「日本の、 美味しい中国料理」を理念にポジティブ経営で組織を革新する経営者
株式会社南国酒家 代表取締役社長
宮田 順次さん
東京都渋谷区に生まれ、幼稚園から大学までを学習院で過ごす。幼少期からの多くの外食経験やラーメン店めぐりなどで、飲食店を見る眼が養われる。祖父の影響で三井不動産を就職先に選ぶが、バブル崩壊の影響で実家の事業が厳しくなり、立て直しのため、4年で退社して家業に参加する。不動産部門にかかわった後、飲食部門の南国酒家に移り、「日本の、美味しい中国料理」の確立を目指す。2012年2月、50周年を機に、兄とともに代表取締役に就任。店舗の充実・拡大に取り組みながら、「おいしいものニッポン」という地域とタイアップした食材の普及活動も展開する、ポジティブ経営者に話を聞いた。
Profile
東京都渋谷区に生まれ、大学卒業後に三井不動産に入社。4年後に退社して南国酒家に入社し、事業の立て直しに注力。不動産部門の後に飲食部門で働き、2010年に代表取締役社長就任。「日本の、美味しい中国料理」のコンセプトで店舗展開すると同時に、全国各地とタイアップして日本食材の普及も促進している。
飲食の利益をうまく活かし、不動産事業を立て直せれば持ちこたえられる そう思い、すぐに会社を辞めて参画することにしました
— 宮田さんは5代目社長として経営に携っていらっしゃいますが、大学卒業後は三井不動産で活躍されていたのですね。実家が事業をされているため、ずっと経営を意識されていたのでしょうか。
当社の誕生は 1961 年で、私の祖父が創業オーナーでした。祖父は歯科医師で医学博士なのですが、ビジネスにも興味を持っており、アメリカの学会出席時に見たマンションに影響を受けて不動産会社を立ち上げ、日本初のマンション「渋谷コープ」を開発しました。そして、その地下に中国料理店を作ったのが、南国酒家のスタートです。
私が生まれた頃は不動産会社が軌道に乗り、南国酒家も忙しく経営していましたので、休日は家族で外食することが多く、舌は自然に鍛えられていったと思います。小学校時代には1人で好物のラーメン店めぐりをするなど、食べることにはとても興味を持っていましたね。幼稚園から大学まで学習院で育ったので、受験を気にせず、バスケットやゴルフなどにものびのびと取り組むことができました。
そんな事情で、飲食店にはかなり精通していたので、友人たちからはよく、デートに使える店や流行の店などを聞かれました。実家が飲食店をやっていたことも、店を見る眼が養われた一因かもしれません。あだ名は「男版 Hanako」でした(笑)。でも、就職活動の際は、祖父から聞かされていた「不動産は面白いぞ」という言葉が心に残り、就職先を三井不動産に決めました。
三井不動産には一生勤めるつもりで入社したのですが、バブル崩壊とともに家業の不動産が厳しくなり、4年目に辞めることを決意したときは、とてもつらかったですね。就職した当時はバブル絶頂期で、競争率数十倍という中でやっと就職できた人気企業でしたから、早期に辞める人などいません。それまでは次男ということもあり、自分が事業を継ぐことを、それほど意識していませんでした。
私が生まれた頃は不動産会社が軌道に乗り、南国酒家も忙しく経営していましたので、休日は家族で外食することが多く、舌は自然に鍛えられていったと思います。小学校時代には1人で好物のラーメン店めぐりをするなど、食べることにはとても興味を持っていましたね。幼稚園から大学まで学習院で育ったので、受験を気にせず、バスケットやゴルフなどにものびのびと取り組むことができました。
そんな事情で、飲食店にはかなり精通していたので、友人たちからはよく、デートに使える店や流行の店などを聞かれました。実家が飲食店をやっていたことも、店を見る眼が養われた一因かもしれません。あだ名は「男版 Hanako」でした(笑)。でも、就職活動の際は、祖父から聞かされていた「不動産は面白いぞ」という言葉が心に残り、就職先を三井不動産に決めました。
三井不動産には一生勤めるつもりで入社したのですが、バブル崩壊とともに家業の不動産が厳しくなり、4年目に辞めることを決意したときは、とてもつらかったですね。就職した当時はバブル絶頂期で、競争率数十倍という中でやっと就職できた人気企業でしたから、早期に辞める人などいません。それまでは次男ということもあり、自分が事業を継ぐことを、それほど意識していませんでした。
— 次男ということで、かなり奔放に育たれたようですね。そうした自由な立場を捨ててファミリービジネスに戻ったというのは、かなり切羽詰まった状況だったのでしょうか。
家業は飲食事業と不動産事業をやっていたのですが、不動産事業はバブル崩壊で、三井不動産でさえ厳しい状況でした。そこで、実家はどうなのかと調べてみたところ、このままでは資産を手放さなければならないような状態で...。「ここまで育ててもらって、いまやっている仕事がそのまま事業の役に立つのに、すぐに動かなくてどうする」と思い、飲食事業のほうの経理状況を聞いてみると、そちらは調子が良かったんですね。
そこで、飲食事業の利益をうまく活かし、自分も手伝って不動産事業を立て直せれば、資産を売らずに持ちこたえられると思い、すぐに会社を辞めて参画することにしたのです。その頃の南国酒家は、平日でも1〜2時間待ちになるような超人気店でした。私は当時、南国酒家で仕事をするつもりはありませんでしたので、そのキャッシュを利用して、不動産の立て直しに奔走しました。
結果から考えると、そのときの決断は正解でしたね。事業を立て直せただけでなく、早い時期に戻ってきて、社員とともに厳しい状況を乗り越える経験をしたことで、社長に就任してからも社員との連携感がありますので。ところが、戻ってから3年ほど経つと、今度は飲食バブルがはじけ、南国酒家の収益が低下してきます。そこで、「次は南国酒家を救わなければ」と思い、未経験の飲食事業にかかわるようになりました。
飲食の仕事にかかわってみると、客として多くの店を見てきたせいか、内部からは気づかない点も見えてきました。外部環境のせいだけでなく、老舗の中国料理という看板に自信を持つあまり、消費者の声に十分に耳を傾けてこなかったのではないかと思いました。そこで、何かを変えなければということで、新しい食材を探してくるなど、自分なりの工夫で事業に取り組み始めました。
そこで、飲食事業の利益をうまく活かし、自分も手伝って不動産事業を立て直せれば、資産を売らずに持ちこたえられると思い、すぐに会社を辞めて参画することにしたのです。その頃の南国酒家は、平日でも1〜2時間待ちになるような超人気店でした。私は当時、南国酒家で仕事をするつもりはありませんでしたので、そのキャッシュを利用して、不動産の立て直しに奔走しました。
結果から考えると、そのときの決断は正解でしたね。事業を立て直せただけでなく、早い時期に戻ってきて、社員とともに厳しい状況を乗り越える経験をしたことで、社長に就任してからも社員との連携感がありますので。ところが、戻ってから3年ほど経つと、今度は飲食バブルがはじけ、南国酒家の収益が低下してきます。そこで、「次は南国酒家を救わなければ」と思い、未経験の飲食事業にかかわるようになりました。
飲食の仕事にかかわってみると、客として多くの店を見てきたせいか、内部からは気づかない点も見えてきました。外部環境のせいだけでなく、老舗の中国料理という看板に自信を持つあまり、消費者の声に十分に耳を傾けてこなかったのではないかと思いました。そこで、何かを変えなければということで、新しい食材を探してくるなど、自分なりの工夫で事業に取り組み始めました。
本場の流儀を日本流に変えてこそ、消費者に受け入れられる
「日本の、美味しい中国料理」という理念が当社の新たなコンセプトです
ー「成功の落とし穴」ということは多くの業界で言われますが、特に飲食業界ではその影響が大きいと思います。とは言え、老舗のお店を変えていくのは、とても難しいことではありませんか。
私が探してきた食材も、なかなかお店で使われることはありませんでした。そんな中、6代目料理長として新たな人材を招いたことがきっかけで、改革に向けて動き出します。まずは調味料から食材までたくさんの種類を取り寄せ、皆で検討しました。中国料理専門問屋にこだわらず、和食や洋食の問屋にも声をかけて模索したのです。
本場の流儀にこだわるだけでなく、それを日本流に変えてこそ、消費者に受け入れられるお店になると考えました。私が社長就任後に打ち出したのが「日本の、美味しい中国料理」という理念で、これが南国酒家の新しいコンセプトとなっています。中国料理をできるだけ日本人に合うように、日本各地の旬の食材を探し、中国にはない日本の四季を取り入れた料理を提供していきたいと思っています。
先代社長だった父は、会社全体やお金に関することはまとめていましたが、現場に口を出すタイプではありませんでしたので、社員として働いていた頃は、かなり自由に投資や店づくりを任せてもらいました。営業の仕事をしながら、経営にもかかわることができましたので、その後社長に就任する際も、あまり違和感はありませんでしたね。
会社とは、社員で成り立っているものです。だから、理念も皆で考えたいと思い、半年かけて現場の社員からヒアリングをして、南国酒家のイメージや会社像、キーワードを洗い出しました。
本場の流儀にこだわるだけでなく、それを日本流に変えてこそ、消費者に受け入れられるお店になると考えました。私が社長就任後に打ち出したのが「日本の、美味しい中国料理」という理念で、これが南国酒家の新しいコンセプトとなっています。中国料理をできるだけ日本人に合うように、日本各地の旬の食材を探し、中国にはない日本の四季を取り入れた料理を提供していきたいと思っています。
先代社長だった父は、会社全体やお金に関することはまとめていましたが、現場に口を出すタイプではありませんでしたので、社員として働いていた頃は、かなり自由に投資や店づくりを任せてもらいました。営業の仕事をしながら、経営にもかかわることができましたので、その後社長に就任する際も、あまり違和感はありませんでしたね。
会社とは、社員で成り立っているものです。だから、理念も皆で考えたいと思い、半年かけて現場の社員からヒアリングをして、南国酒家のイメージや会社像、キーワードを洗い出しました。
そのときに多く出てきたのが、「日本の...」という言葉でした。これには、さまざまな意味が込められていると思います。
南国酒家の調理手法は広東料理ですが、日本における新しい中国料理を創出していると考えてもらいたい。また世界的に見て、日本の中国料理は美味しいと認めてもらいたい。そして、日本の素晴らしいおもてなしを受けながら、美味しい中国料理を楽しむことができると世界で話題になり、海外からお客様が日本に来てくれるくらいにしていきたいと考えています。
南国酒家の調理手法は広東料理ですが、日本における新しい中国料理を創出していると考えてもらいたい。また世界的に見て、日本の中国料理は美味しいと認めてもらいたい。そして、日本の素晴らしいおもてなしを受けながら、美味しい中国料理を楽しむことができると世界で話題になり、海外からお客様が日本に来てくれるくらいにしていきたいと考えています。
ー 5代目社長として、どのような舵取りをされてきたのですか。
平成 22 年、設立 50 周年を機に経営体制を一新することになり、兄が会長、私が社長になりました。社長の仕事としては、理念や経営方針の明確化や、どのような会社にしたいかという方向づけ、社員教育など会社の軸を作り、社員に理解してもらうことに注力しました。
会社案内などにも、積極的に社員の声を入れるようにしています。サービス業では、日々お客様と面している社員の声、現場の声がもっとも重要だと思います。また、キャリアパスにおいては能力、業績の加算給にしました。会社の理念や方向性に共感できる人を評価し、会社に貢献する人が報われる組織にしていくつもりです。
私は「ポジティブ経営」を心がけていますが、社員すべてがポジティブに仕事ができることが大事で、社員が主体的に、自ら仕事を作ることを推奨していきたいと思います。そのためにさまざまな取組みをしていますが、基本的には組織の指示系統をボトムアップにすること。各店舗からやりたいことをスーパーバイザーに伝え、それが経営陣に伝わり、その声を中心に経営の意思決定をしていくという形です。
また、経営者の意識を持てる人に店長になってもらい、その中で仕事の楽しさを味わってほしい。上からやらされるのではなく、自ら行動してお客様に喜ばれたときにやりがいを感じることが大事です。私は、こうした考え方に共感できる人を店長にしていますが、そのような店長の行動は、方向性が会社と同じものになります。それはお客様にも支持され、業績も向上していますね。
そのほか、成績の良い店長や料理長に対して、なぜ業績が良いかをヒアリングしました。今後、その人たちが思っていることをベースに、会社の方針を決めていこうと思っています。
現在、まだ作成中ですが、大事なのは生の声で作ること。現場の声を吸い上げて作成したほうが、説得力があるのです。飲食業では本部は黒子で、現場がすべてです。現場が能力を発揮して良い環境を作り、接客サービスをすることが最重要だと思っています。
会社案内などにも、積極的に社員の声を入れるようにしています。サービス業では、日々お客様と面している社員の声、現場の声がもっとも重要だと思います。また、キャリアパスにおいては能力、業績の加算給にしました。会社の理念や方向性に共感できる人を評価し、会社に貢献する人が報われる組織にしていくつもりです。
私は「ポジティブ経営」を心がけていますが、社員すべてがポジティブに仕事ができることが大事で、社員が主体的に、自ら仕事を作ることを推奨していきたいと思います。そのためにさまざまな取組みをしていますが、基本的には組織の指示系統をボトムアップにすること。各店舗からやりたいことをスーパーバイザーに伝え、それが経営陣に伝わり、その声を中心に経営の意思決定をしていくという形です。
また、経営者の意識を持てる人に店長になってもらい、その中で仕事の楽しさを味わってほしい。上からやらされるのではなく、自ら行動してお客様に喜ばれたときにやりがいを感じることが大事です。私は、こうした考え方に共感できる人を店長にしていますが、そのような店長の行動は、方向性が会社と同じものになります。それはお客様にも支持され、業績も向上していますね。
そのほか、成績の良い店長や料理長に対して、なぜ業績が良いかをヒアリングしました。今後、その人たちが思っていることをベースに、会社の方針を決めていこうと思っています。
現在、まだ作成中ですが、大事なのは生の声で作ること。現場の声を吸い上げて作成したほうが、説得力があるのです。飲食業では本部は黒子で、現場がすべてです。現場が能力を発揮して良い環境を作り、接客サービスをすることが最重要だと思っています。
社員が主体的に気持ち良く働ける環境を作るのが経営者の責任 社員の持つ経営理念についての考えを、皆で議論することも大事です
— ご自身も主体的に活動されてきましたので、社員の自主性を重視されるのですね。
社員が主体的に気持ち良く働ける環境を作るのが、経営者の責任だと思っています。社員が自発的に会議を開き、主体的に決めていくということは、これまでの南国酒家にはなかったものです。「できるだけ自分たちの手で、自分たちの職場を作っていこう」ということは社員に伝えてきましたが、それが浸透してきている手応えがあります。
経営理念も、トップが一方的に押しつけるのではなく、社員も理念についての考えを持っているので、それを皆で議論することが大事です。私はそれをそばで聞いていて、「自分もそう思う」といった相槌を打つくらいで良いと思っています。そういったやり方のほうが、理念は皆の心の中に落ちるのではないでしょうか。
経営理念も、トップが一方的に押しつけるのではなく、社員も理念についての考えを持っているので、それを皆で議論することが大事です。私はそれをそばで聞いていて、「自分もそう思う」といった相槌を打つくらいで良いと思っています。そういったやり方のほうが、理念は皆の心の中に落ちるのではないでしょうか。
— 各地の食材開発にも力を入れていらっしゃるそうですね。地域との連携も積極的にされているとか。
地域食材をテーマに「おいしいものニッポン」という企画を実施してきました。年に2回ほど、全国のどこかの地域とタイアップして、期間限定でその地域の食材を使った料理を提供しています。そうした活動を通じて地域に貢献するだけでなく、消費者の方々に南国酒家のことを理解してもらいたいと思っています。
私たちは「日本の、美味しい中国料理」を提供するという使命感を持っていますが、本場の料理を真似して持ってくるのではなく、日本に根づく、日本ならではの手法で開発した、オリジナルな中国料理を創造していくつもりです。初代の料理長は中国人でしたが、2代目からはずっと日本人のシェフにお願いしています。
このようにしてやっているうちに、もっと日本の食材を開拓しようという意欲が出てきました。日本には素晴らしい食材がたくさんありますので、海外のものを持ってきて使うのではなく、日本にあるものを使い、風土に合った中国料理を提供することがベストだと考えています。この取組みは国にも評価され、優良外食産業として農林水産大臣賞を受賞しました。自治体や地元マスコミも、強力にプッシュしてくれています。
創業者の宮田慶三郎は、「材料はけちってはいけない。良い材料を使った料理には、お客さんが必ず帰ってくる」という食に関する哲学を持っていました。この思想が、南国酒家の料理の原点だと思います。地方の素晴らしい食材を使い、地方ごとの特色を出しながら、中国料理というフィルターにかけて日本を紹介していく。沖縄に始まり、東北の「ふくあわび」や伊豆七島の「TOKYO 伊勢海老」といったブランドを生み出してきました。
創業者の宮田慶三郎は、「材料はけちってはいけない。良い材料を使った料理には、お客さんが必ず帰ってくる」という食に関する哲学を持っていました。この思想が、南国酒家の料理の原点だと思います。地方の素晴らしい食材を使い、地方ごとの特色を出しながら、中国料理というフィルターにかけて日本を紹介していく。沖縄に始まり、東北の「ふくあわび」や伊豆七島の「TOKYO 伊勢海老」といったブランドを生み出してきました。
日本での中国料理を追求することで、海外から日本に食べに来てほしいそのためには、質を極めることが大事です
— 最近増えている6次産業化といいますか、飲食業を起点とする垂直統合の成功事例ですね。そのような事業も含めて、今後の南国酒家の戦略は。
当社のビジネスモデルとして、今後は展開が難しくなると想定しています。海外展開ではなく、日本での中国料理を追求することで、海外から日本に食べに来てほしい。食とは、それくらい人を動かせるものです。そのためには、質を極めることが大事ですね。店をたくさん出すよりも、各店舗の質を上げていくことを重視しています。
人口が減少する日本では、街の姿も移り変わっていくでしょう。人が来ない街も増えていきますので、店舗のスクラップアンドビルドは、ある程度は仕方ないと思います。全国20 店舗くらいが、一番質を向上させやすく、仕入れも効率化できる最小サイズです。いまの南国酒家はそのサイズで、毎年1〜2店の出店は考えていますが、いたずらに規模を拡大するつもりはありません。
規模の拡大を追求すると、お客様にとって希少性がなくなってしまい、ありきたりの店舗になってしまいます。あくまでも質の追求を目指して、徹底的にやるべきことをやっていきます。今後はスローフードに力を入れていきますが、フードコートにも出店したのは、事業のポートフォリオを広げるためです。高級店のみのレストランですと、淘汰されやすいですからね。店のコンセプトを守りながら、こうしたチャレンジをしていきます。
人口が減少する日本では、街の姿も移り変わっていくでしょう。人が来ない街も増えていきますので、店舗のスクラップアンドビルドは、ある程度は仕方ないと思います。全国20 店舗くらいが、一番質を向上させやすく、仕入れも効率化できる最小サイズです。いまの南国酒家はそのサイズで、毎年1〜2店の出店は考えていますが、いたずらに規模を拡大するつもりはありません。
規模の拡大を追求すると、お客様にとって希少性がなくなってしまい、ありきたりの店舗になってしまいます。あくまでも質の追求を目指して、徹底的にやるべきことをやっていきます。今後はスローフードに力を入れていきますが、フードコートにも出店したのは、事業のポートフォリオを広げるためです。高級店のみのレストランですと、淘汰されやすいですからね。店のコンセプトを守りながら、こうしたチャレンジをしていきます。
自らチャレンジできる人間を作ることが私の挑戦です本気で物事を考えると人生は面白くなることを気づかせたい
— 最後に、宮田さんにとっての挑戦とは。
人はどうしても楽なほうに物事を考えてしまいますが、自らチャレンジできる人間を作ることが私の挑戦です。そういった人たちに、本気で物事を考えると人生は面白くなることを気づかせたい。それは挑戦というより、経営者としての使命だと思っています。社員がいきいきと働けることが社長の存在意義で、それが一番難しく、時間がかかる仕事です。
でも、それができれば、社員の人生はプライベートも含めて楽しくなりますし、感謝の心を持つこともできる。失敗を恐れず、何でもチャレンジできる人づくりが大事で、その結果として会社の業績につながると信じてやっていきますよ(笑)。
でも、それができれば、社員の人生はプライベートも含めて楽しくなりますし、感謝の心を持つこともできる。失敗を恐れず、何でもチャレンジできる人づくりが大事で、その結果として会社の業績につながると信じてやっていきますよ(笑)。
株式会社南国酒家 DATA
設立:1961年11月22日、資本金:2,000万円、従業員数:正社員202名、パート社員450名、売上高:38億円(2013年10月期)、事業目的:中国料理(広東料理)専門店・結婚式場・宴会場の経営、点心・中国菓子の製造販売、中国料理専門店のフランチャイズ事業
目からウロコ
宮田社長の意図するポジティブ経営には2つの面がある。1つはオンリーワン経営、つまりエッジの効いた経営である。中国料理と言えば、本場の三千年の歴史を正統的に踏襲するといった風潮の中で、「日本の、美味しい中国料理」という他社にないコンセプトを打ち出し、日本の食材にこだわりながら事業を展開している。これはコロンブスの卵というか、もはや日本の中国料理には日本流と言って良いものが多く、南国酒家はその中心にある存在なのではないかと思われる。それをはっきりと公言しているのが、まさにポジティブ経営たる所以だ。食材ブランディングについても同様で、「ふくあわび」に代表されるように、従来の価値観を覆すようなブランディングに挑んでいる。ここでも、長年良しとされてきた常識にとらわれず、新しい価値を発信している。ポジティブ経営とは、既存の常識にチャレンジして新しい価値を世に問う経営とも言えそうだ。
もう1つは現場力の向上、つまり個々の社員のポジティブ化である。「会社は人で成り立つ」、「飲食業は現場がすべてで、それを支えるのは人」といった明確な人材観を持つ宮田社長は、自らはサポーターに徹して、主体性があり、理念共感性の高い人材を育てている。そして、それこそが社長のもっとも重要な仕事だという信念を持っている。ポジティブで企業理念に共感している人材を幹部がサポートする、そうした現場力の涵養もいわばポジティブ経営なのである。
(原 正紀)
もう1つは現場力の向上、つまり個々の社員のポジティブ化である。「会社は人で成り立つ」、「飲食業は現場がすべてで、それを支えるのは人」といった明確な人材観を持つ宮田社長は、自らはサポーターに徹して、主体性があり、理念共感性の高い人材を育てている。そして、それこそが社長のもっとも重要な仕事だという信念を持っている。ポジティブで企業理念に共感している人材を幹部がサポートする、そうした現場力の涵養もいわばポジティブ経営なのである。
(原 正紀)