2019‐08Umano15_原田左官工業所_原田様

職人の世界で女性を活かし
建築界を革新する提案型の左官会社

有限会社原田左官工業所 代表取締役社長

原田 宗亮さん

Profile
1974年、東京都生まれ。部品メーカーでの営業を経て、2000年に父が経営する原田左官工業所に入社。2007年に代表取締役就任。女性の活用を進め、現在は現場で働く女性スタッフは10名を超える。左官職人を短期間で育成するモデリング育成を導入して目覚ましい効果をあげ、NHKの取材を受けるなど注目された。提案型左官業をコンセプトに、オリジナリティあふれる手法で、左官の世界に新風を巻き起こしている。東京都の左官職組合連合会の理事なども務め、建築業界内で若手を育成するための任意団体も設立する。著書に『新たな“プロ”の育て方』(クロスメディア・マーケティング)など。
HARA'S BEFORE
経営者取材を長く続けているが、職人の親方は初めてだ。 世の中の仕事は、ブルーカラーとホワイトカラーの2つに分類される。それぞれ大事な仕事であるにもかかわらず、ホワイトカラーのほうがフォーカスされがちである。 

原田さんは、左官という職人の世界に、女性のチームを組み入れたことで知られる人だ。建築業界の長い歴史において、画期的な出来事ではないか。 本社のショールームに足を踏み入れた瞬間から、私の左官に対するイメージは大きく変わっていた─。

左官は室内環境とデザイン性が魅力

原:左官というお仕事は、読者の方もあまり詳しくないと思います。まずはお仕事のこと、業界のことなどをお話しいただけますか。
原田:ざっくり言うと、左官とは道具を使って何かを塗る仕事です。よく「壁塗り」と言われます。もちろん壁だけじゃなくて、天井も床も階段なども塗ります。塗装との違いは、厚みでしょうね。少なくとも2.3mm、厚いときば2cmほどまでコテを使って塗ることができる。それによって立体感や質感が出るんです。まさに職人の技の世界なんですよ。 

昔はとび職、大工、左官といえば建築における重要な職種でした。でも、今は乾式工法といって工場で作ったパネルを、建築現場で組み立てれば家は出来上がります。家の中も石膏ボードという板を立てて、そこにビニールクロスを貼れば出来上がりです。和室には聚楽調クロスなどもありますから、別に左官が塗らなくても和室ができてしまうんです。
原:いわゆるユニット工法ですね。
原田:そうです。昔ながらの左官の仕事はどんどん減っていますが、見直されているのは機能性です。昔からある土壁や漆喰壁には、湿気を吸ったり吐いたり、臭いを吸着したりなど、室内環境を良くする効果があると注目されています。  

もう一つ、左官が再評価されているのは、人の手で塗って仕上げて厚みができるので、いろいろな模様がつけられることです。カスタムメイドにより多様な表現ができるデザイン性が注目されているわけです。新しいアイデアやデザインが取り入れやすいところが評価されています。
原:新しいデザインも職人さんが手がけるのですか。
原田:我々は職人なので、「こんなことができる」ということはたくさん知っていますが、デザインは設計士さんに任せています。建築がユニット化されて全体的に値が下がっており、家を造る人にとっては左官は割高になってしまいます。ですから、お金をかけても良い家にしたいという人、一部屋だけでも漆喰の壁にしたいという人がお客様です。簡易なビニールクロスの4倍ほどのコストがかかりますが、部屋数を抑えれば数万円をプラスすれば1ランク上の機能が手に入る。健康にも良いと言われていますから価値があります。

「提案型左官」と「人材育成3本柱」

原:どういう戦略で差別化を図っているのですか。
原田:まず一つは、「提案型」というやり方です。お客様が何を塗り壁に求めているのかをヒアリングし、お客様が望む最良の塗り壁を提案しています。和風の飲食店だけでなく、イタリアンやフレンチ、カフェなど多種多様なお店に合わせた左官仕上げも提案します。  

たとえば、漆喰の壁でも模様をつけるだけでなく、女性向けには口紅を混ぜたり、カフェの場合はコーヒーを混ぜたりして、独自の色合いを出しています。左官では本来使わない、デニムを染めるインディゴなども使っています。「ダメージジーンズのような感じにしたい」と要望されて、わざと水をかけたりして(笑)。実際にやってみないとわからないことが多くて。ひび割れが出てしまったり、色が予想以上に変わってしまったり、経験を重ねているのが強みだと思います。
原:土やセメントなど水で練ったものを使う「湿式工事」もワンストップでやっていると伺いました。
原田:従来なら、左官工事なら左官屋、タイル工事はタイル屋、防水工事は防水屋にそれぞれ発注して施工を依頼するという流れでした。しかし、これではお客様の手間が多く、現場の説明にもその都度、時間が取られてしまいます。短い工期、限られた予算の中で工事を進めたい場合、そのロスは見逃せません。うちでは左官はもちろん、タイル張り、防水工事、組積工事など、湿式工事をトータルで管理・施工しているんです。  

建設業界は、ビルなどの大型工事をする人、住宅など小規模工事をする人の大きく2つに分かれます。小規模工事は、基本的に職種が専門に分かれていて、左官の人は左官の仕事しかやらないことが多い。職人の世界ですが組織的にやるところは、他とは違う点でしょうね。
原:人材育成についても改革されていますね。
原田:職人独特の「見て覚えろ」、「体で覚えろ」といった世界から、「育成3本柱」を生み出しました。入り口における「モデリング訓練」、仕事を通じた「OJT」、研修などの「Off-JT」を組み合わせるやり方を導入しています。  

モデリング訓練とは、実際に左官を行っている動画を繰り返し見て覚えるという「入り口」での指導のことです。昔はこれはありませんでした。  

Off-JTとは、研修のことです。業界ではまだ広がっていませんが、同業の8社が集まって任意団体を作って合同訓練を始めました。社内で同期がいないと独りぼっちになりがちですが、仲間がいればそういう孤独感を味わうことがなくなります。いずれも業界の青年部長だった人が発案したもので、我々はすぐに乗りました。

女性が活躍する左官会社に

原:女性スタッフも生き生きと働いていますね。マスコミでよく拝見します。
原田:おかげさまでたくさん取材してもらっています。女性職員の採用は平成元年頃からずっと続けてきて、今に至っています。  

私の父である先代社長の取り組みがスタートでした。事務スタッフで採用した女性が「左官の仕事をやってみたい」と、冗談半分で言ったのがきっかけです。当時はバブルで仕事が超忙しかったので、「現場の手伝いでも何でもいいからやらせてみるか」と任せました。技術はないから職人さんのサポート役なのですが、とても前向きな方で、センスを活かして洋風に塗ってみるとか、口紅を混ぜてみようとか、アイシャドウをたらして色をつけてみようといった新しいアイデアを出して、思わぬ効果が出てきたんです。素人の発想で左官の仕事を発展させたのですね。今でこそ柄は珍しくないですけど、30年ぐらい前だと白・黒・ねずみといった地味な色に塗るのが当たり前で、それが彼女のアイデアによって変わってきたのです。
原:伝統的な職人の世界で、男性からの反対はなかったのですか。
原田:もちろん、反対意見は出ました。昔から「職人の仕事は男じゃないと無理だ」と言う人が多かったですから。それまで、なぜ左官の仕事に女性がいなかったかというと、材料のセメントが50kgもあり、住宅建築の丸太の足場でそれを肩に担いで上がるのが危険だったからです。  

最初は職人の女友達や娘さんが集まってきて、女性職人の事業部みたいな形にして、「原田左官レディース」と名前を付けたんです。  

そうしているうちに、女性が左官をやっていることが世の中に広まってきて、会社にも根付いてきた。おかげで今は未経験の男性の応募も増えてきました。社内で反対していたベテランたちも、納得はしないながらも受け入れるようになってきました。  

女性や未経験者が多くなったといっても、やっぱり技術は必要です。慣れている男性の職人さんが協力してくれるようになって、かつ職人を育てることに会社を挙げて取り組んだから定着してきたのだと思います。当たり前になってきたのは15年前ぐらいからです。
原:女性だけのチームにしたのは、どんな狙いからですか。
原田:周りの目から守るために必要だと思ったからです。奇異な目で見られるわけですよ。男性が同じことやっても言われないけど、女性が何かやればすぐ言われるみたいな。力仕事の部分はどうしても男性にはかないませんが、今では材料も20~25kgぐらいに軽くなっています。まあ、それでも十分に重いですが(笑)。現場にも階段がついたり、女性用のトイレができたり、環境も良くなってきていますし、男性側の理解も進んできています。
原:女性の職場定着はどうでしたか。
原田:まわりは理解してくれないし、仕事はとてもきついし、辞める人も多いんじゃないかと心配していました。ところが、すぐ辞める人は少なかったですね。左官という世界に対して、ある程度、覚悟を決めて入ってくる人たちだったからでしょう。この世界では、女性に限らず男性も含めて「やる気があるヤツだけが残ればいい」みたいに考えるところがありますから。  

産休や育休からの復職者もいます。現場の職人はプロジェクトありきで動くので、1年、2年とブランクができても、本人に技術が身に付いていればプロジェクトのタイミングに合わせて復帰しやすいと思います。感覚さえ戻れば復職しやすいんです。

左官の専門家を極めたい

原:家業である左官という仕事を継ぐことは、もともと決めていたのですか。
原田:子供の頃から、父とは仕事の話はほとんどしませんでした。ただ、長男なので、いずれは継ぐものだと思っていました。私が中学生時代にレディースチームができたんです。

「うちは、どうも普通の左官とは違うことをやっているな」と感じて、興味を持つようになりました。  

そうした経営を見ていたので、左官の修業をするだけでは会社を継げないと思って、まったく別の企業に就職しました。ゴムや樹脂などを使った部品の製造会社です。営業を3年ほど担当してから、2000年に家業に戻りました。もともと会社を継ぐつもりだったとはいえ、製造業と建設業はだいぶ違うと感じましたね。  

2000年当時、会社にはパソコンが1台もなかったんです。見積積算の業務を専門にやっているシニアの人が見積もり書を手書きで作成していて、頑としてパソコンを入れようとしなかった(笑)。その後、パソコンを導入してホームページを整備していったのですが、それに伴って会社が変わっていった気がします。仕事ぶりを広報することで、応募してくる人が現れたり、仕事を依頼してくれるところが出てきました。「左官をやりたい」という人が増えてきて、それまであまり来なかった30歳過ぎの未経験男性や、女性が入ってくるようになりました。建設関係の仕事を全然やったことがないというIT系などから転職してくる人も出てきました。
原:今後の展開については、どのようにお考えですか。
原田:会社が成長・拡大し、新しいことへの取り組みもどんどん増えてきています。そうなると親方頼みの組織では立ちいかない。「職人が親方の言うことを聞く」というのは、ある種の文化ですが、職人から幹部へという意識の切り替えを行っているところです。 

うちには2名の役員がいます。年齢的にも同年代で、この会社で若い頃から一緒にやってきました。信頼関係はあるのですが、やはり職人気質というか、「親方(社長)が決めてくれ」という感覚が強かったので、できるだけ意見を言ってもらうように働きかけてきました。最初は戸惑いもあったようですが、だいぶ変わってきています。今度、沖縄県の経済団体から頼まれて、1人の役員が沖縄に行って講演をすることになりました。こういった機会は大歓迎です。
原:これから果たしてみたいことは何でしょうか。
原田:左官の専門家になりたいと考えています。もちろん今でも専門家なのですが、それを極めてみたい。まだまだ世の中に知られていない素晴らしい材料もあるし、それを使ってお客様にさまざまな提案ができるはずです。もっと強度を上げたい、効能を高めたいといったテーマはいくらでもあります。「困ったら原田左官工業所に行けば助けてくれる」というところまで極めていきたい。  

今の時代は工場で大量生産されたような、画一的な工業製品に囲まれていますよね。そんな中で左官という仕事は、人に安らぎをもたらすものだと思っています。同じ素材を使っても、創造力次第で無限の広がりを見せてくれる。土を壁材として使うのは太古の時代から続いていますが、それでもなおオリジナルなものが生まれ続けているのです。「提案型の左官施工会社」として、さらに磨きをかけていきたいと思っています。
HARA'S AFTER
AI・ロボットによる自動化での生産性向上が進んでいるが、左官の仕事は一足先に合理化の波にさらされた。従来は建築現場で職人によって作られていた壁は、工場で作り、現場で組み立てるというユニット工法に変化し、コストもスピードも勝てなくなっている。大手企業のコスト優位性に勝つには、価値優位の戦略をとることだ。まさに原田さんの選択はそれであり、まるでアートかと思うような鮮やかな色や質感、また、湿式工法の機能性を活かすことで、着実に仕事を増やし続けている。 

その戦略を後押ししているのが、女性の活用と人材育成だ。女性の感性を活かした同社の工法は、他社との差別化につながっている。さらに、その女性活用や若手育成の手法はマスコミでも話題となり、その発信により同社のブランドイメージは格段に向上した。 

企業経営において、一つひとつの改善の取り組みは大事だが、それを全体のブランドやサービス向上、ひいては企業力向上につなげている。同業者のみならず見習いたい展開と言える。

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