2018‐12Umano07_コンコルディア・フィナンシャルグループ_川村様

もっと身近で地域の力になる金融機関へ
―フィンテック時代における地方銀行の未来

株式会社コンコルディア・フィナンシャルグループ 代表取締役社長

川村 健一さん

Profile
1959年神奈川県生まれ。横浜国立大学経済学部卒業。1982年、株式会社横浜銀行入行。新横浜支店長、融資部長、綱島支店長、監査部長、リスク統括部長などを経て、2016年6月、株式会社横浜銀行代表取締役頭取。同行初の生え抜き頭取として、土日営業店舗の開始、店舗のリアルタイム混雑状況の提供、後継経営者の交流機会を提供する「~次世代経営者ネットワーク~みらい飛翔会」の創設など、顧客の声を取り入れたさまざまな施策を実施。2018年6月、親会社である株式会社コンコルディア・フィナンシャルグループ代表取締役社長に就任。
HARA'S BEFORE
今年の大学生の人気企業ランキングで、ベスト10から銀行が消えた。将来に敏感な学生たちは、銀行の未来をどう見たのか。多くの企業の財務を支えてきた金融業界の雄が、大きなターニングポイントにあることは間違いない。
 
バブル崩壊後の業界再編とは異なり、テクノロジーの進化に伴い、他業界との競争も見据えたイノベーションが必要となっている。個人の視点でも明らかにキャッシュレスが進展し、銀行に行く機会は減ってくる。重要な局面でのかじ取りを任された、初の生え抜きトップの話に興味は尽きない。
地方銀行を取り巻く経営環境は厳しさを増している。

フィンテックに代表される異業種からの業界参入とともに、経営基盤となる地域の人口減少、日本銀行のマイナス金利政策により、収益は下降傾向だ。
 
地域経済を長年にわたり支えてきた地域金融機関は、中小企業にとって最も身近な相談相手である。その一方で、企業の資金調達や資金決済手段は多様化している。地域金融機関はフィンテックに置き換わってしまうのか。地方銀行が、地域のためにこれから果たすべき役割は何か。
 
横浜銀行と東日本銀行を傘下に持つコンコルディア・フィナンシャルグループ社長として、地方銀行業界をリードする川村健一さんにお話を伺った。(米澤)

地方銀行は「身近にあること」が価値

原:地方銀行を取り巻く経営環境について教えてください。
川村:大きく言えば、3つのポイントがあります。

1つ目は、人口減少です。地方銀行は一定の地域をマーケットとしてビジネスをしていますので、その人口が減ることは企業には逆風になります。コンコルディア・フィナンシャルグループは、傘下に神奈川県を地盤とする横浜銀行、東京都を主な地盤とする東日本銀行がありますが、神奈川県の一部地域では人口減少が始まっており、当社にとっても見過ごせない課題です。
2つ目は、フィンテックです。銀行以外の業種が金融業界に入ってきてイノベーションを起こしている。経営資源が豊富なメガバンクでは大規模な開発が可能ですが、地方銀行は経営資源が限られるため、フィンテック企業と連携を深めながら対応していく必要があります。 
3つ目は、日銀による金融緩和が長期間継続していることです。銀行業務の基盤である、「預金を集めて貸し出し、その利ざやで稼ぐ」というビジネスモデルが非効率なものになっています。メガバンクは海外で収益を稼いでいますが、地方銀行は自らの地盤である国内への融資のウェイトが高い。健全性と収益性を両立させなければならない地方銀行には、厳しい経営環境が集中的に続いています。
原:経営統合では、長崎県の十八銀行とふくおかフィナンシャルグループの統合で、公正取引委員会の動きが注目されました。
川村:当社の場合、横浜銀行と東日本銀行で営業エリアや強みとする業務の重なりが少ないという特徴があります。ただ長崎県の事例のように、同じ地域で統合した場合は、シェアが高まるという一面があります。公正取引委員会の出番は、経済が成長している局面でこそ求められるものだと思います。しかし、人口減少という現在のような局面は、資本主義の世の中になってからなかったのではないでしょうか。経済史としても大きな出来事だと思います。
米澤:今後、キャッシュレス化が進むと、金融機関のチャネル戦略はどのように変わりますか。
川村:ATMをはじめとしたお客さまとのアクセスポイントが変わる可能性があります。私が頭取を務めていた時、横浜銀行ではお客さまの声をもとに、インターネットから店舗の待ち時間や混雑状況がわかるようにしました。私も自宅近くの店舗を時々、確認したのですが、店舗やATMが混んでいる日は、給与支給日などだいたい決まっていたのです。しかし、店舗やATMは繁忙期に合わせた設備になっています。
  
メガバンクは店舗そのものを減らして効率化を図ろうとしています。一方で、地方銀行は「ここに銀行の支店がある」という身近さや便利さが、お客さまに選んでいただく重要なポイントになりますから、店舗、つまり銀行の看板を減らすことは価値を下げることになる。したがって、「銀行の看板の数」は減らさない。反対に、中身をコンパクトにしていく。横浜銀行と東日本銀行で共同店舗を出すのは、その一例です。メガバンクが撤退した地域があれば、そこに我々地方銀行の出番が増えることも考えられるでしょう。

「遠い銀行」と「近い銀行」

米澤:横浜銀行で頭取に就任以降、積極的にお客さまと会われています。
川村:それまで横浜銀行は「遠い」、「偉そうにしている」といった評判が少なからずありました。そこで、まずはお客さまとの距離を縮めようと、積極的に足を運びました。私は生まれと育ちは川崎市、大学も横浜国立大学ですから神奈川一筋で来ました。それもあったのか、「親しみやすくなったね」と評価をいただくこともあります。
  
このような取り組みを続けていくと、お客さまの生の声が聞こえてきます。日本銀行横浜支店が「神奈川県金融経済概況」を公表していますが、私がお客さまと話していて感じた感覚とほぼ一致していたのです。私なりの「街角景気」みたいなものでしょうか。特に人手不足はここ2~3年で一気に課題になっていますが、これもいち早くお客さまの話に出ていましたね。
米澤:顧客にとって、「遠い」銀行と「近い」銀行の違いはどこにありますか。
川村:地域の課題を解決していく、あるいはお客さまから「自分たちの課題を解決してくれる」と期待をいただくことでしょうか。 
 
横浜銀行では、2018年4月より「地域本部体制」を導入しました。これは営業地域を特性に即して7つに分け、それぞれに「地域・地区本部長」という役員を1名配置しています。地域・地区本部長には「地域の10年後のために、横浜銀行は何をすべきか」を考えてもらっています。 
 
この制度を始めてから、地域・地区本部長が区役所に出かけるようになりました。横浜市など規模が大きい政令指定都市では、施策は市が考えていますが、実務は各区役所が担っています。つまり、施策の効果や課題は区役所が一番把握しているわけです。対話を続け、行政とリレーションを深めることが大事ですね。
 
一方、こういった活動で当社がどのようなリターンを得るかについては、まだ模索しているところもあります。ただ、地域経済が活性化すれば当社にマイナスになることはありませんし、人口減少が少しでも緩和すればプラスになるでしょう。

「海の軽井沢」三浦半島を盛り上げる

原:地域を盛り上げて収益を上げていくことは、地方銀行の今後の重要な戦略ではないでしょうか。
川村:地方銀行の収益の基盤は、融資の利息収入です。地域と関係性を深めていくと情報が集まります。その情報から、たとえば地域の開発といった資金需要を取り込んでいく。それに絡めて、ビジネスマッチングといった手数料ビジネスも広がっていくでしょう。 

一つの事例として、現在、「海の軽井沢」として三浦半島を盛り上げていくことに取り組んでいます。先ほど申し上げたとおり、神奈川県の一部地域では人口減少が始まっており、三浦半島もその一つです。そこで、横浜銀行と東日本銀行が力を合わせて、主に東京都内の富裕層へ三浦半島のヨットハーバーや、休日を過ごす別荘をご紹介しようと考えています。これは、両行が経営統合をして生まれた付加価値です。

なぜ、この構想が生まれたかと申しますと、休日に軽井沢を旅していたところ、朝早くからご年配の方をたくさんお見かけしたんですね。後で調べてみると、移住されている方だったようです。現役時代は社長をされていて、今は後継者に託して、軽井沢に移住されているのでしょう。
  
これで何が起こるかというと、個人住民税がその自治体に入り、地域財政を豊かにし、地方創生につながっている。20年、30年かけて三浦半島を「海の軽井沢」にしていきたいというのはこういうことです。
米澤:それぞれの支店の役割はいかがですか。
川村:横浜銀行では、融資決裁ができる支店長の数を増やしました。バブル崩壊後、経営が悪化し、公的資金の導入を申請したのですが、その時代に経営効率化のため、個人から法人まで対応する「フルバンキング」の体制を整えた支店の数をぐっと減らしたのです。融資はターミナル駅に立地する規模が大きい支店で対応し、小規模な支店は投資信託など、個人取引に特化しました。 
 
「お店のエアコンを買い替えたい」という資金需要があった場合、お客さまが一番近い支店の支店長に相談しても、その支店長に融資決裁権限がなければ「隣町の大きな支店につなぎます」となってしまう。エアコン1台替えるのにも時間がかかっていたわけです。支店が担当するエリアも広くなりますから、「担当者は来るけど、支店長はあまり来ない」という状況もありました。融資決裁ができる支店を増やしたことで、資金需要に対してきめ細かく、スピーディに対応できるようになりました。

若手行員と後継社長のリレーション

原:中小企業の大きな課題に、事業承継があります。
川村:横浜銀行では、若手行員を期間限定で取引先に出向させ、事業承継をサポートしていく取り組みを始めました。 
 
たとえば、次世代の社長が役員として経営に携わるようになったとします。営業や生産管理については現社長からしっかり教わることができますが、財務管理や銀行との付き合い方は現社長も苦手にしている場合がある。横浜銀行の若手行員がその点をサポートすることで、若社長と一緒に成長し、円滑な事業承継が進むことが目的です。 
 
これは、人財育成としてもメリットがあります。行員は会社の経営実務を肌で学べる。銀行員として外から見ていることとはわけが違いますから、その経験は必ず厚みになります。年数が経って次世代社長が就任したときには、横浜銀行と良好な関係を持つこともできるでしょう。代が替わると取引銀行も替わることも時にありますが、このような真のリレーションをもっと作っていきたいですね。
原:近年は、M&Aもブームになっています。
川村:M&Aは最後の手段だと考えています。まずは会社の中で後任者を探す。お子さんですとか、社員からの登用ですね。なぜ、そう考えるかというと、M&Aの買い手は圧倒的に東京都内が多いからです。たとえば、東京の買い手が本社となり、神奈川県内の会社がサテライトのような立ち位置になる。従業員の雇用は守られますが、長い目でみれば神奈川の会社ではなくなってしまう。地域金融機関としては、地元の事業承継は地元で完結させたいという思いがあります。 

一方で、創業は難しいですね。創業した後のお客さまにはメニューがありますが、創業の場に立ち会うのが難しい。東京は神奈川よりも会社が圧倒的に多いですから、創業期のお客さまへのアクセスの方法は、研究中でもあります。

ただ、東日本銀行と立ち食いそばで著名な「名代富士そば」の事例はあります。創業期の富士そばは店舗を出そうとしたものの、銀行から融資をなかなか受けることができなかった。ところが、東日本銀行の行員が毎日店に通い、実際に出入りする顧客の様子を見て、融資したといいます。
  
東日本銀行はフェイス・トゥー・フェイスが強みの銀行です。決算書だけで判断するような融資はしません。自分の目と足でお客さまを見て、経営の背景や将来性を判断する。こうした事例をこれから増やしていきたいですね。

経営再建時の顧客の声が支えに

原:ご自身のキャリアについてもお聞かせいただけますか。
川村:平成に入ったころに支店から本部に異動し、法人をサポートする仕事に従事していました。お客さまの会社の課題を分析し、各方面の専門家に意見を求めながら、解決策を提案していました。「専門家を何人知っているか」が顧客の問題解決に重要であることを、このころの経験から学びました。
  
横浜銀行が公的資金を申請した時は厳しかったです。都市銀行が合併を繰り返していた時期で、次は横浜銀行かといわれていました。でも、「横浜銀行の青い看板がなくなったら困る」と、地元の社長さんたちから生の声をたくさん聞き、応援していただいたことは忘れられません。「もっと身近で、頼りになる」銀行になって、この時のお客さまに恩返しをしなければいけないと肝に銘じています。 
 
リーマンショックの時も大変でした。私は融資部長を務めていましたが、不動産融資が多く、1人の融資部長が出した損失額としては過去最大額だったのではと思います。その後、横浜市内の綱島支店長に異動したのですが、融資部時代のストレスからか、肺に穴が空く「肺気胸」という病気になって、入院してしまいました。病気は治りましたが、支店長として支店に穴を空けてしまったんです。 
 
やはり身体は資本だと思い、それからは健康維持のためにウォーキングを始めました。コースは主に川沿いで、河口から源流まで歩きます。ウォーキングのよいところは、歩いているときは仕事を忘れてリフレッシュできることです。それに川沿いを歩くと、その町のこともよくわかるんです。「あそこで開発が始まったな」とか、ちょっとした風景の変化ですね。お客さまにその話をすると、「この町のことを知ってくれている」と距離もぐんと近くなって、すぐ親しくなれるという副産物もありました(笑)。
原:横浜銀行の頭取に任命された時のお気持ちはいかがでしたか。
川村:驚きました。横浜銀行は官僚出身の方が頭取を務めていたので、自分が頭取になるなんて、入行してから一度も思ったことはありませんでした。一方で、今働いている行員には、「自分も頭取になる」という意識が生まれたのではと思います。行員自らが経営トップとして、地域経済と銀行についてどう考えるかという軸を持っていなければならない。銀行にとっても大きな変化だったと思います。

今年7月に業務改善命令を受けた東日本銀行も、生え抜きの行員が頭取になりました。自分たちの銀行が目指すべき道は何か、それを自身でこれから必死に考え、変わっていかねばならないということです。

多くのプロを知る「ハブ人財」が必要

原:銀行に求められる役割が変化する中で、今後の銀行員のキャリアについてはどうお考えですか。
川村:「この道に詳しい専門家はあそこにいる」ということを、たくさん知っている人財が求められると思います。環境変化が激しい多くのプロを知る「ハブ人財」が必要9時代ですから、銀行員1人が持つ知識や経験だけでは、お客さまの多岐にわたる課題を解決できません。その課題解決に力を貸してくれる人をどれだけ知っているか、そして、お客様と一緒に課題を考える力が、銀行員には必要です。

神奈川県内には、理工系の大学がたくさんあります。お客さまが技術面で課題を抱えていたとしたら、「あの大学のこの先生が詳しいから、一緒に話を聞いてみませんか」と提案できるような人財を育てたいですね。
米澤:人と人をつなぐハブのような人財が求められているということでしょうか。
川村:そうです。なにしろ、銀行にはたくさんの情報が集まりますから。その情報を自ら取りに行く。「この情報とこの情報をつなげると、新しい価値が見つかるのではないか」と考えられる人財。それが「お客さまのお役に立つ」ということだと思います。
川村さんは、バブル崩壊、リーマンショック、経営統合という、地方銀行を取り巻く荒波の中で重責を務めてきた。そのお話は、地方銀行の歴史そのものであるように感じた。 地方銀行に求められる役割とは、「顧客の側に寄り添い、地域の力になること」、「町の情報を集め、つなげていくこと」だという。従来から求められている「リレーションシップバンキング」という答えが返ってきた。
 
フィンテックは大量のデータを保有し、その分析結果から顧客にさまざまな提案をすることができる。そこには人間の行動データはあるかもしれないが、「人の顔」は見えない。
 
地方銀行は、人と人が直接会い、お互いの信頼性を深めていく、その営みそのものが強みだ。「フィンテック時代における地方銀行の未来」とは、この人間同士の「顔の見える」つながりに目指すべき道があるのではないだろうか。(米澤)
HARA'S AFTER
第4次産業革命や人口減少などの大きな変化の中で、多くの産業は変革を迫られている。その代表格である銀行の未来について、今回の取材でデザインが見えた気がする。
 
地方銀行が地域の人や企業を金融面から支えることは間違いない。だが、単にお金を預かったり貸したりするだけではなく、距離を縮めていくことで新しいビジネスチャンスが出てくるだろう。多様な顧客接点から課題解決をしていく中で、ソリューション力も鍛えられ、外部パートナーというリソースも拡大する。多くの公的事業や民間事業でも、これまで以上に金融連携が重視されるはずだ。

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