2015‐09経営者148_ペッパーフードサービス_一瀬様

非・常識の経営で新たな業態を創造する
逆境に強い不屈のポジティブ経営者

株式会社ペッパーフードサービス 代表取締役社長

一瀬 邦夫さん

母子家庭で育ち、高校卒業後に母親と「日本で5本の指に入るコックになる」と約束し、料理の道へ進む。数店で腕を磨いた後に独立し、ビルを持つまでに繁盛させ、従業員とさらに夢を追うために、会社組織化して拡大路線へと向かう。51歳でコックがいらないシステムによる新業態「ペッパーランチ」を開発し、フランチャイズと直営で、海外も含めた多店舗展開に成功して東証マザーズに上場。その後、0157騒動などによる経営危機もあったが、持ち前の不屈の精神とポジティブ思考で切り抜け、立ち食いステーキの「いきなりステーキ」を展開してブレイク。常識にとらわれない発想で、新業態に挑み続ける経営者に話を聞いた。
Profile
静岡県に生まれ、高校卒業後にコックとして修業し、27歳で独立して店を持つ。その後、会社組織化して、51歳のときに新業態「ペッパーランチ」を立ち上げる。フランチャイズと直営による多店舗展開を成し遂げ、さらに立ち食いステーキ店「いきなりステーキ」の全国展開で話題となり、業績を拡大させて現在に至る。

大変なときだからこそ、攻めの経営を

— ヒット店舗の「ペッパーランチ」に続き、話題の「いきなりステーキ」で大躍進ですね。売上・利益とも大幅アップだそうですが、どのような事業展開をされてきたのでしょうか。
決して平坦な道のりではありませんでした。高校卒業後にコックの修業を始め、27歳で独立しました。ステーキハウスから始めて試行錯誤の後、自社ビルを建てるまでになりましたが、従業員が定着しなかった。そこで、自分だけでなく、従業員にも夢を持ってもらうために、会社組織化してビジネス展開を始めたのです。紆余曲折はありましたが、51歳のときに開発したコックが不要な業態の「ペッパーランチ」で急成長しました。

店舗拡大による資金繰りの悪化、BSE(狂牛病)騒動などで何度も苦境に陥りますが、その都度アイデアと努力で乗り切ってきました。しかし、上場を成し遂げた後に、O157による食中毒問題を発生させてしまい、急激な売上ダウンとフランチャイズオーナーへの補償問題で、収益が大幅に悪化しました。その際、決算報告書にゴーイングコンサーン(監査人判断による破綻リスクが高い会社の意味)の注釈をつけられてしまいます。

300g1,000円のワイルドステーキを投入するなどの努力で業績を向上させた結果、3年前に解除されましたが、それまではいつつぶれても不思議ではない状況でしたね。銀行やリース会社などは、まったく融資に応じてくれませんでしたので、お取引先様に無理をお願いして、何とか乗り切ってきました。

ゴーイングコンサーンが解除された翌月には、新規出店の話が出ていた物件の契約を行いました。上野公園のそばの元じゅらくビルの店舗です。普通は、そのタイミングでの新規出店などは控えるものでしょうが、私にはそんな常識は通用しません(笑)。家賃300万円、70坪という大きな店舗でしたので、周囲からは「お金もないのに無謀な決断だ」と言われてもおかしくない状況でした。
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なぜ、そのような決断をしたのか。それは、従業員のためでもありました。ゴーイングコンサーンと指定された際は、従業員にもつらい思いをさせてしまいましたが、それでも辞めずに、ともに頑張って危機を乗り切ってくれました。そんな社員の元気を取り戻したい、士気を高めたいという気持ちで、攻めの経営を行うことにしたのです。

良い話が来たのも何かの縁で、「これは絶対に乗るべきだ」と思いました。あの大変な時期に資金繰りができたのですから、前向きな出店でお金を集められないはずがない。とは言え、当社は上場企業ですので、私の一存では決められません。最終的には経営会議にかけて決定し、2月に話が来て9月にオープンという大変なスピード展開でしたが、そのスピードが当社の強みでもあります。
— オーナー企業ならではの果敢な決断とスピード展開ですね。かつ、公開企業として経営ボードでの意思決定をする、成長企業と安定企業の良さを合わせた、良いバランスの経営だと思います。
実情は、何とかお金をかき集めて開店できたのですが(笑)。これまでも、資金繰りで危機的状況に陥った際は、金融機関ではなく、友人に声をかけて出資してもらっていました。ありがたいことに、何人もから出資への賛同をいただいて、合計9,000万円ほどを集めることができ、それで倒産の危機を免れることができたのです。今回も、前向きの投資であることを評価していただき、あるお取引先様が出資をしてくださいました。

上野は私にとって思い出の地で、19歳のときにお世話になったレストランがじゅらくビルにあり、当時は「日本で一番忙しい店」と言われていました。オムライスを一度に30人分作るなど、いまのビジネスに活かされているシステマティックに料理を作ることができる技術は、当時の経験から得た財産です。母親に、「日本で5本の指に入るコックになる」と約束していましたので、当時は夢中で勉強したものです。

そんな思い出の地で再出発できるのも、何かのめぐり合わせでしょう。物件の大家さんは、私がこのビルで働いていたことに胸を打たれたようです。

前向きの出店事例と言えば、もう1つ、長崎のハウステンボスへの出店があります。当時、ハウステンボスの経営再建を行い、成功されていた澤田秀雄氏にアポイントをとり、何とか15分の時間をいただいて、直接会いに行きました。

話は盛り上がり、結局1時間半も話し込み、「ぜひハウステンボスに出店してほしい」という言葉をいただきました。提案された場所は、スリラーゾーンというお化け屋敷などが並ぶ区域で、それまで出店していたレストランは赤字だったそうですが(笑)、私は実際に見に行き、そこでもいけると判断して引き受けることにしました。

ところが、ネックになったのが店名でした。私たちは「ペッパーランチ」での出店を考えていたのですが、「全国チェーン店の名前を使うのは、非日常の空間を演出するテーマパークにふさわしくない」ということで、ダメ出しをされてしまいます。そして、先方から提示された店名は、「ブラックペッパー」でした。

海外でのブランド力が成功要因の1つ

— スリラーゾーンには向いている店名ですが(笑)。結局、どのような店名になったのですか。
「ブラックペッパー」という店名をどのように決めたのかと聞いたところ、従業員で相談して決めたということでしたので、「大勢で相談して決めたものには、ろくなものはない」と反発しました(笑)。それを聞いたお客様が、お腹がすくような店名にしなければいけない。だから、「ぜひペッパーランチを使ってほしい」と粘ったのです。最終的には先方が折れてくれて、「ペッパーランチダイナー」という店名に落ち着きました。

おかげ様で、以前の数倍ものお客様にご来店いただき、早期に黒字化することができて、大成功だったと喜んでいただいています。ハウステンボス店の成功要因の1つは、当社の海外でのブランド力だと思います。現在、200店ほど海外出店をしていますが、各地で培ったブランド力で、海外からのお客様にアピールできたのでしょう。

そのほかに、最近はフードコートなどからの引き合いも増えています。当社のシステマティックな仕組みが向いているようです。
— 立ち食い形態の「いきなりステーキ」の登場には私も驚きましたが、大ヒットですね。どのようなところからの発想ですか。
当時ヒットしていた「俺のフレンチ」、「俺のイタリアン」がヒントになりました。フレンチやイタリアンより、ステーキのほうが立ち食いに向いているのではないかと考えたんです。

これまでも、当社の「ステーキくに赤坂店」では、1g10円でワゴンによる量り売りを行い、大好評でした。「これを半額にしては?」という発想から生まれたのです。

当社では、とにかく多くのお客様に来ていただき、ステーキを味わっていただきたくて、そのための手段を講じてきました。いきなりステーキを食べていただき、高い回転率であれば成り立つと考えました。お客様単価を3,000円、滞在時間を1時間ほどと読んで始めたのですが、実際はお客様単価2,000円、滞在時間30分ほどに落ち着いています。1時間あたりのお客様単価は4,000円と、当初の予想を上回っているわけです。

店舗中央のカット場で、お客様の目の前でオーダーカットを行うのも特徴の1つです。食べる楽しさの演出ですね。「ペッパーランチ」を開発した際に思ったのですが、たとえば牛丼の吉野家には「吉野家リズム」と言えるような流れがあります。注文して少し待つと牛丼が提供され、お客様はサッと食べて出て行くという一連の流れで、これはステーキでも有効だと感じています。まさにファストフードのリズムですが、日本人には合っているのかもしれません。

思い切った戦略が事業を成功させる

— ゆっくりと会話を楽しみながら食べる食事も良いですが、手早く美味しいものを食べて、それ以外のことを楽しむ時間を得るのも1つのライフスタイルですね。銀座からのスタートというのも、思い切った決断だったのではありませんか。
いまは価格破壊の時代で、私たちもその一翼を担ってきましたが、思い切った戦略が事業を成功させます。「いきなりステーキ」をやるにあたり、日本一の飲食激戦区である銀座が最初に頭に浮かびました。そこに1店目を出すことで、全国に広く発信できますからね。店舗を探していたところ、銀座の4丁目と6丁目に良い物件があるという話が同時に舞い込みました。

結果的に両方ともやることにしたのですが、普通は新業態を2店舗同時にはやらないでしょうね(笑)。1店舗は居抜きでしたが、「いきなりステーキ」はコンセプトが明確ですので、居抜き物件でもいけると考えたのです。その結果、最小の投資で最大の利益につなげることができました。

最初の売上は日商60万円ほどでしたが、マスコミが大勢来てくれましたので、その後ブレイクしました。冬にもかかわらず、行列ができるようになり、日商も100万円近くになりました。飲食店の家賃比率は通常10%ほどですが、銀座にもかかわらず、5%ほどに抑えられました。

3号店は本社の近く(本所吾妻橋)という立地で、銀座のように人が集まる場所ではなくても成果が出るかどうか、思い切ってやってみました。結果は、初月で1,500万円ほどの売上を上げることができました。このことで確信を抱き、当初は年内10店舗までと思っていましたが、年内に30店舗やろうと決め、マスコミにも発表したのです。

正直、30店舗というのは、人・物件・資金の手配が大変で、できるわけのない水準の目標ですが、退路を断つために手を打ちました。30周年の記念式典で上場を目指すと宣言したときもそうでしたが、思い切った目標を発表することで、それをやらなければならない状態に追い込みます。そうでもしなければ、会社は成長できないと思います。

6月の時点では4店舗の出店でしたので、残る半年で26店舗というのは誰もが無理だと思うでしょうが、あえて「絶対にやる」と宣言しました。それによって社員の目の色が変わり、お取引先様も必死に人材採用や物件探しに取り組んでくださいました。その結果、目標を達成することができ、さらに翌年(今年)は、年間53店舗を出店すると宣言しました。

ビジネスは勝負事と違って、勝つか負けるかではないと思います。難しい目標でも、宣言することで応援してくれる人たちが出てきて、経営が良い方向に回り始める。それによって会社が変わり、社員も変わっていく。これこそが、経営の醍醐味ではないでしょうか。社内外に向けて、タイムリーな情報発信を積極的に行ってきているんです。
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「枯れた植木に水をやる人はいない」

ー 経営とは、良い循環を作り出すことですね。それにしても、何度も逆境から成長させるという、不屈の経営をされてきたのですね。
常にネバーギブアップの精神で逆境に挑んできました。どのような状況でも、できることはあるはずですので、絶対に悪い結果は出ないと信じています。元々ネアカで、明るい性格ということもありますが(笑)。ピンチになると、悲観して愚痴を言う人もいますが、それでは良い結果に結びつかないと思います。逆境では、決して弱音を言ってはいけません。

母親から教わった大事な言葉に、「枯れた植木に水をやる人はいない」というものがあります。ピンチのときに落ち込み、枯れ木のようにしおれてしまってはダメだという教えですが、私はそれを守ってきました。ですから、そのようなときこそ、明るく前向きに行動するようにしています。 

「ペッパーランチ」の創業時、出店しすぎて経営危機に陥った際には、皆が不安な時期だからこそ、決起大会を行いました。そのときに始めた社内報は18年目を迎え、219号までになりました。「この社内報を出すことができなくなったら、神様に会社を召し上げられる」と自分に言い聞かせてきました。時にはなかなか書けないこともありますが、それは情報が不足しているときですね。 

ですから、できるだけ社長室から出て、世の中をウォッチすることを心がけています。社内外で多くの人と話していると、さまざまな情報が入ってきて、文章も浮かんできます。それらの情報は会社経営にも役立ちますので、社内報が当社を育ててくれたとも言えますね。当初は、執筆から印刷まで私1人でやっていましたが、いまは担当者が編集作業を行う一方で、表紙の「社長から皆さんへ」については私が執筆しています。

決意というのは、自分への約束だと思うんです。人への約束は破ると責められますが、自分への約束は守ることができない人も多いのではないでしょうか。でも、決意を反故にすると、自分にダメージが降りかかり、自信をなくしてしまいます。ノートに毎日やるべきことを書いて、優先順位をつけて実行し、さらにその結果をチェックするという日記もずっと続けています。

トップになると、自分自身でチェックすることが大切です。一度決めたことをなし崩しにやめてしまう人も多いと思いますが、それではダメで、自分に厳しくするからこそ人にも厳しくできて、厳しい社長だからこそ会社はうまくいく。私にも、叱れない甘い社長だった時代がありますが、そのときは倒産寸前まで行ってしまいました。でも、そのピンチがあったから、真の経営者に変貌することができたのだと思います。「ペッパーランチ」が生まれたのは、その後のことです。
ー 多店舗展開の連続ですから、人の確保・育成が大きな課題となるでしょうね。
この事業で一番大切なのは人だと思います。従業員やフランチャイズの方々の努力で、業績は大きく変わってきます。これまでも研修センターやペッパー大学の開校など、人の育成には力を入れてきました。そこでは、Off‒JTとして研修を行い、さらに店舗でのOJTの積み重ねで技術を磨いてもらいます。

「いきなりステーキ」では、「ペッパーランチ」と違ってステーキを切ったり焼いたりという調理が必要になりますので、ステーキマスター制度を導入し、カットと焼きの技術を磨いています。研修センターでは新商品開発なども行っており、当社の知の拠点となっています。

また、シニア人材の活用も積極的に行っています。これまでコックとして働いてきて、しっかりとした技術を持っているシニア世代は、「肉を切って焼く」という難しいことを簡単にやってのけます。技術やスタンスがしっかりしていて、お客様に信頼されるだけでなく、若手社員の育成にも貢献してもらえる。その人自身が戦力となるだけでなく、周囲の戦力もアップさせてくれるというメリットもあります。

未知のものを目指してビジネスを作ってきた

— 最後に、一瀬社長にとっての挑戦とは。
常に挑戦していますので、改めて考えると何でしょうか。以前は、ブレークスルーという言葉は、ピンチを乗り越えることだと思っていましたが、尊敬している先生から「ブレークスルーとはぶち壊して進むことですよ」と聞き、未知のところへ突き進むことと理解しました。この世で未知なところとは宇宙であり、そこへ突き進むのはロケットです。ですから、「いきなりステーキ」のロゴにはロケットを使いました(笑)。 

「いきなりステーキ」は、ある雑誌で「非常識の塊」だと書かれましたが、これは私には誉め言葉です(笑)。ステーキの立ち食い、量り売り、高い原価率、メニューの少なさ、大胆な出店などなど、非常識への挑戦です。

当社は、これまでも常に難しい目標に挑んできました。多くの社長は、世の中の流行りを見てビジネスを作りますが、私は未知のものを目指してビジネスを作ってきたようですね(笑)。
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目からウロコ
一瀬社長には2つの強みを感じた。1つは、常識にとらわれないこと。「いきなりステーキ」を発想し、最初から銀座に2ヵ所出店するなど、常識にとらわれない「非・常識経営」のスタイルだ。事業を差別化するには、常識にとらわれないことが必要で、その強みがある限り、これからも新しい業態を開発し続けるだろう。もう1つは、不屈のポジティブ思考だ。経営は平坦な道ではなく、必ず浮き沈みがある。何度となく逆境に直面するが、明るくポジティブな努力を積み上げて乗り切ってきた。「枯れた植木に水をやる人はいない」という言葉を、経営者たちは覚えておくべきだろう。

一瀬社長は、まさに挑戦する経営者だ。独立してビルを保有するまでに店を繁盛させても、次のステージに挑んでいる。順境のときは果敢に攻める経営を行い、逆境のときは明るく前向きな努力を積み上げる。つまり、どのようなときも挑戦を続けているのだ。ご自身にとっての挑戦を尋ねると、しばらく考えてから「何だろう?」。普段から当たり前のように挑戦しているため、それらの行動はもはや空気のごとく当然なのだろう。「ペッパーランチ」、「いきなりステーキ」という大胆な業態、周囲の予想を上回る出店スピードなど、思い切りの良い経営が一瀬社長のスタイルだ。それは、時には大きなリスクとなることもあるだろうが、リスクに挑戦することこそがまさに経営で、逆境になれば、不屈の前向きな努力で乗り越えれば良い。
(原 正紀)

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