給付などのために財政支出をする、お金が行政手段の中心になる仕事です。その意味でもまったく違う仕事でしたが、両側から見ることができて、大変勉強になりました。
— 社会保障政策と労働政策を一体的に推進するという厚生労働省のミッションを、まさに具現化されていますね。
障害者の支援や生活保護の仕事を続けていると、働ける人がいることも見えてきます。子どもの問題なども、母子家庭の親がもっと良い仕事に就くことができれば、より良い状況になるのです。このように、働くことと結びつけると改善できる分野が多いことがわかるのも、労働という分野を長く経験したからだと思います。

福祉と労働にまたがる分野での仕事が続いた後に、政策評価審議官となり、白書を書いたり政策評価をしたりしました。その後、雇用均等・児童家庭局で審議官、局長を務めてから、事件によるブランクがあり、内閣府に行くことになります。そこでは、少子化や子どもの問題、幼稚園・保育所関係の政策にかかわりました。

こうしたポストですと、現場から遠くなってきて、役所内での居場所も個室になりますが、やっぱり大部屋でワイワイ仕事をするのが好きですね(笑)。この立場では、縦割りではない視点で全体を見ることが大事だと感じます。人事や庶務的な仕事、全体がうまく動くように計らう管理的な仕事は裏方ですが、組織にとっては重要であると実感します。

どちらかというと、政策立案などやりがいのある前向きな仕事をずっとやらせてもらってきたので、裏方の仕事をしっかり行うことは、恩返しでもあると思います。人事や教育、労務管理や残業削減なども大事な仕事ですね。企業の労務管理には、さんざん口を出してきましたが(笑)、いまは大汗をかきながら、自分の組織の問題として取り組んでいます。

「女性が輝く国を作る」ことは、日本の成長戦略の中核
女性活用は、本気で取り組むべき重大なテーマです

— 女性活用は、現政権でも大きなテーマになっていますね。これからの取組みは、どのようにお考えでしょうか。
多くの方々が、日本が経済成長を持続するためには、これまで活かしきれていない日本の資源の1つである、女性の技能・才能・意欲の発揮が不可欠とお考えです。現在の少子高齢化は、女性の活躍推進にとっては好機になっています。現政権でも、「女性が輝く国を作る」ことが成長戦略の中核と位置づけられていますが、日本が本気で取り組むべき重大なテーマだと思います。

日本での女性の現状をお話ししますと、HDI(人間開発指数)は187ヵ国中10位と、平均寿命や就学率は高いのですが、GGI(ジェンダーギャップ指数)は136ヵ国中105位と低く、「日本女性は高学歴だが、活躍の場を与えられていない」ことがわかります。国家公務員における課長相当職以上の女性比率は、わずか 2.6%にすぎません。

そのような現状の中、経済界に対しては、役員に1人は女性を登用するように要請しています。まずは、経済界が率先して女性活用を図っていただきたい。一方で、企業にそのようなお願いをするからには、行政も待機児童を減らすために、必要な保育所の確保をしっかりとやっていきたいと思います。さらに、男性の育児参加、健全なワーク・ライフ・バランスの推進なども目指しています。私自身も、キャリアの中で一番の敵は、職場の長時間労働でしたから(笑)。
— 事件のブランクというお話もありましたが、誤認で逮捕・拘留までされた大変なご経験は、キャリアにも影響がありましたか。
特別に大きな意味があったり、何かが変わったりということはないんです。あのとき、自分に問いかけたのは、「自分が変わってしまったのか」、「自分が何かを失ってしまったのか」ということでした。でも、周りが間違えて大騒ぎになっているだけで、自分は何もしていないし、何も変わっていないことは自覚していました。

また、家族はもちろん、職場や仕事関係で付き合った人もすごく応援してくれましたので、自分が持っていた大きなものに気づきました。もしも何かを失うことがあったとしても、これだけ多くの財産を持っていること、しかもそれが、これまでの自身の仕事を通じて培われたものであることを確認することができました。

職場復帰をしたときは、「大きな区切りとして、さまざまなことを確認できたなぁ」とつくづく思いました。ですので、変わったことがあるかと聞かれれば、私の中では何も変わっていないんです。唯一大きく変わったのは、こちらは知らない人が私のことを知っているということです。

買い物や食事をしていても、誰かのTwitter で発信されてしまいます。特に大阪では、よく話しかけられますね(笑)。でも、これまで親しくしていた人たちの私に対する態度は、何も変わりません。職場復帰ができたから、こう言えるんでしょうね。もしも、あのことで職を失っていたら、私の人生も変わったでしょう。

講演では、 「昇進をオファーされたら、迷わず受けなさい」と言ってきた
次官就任も、ここで自分が尻込みするわけにはいかないと考えました(笑)

ー 復帰後は、局長を経て次官にご就任されました。お気持ちはいかがでしたか。
びっくりした、というのが正直なところです。年次的にも早かったので、もう少し見習い期間が欲しかったという気もしました。でも、これまで講演に呼ばれると、後輩の女性たちに「昇進をオファーされたら、迷わず受けなさい」と言ってきましたので、ここで自分が尻込みするわけにはいかないと考えました(笑)。

「村木さんからのアドバイスで、管理職になりました」と言われたこともあります。私自身も、立ち止まってゆっくり考えたいという気持ちもありましたが、役所のポストはそういうものだと先輩からアドバイスをされました。やりたいからやるのではなく、受けるしかないものだ、と。私はこれまで20近いポストに就いてきましたが、人事について自分の好き嫌いを言わない方針でやってきましたので、今回も同じことと割り切りました。

国民が「このような制度を持ちたい」と選択できるようにする
そのために情報発信力や説明力を高めていくことは、役所の大きな責任です

ー 厚生労働行政で、特に課題と感じていらっしゃることをお聞かせください。
この雑誌の読者にはお勤めの方が多いでしょうから、その意味で申し上げると、労働行政として全員参加型の社会にするということでしょうね。生産年齢人口も相当減りますし、そのことは経済成長にはかなりの足かせとなります。何百万人の不足を補うには、女性・高齢者・障害者等の力を活かさなければなりません。また、若い人たちの就業も、もっと促進していかなければなりません。

1人ひとりの働く力を高めて、かつ最適配置をすることが大きな課題です。いまの政権が言っているからではなく、必須の課題として取り組まなければなりません。特に、若い人たちが「家族を持てる」と思えるような良い雇用を生み出すことは、本人たちのためだけではなく、社会にとっても重要なことです。

その結果として、子どもも増えると思っていますので、しっかりと取り組みたい。さらに、団塊の世代など高齢者の方が活躍できる仕組みを作ることも大事です。
生産年齢人口が減り、高齢者が増えていくということは、社会保障の負担が重くなっていくということです。年金、医療・介護、子供政策なども充実させなければなりません。

どのような制度が必要か。また、それを実現するには、国民や企業にどのくらいの負担が必要か。最後は国民の選択だと思いますが、厚生労働省としては、できるだけ情報を発信・説明し、国民の皆様に理解してもらわなければなりません。国民が「このような制度を持ちたい」と選択できるようにするために、もっとも情報を持っている役所が情報発信力や説明力を高めていくことは、とても大きな責任です。
ー どれも重要なテーマですね。役所の発信力を高めるために、どのようなことをお考えですか。
たとえば、社会保障について中高生に理解してもらうために、副読本を作りました。これも、説明責任の1つだと思っています。いままでは、頭のどこかに「正しい制度ならわかってもらえる」という考えがありました。より理解してもらい、選択してもらうには、そのための説明が大事です。私たちももっと情報を開示し、選択肢を示していく努力を積み上げていこうと思います。

もう1つ気になっているのが、ブラック企業と言われるような雇用問題です。学生たちがアルバイトや就職活動をする際、自分の身を守るための労働関係の基本的な法律や制度に対して、あまりにも無知なのではないでしょうか。そういったことを勉強してもらうような地道な取組みも、目の前の政策づくりと併せて実施していきます。

健康もそうですが、困った状況になる前の予防や、困ったときにすぐに相談することが大事です。ブラック企業の問題などは、労働基準監督署に相談すれば、一発で解決するようなケースも多いのです。児童虐待問題なども、「求めさえあれば、支援ができたのに...」というケースはとても多い。せっかくのインフラがあるのに、認知が不足しているために使われないのは残念です。それでは、インフラの意味がありませんから。
ー 今後、企業経営者が人材面で留意すべきことは何でしょうか。
障害者雇用や女性雇用の問題をずっとやってきて実感しているのですが、人は仕事をすることで大きく成長できるものです。私もそうでした。人は、人生の多くの時間を「働いて」過ごしていますので、企業は人を上手に活かして育ててほしい。女性や障害者だけでなく、高齢者やひきこもりの若者なども含め、企業の育成の仕組みや仕事の現場に参加できれば、成長する人材は大勢います。

ですから、企業にはもっともっと人を育ててほしいと言いたいですね。学校教育もすごく大事ですが、生涯を通じて考えると、企業は最大の教育機関であり、給与は最大の社会保障だと思います。1人ひとりの成長と企業の発展、社会全体の利益のベクトルがうまく合うような仕組みづくりが大切です。

若い世代の負担となる期間をどれだけ減らし、かつ手伝いができるか
これは、最後まで続く挑戦です

— 最後に、村木さんにとっての挑戦とは。
日本にとって、これからの社会で大事なことは、高齢者がいつまでも健康でいることです。その上で、社会に貢献していくことが求められると思います。高齢者=支援の対象というだけでなく、ある面では高齢者を支援するけれど、ある面では高齢者に貢献してもらうといった考えが必要です。それは障害者や、育児や介護をしている人も同じです。必要な支援を受けながらも、できる範囲で働ける環境を作りたい。

私自身も、もう少しで60歳の大台に乗りますが、どれだけ健康でいて、社会の中でできることをやっていけるか、これこそが挑戦だと思います。若い世代の負担となる期間をどれだけ減らして、かつどれだけ若い人たちの手伝いができるか。これは、最後まで続く挑戦ですね。

健康政策では、「予防が大切」ということで、厚生労働省内でプロジェクトを発足させて検討してきましたが、「健康長寿のために一番大切なのは、生涯現役社会である」という見解になりました。活躍の場があり、働き続けることができれば、永く健康でいられる、ということです。これまで縦割りでやってきたことに横串が通って、結びついた感がありますね。

私は、2人の娘を育てながら仕事を続けてきましたが、夫はもちろん、娘たちにもずいぶん私の両立を助けてもらいました。先日、長女に子どもができたのですが、今度は私が孫の世話をして、娘の両立を助けなければと思っています。次女を育てるときにも、ずいぶん手伝ってもらいましたから、恩を返さなければなりませんね(笑)。
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厚生労働省 DATA

厚生労働省は、「国民生活の保障・向上」と「経済の発展」を目指すために、社会福祉、社会保障、公衆衛生の向上・増進と、働く環境の整備、職業の安定・人材の育成を総合的・一体的に推進します。また、少子高齢化、男女共同参画、経済構造の変化などに対応し、社会保障政策と労働政策を一体的に推進します。(同省ホームページより)
目からウロコ
村木さんとは、私が企業勤務時代に、高知大学の諮問委員でご一緒したご縁で、その後も労働行政などについてご教授いただいてきた。ソフトな雰囲気の中にも、確固たる信念とコアな部分をお持ちで、常にブレることのない見識をうかがえる。特に、女性の雇用や福祉の問題での、日本の政策を支えてきた活動からのご指摘には、大きな影響を受けた。事件では大変なご経験をされたが、自分自身は何も変わっていないと語るように、客観的にもそう思える。これまでのキャリアから、「働く」というテーマに対し、ご自身も女性として悩みながら、多くの悩める方々のために日本の政策を前進させてきた道のりが感じられた。

最近は、日本企業でもダイバーシティ組織などと、多様な人材を活用することが良しとされているが、これまでの多くの人材選択は、 男 性、 新 卒、 健常者、日本人といった画一的な考え方だった。逆に言えば、女性、シニア、障害者、外国人といった多様な人材活用は、日本における含み資産であり、大手企業だけでなく、中小企業も組織の多様化を目指すべきだ。その推進は、企業の動きだけでは弱く、全員参加型社会を目指すために公的なリーダーシップが求められる。それは単なる労働力の確保だけでなく、経済振興、地域活性、財政再建にも寄与するだろう。私たち男性が想像できないような壁を乗り越えて官僚トップに立つ村木さんは、新しい日本社会の象徴であり、日本を変えていく原動力であり続けるだろう。
(原 正紀)

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