幼少より経営者を目指し、史上最年少で東証一部上場
社会の「あたりまえ」の発明を実現する経営者

株式会社リブセンス 代表取締役

村上 太一さん

1986年、東京に生まれ、両祖父が経営者という家庭に育ち、小学校からビジネスに興味を抱いて経営者を目指す。高校時代には将来のためと、簿記二級とシステムアドミニストレーターの資格を取得。その際に考えたビジネスモデルで、早稲田大学1年時のビジネスモデルコンテストで優勝する。その後、シンクタンクやベンチャーでのインターンシップでプランを磨き、2006年に学生起業でリブセンスを設立。独自の成功報酬型のアルバイト求人サイト「ジョブセンス」で成長し、2011年に東証マザーズ上場、翌年に東証一部上場を成し遂げる。「あたりまえ」の発明を目指す、史上最年少上場経営者に話を聞いた。
Profile
両祖父が経営者という家庭に育ち、小学校時代から社長を目指す。高校時代にビジネスモデルを考え始め、早稲田大学1年時にビジネスモデルコンテストで優勝。翌 2006 年にリブセンスを設立し、代表取締役に就任。アルバイト情報サイト「ジョブセンス」で成長し、2012 年に史上最年少で東証一部上場を成し遂げる。

当社のビジョンは、「あたりまえを、発明しよう」
「あたりまえ」 を実現するには、発想力と行動力が必要です

— 史上最年少一部上場社長として、大変話題になりましたね。ほかにはない新しいビジネスモデルが、大いに評価されたとか。まずは、現在の事業内容を教えてください。
ひと言で言うと、成功報酬型のビジネスモデルで、それを求人と不動産の分野で展開しています。利用しているクライアント企業側に対して成功報酬型にするだけでなく、利用した個人ユーザーに対しても成約のお祝い金を提供しています。それによって、マッチングの成功率を高めていくモデルです。サービスを開始以来伸び続け、昨年実績は対前年比で2倍程度の伸びとなりました。

アルバイト求人サイトの「ジョブセンス」は現在、全社売上の半分ほどを占め、月間約300 万人もの方にご利用いただいています。その後、正社員・契約社員の求人を扱う「ジョブセンスリンク」と、派遣社員を対象とする「ジョブセンス派遣」を立ち上げました。さらに、対象分野を不動産に移して、賃貸物件を探せる「DOOR 賃貸」も立ち上げ、展開しています。

当モデルには明確なメリットがあるため、いかにクライアントにそれを伝えるかがポイントとなります。これまで、DM や電話で営業をしてきましたが、テレビなどマスメディアの効果はとても高かったですね。特に、株式公開によって取材などが増えていったことで、サービスの認知も広がりました。テレビなどで紹介された翌日には、申し込みが殺到します。

当社では、独自の成功報酬型モデルを、タテとヨコに展開することを目指しています。タテとは、既存メディアのシェアを拡大することで、ヨコとは、そのモデルを活用して新たなサービスを開発し、事業領域を拡大することです。当社のビジョンは、「あたりまえを、発明しよう」というもので、そこには新しいモノの見方や行動により、世の中に常識として定着するようなサービスを生み出していこう、という意志を込めています。
— 新しいサービスを生み出し、それを世の中の常識としていくこと、まさに起業家精神の真髄ですね。人材サービス会社というイメージがありましたが、それを超えた広がりがありますね。
スタートは人材ビジネスでしたが、そこにとどまるつもりはありません。ソフトバンクが、ソフトの販売からスタートして通信にまで広がったように、当社も多くの方に利用されるサービスを作ることを目指しています。「あたりまえ」を実現するには、発想力と行動力が必要です。

当社のロゴマークには、2つの意味を込めています。1つは「?」で、これは新しい発想をしていくこと。もう1つは「しずく」の形で、こちらは行動力を表しています。しずくの1滴は小さいですが、ことわざにもあるように、それを続けることによって、硬い石にも穴を開けることができるんです。
また、これまでとは違う新たなメディアとして、「転職会議」もスタートさせています。「食べログ」の企業版と言えば、わかりやすいでしょうか。転職希望者向けに、企業の評判などの口コミを集めて提供するサイトです。

これまで求人情報を提供していて、どうしても内部情報とのギャップを感じていました。それをユーザーのために明確化していくことを狙いとしています。現在、200 万人くらいまでユーザーが増えましたが、求める情報を提供すれば、ユーザーはついてくるものだと感じています。次への展開はこれから考えますが、まずはユーザーに喜んでもらいたいですね。
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ー新しい発想も、行動し続けて価値に結びつけることも、簡単ではありません。どのように進めているのですか。
当社のサービスは、基本的には少人数で立ち上げ、大きくしていくスタイルです。「転職会議」については、立ち上げにかかわったのは、デザインなどの専門的なサポートが入ることはありましたが、基本的に2人でした。やりたい事業はまだまだあり、仕込んでいるものもたくさんあります。上場企業である以上、次への投資の有無はとても大事で、それは株価となって表れます。リブセンスを、新規事業を常に生み続ける風土にしたい。これは、私自身が事業の立ち上げが好きというのもあるのですが(笑)。

新規事業を常に生み続けるために、当社ではポテンシャルがありそうな人に、活躍の場を与えていくスタンスをとっています。「転職会議」で言えば、インターンシップの段階から事業を立ち上げさせたので、新卒で入社したときには、事業にかかわってすでに3年目といった具合です。

「何かを作りたい」という欲求があるのが、まずは大前提
人に良い影響を与えることを喜べるかどうかも大事です

ー少人数で行うと、意思決定もスピーディになりますね。ポテンシャルは、どのように測るのですか。
「何かを作りたい」という欲求があるのが、まずは大前提です。「あたりまえを、発明しよう」というビジョンの背景には、「幸せから生まれる幸せ」という理念があるのですが、人に良い影響を与えることを、自分のことのように喜べるかどうかも大事です。私自身、高校時代に学院祭の運営にかかわり、来場者に楽しんでもらう喜びを発見し、お金など関係なしに楽しいと思ってやれる何かがあることに気づきました。

音楽好きでライブなどを行う社員もいますが、自分が音楽をやりたいかというよりも、周りに喜んでもらうことに価値を置いているかが大事です。「ウェブサービスが好きで、興味を持てるか」といった基準もありますが、採用などで一番大事にしているのは、「幸せから生まれる幸せ」という理念に共感しているかどうかです。
— 子どもの頃から、起業を目指していたそうですね。
小学校高学年の頃から、将来は社長になりたいと考えていました(笑)。でも、自分で事業を起こすことまでは考えておらず、周りに良い影響を与えることに、純粋に喜びを感じていたんです。そして、周りに喜んでもらえることを最大化する方法は何だろうと考えたとき、私にとっての選択はビジネスだったんですね。両祖父が経営者だったこともあり、ビジネスの世界に入りやすかったのではないかと思います。

意識して行動するよりも、勝手に身体が動くという感覚が自然でした。幼い頃から祖父に、「従業員は何人いるの?」とか「どこに売っているの?」など、ビジネスについていろいろと聞いていました。株式取引や経済誌にも興味がありましたね。それくらいビジネスが好きで、アニメを見るより経済番組を見るほうが好きだったんです(笑)。

不便や問題の解決がビジネスの基本だと気づいたんです
そこで、不便や問題を感じるたびに、企画書を書きました

— 史上最年少一部上場の陰には、長いビジネスの学習期があったんですね。高校時代にはすでに、ビジネスモデルを考えていたとか。
既存の会社で社長になるには時間がかかるので、高校時代にはすでに「会社をおこそう」と考え始めていました。「起業するにはどうすればよいのだろう」と考え、不便や問題の解決がビジネスの基本だと気づいたんです。そこで、不便や問題を感じるたびに、企画書を書きました。

当時書いた企画書には、たとえば「フリーパケット」があります。その頃は、携帯電話がパケットし放題ではなかったので、広告を掲載することでパケットをタダにできないかと考えたんです。その後、さまざまな企画を考えては消していた中、アルバイト探しで不便さを感じたのが、現在の成功報酬型ビジネスモデルの原点です。

実際に自分がアルバイトを探そうと思ったときに、うまくいかなかったんですね。街を歩いて貼り紙を見て、「いろいろなアルバイトが選び放題だな」と思っていたのに、いざインターネットで探してみると、近場の情報がまったくない。
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疑問に思って調べてみると、情報を載せるだけで1週間 10 万円といった具合に、お金がかかることがわかりました。

そこで、募集している店舗を全部可視化できれば、本当に自分にマッチする職場を簡単に見つけられるだろうと思い、現在の成功報酬型のビジネスモデルを思いついたんです。当時考えたのは、アルバイトの逆求人という方法でした。ユーザーが希望を伝え、そこにオファーが来るような仕組みです。でも、市場調査などをくり返すうちに、「わかりにくいんじゃないか」、「企業側が面倒なのではないか」といった問題が見えてきて、現在のビジネスモデルに変わりました。
その後、大学に進学して、すぐにビジネスプランコンテストで優勝したそうですね。
ビジネスプランコンテストが行われるのは、例年7月頃で、1年生の前期の授業が終わった時点で発表を受けました。優勝特典として、シンクタンクでインターンシップをすることができましたが、その後、ビジネスをもっと身近に知りたいとベンチャー企業に行き、新規プロジェクトの立ち上げにかかわらせていただきました。

シンクタンクでは市場調査を行い、他の人材関連サービスの内容や売上を調査しました。またベンチャー企業では、モバイルのアフィリエイト事業のサービス立ち上げに参画しました。これは、企業とユーザーの双方を集める必要があったのですが、そのバランスも重要という点で、当社のサービスに通じるものでした。

インターンシップを終えると、すぐに起業しました。1月 31 日までベンチャー企業にいて、2月1日にオフィスの契約を開始し、2月8日に登記して、4人でスタートしたんです。最初はとにかくお金がありませんでしたが、イベント優勝の特典でオフィスを1年間、無料で使えたのはありがたかったですね。

自分の中の軸は、幼い頃から変わっていないことに気づいたんです
あきらめなかった理由には、 あきらめ方がわからなかったのもありますね (笑)

— いよいよプラン実現ですね。どのようなスタートでしたか。
オープン時点で、企業は 300 求人ほど集まっていたんです。開始前に、「こんなにすごいサイトができます!」という期待値で宣伝できましたから。ところが、開始したサイトを実際に見ると、あまり出来ばえが良くなかったため、お客さんがなかなか増えずに苦労しました。サイトさえできれば、人は集まってくれると思っていたのですが(苦笑)。

それからは、ユーザーを集めるために改善をくり返しました。最初は採用ごとではなく、応募ごとに課金するシステムでしたが、企業からは採用に対する課金にできないものかという要望が多く寄せられました。でも、採用結果をインターネット上では追えないと、あきらめていたんです。

この時期は先が見えず、つらくてつらくて仕方なかったですね。サイトはうまくいかず、ユーザーも企業も集まらないような状況が続きました。そんな中、企業の要望に何とか応えたいと思いついたのが、ユーザーにお祝い金を贈呈する仕組みです。お祝い金を贈呈することで、ユーザーからは採用の申告が来るわけです。

一時期は、事業も切羽詰まって手放そうと思い、知人の経営者にお願いしたこともあります。でも、「そんなに苦しいのに、なぜやりたいのだろう」と、改めて起業の動機を言葉にしていく作業を行いました。そして、自分の中の軸は、幼い頃から変わっていないことに気づいたんです。

であれば、いまは苦しくてあきらめたとしても、またいつかやってしまうだろうな、と思うようになって。あきらめなかった理由には、あきらめ方がわからなかったのもありますね(笑)。「お客様もメンバーもいて、これだけ責任を負っているのに、安易にあきらめてはダメだ」という意識もありました。
— あきらめずにやり続けることは、事業を成功させる大きな要素ですね。ビジネスモデルを発想するコツや思考方法などはありますか。
問題があれば、その解決方法をひたすら列挙し続ける作業を行っています。自社のサービスにとらわれず、どのようにすればこの問題は改善されるのかを考え続けるのです。たとえば、宅配ボックスが埋まってしまい、慢性的に取り出されていないけれど、これはどのように解決できるのかといったもので、趣味のようなものですが(笑)。

そのほか、ランチで入ったお店の食事の提供が遅いときなども、どのように改善すれば、このお店は提供スピードを上げられるのだろうなどと、ディスカッションをくり返す過程で、他人の良い思考部分を得られたりするわけです。語り合える仲間がいたのも大きいですね。夜にポテトチップスをつまみながら、問題解決の雑談をしていることもあります。
— ビジネススクールのケースメソッドのようですね(笑)。そのようなアイデアを、事業としてやり続けて形にするのも難しいものですが、どのような方法で続けてこられたのですか。
大事なのは、仮説設定力です。何か問題があったときには、「その問題の原因は何か」という仮説を立てていきます。そのうえで、一番の原因と思われるものから、改善するための施策を行っていくのです。精度の高い仮説を立て、どれだけのスピードで改善をくり返せるか。より精度の高い仮説を立てるために、数値と実際を照らし合わせる作業を何度も行います。

たとえば、スターバックスとドトールのコーヒーの値段がわかれば、エクセルシオールのコーヒーの大体の値段もわかる、といった感覚です。同じような感覚で、事業の施策と結果の数値の照らし合わせを、くり返し行っています。それをくり返していくうちに、感覚の精度がだんだんと上がり、仮説を立てる力も上がってくるのかなと考えています。

数値が把握しにくいものについては、感覚力がカギになります。そのため、日頃から自分の感覚の精度を高めておくようにしています。他社の IR 資料などを集めてもらって、全部見たりもしていますね。その会社が注力した部分と実際に流行った部分が一致するかを、確認したりするんです。
— 上場はどのような経緯だったのですか。
創業時から、上場すると宣言していました(笑)。「やるからには大きな会社を」と考え、まずは上場を目指したのです。実際に上場できるかどうかのジャッジをする段階で、メリットとデメリットを挙げてみましたが、その両者を比較して、圧倒的にメリットのほうが大きかった。

特に人材の部分については上場後、当社で働きたいという応募者が飛躍的に伸びました。上場前は数件だったエントリーが、100倍近くにまでなったんです。東証一部の中でも最年少で上場を果たしたということが、当社の知名度向上に効果的に働いたのかなと思っています。

求人分野では、 掲載無料 ・ 成功報酬という 「あたりまえ」 ができつつありますが
その他の領域にも新たな 「あたりまえ」 を作っていける会社でありたい

— 最後に、今後の挑戦についてお聞かせください。
当社は、「あたりまえになる人材サービス」ではなく、「あたりまえを、発明しよう」というビジョンを掲げています。サービスも特に、Web の分野に限定しているわけではありません。

求人分野では、掲載無料・成功報酬という新たな「あたりまえ」ができつつありますが、人材サービスの分野にとどまらず、その他の領域にも新たな「あたりまえ」を作っていける会社でありたいと思っています。そのためにも、小さな領域ではなく、大きな領域を攻めていけるような動きをとっていきたいと考えています。

株式会社リブセンス DATA

設立:2006年2月8日,資本金:2億1,993万円,従業員:55名,アルバイト37名,売上高(2012年12月期):22.6億円(前年比99.6%増),営業利益(2012年12月期):11.3憶円(前年比118.0%増)事業内容:インターネットメディア運営事業,東証一部上場
目からウロコ
「あたりまえ」の創造が、リブセンスが事業で目指すものだが、非常にスケールのある話だ。起業家たるもの、誰もがそれを夢見ていると言える。それをサラリと言ってのけ、やってのける村上さんには、柔和な外見とは裏腹にある種のすごみを感じる。この若さでそこまでの経営者になり得たのは、子どもの頃からのビジネスへの関心の深さと、その期間の長さだろう。小学校時代から通算して、10年はビジネスに興味を持っていたからこそ、史上最年少で東証一部上場という快挙を成し遂げられたのだろう。下手に年を重ねてからビジネススクールなどで学ぶより、多感な時期だけに吸収が早かったのかもしれない。アメリカでは、小学校の頃からキャリア教育として、アントレプレナーなどの話を聞かせているというが、経済先進国を維持しようと思ったら、そうした人材育成もありだろう。

成功報酬型のジョブセンスは、従来もあった考え方ではあるが、実際に取り組んで形にしたのは村上さんが初めてだ。まさにコロンブスの卵。社会の問題に目を向け、解決策を考え、少人数でもとにかくやってみて、やりながら完成させていくというスピード感が、リブセンスの最大の強みだと思う。多くの人材ビジネス企業では、このような動きはできない。村上さんの視野は、人材ビジネスという領域をはるかに超えているが、そのような経営者が率いるリブセンスは、10年後にはどのような会社になっているだろうか。
(原 正紀)

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