2017‐04経営者167_アゴラ研究所_ソーシャルラボ_新田様

大マスコミと新興メディアの経験から、
情報流通の新ルール創造に
挑戦するリーダー

株式会社アゴラ研究所 アゴラ編集長
株式会社ソーシャルラボ 代表取締役

新田 哲史さん

新聞記者時代、ネットの新興企業の台頭、アメリカでの新聞の衰退を目の当たりにして、転職後、独立。言論サイト「アゴラ」の編集長として、サイトデザインの変更、執筆陣の開拓に着手し、月間ページビューを300万から1,000万に押し上げた。日本のWebメディアの影響力拡大を目指すリーダーに話を聞いた。
Profile
早稲田大学法学部卒業後、読売新聞社入社。記者として10年余り務めた後、PR会社勤務を経て、2013年独立、フリーランスで活動を行う。2015年株式会社アゴラ研究所が運営する言論サイト「アゴラ」編集長就任。並行して、2016年株式会社ソーシャルラボ設立、現在に至る。
— ご自身も会社を設立しながらも、Webの言論プラットフォーム「アゴラ」の編集長をされていますが、まずはそのお話をお聞かせください。
アゴラは開設から8年が経ち、ネットメディアの報道・言論市場の発展とともに、マスメディアに次ぐ「ミドルメディア」として確立しています。 

学識経験者から、政治、企業、実務家の執筆者などを増やし、リアルな影響力のあるウェブメディアとして既存メディアがタブー視する政策的課題なども取り上げています。 

私はスターティングメンバーではありませんが、運営組織であるアゴラ研究所(当時、アゴラブックス)が設立される1年前からサイトが立ち上がりました。その頃はネット上の言論が非常に極端になっていて、中には鋭い意見もありましたが、匿名で書く無責任な内容が目立ちました。米国では、ハフィントンポストのように大統領選挙にも影響するようなネットメディアが出てきていたのですが、日本にはまだありませんでしたね。 

このままでは、日本のネット媒体では実名で発言できなくなるという問題意識をもち、個人でブログをやって注目されていた創業者の池田信夫氏を中心に、5人のメンバーが集まってスタートしたのです。当初は、経済リテラシーの高い中級者向けのサイトという謳い文句でしたが、当時は拡散する装置がまだなく、SNSやスマホの普及がその後の追い風となりました。

既存メディアのタブーに切り込み、月間1,000万PVへ

— スケールアップのきっかけになった出来事などはあったのですか。
きっかけとしては、2014年に池田氏が朝日新聞社に従軍慰安婦問題の誤報を放置するのはおかしいと指摘したことです。大手マスコミは同業他社を攻撃することは少ないため、外からネットメディアが問題を提起したことは新鮮だったと思います。その問題をどんどん発信することで、ツイッターなどから火が付いて世論を形成していった結果、当時の朝日新聞社の社長が責任を取って辞任しました。東京のテレビ番組などに池田氏はあまり呼ばれなかったのですが、大阪のテレビ番組には非常に注目されました。
 
また、私が2015年秋に編集長になってからは、2016年夏に蓮舫氏の二重国籍の問題を手さぐりで追及し、非常に激しい論争を呼びました。この時は、野党第一党である民進党に切り込んだことが話題となりました。結果的に、蓮舫氏は代表選挙で圧勝したのですが、当選後に失速しているのは、この問題の対応が後手に回ったからではないでしょうか。 

2015年にアゴラは月間300万ページビュー(以下、PV)だったのが、この騒動のピーク時には初めて1,000万PVになりました。それは、独立系のメディアとしては異例なことです。ビジネスメディアでいうと、トップの東洋経済オンラインは2億PVと桁違いですが、ダイヤモンドが5,000万PV、プレジデントが3,000万PVであり、その次のポジションまでうかがいつつあります。 

大手資本が入るメディアが多い中で、独立系のメディアでは珍しいパターンでしょう。エンターテインメントなどではなくて硬めの記事ですからね。その騒動では、朝日新聞は火付け役としてアゴラの名前を載せました。それまでは、ネットメディアのネタなどは大手マスコミは無視していたものですが、存在を示せたと自負しています。

ネットメディアはスポーツビジネスに似ている

ー 300万PVから1,000万PVとは素晴らしい業績ですが、どのような経緯から編集長になり、どのような手を打たれたのですか。 
2010年頃は、ネットメディアとしてはスタートが早かったために注目されましたが、近年はスマートフォン対応などに遅れて、ビジネス的には後手になっていて、300万PVで伸び悩んでいました。当時、寄稿者だった私は、2014年にオブザーバーとして編集会議に呼ばれるようになり、そうして1年半付き合った後、「編集長をやってくれないか」と打診を受けました。 

「サイトが伸び悩んでいるため、この状況を変えてほしい」といわれ、まずはデザインを変えて、見た目にこだわる方針を打ち出しました。開設当時は悪くないデザインでしたが、この時代では3年変わらないと、流行に遅れてしまいます。 

ネットメディアは、スポーツビジネスに似ていると思っています。たとえば、野球記者時代に私が担当していた千葉ロッテマリーンズは、かつてはあか抜けたイメージはなく、川崎球場もひなびていて、お客さんもあまりいませんでした。 

球団が千葉に移って、メジャーからバレンタイン監督が来て2度目の就任から、ビジネス的にも変わったのです。野球場をおしゃれにして、女性も来やすくなるように居心地の良さを追求して、チームを魅力的にするためにスターを作るなど、さまざまな取組みがなされました。ネットメディアもコンテンツビジネスですので、これは参考になると考えました。
P35-106 Ph@
当時のアゴラ球団には、ブログの雄である池田氏という絶対的エースがいて、PV数の3分の1を占めるほどでした。そこで、ブログですでに活躍されている方をアゴラに呼ぼうと考え、最初に3人入れました。ある程度は知名度の高い方に即戦力として参加してもらうと、その方々のファンの方も一緒に入ってきますので、アクセスが少しずつ上がってきました。Webデザイン対応も大きな要因ですね。見た目だけではなくて、スマートフォン対応にもしました。大手のビジネスメディアサイトと変わらない見た目と、見やすい画面にすることで、おしゃれな野球場にしたのです(笑)。そのように基盤を整えたことで、1,000万PVになる足掛かりができました。 

内容的には、大手メディアが報じていない社会的に重要な情報を提供するところに価値があると再認識しています。アクセスする環境を整えていったことで、動線がスムーズになりました。環境整備を事前にしていたからこそ、集まったともいえます。もちろん、執筆者の力が重要だとは思いますが、それを見てもらう環境を整えることが運用側の私の仕事です。
ー メディアビジネスとして、マネタイズの側面はいかがでしょうか。
編集長に任命された時に、「ビジネス的にも底上げしてほしい」といわれましたが、私を指名した理由の一つとして、コンサルティング会社勤務やフリーランスでのPRの仕事経験を見込んで、ビジネス的な部分もできるだろうと判断されたのだと思います。アクセスを集めて広告収入を上げるのが、基本的なWebの収入モデルです。 

後は、ブランドコンテンツと呼ばれる編集部企画の広告記事ですが、Webのコンテンツだけではどうしても不安定なので、その他にも定期収入を得るような企画が必要です。そこで手掛けているのが、「アゴラ経済塾」というカルチャースクールです。気楽な感じで政治や経済学を学ぶ講座などを、1年4クールで開催しています。 

2016年から、新たに本を出したい人向けのセミナーを始めましたが、ベテランの編集者などに講師をしていただいたところ、これが非常に好評で定員20人がすぐに埋まりました。本を出したい人は、たくさんいるのですね。新しい才能が発掘できれば、面白いと思います。 

さらに、セミナーの中級編として、2ヵ月間がっちりとやる講座「出版道場」を2016年年末に実施しましたが、すでに出版社と話をされている受講生がいます。卒業生が世に出るきっかけになればよいと思っています。

表現も“スマホ時代”へ

— メディアの生命線ともいえる論客の発掘や育成は、どのようにするのですか。
今売り出し中の執筆者はトランプ大統領の当選を1年前から予想していたのですが、共和党のインサイダーで、アメリカ保守系のティーパーティー運動の東京の事務局長なんです。つまり、たしかな情報と分析力をもっているわけです。 

自分で現地の生情報を見て、判断と分析ができるインテリジェンス能力が高い人は、先々の展望が開けるのではないでしょうか。新しい論客のあり方を見せつけられた気がします。文章とは、結局は手段なので、まずは中身が大事です。 

また、“スマホ時代の表現”というものがあります。他の媒体の編集長と話すと、やはり“スマホファースト”で記事を作っています。読みやすい形式として、字数は4,000字を超えたらダメといわれており、さらにそこから短くなる傾向が見えます。 

アゴラは規定で2,000字以内にしているのですが、池田氏はズバッと800~1500字くらいで表現していますね。シンプルに無駄なく、かつ、たしかなメッセージを書くことがスマホ時代に適した表現なんでしょう。今はたくさんニュースもありますし、動画などは短いですよね。少し前までは5分くらいでしたが、最近は1~2分程度で充分になってきています。 

良いか悪いかは別にして、読者がコンテンツを見る時間は短くなってきています。無駄なく漏らさず、シンプルにコンパクトに伝えていく、今の時代はそういった文章が求められていると思います。昔は本1冊10万字とされましたが、今は7~8万字に減っています。それが時代の流れなんでしょう。
— それでは、これまでのキャリアについて教えてください。
早稲田大学法学部に進学したのですが、私は父親が出版社勤務だった影響もあり、マスコミ志望で放送研究会というサークルに所属していました。時代は就職氷河期だったのですが、難関を突破して最大の部数を誇る読売新聞に入社しました。記者は最初に、地方で基礎をみっちり鍛えられるのですが、和歌山支局でサツ回り(警察担当)を行って特ダネなども打つことができました。 

6年目から本社勤務でしたが、下積みの仕事が続きます。入社1年目の冬のボーナスが100万円は出るほどの高給でしたが、数年後に堀江貴文氏率いるライブドア社が登場して、プロ野球球団を買収しようとする騒動が起こりました。野球好きの私は関心をもって見ていましたが、創業10年にも満たないネットの新興企業が、伝統あるプロ野球球団の買収を仕掛けたことが鮮烈な印象でした。 

その後に、アメリカにおいて新聞などの既存メディアがネットの波にのまれていく様子を知るにつれて、新聞業界の先行きに不安を募らせ、密かに転職活動を始めたんです。転職の限界年齢と言われた30代半ばでしたが、人材会社からPR系コンサルティング会社を紹介されて内定をもらえたので、思い切って転職しました。 

でも、いま思えば短絡的でしたね(笑)。記者一筋だったので、ビジネスマナーやパソコンスキルなどは実務に通用するレベルではなく、パソコンスクールやビジネススクールで学ぶという努力も積み重ねましたが、即戦力としてはほど遠かったです。新しい職場への適応に苦しみ、ある朝起きようとすると体がまったく動かなくなり、心療内科から「適応障害」と診断され、休職することになってしまいます。 

心身ともに追いつめられて人生でもっともつらい時期を迎えていましたが、何よりつらいのは会社の期待を裏切り、迷惑をかけてしまったことでした。考えた末に「これ以上は迷惑をかけられない」という結論を出し、退社を申し出ることにしました。その後、いくつかの案件をフリーの立場でお手伝いしていますが、いずれ大型案件を紹介して恩返しをしたいと思っています。
— 記者からの転職は想定以上に大変だったようですが、得たものもあったのではないですか。
経験は短かったですが、お客さんとの交渉やコミュニケーションの取り方、お金の流れなど、記者時代にわからなかったことを学ぶことができました。記者時代もPR会社とお付き合いはあったのですが、プレスリリースを1枚出すのに大変時間がかかることを知りました。PR会社を辞めた後に、企業の広報のコンサルティングや、ネット選挙が解禁になったため、政治家のWeb発信のお手伝いとか、動画やブログでの発信を行うようになりました。その時に、ビジネス的な交渉をしたことがソーシャルラボの起業につながりました。 

当社では、企業のマーケティングや広報、政治家の情報発信のお手伝いをしています。プレスリリースの出し方、ツイッターの活用方法といった相談もあります。選挙の直前になって、ホームページを作っていない候補者から、急に仕事が来たこともあります。小さい政党には、広報のコミュニケーション戦略として、どう存在感を出すか、どうマスコミにアプローチできるコンテンツを作るか、といったアドバイスをしています。

ネットメディアが社会的役割をどこまで担っていけるのか

— 今、関心のあるテーマはなんでしょうか。
ネットメディアが日本で社会的役割をどこまで担っていけるのかに興味があります。たとえば、ネットから総理大臣が生まれる時代は来るのか、といったことです。まだまだテレビ主体で政治が動いていますからね。トランプ大統領のブレーンの一人はネットメディアの経営者なのですが、日本の総理大臣誕生の後押しにも、ネットメディアがかかわれる可能性があるのかどうか、注目しています。 

一つの野望としては、そういった新しい仕事をぜひやってみたいと思っていますが、東京オリンピック・パラリンピックがある2020年以降、日本がどうなるのかにも興味があります。少子高齢化により、ぼんやりと暗いテーマが見えていますが、そこをリスクヘッジするために、メディア側も変わらないといけない部分があると思っています。 

選挙で有権者が関心をもっているのは年金や社会保障ですが、マスコミで放送されているのは「小池劇場」や「安全保障問題」などわかりやすい話ばかりです。マスコミを含めてメディア全体が変わっていく必要がありますが、私が新聞社を辞めたのは、変わりたくてもなかなか変われないということも理由の一つでした。 

メディアの変わるべき方向性は見えてきてはいるのですが、ネットメディアにはまだそこまでの力はありません。世の中の皆さんが知りたいことに、充分に答えきれていないのではないかという危機感をもっています。自分もマスコミ側にいた人間として、すべては報じられないわけも理解はできるのですが(笑)、正しい情報を発信する力を活かし切れていないのに、古い記者クラブで集まるままでよいのかと疑問に感じます。豊洲市場の土壌汚染の調査結果も、1次情報があふれかえっているため、メディアが報じなくてもすぐにわかる時代です。それをコンパクトかつわかりやすく伝えることがメディアの仕事です。最近では、ネットメディアでもファクトチェックに力を入れているところが増えてきていますが、事実をきちんとチェックして、有権者や消費者の方々に判断してもらう材料をきちんと用意することが、これからの時代のメディアのテーマだと思っています。

メディア業界の新しいルールづくりにかかわりたい

— 最後に、新田さんにとっての挑戦とは。
権力者側の情報を一方的に流す時代は終わったと思います。「本当はどうなんだ」ということが、常に問われるような時代になるでしょう。今は移行期で、メディアは「幕末」状態だと感じています。大手メディアでも新しい事業をやったり、ベンチャーに投資したりしているところもあります。我々のような独立系メディアも増えてきており、試行錯誤で実験していきながら、メディアのあり方を考えていますね。 

メディア業界のその先に「維新」があるのかはわかりませんが、ゲームのルールが大きく変わった時に、何が次のルールになるのかを真剣に考えていきます。そして、自分がルールづくりにかかわっていくことが、私の挑戦です。
P35-110 Ph@
目からウロコ
インターネットは既存のメジャーメディアにとっては黒船的存在であり、新田さんが語る維新の状態にならざるを得ないだろう。特に若い世代では、新聞や雑誌などのアナログメディアを、年長世代のようにメインの情報源として使っている人は圧倒的に少ない。ネットメディアはオープンかつスピーディに情報が入手できるだけでなく、妙な制約やしがらみがない自由さがある。それが既存の価値観や仕組みに捉われない若い世代にとって、より刺激的で興味をそそられる情報源となっている。権威に惑わされず、1次情報に近い情報を迅速に入手して、自分なりに咀嚼して拡散していくというかかわり方が、若手世代の情報収集術として主流になっていくのだろう。誰もが受信者でもあり発信者でもある時代への、メディアのあり方が問われていると思う。 

新田さんは代表的な大メディアである新聞社の記者から、その変化を敏感に感じ取り、違う道を模索してネットメディアに行きついた。既存の大手メディアにも多くの美点があるが、それをネットメディアでも活かすことができるのではないか。たとえば、ファクトの確認の手法などは、とても行きわたっており定着している。ネットメディアには、まだまだ草創期の危うさも感じることがある。その双方を理解する立場から、新しい時代のメディアを作り上げる旗手としての活躍が期待されるが、そのようなポジションにいることが新田さんの強みだ。自ら会社を立ち上げた経験も、メディアをビジネスとして成長させるエネルギーになるはずだ。これからどのようなメディアを作り上げていくのか、注目したい。
(原 正紀)

この記事を共有する

コメントは締め切りました