2013-08経営者123_高齢社_上田様トップ

シニアの活躍の場を作るために起業
夢と生きがいに満ちた生涯現役社会を
見据える経営者

株式会社高齢社 代表取締役会長

上田 研二さん

小学校6年生のときに父親が失業し、家計を助けるためにさまざまなアルバイトを行う。高校卒業時には大学に行きたい気持ちを抑え、東京ガスに就職。現場の仕事が評価されてマネジャーに昇進し、関連会社に取締役として出向。さらに、社長として別会社の経営にも取り組み、2社の経営再建を成功させる。退職後に輝きを失ってしまう高齢者や、技術の伝承に問題意識を持ち、シニアの活躍を支援する人材ビジネスを行う高齢社を設立する。10年間で10倍を超える成長を成し遂げ、マスコミの取材などで知名度は大幅に向上。さらに社団法人の設立や、女性シニア支援の事業も開始して活躍の場を広げる、高齢化社会のリーダーに話を聞いた。
Profile
高校卒業後、東京ガスに就職し、現場の仕事から管理職に昇進して、経営再建のために関連会社へ出向する。2社の再建を成し遂げた後、シニアの職域拡大のため、2000 年に高齢社を起業して社長に就任。10 年間で 10 倍以上にもなる成長を実現して、2010年に代表取締役会長となり、新規事業なども手がけて現在に至る。

少子高齢化社会では技術の伝承、労働力不足への対応が重要
その際、豊富な経験を持つ高齢者の活用は必須になります

— 社名からすぐに事業内容が推測されますが、まずは事業の現状についてお話しいた
だけますか。
まさに名前のとおり、60 歳以上の高齢者を対象とした人材派遣、人材紹介・請負を行っている会社です。経営理念をお聞きいただければ、その目指すところをおわかりいただけるでしょう。当社では、4つの項目を掲げています。

①定年を迎えても気力・体力・知力のある方々に、「働く場」と「生きがい」を提供していく。

②「社員≧顧客≧株主」(人本主義)を徹底する。

③豊富な経験を活かし、顧客には「低コスト・高品質・柔軟な対応力」を武器に優れたサービスを提供していく。

④「知恵と汗と社徳」を重視した企業風土の醸成に努める。

私は、アメリカンスタイルの株主第一主義は間違っていると考えています。だから定年後は、自分なりの経営哲学に基づく会社を創りたいと思っていました。少子高齢化社会となりましたが、そこで重要なのは技術の伝承、労働力不足への対応で、そのときに豊富な経験を持つ高齢者の活用が必須になると思ったのです。

最初から、自分自身を含めた定年後の人たちに、「働く場」と「生きがい」を提供したいという思いがありました。定年を迎えた人たちが生きがいを見失い、苦悩している話を見聞きして、ワークシェアリングをしながら年金併用型で働いてもらうことが、高齢者にとって最善の方法と考えて起業したのです。

この会社を、「小さいけれど、常にキラリと輝く会社」にしていきたい。そのために、社員全員が自分を変え、社会を変え、できれば世界を変えていきたい。それが、当社の志です。伊丹敬之・一橋大学名誉教授が掲げた「人本主義経営」を柱に、人が働きやすい会社を目指して経営しています。
— とてもうなずけるお話です。短い社名に、その思いが詰まっていますね。事業内容は、どのようなものでしょうか。
60 〜 75 歳までの高齢者を約 900 人登録して、メイン顧客の東京ガスをはじめ、その関係会社など 50 社を超える企業に派遣しています。仕事内容はガス関係の業務が主体ですが、家電修理、清掃、倉庫管理などそれ以外の仕事もあります。登録スタッフは年金併用型の勤務形態ですので、週3日の勤務が標準です。

クライアントの特別な要請がない限りは、勤務時間帯は働く人の都合が優先されます。ワーク・ライフ・バランスを重視しているのです。1人分の仕事を2人で担当する、ワークシェアリング方式も導入しています。やはり高齢者ですから、体調が不十分なときもありますが、その際もクライアントに迷惑をかけないようにしているのです。
派遣会社としては、就労率はとても高いほうだと思います。登録スタッフの就労率は、70%を目標にしてきました。ずっとそれくらいの比率でやってきたのですが、近年は登録者が増えてきたため、50%程度に落ちてしまいました。それでも、通常の派遣会社と比べれば、ずっと高い数字です。

売上高は、10 年間で 3,530 万円から4億5,920 万円と、おかげ様で 10 倍以上の伸びになっています。私自身はずっと社長をしてきましたが、2010 年からは会長となりました。これまで年 12.5%の配当を続け、創立 10 周年のときには 20%の配当を行うことができました。
ー 最近は、新規事業も始められたとか。
当社の家事代行サービスですが、その事業部である「かじワン」を、平成 25 年7月1日より分離独立させました。理由は2つあります。まず、当社は 60 歳以上しか採用しないのが原則ですが、かじワンは他社を吸収合併したため、60 歳以下の従業員が3割在籍しています。もう1つの理由が、当社は休日の割増賃金をもらっていませんが、かじワンはもらっているためです。高齢者は、毎日が休日だった人が大半ですので、休日割り増しがつかなくても、あまり不満はありませんから(笑)。

こうした社内の不整合な制度を統一する必要があって、別会社化したのです。具体的な家事代行事業とは、掃除・料理・介助・子どもの世話など、家事の代行を幅広く扱うことを目指しています。シニア女性の働く場の確保が難しいため、女性版の高齢社を目指すという狙いもあります。

現状は220名ほどの登録スタッフですが、できるだけ早く 500 名体制にしたい。サービス内容は、掃除と料理で全体の 60%、それに子どもの世話を入れて 85%くらいになるイメージです。

介護保険を使えない部分などを低価格で提供する点に意義があります。ですから、家事代行料金は当社が都内で一番安いと自負しています。裕福な層だけでなく、共働きで子どもが小さい夫婦なども利用できる家事代行を、低価格で提供していきます。昨年4月から事業を開始していますが、3年間は赤字を覚悟しています(笑)。

提供するサービスの品質がナンバーワンであること、そして、幅広い複合的な家事サービスを提供できるオンリーワン企業を目指すという決意から、「かじワン」という名前にしました。将来的には、福祉・介護などのソーシャル事業への架け橋となれるよう、大切に育てていきたいと思っています。

当社が経営上、大事にしている要素は
一に社員、二に顧客、三に株主です

ー 社会課題の解決ですね。この新しい分野で、それだけ順調に伸びてきた要因は何でしょうか。
当社が経営上、大事にしている要素は、1に社員、2に顧客、3に株主です。会社が社員を大事にすれば、社員は顧客を大事にするようになり、そうすれば業績が上がらないはずはなく、結果として株主も満足します。このサイクルが、成長の秘訣だと考えています。当社では、独自の「好循環経営」の実現を目指しています。まずは、循環の中心にいる経営者がしっかりとすることです。「馬鹿な大将、敵より怖い」という言葉があるくらいです(笑)。経営者がダメだと、たちまち企業は崩壊してしまいますから、経営者はその責任を果たすことが大事です。

そのうえで、「高経営・高管理」の循環を生み出すことです。まずはブランド価値を上げること、顧客の信頼を得ることで、次に業績を上げること。何としても黒字化して、「高収益」にしていきます。そうすれば、給与・賞与・休暇などが「高処遇」となり、それによって社員のモチベーションがアップし、「高質労働」が生み出されます。

個々が知恵を出し、ともに考えながら行動し、共栄を成し遂げていくと、結果として業績が高まり、「高販売」が実現します。その「高収益」、「高処遇」、「高質労働」、「高販売」の循環が、当社の考える「好循環経営」です。当社は、従来の 10 倍以上にも上る成長で、「好循環経営」を実現してきました。

登録社員の方とも正社員同様に接することが大事
顔写真入りの社員証を発行し、当社への帰属感を高めてもらっています

— 高齢社のビジネスモデルには、多くの特徴がありますね。もう少し具体的な取組みをお話しいただけますか。
まずは、利益還元制度が挙げられます。期末手当などで、全社員に経常利益の一定比率を還元するのです。利益が出るのは、社員のおかげですからね。希望者には、入社時に出資金 10 万円以上を預かって株の購入に充て、毎年配当を出すという形での還元もあります。配当率は、先ほど述べたとおりです。いまは株を手放す人がなく、社員持ち株制度はうまく機能していませんが。

また、コミュニケーションの場づくりにも力を入れています。特に、登録社員の方とも正社員同様に接することが大事です。当社では、一定以上の就労実績のある登録社員を招待する謝恩会を、年に1〜2回実施しています。社内に会場を作り、社員間の関係性を深めたり、会社への意見を聞かせてもらったりしています。帰りには、家族向けの手土産も用意します。

さらに、事務所には複数の冷蔵庫を用意し、中には缶ビールやおつまみがぎっしりと詰まっています。午後4時からは、お客様や登録社員の方とであれば、自由に飲んでよいルールにしています。これも、コミュニケーションの場づくりの1つですね。取材が終わったら、1杯どうですか(笑)?

そのほか、登録社員に会社への所属意識を高めてもらう取組みも行っています。定年後は所属する組織がなくなり、寂しい思いをする人もいます。そこで、登録社員全員に顔写真入りの社員証を発行し、当社への帰属感を高めてもらうようにしています。こうした心遣いに、当社の持つノウハウが蓄積されているのです。
— 新しいビジネスモデルだけに、これまでの過程で困難も数多くあったと思いますが、どのように乗り越えてきたのでしょうか。
機転を利かせることと、賢人からアドバイスを受けることでしょうか。

たとえば、こんなエピソードがあります。運転手が席を離れたときでも駐車違反の検挙を免れるよう、車の助手席に乗り込む事業を請け負ったことがあります。条件は時給 900円と、派遣会社としてとても対応できるものではありませんでした。そんなとき、知人の社長に意見を求めたところ、「助手席で待っているのではなく、車の周りを掃き掃除でもすればいいんじゃないか。お客様の企業のロゴが入ったジャンバーなどを着ていたら、宣伝効果もあるよ」とアドバイスをもらいました。目からウロコでしたね。さっそくクライアントに提案書を出して営業をした結果、その案に賛同いただき、ほぼこちらの提案どおりの条件で成約することができました。この仕事は、大手電機メーカーからの依頼で派遣人数も多く、年間 7,000 万円以上の売上がありました。

しかし、リーマンショックでその会社の業績も低迷し、コストダウンのために突然、契約を打ち切られてしまいます。80 人の従業員が稼働し、7,000 万円以上あった売上が、一気にゼロです。総売上が3億円ほどの頃でしたから、損失はとても大きく、挽回には苦慮しましたね。

「リストラなき会社再建」が私のテーマ
倒産やむなしの状態から、三年後には黒字転換を果たしました

— 上田会長の起業にとって、再建のご経験は、大いにプラスになっているでしょうね。
私は2社の再建にかかわりましたが、会社を新たに作るのは非常に困難なことだと思います。何せ、ないない尽くしですからね。再建のほうが、よっぽど楽です。社員はいるし、売上も商品もあって「あるある尽くし」ですから。まぁ、借金もありますけどね(笑)。

東京ガス勤務時、関連会社のガスターに専務取締役営業本部長として赴任していたのですが、さらに関連会社の東京器工へ出向することになりました。社長としての会社再建がミッションで、そこでは社長のなり手がいなかったため、「それなら、私にやらせてくれ」と手を挙げました。一度は自分の経営理念で、実際の会社経営をやってみたかったのです。

同じ会社再建でも、話題になった JAL のように大規模なリストラは行わず、「リストラなき会社再建」が私のテーマでした。社長就任の挨拶では、3つのことを宣言しました。「“進駐軍”としてやってきました」、「リストラはしません」、「降格人事は行うので、覚悟しておいてください」と伝えたうえで、今後の経営戦略について話したのです。

同時に、2つの約束もしました。1つは、「立場は出向だが、骨を埋めるつもりで改革に取り組む」、もう1つは、「変えるべきところは変えるので、何でも言ってほしい」ということです。
当時は、頻繁に現場を見に行っては、寿司とビールをとって話し合ったものです。現場のマネジャーに対しては、「困っている問題を教えてほしい。必ず1週間以内に返答する」と言い続けました。

そんな行動を続けているうちに、「上田さんを信用して協力しよう」とついてきてくれる人が出てきたのです。その後はさまざまな策を実行し、7時から 23 時まで仕事をする日々で、体重も 10 キロほど落ちてしまいました。でも、成果は数ヵ月で現れ、倒産もやむなしの状態から、3年後には黒字転換を果たすことができました。
— いまでは想像もつきませんが、上田会長は社会人デビュー当初は、不真面目な社員だったとか。
子どもの頃に父親の失業で苦労をし、多数のアルバイトなどをしてきました。成績は悪くありませんでしたので、本当は大学に進んで数学者になりたかったのですが、就職せざるを得ませんでした。八幡製鐵(現・新日鐵)を受験しようと、学校から書類を送ってもらって返事を待っていたのですが、待てど暮らせど受験通知が来ない。どうやら、書類が提出されていなかったようなのです。

そんなとき、教頭先生に呼ばれて、「東京ガスなら受験できるが、受けてみないか」と言われました。そうした経緯ですから、就職した当初は「どうでもいいや」って気分ですよね(笑)。

東京ガスでは、試験を受けて2年で事務職に職転する機会があったのですが、当時 223人がこの試験に申し込み、222 人が受験しました。欠席者1人、上田研二です(笑)。係長に呼び出され、試験を受けに行かなかった理由を問い質されました。「一発で受かった奴は、1人もいないでしょう? それに、受験者 222 人のほうが、キリがいいじゃないですか」と開き直ったのですが、こっぴどく怒られましたね。

5年かかって事務職になった後も、タイムカードを同僚に押させたりしていましたが(笑)、ある上司から「真面目に勤務しろ」と怒られ、その頃からようやく、真面目に働くようになりました。現場から本社へと渡ってきて目にしたのは、いつも高卒同士がつるんで話す大卒への恨み節でした。あまりにも目に余るので、「そんなにひがむんだったら、さっさと会社を辞めて東大にでも入って入社し直したら」と言ってやったんです。

その頃からですかね、気持ちが変わったのは。自分のやっている仕事については、社内で一番になろうと決めました。この上司との出会いが、本当に大きかったと感じています。いまでこそ、会社がテレビにも取り上げられ、400 人以上の直接応募もいただくようになりましたが、若い頃は紆余曲折があったのです。
— 今後の展開は、どのようにお考えですか。
目指す会社の規模は、500 人以下くらいですね。あまりに大きいと、全員の顔を覚えられませんから。1人でも多くの高齢者に働く場や生きがいを提供するために、社団法人高齢者活躍支援協議会を立ち上げました。今後の新たな活動としては、シニアを対象としたイベント事業を中心として考えています。段階を分けて、1正式な結婚、2同棲、3通い婚、4旅行に一緒に行ったりするくらいの関係、5グループ交際といった感じです。シニアですから、正式な結婚となると、相続問題などが複雑なわけです。

次に考えたのは、シニアならではの身の回り品の開発です。紐のネクタイや、ワンタッチのネクタイなどですね。さらには、次代を創る若者を側面からサポートする「高齢者党」なども面白いと考えています。アイデアとしては、党員が相続時に 10%の財産を寄付する、とかね。若手に負担がかからないようにしつつ、次代の若手を育成するのが、シニアの役目だと思っています。

ライバルが強くなることは、 仲間が増えることと一緒
そのほうが、一人でも多くの高齢者に働く場所を提供できます

— 最後に、上田会長にとっての挑戦とは。
私は基本的に、何事もイヤとは言いません。頼まれれば、たいていは引き受けます。自ら立候補した東京器工の再建も、誰もが嫌がりました。皆が嫌がることを率先してやるのが、好きなんです。団結して困難に立ち向かえば、自分のためにもなりますしね。「苦難こそが我が師」の精神です。

当社には、パソナやリクルートなどの大手人材会社の方も話を聞きに来られますが、私は「そんなにノウハウを話してしまっていいのか」と言われるほど、アドバイスをします。ライバルが強くなることは、仲間が増えることと一緒です。そのほうが、1人でも多くの高齢者に働く場所を提供できますからね。

21 世紀は、資本主義から人本主義の時代になればと考えています。お金ではなく、人の時代に、ね。
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株式会社高齢社 DATA

設立:2000年1月4日、資本金:1,000万円、従業員:25名、売上高:4億5,900万円、事業内容:人材派遣、業務請負、人材紹介業、グループ会社:株式会社ユメニティ・株式会社かじワン
目からウロコ
上田会長はとてもエネルギッシュで、かつウィットに富んだ方だが、実は2000年からパーキンソン病に悩まされており、1日8回も薬を飲む生活をされている。そのコンディションで、これだけの業績を上げられたことや、精力的に活動されることには、頭の下がる思いである。

高齢者になって働くということは、そのような肉体的、精神的、環境的な壁に悩まされることの連続だろう。それでも、人は働きたい。特に日本のシニアは、世界でもっとも勤労意欲が高いと言われる。しかし、残念ながらやる気ある日本のシニア人材に、十分な仕事の場を与えられていないのが現状だ。国連の定義では、65歳以上(高齢者)の比率が21%を超えると、超高齢化社会らしい。それによれば、日本は2007年から超高齢化社会に突入していることになる。定年を延長するという手段で、ひずみが生じつつある年金・保険などの対策を講ずるのがいまの流れだが、そのシワ寄せは企業へ行き、人件費の高止まり、若手や女性などの雇用機会の削減、ぶら下がり社内失業者の増加といった弊害が懸念される。そのような中で同社が取り組んだモデルは、年金併用型で社会負担の少ない形で、シニアの充実した生涯現役社会を実現しようというものだ。これは、超高齢化社会で、経済成長や雇用の充実を実現させる、1つの解決策になり得るチャレンジだ。まだ端緒に就いたばかりかもしれないが、このチャレンジの成功を祈ってやまない。
(原 正紀)

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