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プロ野球にビジネスを持ち込んだ仕事師

―ダイエー、ロッテ、オリックスと3球団の経営に携わってきた30年の軌跡と成果

元・プロ野球球団代表

瀬戸山 隆三さん

Profile
大阪市立大学卒業後にダイエー入社。人事・事業開発などを経て、プロ野球・福岡ダイエーホークス設立とともに同社に出向し、93年に球団代表に就任。3度のリーグ優勝、2度の日本一に導き、2000年の日本シリーズでは野球ファンの夢「ON(王・長嶋)対決」を実現する。04年に千葉ロッテマリーンズに入社し、球団代表、球団社長などを歴任。05年に31年ぶりの日本一を、10年には「下剋上」による3位からの日本一を達成。04年の球界再編騒動時には日本野球機構の選手関係委員会委員長としてプロ野球選手会と交渉する。11年から、千葉商科大学大学院修士課程経済学研究科の客員教授に就任し、中小企業診断士養成コースで教鞭も執る。12年にオリックス・バファローズ球団本部長補佐に就任し、球団本部長などを歴任。著書に『現場を生かす裏方力――プロ野球フロント日記』(同友館)。

HARA’S BEFORE
ここ約20年で、プロ野球ファンには忘れられない出来事がある。人格者・王貞治監督に対する生卵投げつけ事件、日本シリーズでのON対決、千葉ロッテのシーズン3位からの下剋上日本一、球界再編騒動と選手会のストライキ突入……このすべてに関わっていたのが、瀬戸山隆三さんである。その名は、スポーツ新聞で何度も目にしてきた。新規参入のダイエーを常勝軍団にし、ロッテを人気球団に育て上げた人である。そんな名フロントマン、球団経営者の経験談には、ビジネスへの多くのヒントが隠されているはずだ。

球団経営を突然に任されたダイエー時代

原:瀬戸山さんはプロ野球が大きく変わっていく時期に、球団経営のお仕事をされていましたね。新聞などでもお名前をよく拝見しました。どのようなきっかけでスタートしたのですか。
瀬戸山:私はもともとダイエーの社員として、新規事業企画などを担当していました。そう言うと格好いいですが、いわば使い走りです(笑)。その中で南海からホークスを譲り受けようという話が出てきて、どういうわけか私が使い走りで担当することになりました。その時は2~3年で譲り受けが完了したら、役目を降ろしていただけるだろうと思っていたんです。私も高校・大学と野球はやっていたけど、プロに行くレベルでもなければ、球団経営に興味があったわけでもなく、どちらかといえばスーパーマーケットのビジネスのほうに興味がありましたから。

実際に球団を持ってからは、GMの仕事を実質1人で担当することになりました。オーナーの中内㓛さんとも直接、やり取りする案件が多く、怒られることばかりでしたね(笑)。活動を続けていく中で、プロ野球は面白いビジネスになりうると思いました。  



球団経営のために、本拠地を南海時代の大阪から福岡に移すことになります。しかし、九州の財界は非常に手ごわい存在でした。全国各地に出店を続けていたダイエーに対する警戒心が根強かったんです。球団のお披露目パーティーにお声かけしても、ことごとく門前扱いされるほどでした。一方、すごく協力してくれる方もいましたが、アンチの方とハッキリと分かれていました。ですから、福岡の皆さんから応援していただける球団にしなければ、という気持ちが強かったですね。
  
当時の球団の年間売上は約40億円で、25億円くらいは残念ながら赤字でした。中内さんからは「20億は本社から補填するけど、それ以上は球団で稼げ」と言われました。そこでプロ野球経営を複合ビジネスにしよう、と考えました。ただ単にチケットを売ったり、シーズンシートを売ったりするのではなく、稼げる素材がもっといっぱいあるはずだと思いました。

複合ビジネスとして開花したロッテ時代

原:当時のプロ野球球団は、電鉄・食品・新聞が母体でした。その後に西武、ダイエーといった流通が参画し、さらにIT企業参入となりました。それに伴い、球団経営も進化したのではないですか。
瀬戸山:そうですね。そういったビジネス発想で球団経営に向かい合った人は、それまであまりいなかったと思います。同時に中内さんからは「君は一生、福岡にいて、骨を埋めるつもりで頑張るべきだ」などとも言われ、それならプロ野球の球団経営を極めてみても面白いと考えました。
原:オリックスを含めて3球団での経営を振り返ると、どのような思いがありますか。
瀬戸山:新しい風を球界に吹き込むことはできたのではないかと思います。福岡に行く時は大きな決断でしたが、ホークスは地元の人たちからすごく支持されるようになりました。我々がやってきたことは間違いではなかった。「地方の時代」というプロ野球としての一つの流れをつくり、そこで新しいビジネスとして展開できた。ちょっと言いすぎかもしれませんが、野球界に少しは役に立てたと考えています。
  
ロッテのときは、さらに強い手応えがありました。当時のロッテは残念ながら、世間一般ではあまり目立たないチームでしたが、人気球団にすることができました。指定管理者制度を導入するなど規制緩和をして、球場の仕組みを変えました。知事や市長をはじめ行政、財界の認識を変えたのも大きかった。現場とフロントと地域が一体となって、球団を運営できるようになったのです。これまでどの球団もできなかったことが、ロッテにいた9年間で成し遂げられたのではないかと思っています。
原:それまでのロッテはフランチャイズが変わる「ジプシー球団」などと言われていましたよね。先ほどおっしゃった、ダイエーホークス時代に「複合的ビジネスにしなければ」という思いが、まさにロッテ時代に開花したのですね。
瀬戸山:南海からホークスを引き継いだ際、売上を上げる項目は「試合のチケットを売る」、「シーズンシートを売る」ことくらいでした。野球ビジネスとはそういうものだという引継ぎでした。観客動員数も年間88万人と発表していましたが、実数は30万人くらいでした。当時のプロ野球の世界、特にパ・リーグはそんなものだったんです。しかし、それでは赤字を20億円以下にはできません。 
 
福岡に移ったのはラッキーな面もありました。クラウンライター・ライオンズ(かつての西鉄ライオンズ)が西武に譲渡されて以来、福岡には10年以上球団がなかったので、ファンクラブの創設など売上を上げるための項目はいくらでも考えられたのです。千葉ロッテでは球団と球場の運営を一本化することが絶対に必要でした。規制が緩和されたことで、試合だけでなく、試合の前後にも子供から大人まで楽しめる企画をたくさん実現できた。球場正面入口にステージを作って、勝ち試合のヒーローインタビュー後に、そこで選手が歌を歌ってくれるようになりました。
  
60歳近くになってから仕事をしたオリックスでは、残念ながらダイエーやロッテのときのような仕事はできませんでした。ミッションとしてはチームを勝たせることだけ考えればよく、トータルで経験を生かせるところまではいきませんでしたね。

勝つためには妥協してはいけない

原:もう一つ、スポーツビジネスの重要なポイントは勝つことです。特にダイエー時代の初期は苦戦が続き、王貞治監督がファンから生卵を投げられる事件もあるなど、本当に厳しい時代だったと思います。勝つためには、どうされていたのでしょうか。
瀬戸山:ダイエーが福岡ドームに移ってからの最初の監督・根本陸夫さんは専務取締役と球団本部長を兼任されており、フロントのトップであり、同時に現場のトップでもありました。根本さんの次の立場を君がやれというのが、中内さんの指示でした。根本さんに教わったのは、チームを強くするために大事なのは、いい人材を採ってくることです。そのためにはスカウティングが命であり、志高いスタッフやスカウトマンを集めようとしました。 
 
「勝つためには妥協してはいけない」と考えるスカウトマンやコーチをまず集める。そうすると、いい選手が集まるようになる。いい選手が集まってきたら、「練習がきつい」とか、「ケガをしたのはあいつのせいだ」といった言い訳はできなくなるんです。ダイエーに王さんが監督として来られたとき、選手たちは勝てないことを王さんのせいにしました。その結果、チームそのものが沈降しましたが、私が代表になってから最初のドラフトで採った小久保裕紀選手らは「監督を漢おとこにするために、どのチームよりも練習して切磋琢磨しなければいけない」と言ってくれたんです。 
 
当時の春の高知キャンプで、小久保裕紀、城島健司、松中信彦、柴原洋、井口忠仁といった選手らが打撃練習で誰が最後まで打ち続けるか、競争したくらいです。そして、チームはレベルアップをしました。裏方を大事にすることも、根本さんから教わりました。食堂のおばちゃんや掃除のおばちゃんは、選手の本当の姿をよく知っている。「あの選手はこんな癖がある」、「あの選手はこんな面がある」と。
原:そういった方々からリアルな情報が入ってくるんですね。
瀬戸山:根本さんとは四六時中ご一緒していましたが、「俺の次の監督はワンちゃん(王さん)。その時に優勝して、長嶋茂雄監督が率いる巨人と日本シリーズをやって、ON対決をするんだ」とおっしゃっていました。まだ王さんの招へいも正式に決まっていないころから、そういった大所高所でプロ野球界の発展をお考えだったのです。根本さんは「20世紀中にON対決を」という言葉を残して、残念ながらお亡くなりになられましたが、その願いは見事にかないました。20世紀最後の年にON対決は実現し、プロ野球ファンのみならず、国民を沸かせました。
原:一方でプロ野球の選手一人ひとりは、独立したプロですよね。評価や年俸の交渉はどのようにされていたのでしょうか。
瀬戸山:交渉は難しかったですが、今のほうが難しいのではないでしょうか。現在はメジャーリーグが選手の一つの目標で、年俸が高いメジャーに引きずられてしまいますから。ダイエーホークスでフロントをやっていた頃は、メジャーへの意識は選手の間にそこまではなかったです。取り決めを定めておけば、それに従って年俸交渉をすればよかった。こちらが提示した以上の金額を要求するなら他に行ってくれと言えばいい。フリーエージェント制度もありますし。球団側がしっかりと意思を持ち、年俸交渉の材料をどう構築するかが大事なんです。
原:これから大きく日本人の働き方が変わってくれば、一般社会でも考えていくべきことでしょうね。

夢はプロ野球16球団の実現

原:野球がサッカーに比べて、子供の競技人口の伸び率が違うと、ご著書に書かれています。今年のサッカー・ワールドカップも大いに盛り上がりましたが、野球に対する危機的な意識はありますか。
瀬戸山:たしかに危機感のようなものもありますが、「日本人にとって野球は特別なものだ」とずっと思ってきました。サッカーはワールドスポーツですが、野球は日本人に非常にフィットしていて、日本に根づいたスポーツだと思います。だから、高校野球、大学野球、少年野球、独立リーグとそれぞれ盛んに行われているのです。また、野球は非常に間まのあるスポーツなので、それをビジネスに生かすこともできる。野球の試合は毎日できますが、サッカーはあれだけの運動量ですから、毎日は試合ができない。つまり、野球は興行に向いているスポーツだと思うんです。 
 
ビジネスの可能性の例としては、プロ野球参入に意欲を持っている、「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイ社の前澤友作社長が思い浮かびます。前澤さんにはロッテ時代にすごくお世話になってきました。今はマリンスタジアムに「ZOZO」の名が冠されていますが、その前は「QVCマリンフィールド」という名称でした。当時、入札にエントリーしたのはQVC、ZOZOを含め4社でした。前澤さんはその時に用意した1億円を、人工芝の張り替え代の足しにしてほしいと、千葉市に寄付してくれました。
原:ソフトバンク、楽天、DeNAとIT系が球界に参入して、雰囲気は変わりましたか。
瀬戸山:ずいぶん変わったと思います。同じ12球団でも、昔は首都圏に6球団、関西圏に4球団、あとは広島、名古屋だけでした。ところが、今は札幌、福岡、仙台にそれぞれ球団があって、全部成り立っている。僕は、あと4つくらいチームがあってもいいと思います。
  
将来は16球団もありではないでしょうか。2020年の東京オリンピック開催に伴い、スポーツ振興の予算は増え、施設を新しく作ったり、改修の話が出ている今が16球団にするチャンスだと思います。大変難しいことですが、沖縄、新潟、福島、静岡、四国あたりにつくれるといいですね。
原:プロ球界を外からご覧になって、今後のビジョンをどうお考えですか。
瀬戸山:16球団も視野に入れて、プロ野球経営に興味を持つ企業と前向きにコミュニケーションをとるべきですね。企業だけではなく、全国各地にできている独立リーグとの連携や、アマ球界との交流も大事です。また、プロ野球OBの方たちの活用も大切です。ファンの意見もどんどん聞くべきでしょう。日本だけで考えずに、野球の盛んなアジアの国々とつながる「ウィンターミーティング」なども創設してほしいと思います。
原:今後はどのようなことをしたいとお考えですか。
瀬戸山:30年間、フロントをやってきて、本当にお世話になってきた方々がたくさんいらっしゃいます。ダイエー時代の新規参入でアゲインストの風が強かった福岡経済界の中で、私利私欲なしでダイエーホークスを応援してくださった方もいっぱいいらっしゃいました。浪花節ではないですが、そういう方々のお役に立てないか、お返しできないかと考えてきました。現在、相談役をしている中部衛生検査センターも、ダイエー時代からずっとお世話になってきた会社です。そうしたお付き合いをずっと大事にしていきたい。 
 
16球団実現にもチャレンジできたらと思います。野球に限らずスポーツビジネスにも興味がありますね。ロッテ時代、本社からの出向者がフロントをやっていても新しい発想がないだろうと、彼らは本社に戻し、チャレンジ精神あふれる人材を20人くらい採用しました。事業について皆で考え、指定管理者制度の導入にこぎつけるなど、ビジネスとして成果を出せました。今も年に1回、同窓会をやっています。スポーツに興味があり、ビジネスに長けた志高い人材を、何らかの形で生かしたいですね。


大学院で中小企業診断士を指導

原:千葉商科大学大学院の客員教授に就任され、中小企業診断士養成コースで教鞭を執られていますが、どのような経緯で引き受けられたのですか。
瀬戸山:2011年10月に千葉ロッテの球団社長を退いたとき、千葉商科大学さんより客員教授就任の打診を受けました。千葉ロッテでは2004年から千葉商科大学さんとは千葉を盛り上げるために、さまざまな取り組みを一緒に行ってきました。年に1回は千葉商科大学マッチデー(千葉商科大学の学生が、試合当日のさまざまなイベントを企画から運営までプロデュースするもの)を行っているのですが、とても盛り上がります。そうした仲の良いお付き合いがあったために、私としても恩返しをしたいという思いがあり、快諾しました。 
 
講義のテーマは、地域経済活性化、スポーツビジネス、複合ビジネスの展開とマーケティングです。ひと昔前のプロ野球はチケットや放映権を売るビジネスでしたが、それだけではファンは増えず、売上も上がらず、経営が成り立たない時代になりました。それでは、どのようなことをやっていかなければならないのか、ということを受講生に話しています。ダイエーホークス時代の話や球界再編成騒動の時の話もしますが、メインは千葉の球団経営などの話です。 
 
そもそも球団経営とは中小企業経営なんです。売上が平均100億円くらい、社員も50~100人くらいの規模で、まさしく中小企業なわけです。それを地域に根差しビジネスが成り立つようにしながら、お客さんに喜んでいただくためにチームが勝つための施策も必要です。取り組んでいることは、まさしく中小企業診断士の領域と通じるものがあります。
原:講義の中で中小企業診断士の受講生と接してみて、いかがですか。
瀬戸山:皆さん、しっかりとした目標をもち、勉強意欲が高いと感じます。千葉ロッテの売上を20億円から80億円に上げた過程として、球場を球団が管理できるようにした、指定管理者制度を導入した、チケットや看板を売る以外にもビジネスをどんどん複合化していった、女性や子供にも来てもらうために工夫した、といった話をすると、熱心に聞いてくれます。千葉ロッテのファンも多いので(笑)。
  
講義でのツーウェイ・コミュニケーションの中では、中小企業診断士の方に他球団やサッカーチームの経営事例のほか、スポーツビジネス以外の経験も教えていただいており、私自身も勉強になります。
  
この国の経済を下から支えている存在として、中小企業の力は大きい。でも中小企業は何かに秀でていなければ、生き残れないので、チャレンジ精神を持ち、何か一つのことを極めたいと思っている人材が中小企業にとても多い。これからは、チャレンジできる中小企業の時代だと思います。
  
中小企業診断士の皆さんには、経営手法を指導するだけでなく、その企業の社会における存在価値を見出すお手伝いをしてほしい。その企業に何を吹き込めば、もっと世の中に必要とされるのか、そのためにはどのような人材が必要なのか、ということを企業と一緒になって考えてほしいと思います。
瀬戸山隆三
『現場を生かす裏方力プロ野球フロント日記』同友館

プロ野球は「複合ビジネス」だ! 主役であるチームと球団のために、縁の下で戦う「フロント」。いわゆる背広組である。ダイエー、ロッテ、オリックスと球団経営に30年携わり、プロ野球の歴史をつくってきた瀬戸山氏の軌跡と野球ビジネス論が詰まった本。裏方として主役を支える、さまざまな業種の人々に読んでもらいたい。



HARA’S AFTER
スポーツはちょっと前まではビジネスの対象ではなく、社会貢献やアマチュア精神が優先される世界だった。プロ野球の球団経営も赤字が当たり前で、それでもファンのために企業宣伝の一要素として経営されてきた。そうした潔癖さはスポーツの魅力であり、大事にしなければならない。しかし、同時にスポーツは多くの人を惹きつける魅力的なコンテンツであり、ビジネスの素材としても大きな可能性を持っている。その扉をこじ開けた起点は、商魂の塊のようなダイエーという会社の参画であり、瀬戸山さんの手腕に負うところが大きかったのではないか。未知のプロ野球という分野に社命一つで飛び込み、3球団で活躍し、プロ野球界に大きな足跡を残したイノベーター。もちろん、主役は選手や監督といった現場であるが、彼らを存続・繁栄させるのは裏方であるフロントの手腕だ。それは、多くの企業がラインとスタッフで成り立つのと同じこと。 

私もプロ野球をはじめとしたスポーツファンであり、その存在のおかげで日々の生活が楽しいものとなっている。16球団構想、いいじゃないですか! 

瀬戸山さんにも、ぜひ、もう一肌脱いでいただき、その夢の実現を見てみたい。

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