2014-04経営者131_ドワンゴ_夏野様②

「日本企業の課題は経営者」と指摘
多様性を取り入れる
経営の伝道師的リーダー

株式会社ドワンゴ 取締役

夏野 剛さん

早稲田大学在学中からビジネスに興味を持ち、マンダム社の商品開発スタッフ、リクルート社での編集業務などを経験。東京を拠点として働きたいと、1988年に東京ガスに入社し、都市計画の仕事にかかわる。ペンシルベニア大学ウォートン校に留学し、MBAを取得した後に、ベンチャービジネスであるハイパーネット社副社長に就任。その後、松永真理氏の誘いで1997年にNTTドコモに入社。iモードを立ち上げ、おサイフケータイなど多くのサービスを開発し、執行役員に就任。2008年に退社し、多くの会社の役員や大学教授を務めるなどマルチに活躍。日本の新たなビジネスキャリアの体現者に話を聞いた。
Profile
1988年に早稲田大学を卒業後、東京ガスに入社、都市計画にかかわる。ペンシルベニア大学でMBAを取得後、ハイパーネット副社長を経て、1997年にNTTドコモに入社。iモードを立ち上げた後に、執行役員に就任。2008年に退社して、ドワンゴほか複数企業の取締役に就任。慶應義塾大学特別招聘教授やメディアからの発信でも活躍中。

大学教授、企業の役員、執筆や講演、コメンテーターなど
特に何がメインということはなく、すべてに一〇〇%で取り組んでいます

— 非常に幅広くご活躍ですね。まずは、現在の活動について教えてください。
現在の活動を主に紹介しますと、慶應義塾大学の教授、複数企業の役員、執筆や講演、コメンテーターなどです。よくどのようなバランスでやっているのかを聞かれますが、特に何がメインということはなく、すべてに100%で取り組んでいます。

大学での授業はもう6年目になりますが、年間で実質7ヵ月ほどの実働期間ですので、長年続けられています。SFC(湘南藤沢キャンパス)では、学生は皆 PC を開いて授業を受けるのですが、私の講座は iTunes U でも公開していますので、毎年同じ授業をできないのはつらいところですね(笑)。

単なる知識の伝達という講義では、学生は納得してくれません。学生による講義の評価も5段階で行われており、結果が公開されてしまいますので、こちらも全力で取り組まざるを得ませんよね。「忙しい仕事の中、よく大学での講義ができますね」などと言われますが、私にとってはとても大切なことなんです。

IT と出会ったのは、ペンシルベニア大学ウォートン校に留学したときのことでした。1993 〜 1995 年まで留学していたのですが、当時のアメリカは IT の勃興期でした。まだインターネットが爆発的に拡大する前でしたが、そんな時期からビジネススクールではIT を教えていたのです。

私はコンピューターオタクだったのですが、そうした部分がビジネスとしての IT 分野と合体し、専門的な強みになるんだと感じましたね。もし留学していなければ、iモードは生まれていませんでしたよ(笑)。

ですから私は、アカデミックな世界に借りがあると思っています。恩返ししたい気持ちがあるので、大学で教えることを大切にしているんです。NTT ドコモを退社する際、慶應義塾大学の村井純先生から、特別招聘教授として誘いを受けました。私の講義に刺激を受けた学生たちが、将来的に各界で活躍してくれたら嬉しいですね。

企業の経営については、いくつかの会社で取締役と社外取締役をしています。具体的にはドワンゴ、ぴあ、セガサミーホールディングス、トランスコスモス、グリー、トレンダーズなどにかかわっています。上場会社6社と非上場会社数社でやっていますが、これだけ並行してできるのは、やはり IT というツールがあるおかげですね。

自分の世界を持っていたいという思いが強かった
他社の若手社員に声をかけて、異業種勉強会をやっていました

— 多様性が大事と言われながらも、日本におけるビジネスキャリアは大手企業を中心に、まだまだワンパターンに見えます。夏野さんは多様なキャリアのお手本ですが、どのような転機があったのですか。
学生時代からビジネスに対して、強い興味を感じていました。大阪にあるマンダム社で学生商品開発スタッフの募集があり、応募したところ、数百名から4人選ばれた中に入り、毎月1回大阪に行って商品づくりにかかわりました。大学3年生から1年ほど、商品開発のコンセプトづくりからかかわることができて、とても貴重な経験になりましたね。

その後、その事務局をしていたリクルート社から誘われてアルバイトをしたのですが、編集企画の部署で読者マーケティングを担当しました。当時の編集長は、その後 NTT ドコモでパートナーとなる松永真理さんでした。当時はまだワークステーションの時代で、あまりコンピューターを操作できる人がいないので重宝されたようです。

まだエクセルもない時代でしたので、表計算ソフトやワープロソフトを駆使しました。読者アンケートの設計から、集計・分析・書類作成まですべてを任されましたので、とても面白かったですね。自分の仕事が一貫して形になっていくのを体験できました。そのまま就職する気は、まったくありませんでしたが(笑)。

当時、就職環境は売り手市場で、大手銀行なども 1,000 人規模の採用を行っており、学生が会社を選ぶという恵まれた時期でした。
航空、金融、メーカーなどからも内定をもらったのですが、最終的には東京ガスを選びました。理由は、「仕事をするなら東京で」と決めていたからです。私の父は、保険会社勤務の転勤族で、私も小学校の頃に4回も転校しました。父が自分の建てた家に住めたのは、建築後7年も経ってからのことです。

たしかに、高度成長期の日本を支えたのは父の世代で、尊敬も感謝もしていますが、会社に翻弄された世代とも言えます。「人と組織の関係は、これでいいのか」という疑問を感じたんですね。どの会社に行っても3年くらいは下働きで、会社の指示どおりに動かなければならないことは、よくわかっていました。
だからこそ、自分の世界を持っていたいという思いが強かったんです。どんなにカッコいい有名な会社に入っても、いきなり地方などに飛ばされたりすることがあります。そんなとき、友だちがいないからと言って、会社の人間だけとベッタリになるのはたまらないと考え、生活基盤を東京に置ける東京ガスを選んだのです。

よく「商社向きだ」などと言われたのですが、「商社には私と同じタイプがたくさんいるけれど、東京ガスならあまりいないだろうな」という考えもありました(笑)。コンピューターの知識が買われたのか、通常は文系学生が配属されない都市開発のセクションに配属され、かなり忙しく働きましたよ。

でも、仕事一辺倒は嫌でしたので、他社の若手社員に声をかけて、政財界の有名人などを呼ぶ異業種勉強会をやっていました。それが、自分の幅を広げるきっかけでしたね。東大、慶應、早稲田などの同年代の人と作った会で、私は幹事をしていましたが、そのネットワークはいまも活きていて、各界に知り合いが広がっています。
— 周囲からは、意外な選択に見えたのでしょうね(笑)。その後のキャリア・トランジションのきっかけは、留学ですか。
入社当初から絶対に留学しようと思い、仕事を頑張っていましたので、許可をもらうことができました。ただ、当時は留学を支援する制度がありませんでしたので、学校選びや受験の手続きなど、すべて自分で行いました。ウォートンに2年入って、1995 年に戻ったのですが、当時の日本には、まだインターネットも何もありませんでした。

そんな折、新しいことがやりたくなって、ベンチャービジネスに転身します。ハイパーネットという会社の副社長になり、戦略や営業を担当するのですが、その会社の社長が書いた「社長失格」という書籍にあるように、会社のほうは行き詰まってしまいます。

1997 年にハイパーネットは倒産するのですが、その前年に NTT ドコモに行っていた松永真理さんから、「新たなプロジェクトに参加しないか」と声がかかり、倒産前に会社を辞めて転職します。

その後、1999年にiモードを開発するのですが、当時のドコモも結構ベンチャー的で、好きなことをやらせてもらえましたね。その後、どんどん新しい機能を生み出して、大きな動きになっていきます。このプロジェクト、最初は誰もがうまくいくとは思っていなかったようですけどね(笑)。思えば、もしハイパーネットが順調に行っていたら、私はドコモに転職しなかったでしょうから、iモードは生まれていないんです。運命の流れを感じます。

私は、何とか「おサイフケータイ」をやりたいと思い、毎年新しい機能を開発していきました。理想は、ケータイがあれば生活できること、つまり火事になっても、ケータイを持って逃げれば生活できる、という状態です。35 歳で部長、40 歳で執行役員と、NTT グループとしては破格の処遇をしてもらったのですが、会社の規定に合わないため、実は毎年、契約社員という身分でした(笑)。

執行役員になってからは大変でしたね。それまでは部長とは言え、よそ者的な契約社員だった私が、役員と同格になってしまったことで、やっかみや嫉妬など、やりづらいことが多かった。これは、日本企業の悪い面ですね。

さまざまな企画を進めていたのですが、会社が大きくなるとともにセクションが分化され、自分がかかわる範囲も狭まっていきます。新しいことをやろうとすると、会議による各部署の調整が必要だったりもして。自分のやりたいこともどんどん大きくなっていましたので、むしろ立場が小さく感じたんですね。だから、iPhone の登場をきっかけに、ドコモを去ることにしたんです。
— 「社長失格」も「i モード事件」も読みましたが、対照的なすごい体験でしたね。ドコモ以降は、奔放に活躍されている印象があります。
ドコモを辞める際にいろいろと声をかけていただいたのも事実ですが、ドコモ在籍時か
ら多くの合弁会社を作り、役員として経営に携わってきました。たとえばソニー、楽天、電通、マクドナルド、三井住友カード、タワーレコードなどが主たる企業です。10 社ほどの役員を兼務しながら、横串で多くの会社を見ていましたので、そのような立場だからこそわかることもたくさんありました。

いまも多くの会社で社外取締役をしていますが、その頃の経験が非常に役立っているように思います。日本でも増えていますが、とても面白い機能だと思っています。社内の役員だけでは、偏った判断に陥ってしまうこともありますが、多角的な視点で意見を反映できることには、社外取締役としての重要な意味があると断言できます。

日本企業の大きな課題は、多様性をいかに受け入れるか、その一点に尽きると言ってもよいのではないかと思います。新卒一括採用、終身雇用、年功序列などは、いったい誰のためになるのでしょうか。高度成長期に優秀な人材を確保する仕組みとしては、一定の効果があったかもしれませんが、それは横並びで同じことをやっていても、皆が儲かる時代の話です。

日本経済は 1990 年以降の累計で、わずか2%程度しか成長していません。つまり、同じことをやっていては成長できなくなり、従来のシステムがマイナスにしか働かないのです。他の会社がやっていないこと、これまでにないものを生み出すことなど、イノベーションが求められています。
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それは、均一性の中では生まれてきません。多様な人材をミックスして、摩擦が起こるような多様性を取り入れることが必要なんです。

この 20 年の日本の体たらく、多くの会社がリソースを食いつぶしている現状は、多様性を取り入れなかった結果です。会社の将来を犠牲にして、自分たちの既得権を守っている。日本の上場企業には 300 兆円もの内部留保がありますが、投資をしていないからそれだけ残るのです。「成長はしないけれど、つぶれもしない」という狙いかもしれませんが、実はゆっくりつぶれているんですね。企業のグローバル化が叫ばれていますが、そこで一番大切なことは、多様性に対する受容なのです。

日本企業に一番大切なことは、多様性に対する受容
役員の半分くらいを多様化すれば、会社のリソースはもっと活かせる

— イノベーションを起こせない日本企業の背景には、内需頼みの閉鎖性もあるのでしょう。日本企業の経営革新に必要なものは、何でしょうか。
各社、役員の半分くらいを入れ替えることでしょうね。同じ釜の飯を長く食べてきたような役員会の構成は、もはや危ない会社と言えます。外部からは、変化に対応できない会社と見られます。役員の半分くらいを多様化すれば、会社のリソースはもっと活かせるようになりますよ。日産のリバイバルや多くの成長ベンチャーは、そうした成功事例です。ベンチャーには、退職金なんてありませんからね(笑)。

企業が人材育成を語るべきかどうかも疑問です。それは、おこがましいことではないでしょうか。マネジメント層の人たちは、自分の生きてきた時代のやり方を押しつける可能性が高く、多様性を排除する結果になってしまう。そうではなく、外部との接触や、新しいプロジェクトにかかわるチャンスなどを与えることが重要だと思います。

マネジメントは押しつけでなく、その人の適性を把握することが大切なんです。チャンスを与えた後は、すぐに適切な部署に異動させるのが望ましい。そういったマネジメントをしている企業は、まだまだ少ないでしょう。日本企業には、大きな可能性があると思っています。お金もある、人材もいる、技術もある、これは経営の三種の神器だと思いますが、残念ながらそれを活かす経営者がいない。経営さえしっかりすれば、まだまだ上に行くポテンシャルはあります。私は刺激剤として役に立ちたいと思って、テレビに出たり、原稿を書いたりと、積極的に世の中に情報発信をしているのです。
ー 夏野さんは IT の領域で日本をリードされてきましたが、IT の要素は、これからのすべての企業のビジネスモデルに欠かせませんね。
ここ 15 年で起きたのは、3つの IT 革命です。第1の革命は効率革命で、ビジネスのフロントラインがネットへ展開していきました。第2は検索革命ですが、個人の情報収集能力が飛躍的に拡大しました。調べれば何でもわかる、「にわか専門家量産システム」とも言えますね(笑)。そして第3の革命が、ソーシャル革命です。それによって、個人の情報発信能力が飛躍的に拡大したんです。

3つのIT革命がもたらしたものは、衆知のアグリケーションによる創発、つまりお互いが影響し合うことです。そのような社会では、個人能力の最大化が重要で、100 人の平均的な人間よりも1人のオタクが必要とされるでしょう。各社とも、「没頭できる人間を何人配置できるか」を真剣に考えなければなりません。多様性を取り入れる社会になると、平均値理論が意味をなさなくなり、リーダーの役割も変化します。利害調整型から率先垂範型への移行ですね。大きなポテンシャルを持つ日本企業は、リーダーさえしっかりすれば、素晴らしい経営ができるはずです。そのようなリーダーシップを発揮する経営者を増やしていかなければなりません。

私は多くのビジネスにかかわってきましたが、優れたモデルを生み出すには、徹底的に対価を払う人の立場に立って考えることです。日本の多くの企業では、会社の理論や技術に立脚したビジネスづくりが多いと思います。でも、ユーザーは技術にお金を払うのではなく、その価値にお金を払うのです。

グーグルやアップルなどの優れた企業は、手段を問わずに他社と連携したりして、徹底的に結果にこだわっています。日本企業は内製にもこだわりがありますが、つまりは手段と目的を取り違えているんです。ものづくりにおいては、ユーザーにとっての価値をマキシマイズすることにこだわって設計しなければなりません。

強みであるITを活かして、今後も新しい価値を生み出していきたい
「自分がいるからできた」 という新しいことを成し遂げていきたいですね

— 最後に、夏野さんにとっての挑戦とは。
新しいことをすること、新しい価値を生み出すことですね。「自分がいるからできた」という新しいことを、かかわったすべての企業や事業で成し遂げていきたい。何も貢献せずにその場にいることほど、つらいことはないと思います。それは、自分の経験外の部分でも常に心がけています。

私の強みである IT を活かして、今後も新しい価値を生み出していきたいと思います。IT がかかわらない産業は、いまや1つもありませんので。個人のネットワークという強みもありますが、いまはネットでどんどんつながる時代です。私は IT の分野では信用がありますので、仕事をするうえでやりやすいとは言えますが、やる気さえあれば、それは大きな問題ではありませんよ(笑)。

株式会社ドワンゴ DATA

設立:1997年8月6日、資本金: 106億1,630万円(2013年9月30日現在)、事業内容:ネットワークエンタテインメントコンテンツおよびシステムの企画、開発、運用、サポート、コンサルティング、子会社:(株)ドワンゴコンテンツ、(株)ドワンゴモバイル、(株)スパイク・チュンソフト、(株)ニワンゴ、(株)キテラス、(株)ドワンゴ・ユーザーエンタテインメント、(株)MAGES
目からウロコ
100 人の平均的エリートよりも1人のオタクが力を発揮する時代——夏野さんの言葉どおり、近年の成長企業を見ていると、そんな傾向が見てとれる。いや、これまでの日本経済でも表に出ないだけで、そういったことはあったのではないか。

高度成長期の日本を支えたのは、世界第2位となった内需と、欧米の市場をひっくり返してきた安くて良質な商品だ。その両方のモデルが衰退しているいま、イノベーションを生み出す仕組みを企業が内包しなければならない。そのキーワードは多様性の受容で、同質的組織の強みで売ってきた日本企業は、大きな方向転換を強いられる。それを推進するのは、社外取締役など経営の多様化であるという夏野さんの指摘には、大いに説得力がある。「経営陣の半分を入れ替えるべし」という警告に、耳をふさぎたい企業も多いだろうが、自らの経験から導き出した言葉だけに迫力がある。企業経営の視点だけでなく、個人のキャリアデザインの視点からも、会社に縛られずに個性や能力を発揮するほうが、高いパフォーマンスにつながるだろう。個人と組織の関係は、より自立的なものになるはずだ。個性的なオタクの力によるイノベーションは、長期的・安定的な契約ではなく、仕事の自由度や面白さが担保するのではないか。

夏野さんのようなマルチなキャリアは、誰もが築けるものではないが、自分ならではのマルチを追求すればよい。ちょっとした社外活動から始めるなど、個人の内なる多様性も大事なことだ。
(原 正紀)

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