2015-04経営者143_碧_西里様

沖縄発・世界行き
女性の感性を活かすモデルで
ハレの日を演出する経営者

株式会社碧 代表取締役社長

西里 弘一さん

サラリーマンを経験後に独立し、多業態のサービス業に挑戦するが、経営がうまくいかずに会社を整理する。10年間ほど下積みを経験し、自分を見つめ直した後に、奥間弘子・現専務との縁で、女性が接客をしながらステーキを焼く、新しいモデルのレストラン「碧へき」を2人で創業する。客単価8,000円という設定で、「非日常的なハレの日を演出する」という差別化が多くの顧客の支持を受け、成長。沖縄で3店舗を成功させた後に、東京・銀座の三越百貨店に出店し、全体で売上トップとなる。沖縄初のプロマーケット上場を成し遂げ、海外展開も視野に入れた活動を加速。「挑戦こそが生きがい」と語る経営者に話を聞いた。
Profile
沖縄県宮古島出身。奥間弘子・現専務とともに立ち上げた鉄板焼きステーキレストラン「碧」を成長させ、東京・銀座三越に進出。大阪グランフロントにも出店し、沖縄で6番目の公開企業として、東証のプロマーケットに上場。新社屋を建設し、しゃぶしゃぶ業態の「紺」も立ち上げ、世界進出を目指す。

私たちのターゲットは、「手の届く非日常」
その市場観は、まったくブレません

— 沖縄発の新たなステーキ店モデルで、東京や大阪へ進出され、上場も成し遂げられたそうですね。現状のビジネスについて教えてください。
当社には2つの業態のモデルがあります。1つは鉄板焼きの「碧(へき)」、もう1つは「紺(こう)」というしゃぶしゃぶ店です。もともとは、女性が接客をしながら調理も行うという、私たちが生み出した鉄板焼きモデルでの「碧」一本でしたが、鳥料理に進出し、それをさらに、シナジー効果が高いしゃぶしゃぶ店へと発展させました。2つを合わせて「、紺碧(こんぺき)」になります。

当社の運営は、奥間弘子専務とのパートナーシップで行っており、経営戦略は社長である私が担当し、専務は現場での活動を中心に、商品やサービスの維持・開発を行っています。料理やサービスは、絵や音楽と同様に才能が大事だと思うんです。専務は、料理の質などを食べた瞬間に判断できます。食やサービスに対しても独特の感性を持っていますので、安心して任せられます。私には、そういった才能はないようですが(笑)。
お客様に美味しい料理を食べて楽しんでもらいたい、というのが経営の基本ですが、鉄板焼き業態のお店はたくさんあり、どのように差別化するかが課題でした。よそより楽しく、美味しく商品やサービスを提供するために、従来の概念をゼロにして考えたところから生まれています。

牛肉という素材そのものや、それを焼くという業態の定義は変えられません。しかし、それ以外の既成概念は大胆に変えていこうと考え、ステーキを焼く人は男性が多い中、あえて女性にしてみました。この業態には、色にたとえるとダークで男性的なイメージがありますので、もっと明るく楽しいイメージにしようとしたのです。
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— その業態がヒットし、沖縄での地盤を築かれてから、東京に進出されたのですね。
創業10年目頃に、沖縄では一定の成功を収めていましたので、東京進出を考えました。銀座三越への出店が最初でしたが、東京という意識は特に強くありませんでした。私たちのターゲットは、「手の届く非日常」という市場なんです。想定顧客単価は6,000〜12,000円のレンジで、大体8,000円で推移しています。

東京進出の際、「沖縄では観光客が来るから成り立つ」とも言われましたが、そうでないことは確信していました。皆さん、何かのお祝いなどで使ってくれているんです。当社は、食べることだけでなく、空間の喜びも作り上げてきましたからね。ですから、「東京は難しい」と指摘されても、「市場はむしろ、都会に行くほどある」と考えていました。私たちの市場観は、まったくブレません。

三越の店舗に入る際は、多数の候補から調査された結果、18店の中に選ばれました。銀座では、当社にとっても新しい客層・新市場の開拓を追求しています。8,000円という客単価については、「沖縄ではこの価格で食べる人はいない」と診断士の方から反対されたり「、立地も悪い」と言われたりしましたが、私たちは、たとえ裏通りでも成功を確信していました。
たしかに、創業当初の6ヵ月は赤字が続きました。200万円そこそこの売上で損金が250万円ほど出ていましたが、この業態が認知されてからは売上が伸び始めて1,600万円くらいになり、月間の粗利も800万円ほど出るようになります。その後、国際通りの目立つ立地に出店を始めました。当社の考え方が市場に認められたのです。

上場は資金調達の場ではなく、情報を開示する場
経営をオープンにしていくことを自分たちに課したのです

— 創業当初からしっかりとした経営指針を策定されて、その後もブレずに上場を成し遂げられたそうですね。
創業後の2年間で5つの経営指針を立ち上げ、その後もそれらの方針に則って経営を進めてきました。①ステークホルダー主義、②安心・安全主義、③中堅幹部の育成、④世界志向、⑤正直志向、の5つです。この方針については、その後約10年間、ブレずに経営を続けてきました。 ステークホルダーの大切さは言うまでもありませんが、私たちは経営指針のトップにそれを掲げています。顧客満足や価値の創出はとても重要で、そのためにも、顧客を含めたステークホルダーへの感謝を忘れてはいけません。

多くの方々で構成される社会で生きていくには、全体で豊かになる思想が大切です。併せて安心・安全は、食にかかわる事業を行ううえで、その根底になくてはならないものです。常に最大限の注意と努力を払わなければなりません。

中堅幹部の育成を経営指針に掲げているのは、人を重視する経営・事業運営を意識しているからです。そのためには優れた組織を作らなければならず、その中核である幹部を育成することで、若手を中心に全社員に良い影響が行き渡るのです。人の採用・定着・育成は現在、当社にとって最大の課題と言えます。
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世界志向については創業当初から掲げていますが、最初はよく笑われたものです(笑)。当社が推進しているビジネスモデルは、世界に普遍性があるものと自負しています。沖縄という小さな島から生まれたモデルですが、日本全国はもちろん、世界にも通用するモデルです。

巨大なチェーンのフードビジネスも、最初は1店舗から始まっています。ならば、私たちにも世界展開はできると考えていました。実際に、東京の中心・銀座でも通用していますから、世界でも通用するはずです。社会のニーズに応える戦略があれば、世界進出も可能なんです。

最後の正直志向ですが、これは当社が求める人材像でもあります。人に倫理が求められるように、企業にも倫理が求められます。その中核にあるのが「、正直さ」ではないでしょうか。企業も社会の一員である以上、正直でなくてはならず、どれだけ発展しようとも、この考えは堅持していきます。
— 明確な経営指針をブレずに貫いてきたからこそ、プロマーケット市場への株式公開を成し遂げられたのですね。人を重視した経営についても、具体的な内容をお聞かせください。
上場は資金調達の場ではなく、情報を開示する場と捉えています。経営をオープンにしていくことを自分たちに課したのです。グリーンシート市場で経営情報を積極的に開示していたことが評価され、プロマーケットの沖縄での第1号になりました。オープンな経営で、隠すものは何もありませんでしたので、通常は3年かかるところ、6ヵ月で審査が通りました。

上場の効果としては、銀行から融資を受けやすくなったことですね。それによって、各地への出店や、2店舗併設で研修所も完備した本社社屋の建設など、基盤を固めることができます。さらに経営をオープンにすることで、より銀行から信用されるという好循環になっています。税務署の方も、半日で帰られますよ(笑)。

銀座三越のある飲食店の料理長が、「碧」の銀座三越店に来店した際、「働いているスタッフがいきいきとしている。『碧』が一番の売上を上げている理由がわかった」とおっしゃっていました。それを聞いて、人こそすべてと改めて確認しました。

当社の将来は、人材の確保と育成にかかっていると言っても過言ではありません。現在は、現場の社員の努力で高い実績を残すことができていますが、より良いサービスを行うには、もっとゆとりを持って仕事ができるようにしていかなければなりません。そのためのプロジェクトを立ち上げたところです。

東京・大阪への出店、上場、新業態の展開、新社屋の建設といった大きなトピックの中で、店長や料理長など現場の責任者を中心に、外部の力も活用した採用・定着・育成を促進するプロジェクトを行っています。具体的には、採用を意識したTVコマーシャルを大々的に展開したり、学校へのアプローチを強化したり、紹介キャンペーンを行ったりしています。 

また、人材育成の仕組みづくりにも力を入れています。若手社員が入社後に歩むキャリアパスを明確にし、現場での成長を促すトレーナー制度なども取り入れているのですが、キャリアパスにおいては資格認定を行い、それに応じて処遇が決まります。そのほか、全国をテレビ会議システムで結び、毎月のように全員参加の研修も行っています。 

当社は、人種・国籍・性別・年齢・学歴などの多様な人材が活躍するダイバーシティカンパニーを作り上げたいと思っており、そのために寮制度を整備したりもしています。ステーキを焼くなどの「調理」、お客様への心遣いを提供する「接客」、調理前の材料の仕入れや下ごしらえをする「仕込み」を、1人が三位一体で行うことにより、幅広い技を持つ人材を育てています。

当社が提供しているビジネスモデルは
独自の「サービス+ホスピタリティ+商品」の組み合わせです

— フードビジネスは非常に競争の激しい世界ですが、その中で貴社は独自の存在感を持ち、業績を伸ばされています。マーケティングなどの特徴を教えてください。
私たちが意識している市場は、一般の方が日常的に利用するのではなく、何か特別な理由があって利用する「非日常の世界」です。日本では「ハレ」と「ケ」という分け方をしますが、「ハレの日市場」を対象としているのです。 顧客単価で見ると、5,000円くらいまでが日常市場(ケの日市場)で、それ以上は非日常市場(ハレの日市場)でしょう。とは言え、あまり高級すぎると堅苦しい雰囲気になりますので、上限は15,000円程度でしょうか。それ以上になると、ホテルや高級ステーキハウスの世界になります。

そのような市場に対して、当社が提供しているビジネスモデルは、独自の「サービス+ホスピタリティ+商品」の組み合わせです。もう少し説明しますと、サービスというのは役務であり、いただく料金に対して行うべき仕事で、一定のマニュアルなどに沿って、すべての従業員が一定の質で提供すべきものです。「碧」の場合、女性シェフがお客様の目の前で調理をしながら、双方向の会話を行って接客をするようにしています。
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一方、ホスピタリティは付加価値としてのおもてなしで、お客様に対して期待以上の驚きをもたらすものです。1人ひとりの従業員が相手を理解・尊重し、主体的に提供することになります。故に、マニュアル化して組織的に高めていくようなことは難しく、それができる人材を採用し、コーチング的に教育しなければなりません。

商品には、広い意味で立地や施設も含まれますが、美味しくて適正な価格であることは当たり前で、他にない独自の商品を提供することが必要です。「碧」では沖縄県産和牛をベースに、県産の季節野菜や素材を活用した料理・デザート、琉球焼物や琉球ガラスなどの食器の利用など、沖縄ブランドにこだわった商品づくりをしています。
— そのような繁盛業態を作り上げ、オープン経営を確立するまでの、ご自身のキャリアについて教えていただけますか。
私はサラリーマン生活を経て、いくつか事業を立ち上げました。小さいながらも多角化戦略により、小さなマーケットでサービス業を幅広くやっていたのです。ただ、発想は良かったのですが、管理する体制ができていませんでした。人材は現場から自然に育つと思っており、育てるという考えがありませんでした。

そのような状況で突っ走り、儲かるときは儲かりましたが、調子が悪くなると、あっという間に儲けは消えてしまいました。そして、40歳になってゼロからスタートしなければならなくなり、まさに出直しだと思いました。当時は、従業員に給料を払うのがやっとの状態で、仕入にお金が足りなくなり、会社を整理せざるを得ませんでした。社会や銀行の信用はゼロになり、アルバイトなどで食いつなぎ、落ちる所まで落ちた感覚です。そのような時期が10年ほど続きましたが、その間に自身を見つめ直し、欠点などを振り返ることができました。そして53歳の頃、奥間・現専務から「事業を一緒にやろう」と声がかかったのです。

経営がうまくできない自身の性格を直すには、ガードマンをしていた当時の10年間が必要な時間だったのだと思います。考えを整理でき、ようやく納得できたのが10年目のことでした。根本的な部分は変わりませんが、人の話に耳を傾け、自分の行動に反映させていく謙虚さは身につきました。いまの「碧」は、奥間専務の才能と私自身の失敗経験に支えられているのです。

2020年のオリンピック前に、東京に基盤を作るつもりで取り組んでいます
市場もお金もありますので、あとは人ですね

ー コンビでお互いの強みを発揮する経営が、発展に結びつきましたね。今後の展開をどのようにお考えですか。
海外展開を掲げていますが、将来性については自信を持って臨んでいます。創業3年目から世界進出を宣言してきましたが、手の届く非日常は世界中にあるのです。東京進出は世界への第一歩にすぎず、そこで成功できなければ、世界中に市場があるという仮説を証明できません。

2020年のオリンピック前に、東京に基盤を作るつもりで取り組んでいますが、銀座中心の展開になるでしょう。投資してくれる方はたくさんいらっしゃいますので、資金にも問題がありません。つまり、市場もお金もありますので、あとは人ですね。当社の課題は、人材さえ確保できれば、8割方は解決します。

社内外には、フランスへの出店を宣言していますが、パリに行って3年間働くというのも、夢がある話だと思いませんか?海外展開には、ビジネスとしての市場開拓の意味もありますが、社員の育成や動機づけの意味もあります。今後も引き続き、寮を整備していきますが、1つの寮にさまざまな属性を持つ多国籍の社員がいる状態を、全世界に作っていきたいと思っています。

社員の資産形成も大事なテーマですので、ストックオプション、持株会、退職金などの制度を整備しています。育成と資産形成にしっかりと手を打ち、働きがいのある会社にしていきます。接客サービスや調理スキル、さらに語学や国際性など、多くの価値を社員にもたらす会社でありたい。現在、このことを信じてくれている社員が何名いるかは、少し不安ですが(笑)。

当社では、3年ずつかけて3ヵ国を回り、9年間は多国籍で働くといったサイクルも考えていますが、このようにして国際性をしっかりと身につければ、これからの時代に通用する人材になるでしょう。マーケティングの側面からも、多国籍の人がいる店って楽しいじゃないですか。業態を増やすつもりはありませんが、現状から派生した事業は考えています。たとえば牧場をやったりといった、6次産業化もその1つです。

私にとっての挑戦は、自分や会社の可能性を引き出すこと
それぞれが挑戦することで新しい社会が作られ、経済の発展につながります

— 最後に、西里社長にとっての挑戦とは。
自分や会社の可能性を引き出すことです。可能性があるかどうかは、挑戦してみないとわからないでしょう。可能性の追求は社会的に良いことで、それぞれが挑戦することで新しい社会が作られ、経済の発展につながっていくのです。挑戦こそが私の生きがいですよ。

やりたいことは、まだまだたくさんあります。当社の経営は、私が率先して穴を開けて土を掘り、奥間専務が土を出して周りを固めるという、トンネル工事のようなスタイルです(笑)。コンビネーションが事業を作り上げ、世界に向けて発展していく原動力となっています。そのための仲間づくりに、もっともっと注力していきたいですね。
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目からウロコ
同社の躍進の大きな原動力は、2人の経営者が車の両輪のように、それぞれの役割を果たすコンビネーション経営だ。エンジン(駆動系)とステアリング(操舵系)といったほうが良いかもしれない。まさに挑戦する経営者である西里社長は、海外展開も視野に入れ、組織の成長をリードする。そこには、かつての自らの経験を活かしており、資金調達や市場の把握など、挑戦的でありながらもリスクをしっかりと計算し、安定性のあるスピード成長を成し遂げている。そして、現場での商品・サービスの質の管理や、それを浸透させる現場感覚を持つ奥間専務が、現場のマネジメントをしっかりと行い、高い顧客満足を獲得している。2人の強みを活かしたスタイルによって、1人の経営者が引っ張るよりも、さらに高い経営品質を実現しているのだ。

8,000円という客単価での沖縄での成功は、多くの人の予想を裏切るものだったが、観光客が多いという立地上の特徴と併せて、一般客の「ハレの日」にふさわしい価値を提供できたことが最大の要因だ。観光も、1つの「ハレの日」と言える。そのような価値はブランドへと昇華し、本土からの観光客が東京や大阪での顧客になることもあるだろう。こうした好循環を生み出す中、最大の課題は人材の確保だと西里社長は語る。社会的に労働人口が減少している一方で、沖縄だけは増加しているという立地的な優位さはまだあるが、これからは本土や海外での勝負となる。同社のこれからの人材マネジメントに注目したい。
(原 正紀)

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