2017‐07経営者170_プラクシス_ホンモノ・ジャパン_金谷様

世論マーケティングで“三方よし”経営を実現
産学官で活躍するマルチタレント経営者

株式会社プラクシス 代表取締役兼CEO
株式会社ホンモノ・ジャパン 代表取締役兼CEO

金谷 年展さん

旧富士総合研究所時代に、ソーシャルコミュニーケーションの“三方よし”の効果にやりがいを感じ、独立起業。経営と並行し、大学で教鞭を執るほか、公共関係の委員、メディア出演も多数。産学官で活躍しながら企業の経営強靭化をサポートし、EC時代の流通にも切り込むマルチタレント経営者に話を聞いた。
Profile
東北大学大学院卒業後、1990年旧株式会社富士総合研究所入社。同社主事研究員を経て、7年後独立し、株式会社プラクシス設立。並行し、慶應義塾大学大学院教授、SFC研究所上席所員を経て、東京工業大学特任教授を務めるほか、公的委員は100以上歴任。近年は、一般社団法人レジリエンスジャパン推進協議会、株式会社ホンモノ・ジャパンを設立し、マルチに活躍中。

“世論形成戦略”でソーシャルコミュニケーションを実行する

— 金谷さんは経営者として会社経営をしながらも、大学教授、国や自治体の委員、講演、執筆など、大変マルチにご活躍ですね。現在も、委員だけで20以上も務められているとのことですが、まずはこれまでのキャリアについてお聞かせください。
大学院の博士課程を修了しましたが、学者になるつもりはなかったため、社会人としてはサラリーマンから始めています。富士総合研究所で7年間の会社員生活を送った後、自身の会社であるプラクシスを立ち上げました。 

サラリーマン時代は、コンサルタントとして広告代理店のプロジェクトを手掛け、環境問題や安全、社会的な課題への企業の対応をサポートしました。それに基づくソーシャルコミュニケーションや商品のプロモーションの活動です。 

当時は、ちょうど環境問題が表に出始めてきた時でしたが、そこで扱っていたのはエコビジネスです。環境と企業PRとの接点、それがソーシャルコミュニケーションです。これに一貫して取り組んできました。 

そこでやってきたことは、“世論形成戦略”がすべてといっても過言でないくらいです(笑)。「何が環境に良いのか、悪いのか」という世論形成によって、国や地方自治体が動いて政策が変化する中で、企業はそれにしっかりと対応しなければなりません。 

今まで事業活動として普通にやってきたことが、ある日、突然に悪いことだといわれることもあります。そういった経営環境の変化対応から一歩進めて、むしろ環境に良い企業活動に取り組み、企業ブランディングを築き上げていく。当時、よく語られたエコビジネスを展開して、マイナスをむしろプラスに転換していくお手伝いをしていました。
— たしかに、エコビジネスや環境マーケティングなどは一気に立ち上がってきた印象がありました。 
その時の代表例を、『メルセデス・ベンツに乗るということ』(TBSブリタニカ、共著)という本に書きましたが、これは10万部近いベストセラーになりました。この本をきっかけに、日本の自動車の安全基準が注目され、国の関係者がまず話を聞きに来て、法律や政策の改定につながったのです。オーバーではなく、世の中を変えたと思っています(笑)。
結果として、メルセデス・ベンツのブランディングになり、その日本での販売が促進されたうえに、自動車の安全基準に影響したんです。当時は交通事故死者が増え続けていたのですが、これをきっかけに減り始めて、多くの方の命を救えたと思っています。 

そこで、「これだ!」と感じました。普通なら「企業のPRだけやって、売れたらOK」で終わってしまうものですが、さらに、法律も変わって人の命も救えたことが、今まで体験したことのない充実感だったからです。 

このことが当時30代前半であった私にとって、独立のきっかけとなりました。企業のブランディングや商品サービスのプロモーションを支援しながら、社会も良くなっていくやりがいのあるビジネスを立ち上げていこうと思いました。この企業も、消費者も、社会も“三方よし”というソーシャルコミュニケーションをやり続けるために起業したのが、プラクシスという会社です。
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ー 三方よしの経営、現代版の近江商人ですね(笑)。現在のマーケティングでは、そちらのほうが主流といえるくらいですね。
当社は、今では戦略的PRの会社といわれますが、当時はそういう言葉はなく、我々は“戦略的世論形成”と呼んでいました。健康・環境・安全など、良いことに取り組もうとしている企業を応援し、そこが利益を上げられるようになれば社会も良くなると考えました。その仕組みを創るための会社です。 

学生時代にスポーツクラブでアルバイトをしていたのですが、クラブの会員を増やすことを手伝った際にプロモーション的なことを行って、とても面白いと思っていたんです。また、大学でお世話になった教授が福島県の喜多方市で取り組んでいた町おこしに、これもアルバイトとしてお手伝いした際に、「喜多方ラーメン」のブランド立ち上げを体験しました。そういった経験が、現在につながっています。 

今でも経営と並行して、大学の仕事もしています。慶應義塾大学大学院で10年間、その後、東京工業大学で3年になります。国の委員などは、多くは、大学教授として参加しています。ネットワークづくりや新しい仕組みの座組みとして、単なる民間の取組みを超えた価値の高い活動は、国や自治体との連携が不可欠です。「忙しい中で大変ですね」とよく言われますが、それぞれに興味があります。

まず話題を形成し、商品の供給やブランディングを行っていく

ー 会社を立ち上げてからは、どのような展開だったのですか。
最初は、元々お付き合いがあった広告代理店の下請け仕事が9割でしたが、今は逆に当社が発注する立場になっています。下請けの時は、まだ広告のついでのように考えられていて、私が考えていた経営戦略の一環として世論形成戦略を展開していく仕事とは、内容が程遠かったですね。しかし、ある大手企業の社長と知り合ったのがきっかけで、その会社の全体戦略を任されたことが大きな転機となりました。 

世論形成戦略とは、パソコンのブルーライトが目に悪いとか、シックハウス問題やカテキンの効果など、世論として話題を形成し、それに対する商品・サービスのブランディングやプロモーションを行っていくものです。 

先ほど挙げたケースで説明すると、自動車の安全基準について問題提起し、「ドイツで交通事故死者数が半減した基準に日本も見習おう」という世論形成の中で、実はメルセデス・ベンツの車づくりがそのカギを担っていた、というシナリオでメルセデス・ベンツのブランディングや販売促進につなげていきました。交通事故への問題意識を高めると同時に、「ベンツは安全だ」というブランドができたんです。 

ムーブメントを起こすと、自ずとその領域のトップランナーの企業の価値が高まります。そういう社会の問題を深くえぐって、その中で「これだ!」というキーワードを認知させていく、それが世論マーケティングです。業界トップでなくても、企業の強みを分析したうえで作戦を立てていきます。そのような仕掛けをしてきたのが、当社の第1期ですね。
— とても面白い戦略ですが、時代の流れに合っていますね。第2期はどのような展開でしたか。 
実はそういった展開で会社を伸ばしてきて、3年ほど経営を離れた時期があるんです。当時、年間8億円くらいの売上になっていたのですが、創設時の青森県立大学の学長がメルセデス・ベンツの本を読まれて、「先生として来てほしい」と声をかけてくれました。それまでずっと突っ走ってきたため、一度立ち止まって別の仕事をやろうと思ったんです。社長業を一時休止して、3年間ほど大学の先生をしました。 

県立大学ですから青森県の職員ということで、さまざまな委員なども任されました。攻めの農業戦略議長などです(笑)。それで農業や食にとても興味を持ち始めて、さらに大間のマグロとも出会い、青森のブランディングの経験から地域資源活用や地域活性化なども大変面白いことがわかり、それがきっかけで地域活性化の仕事をしていくようになったのです。
— 1度、ビジネスをブレイクするのですね。公務員生活の3年間は振り返っていかがでしたか。
人生で一番気持ちが豊かな時期でしたね(笑)。ビジネスをしない公務員でしたが、あれがあったからこそ、その後の多くの出会いに結びつきました。 

たとえば、青森県の核燃料の再処理施設にて、当時の平沼赳夫経済産業大臣と出会い、それがきっかけで古屋圭司経済産業副大臣と一緒に燃料電池やメタンハイドレートのお仕事をさせていただいたおかげで、その後の第2次安倍内閣で古屋さんが国土強靭化担当大臣になられ、一般社団法人レジリエンスジャパン推進協議会の設立へとつながったのです。 

そして、3年間の公務員生活が終わった直後に、「また自分の会社に戻ろう。原点に立ち返って、地域活性化を活動のもう一つの核に据えて、商品・企業のPRと地域活性化支援で再活動をしよう」と決めたのです。 

そこで手掛けたのは飲食業で、土地勘があった青森市、仙台市、札幌市などに展開しました。PR会社としてパブリシティを出すうえで、自分の店を持っていたほうがPRしやすいと考えて、地産地消の店を始めて、地域の食材をプロデュースしていきました。 

この飲食店を展開した頃を第2期とすれば、次は第3期プラクシスが始まります。現在の主要幹部が入ってきて、売上を伸ばしていく成長期です。PRだけでなくCMもFC戦略も、営業ツールもカタログもすべて当社で請け負い、事業として企業にトータルでの提案を始めました。下請けから元請けになり、広告代理店に発注する立場になったのです。

「国土強靭化」のブランドイメージ向上に取り組む

— そうすると、次は第4期ですね。
第4期は、一般社団法人レジリエンスジャパン推進協議会を立ち上げたり、新たな価値の創出に取り組んだりしてきました。振り返ると、第4期はちょうど安倍政権誕生と同じ歩みで、国土強靭化担当大臣の諮問機関「ナショナルレジリエンス懇談会」の広報戦略担当に任命されました。国土強靭化というと、「公共事業ばらまき」などと叩かれることもあったため、何とかブランドイメージを変えてほしいという依頼でした。
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この5年間で国土強靭化基本法という法律が制定され、それと併せて立ち上げたレジリエンスジャパン推進協議会では、災害に強い国づくりをテーマに国土強靭化推進本部(安倍政権)へ毎年提言を行い、実際に多くの施策が実現しました。また、内閣官房として初の認証制度、「レジリエンス認証」の立ち上げにもかかわりました。当協議会が正式に認証を行う機関として、内閣官房に指名をいただいたんです。 

それにより、国土強靭化=レジリエンスの重要性が多くの方に知られることになりました。レジリエンスの認証は政府の制度で、信頼性が高く、取得企業・団体には多くのメリットがあります。認定されることで強靭な経営基盤を持つ企業として、安心して取引してもらえる効果にもつながります。

越境EC時代に、正規の物流、流通を守ることがミッション

— 一企業を超えた展開で、官民連携の成功事例ですね。今は第5期というわけですか。
第5期の活動としては、2016年6月に株式会社ホンモノ・ジャパンを立ち上げました。プラクシスも大きくなってきたため、本社も移転しています。経緯としては、レジリエンスを進めていく中で、企業経営を脅かす一つの大きな要因として、越境ECに関連するさまざまな問題が起こってきたことがきっかけです。 

現在、ECサイトで物を買うことが当たり前の世の中になっており、アリババ社が1日で1兆9、000億円の取引をしてしまう時代です。その越境ECには光と影の部分があり、企業に大きなリスクが出てきました。 

基本的に、ECサイトは横流しが多く、どの国にどれだけ、どのような売り方をされているのか、そのトレーサビリティがまったくわかりません。たとえば、賞味期限切れのものが売られているかもしれないし、温度管理が必要なものがされないで売られているかもしれない。企業にとって、法令違反のリスクを冒している可能性すらある。 

さらに、もう一つ大きな問題は、模倣品が大量に出回っていることです。正規の物流、流通を守り続けていくことが、このホンモノ・ジャパンのミッションなのです。 

本物かどうか、品質がどうか、使い方をどうするかということを、スマートフォンなどで誰でも簡単にわかるようにしていきます。
— たしかに、新しい仕組みが必要ですね。具体的にはどのような活動になるのですか。
新しいオンライン認証を導入して識別する、もしくは本物識別付きの商品を買える場を作れば、間違いのない購入ができます。たとえば、ある有名ブランドの紙おむつなども偽物が出回っているため、これから試行認証を始める予定です。 

単にホンモノ確認だけでなく、クーポンを発行したり、商品のこだわりを伝えたりすることもできます。メーカー側は顧客の囲い込みができるため、顧客情報をビッグデータとして活用できます。認証の仕組みを活用し、本物の商品のサービスを流通させプロモートしていく、ワンストップサービスの提供です。 

さらに、商品の品質などに強くこだわっているケースでは、通常認証のうえにプレミアム認証を設定する。私たちは、こうしたコンサルティングや海外展開プロモーションサービスを提供していきます。 

たとえば、何かにおいてNo.1の要素がある商品には、チャンピオン認証を与える。スマートフォンに当てると、商品のこだわりや、チャンピオンの理由が出てくる仕組みを作ります。

世界にプロモートしていきたい商品に認証を与えて、その格づけ認証をもとにユーザーに商品の良さをしっかりと伝えていく。偽物かどうかもわからないし、品質も良いか悪いか、省エネに良いかどうかもわからないものを、ユーザーがつかまされないようにします。 

この話をメーカーにすると、「まさに、こういうものを求めていたんだ」という声があります。今は試行認証をしている期間で、20品目で実験認証した後に、一気に本物認証をスタートさせます。

健康や環境に優しい企業が利益を上げられる社会を作りたい

— 最後に、金谷さんにとって挑戦とは。
私にとって挑戦とは、息をしているようなものです。挑戦し続けているのは、そういう体質だから仕方がないです。挑戦しないと生きていけないから(笑)。 

私はさまざまなことをやっているように見えるかもしれませんが、すべてがプラクシスを中心にしてつながってきたと思います。プラクシス、レジリエンス、ホンモノ・ジャパン、そういったものが組み合わさって一つの価値が完成するイメージです。 

高品質で、安全・安心で健康や環境に優しい、そのような商品・サービスがより売れるような仕組みを構築し、それを行った企業が利益を上げていく。そのような社会を作っていくチャレンジを、今後も続けていきます。
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目からウロコ
「ポートフォリオ・ワーカー」という言葉がある。同時並行的にいくつもの仕事・職業を行う人のことだが、金谷さんは産学官にまたがり、実に多くの役割を果たしている。しかも、その数がとても多い。 

ビジネスパーソンとしては、自ら起業した会社を上場が狙えるポジションまで持っていき、さらに新たなビジネスを仕掛ける会社を立ち上げた。アカデミーの世界では日本を代表する大学で教鞭を執り、公人としては100を超える委員会に名を連ねてきている。飛び抜けたポートフォリオ・ワーカーだ。経営者や教授として名を遂げてから多くの公職に就く人はいるが、すべてを並行して行ってきたところが独自路線だ。その活動が三方よしの経営として、一体感をもって価値の創出につながっているところに注目したい。 

世論マーケティングという手法で、企業のソーシャルコミュニケーションを進化させ、企業・消費者・社会が全体的に良い状態になることを仕掛け続けている。その活動は影響力を高め続け、国のレジリエンス認証制度という、企業が強靭な経営力で災害や環境変化に耐え、事業継続や社員安全を実現できる仕組みづくりにも大いに貢献してきた。ドラッカーは企業の目的は存続であると指摘したが、そのために重要なのはレジリエンス=強靭な経営である。それを明確化して認証制度にしたことで、多くの企業が強靭な経営力を身につけることができるようになるだろう。 

さらにホンモノ認証に取り掛かるが、金谷さんのエネルギーは増大化し続けているようだ。
(原 正紀)

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