2017‐02経営者165_エヴィクサー_瀧川様

音響の技術で新たな感動を創造

「みえる、つながる、たのしむ」

世界を実現する経営者

エヴィクサー株式会社 代表取締役社長

瀧川 淳さん

大学卒業時、知り合った若き韓国人起業家に刺激を受け、その日本法人設立に参画。その後、会社を買い取り、社名をエヴィクサーに変更した。当初は、PCのリモート操作やシステム開発などを幅広く行っていたが、技術者の参加を経て、音響技術を活用したビジネスを開始。マスメディア視聴者マーケティング、コンテンツ活用のシステム、センサーなどをベースとするシードオリエンテッドのビジネスに取り組む経営者に話を聞いた。

Profile
一橋大学在学中、東京電力の社内ベンチャー企業で長期インターンシップ・契約社員を経験。卒業後、韓国ベンチャーの日本法人立ち上げに参画。その後、MBOで独立し、エヴィクサー株式会社の代表取締役社長に就任。音響技術をベースとするシードで、新たな市場づくりに挑戦中。

ベンチャースピリットが運命的な出会いを呼び寄せる

— 瀧川社長は、学生時代に東京電力の社内ベンチャーに参加されたそうですね。
当時は、インターンシップ制度が日本に出始めた頃でした。僕は一橋大学で一般的な大学生活を楽しんでいましたが、そのうちに、海外留学か長期インターンシップを利用して、少し時間をかけてでも大学の外での経験を積みたいと思うようになりました。そこで、仲介者であるNPOの世話になり、長期インターンシップとして東京電力の社内ベンチャー企業に参加しました。 

3年生の夏休みに毎日行くようになり、大学が始まってからも週4日は行っていました。単位取得は大変でしたが、大学4年生になると家庭の事情もあり、学費などを自分で稼がなければならない状況になりました。そこで、インターン先の社長に頼み込んで、契約社員にしてもらいました。大学に行きながらの1日1万円の給料でしたが、月に16日出勤して、仕送りを受けずに学費も自分で払っていました。

— 社内ベンチャーはどのような事業内容だったのですか。 
今はなくなった事業ですが、オール電化住宅を推進するようなミッションでした。魔法瓶のような高保温で高気密な家を造って、その中を同じ気温に保つという考え方です。エネルギー効率が良く、空気を汚さない住宅です。そのような住宅づくりのコンサルティングをする会社で、さまざまな会社から出向を受け入れていました。周りには金融やゼネコンの人などがいて、僕だけが学生でした。 

当初は、「僕は実社会の中でも充分やれる」と自信満々だったのですが、鼻っ柱を折られて完膚なきまでに叩きのめされました(笑)。毎日必死に外回りについて行き、よく勉強した時期でしたね。ベンチャー起業としてお金を集めるような仕事だったのですが、新規事業を起こす実体験をやらせていただいて大変勉強になりました。 

そこは社長直轄の部署だったのですが、社長の手書き資料をパワーポイントで作成したり、作成したらいきなり説明をさせられたりするなど、さまざまなチャンスをいただきました。それらをやればやるほど面白くなってきて、そのまま就職しようと思うようになり、卒業論文もその会社のことを書きました。

ー 学生時代のインターンシップからの就職ですか。当時は珍しいパターンですね。
そのつもりでしたが、卒業式の日に仲が良かった友人から、知人を紹介すると言われました。当時は、長期インターンシップをしている学生は珍しく、周りからはベンチャースピリットがあると見られていたため、紹介されたのだと思います。 

紹介された方は僕より1つ年下の韓国人で、大学を休学して、インキュベーションのプログラムに乗って会社を設立しており、「日本に進出したいから、手伝わないか」という誘いでした。 

あと数日すれば、東京電力社内ベンチャーに就職するタイミングだったのですが、運命的な出会いだと感じました。結局、東京電力社内ベンチャーに就職後、その方の誘いもあり、ゴールデンウィークに韓国に遊びに行きました。彼らのオフィスがあった国立KAIST大学は、韓国では「アジアのスタンフォード」と言われているそうです。そこのオフィスにいる皆が、僕より年下なのに英語がペラペラで、これが第二弾の鼻っ柱を折られた経験になりました(笑)。


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僕も実務経験があったにもかかわらず、その若者たちのパワーに驚きました。ディスカッションなどは英語で行っているし、コンプレックスを感じて、このままでは勝てないと痛感しました。すぐにでもこの会社に参加しなければいけないと思い、6月末で東京電力社内ベンチャーを辞めて韓国に行きました。 

韓国で一番驚いたのが、ビジネスプランをどのように書いて、どのくらいの株価を設定して、どうやってお金を集めて事業を行えばよいのかといったことを、彼らが誰にも教わらずに実行していたことです。僕は日本法人の社長という立場でしたが、最初はオフィスもなく、喫茶店に朝7時から行って仕事をしていました(笑)。

ひとりぼっちの日本法人立ち上げからMBOまで

ー 卒業後、すぐに韓国企業の日本法人立ち上げとは、出会いをチャンスに変えていらっしゃいますが、激動の社会人スタートですね。 
ひとりぼっちのスタートで、当時は「ノマド」などの言葉もなく寂しかったですね(笑)。韓国に何回も行ってベンチャーキャピタルから出資してもらい、日本法人を立ち上げたのが2004年の3月でした。 

実は、韓国側もそれほど潤沢にお金を集めたわけではなかったため、「1,000万円出資するから、ソフトウェアのライセンスとして毎月100万円ずつ返してください」と言われました。そうしたら10ヵ月でなくなってしまうと思い、必死に営業してパソコンの遠隔操作をするソフトを開発して販売しました。自宅のパソコンがインターネットと常時接続する時代がくるから、それを外から操作できたら便利だろうという発想でした。 

僕は、シードがあってニーズを掘り起こしていくアプローチが好きでしたね。しかし、2005年の1月に韓国の業績が立ち上がらなくて、早くも解散することになってしまいます。韓国には兵役があるため、主要メンバーも兵役に行ってしまいました。日本のビジネスは立ち上がっているし、僕には戻るところもないため、「じゃあ、僕が買い取る」と決めたのです(笑)。 

技術も含めて、韓国の親会社が行っていた事業を買い取りましたが、自己資金がなかったため、2005年1月にMBO(マネジメント・バイ・アウト)をして、早くも3月に第三者割り当て増資を行いました。5人から1,000万円を集めてのスタートでしたが、ビジネスモデルなどよりも人物を見ている感じでした。幸いにも出資してもらえたため、そこからは何でもやりました。

— スタート時の事業は、現在やっている音響関連ではなかったのですね。
音の事業を始めたのは2008年からです。当初はリモート事業でしたが、それをやっていた期間は5年くらいです。Windowsのパソコンの利用という範囲に限られてしまうため、OSのバージョンが上がるたびに仕様変更に振り回されました。 

もっと普遍的なことに取り組みたいと思っていた時に、中高時代の親友が大学院のドクターを取って就職活動をしているという話を聞きました。今は当社の取締役である彼は音響の博士でしたが、会って話を聞くうちに音声の可能性を感じたんです。韓国からリモートの技術を買うときにも彼に相談していたため、当社に来てくれることになりました。 
当時のGoogleは、まだ映像やコンテンツなどは検索できなかったのですが、YouTubeや地デジが出てきたことでコンテンツがWeb上に氾濫すると予想され、それが検索できるようになったらさまざまなビジネスが考えられるといった話をしたんです。 

その時のアイデアで、海賊版のような違法なものをパトロールして、健全な流通を築こうといった案がありました。そして、また韓国と資本業務提携をしてやり始めたのが、2009年あたりです。

テクノロジーのブランディングはコンテンツと組む

— 技術型ベンチャーではよく「デスバレー」といった技術開発への投資と資金調達のバランスの難しさがいわれます。事業としてのキャッシュインはどうだったのですか。 
私たちの視線が顧客目線だったためか、わりとうまくいっていました。とはいえ、営業はそう簡単ではなく、こちらが思っているとおりのものは技術者を説得しないと作ってもらえないため、苦労の連続でした。技術者を説得する材料はお金と市場の声だと思っていたため、顧客の声をできるかぎり聞いているうちに、映画などのコンテンツと組むと、その注目度を利用したテクノロジーのブランディングがしやすいことに気づきました。 

値引きの条件として当社のブランディング用に名前を出してもらったり、また流行りのキーワードと混ぜてプレスリリースを出したりなどをしていると、僕らの技術もイケてる感じがしてきますよね(笑)。ここ2年くらいで、皆さんに「この映画って、エヴィクサーが技術提供しているんだ」といったことを意識してくれるようになってきています。 

その際に、さまざまな方にアドバイスをいただいたのですが、大きな出会いは2011年にバンダイの創業家である山科誠(元社長)さんから、個人的に出資をいただいたことですね。その時までは、自分たちの技術は出ていけさえすればよいと思っていたので、知らず知らずのうちに下請け気質で、相手にすり寄った提案になっていたのです。

そのようなやり方を山科さんに怒られて、「自分たちと一緒にやろうという提案をしないと、いつまでたっても下請けになるぞ。もっと自分たちのWillを大事にしろ」とアドバイスされました。いつまでも黒子作戦ではなく、自分たちが正面に出る提案をしない限りは次に行けないと気づき、何が必要かと必死に考えました。 

「技術をお金に換える」とはよく言いますが、何かの代替手段として評価されるパターンと、技術自体が持っている可能性で支持を集めるパターンの2つがあると思いますが、まずは前者でよいと思うんです。しかし、後者にもいずれはチャレンジしないといけません。それから、さらにブランディングを意識するようになりました。「自分たちの技術の可能性や特長を、どのように表現してお客さんに見せるか」という思想になりました。


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顕在化していなかったニーズへ挑む3つの軸

— 目からウロコのアドバイスだったのですね。その進化として現在は、ビジネスモデルを明確化されているのでしょうか。
ビジネスをやればやるほど汎用性が見えてきたため、そこに対して3つの軸を作って取り組んでいます。 

第1に、テレビなどのマスメディアについて、視聴率や見ている人の属性や行動を、当社の技術を通じて分析しています。「何%の人が見ていたのか」も大事ですが、これからのマーケティングでは、もっと個人の属性や行動データを活用していく必要があります。第2に、スタジアム・劇場・映画館などのコンテンツを目や耳の不自由な人にも楽しんでもらえるように、メガネ型のデバイスやスマートフォンなどに字幕や音声ガイドを出します。これは、健常者向けのサービスにも活用できます。先日は野球のスタジアムにおいて、音声技術を使ってスマートフォンに情報を提供するサービスを実施しました。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、10万人の観客が入っている多言語のスタジアムでも何かのアクションができるようになるでしょう。 

第3は、センサーです。音が持っている情報は多様です。IoT(インターネット・オブ・シングス)として電気メーカーなどと連携して、センサーをロボットや家電に組み込んでいますが、最近の家電はマイクが必然的に付いているものが多くなっています。マイクが付いているのであれば、我々の技術を乗せることで、リモコンのような使い方ができます。

— アライアンスも積極的ですが、大手だと調整が難しくありませんか。

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要素技術の事業化がテーマですので、複合的なニーズにどう対応するかですね。これまでの話は、いわば部品のことであり、どうやって完成品としてお客さんに届けるかが大事です。僕らだけで提供できるものは限定的なので、それをお客さんに届けるためにアライアンスパートナー戦略が重要だと考えています。 

よく「技術の会社」と言いますが、当社は「技術者の会社」と言いたいですね。産み出しているのは人だからです。こういう要素技術はチームで取り組むものですが、僕らの小さい会社でも大手が取り組んでいる要素技術の人数と変わらないのではないかと思っています。テクノロジーにはライフサイクルがあるため、活用の最適な手段が大手とのアライアンスであり、技術の普及とスピードアップのために積極的に取り組みます。

— 今後の戦略について教えてください。
今まで顕在化していなかったニーズへのチャレンジなので、パッケージ化や集約化を行っていくことです。我々じゃなくても売れる形にしていくフェーズに入ったと思います。先ほどの3つの軸も、実はここ最近の取組みです。各分野の成長のシナリオは書けていますので、リソースを投下していきたい。「やらないリスクよりも、やるリスクを取る」などと言われますが、いざやり始めると戦略実行の難しさを感じています。 

ニーズが潜在化の状況ではコンペティターも少ないため、自分たちの積み上げのコストを検討してブラッシュアップしていけば良かったのです。しかし、競争にさらされるようになると、自分たちの実力の範囲を超える対応も必要になります。そのような状況での最適化、効果的な投資を行っていきたいです。

音は人の感動に結びつく

— 最後に、瀧川社長の挑戦とは。
最終的なお客さんの価値の探求を怠らないことだと思っています。お客さんにどういう体験をしてほしいのか、どう評価されたいのかが大事ですね。顧客のニーズはなかなか見えないため、怖いと思います。社内で話していても、「そんなニーズはないんじゃないか」という意見もよく出ますが、信じるしかありません。チャレンジを続けていきます。 

ニーズが顕在化するまでは信じるしかなくて、案を考えてはつぶして、つぶしては考えての繰り返しです。どうしても自分の恣意や欲が入ってしまうため、強い意識を持って顧客の価値に集中しなければなりません。僕は日本人なので日本にこだわりますが、100年たっても残るメーカーを作りたいですね。音は空気があればなくならないものなので(笑)。 

音の良いところは人の感動に結びつくことです。青春時代などを思い出すと、音楽が浮かんできませんか。コンテンツなどの連動もそうですが、音はユーザー体験に結びつきやすいんです。僕の名刺に「みえる・つながる・たのしむ」という言葉を入れたのは、そういうことなんです。僕らの技術で多くの人が楽しめる、そういう存在のメーカーでありたいです。


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目からウロコ
人材ビジネスを行っている私としては、まずは経営者である瀧川社長のキャリアがとても興味深かった。一橋大学を出ながらもベンチャーへの就職、さらには起業と、あまり例を見ない展開であり、これこそがベンチャースピリットだと思う。 

印象的だったのは、鼻っ柱を折られる体験が、そのリスクテイクにつながっているところである。最近増えているインターンシップにも、大いに意義があるようだ。日本では多くの学生がインパクトがある経験のないままに、大手企業や公務員を目指していく。もちろんそれも悪くはないが、アメリカのようにベンチャーや起業を目指す学生が、もっと増えることが望まれる。経済や産業の活力となるからだ。 

韓国の元気な学生たちと出会い、最初はその勢いやグローバル展開の意欲に引け目を感じつつも、それをバネにして新たなビジネス創造でむしろ一歩先を行くようになった。早い時期からの経験が、若き経営者としての力量につながっている。 

シードありきのビジネススタイルが好きだというコメントがあったが、それにより潜在的なニーズを引き出しビジネスにしていくのは、ニーズオリエンテッドのビジネスよりも難度が高いものだ。それだけに成就した時に得るものは大きい。音声処理の技術をベースとしたビジネス構想、特にコンテンツに付加価値を生み出すモデルは、バリアフリーやコンテンツリッチという意義のある価値の創出が期待される。今後の展開に注目したい。
(原 正紀)

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