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画期的な新素材“オルガヘキサ”で、
世界を視野に健康・医療ビジネスを展開

セラスメディコ株式会社 代表取締役社長

相田 英文さん

世界中の人のクオリティ・オブ・ライフを向上させることを企業理念に、画期的な新素材「オルガヘキサ」を開発する。日常生活に取り入れて、健康を促進することが可能なこの素材の応用範囲はとても広い。各業界の大手企業とタイアップしながら、OEMでの提供により得た収益を含め、将来の医療関係市場への展開を目指し、研究開発に投資する。学生時代からビジネスにかかわり始め、仲間と共に起業したユニバーサルデータを、22カ国にまたがるグローバル会社へと成長させた。しかしその経営に安住せずに、セラスメディコの経営にシフトする。新たな分野への挑戦を続ける経営者に話を聞いた。
Profile
慶応義塾大学在学中にレストランやコンサルティングなどのビジネスを行い、卒業後に仲間とともにユニバーサルデータを起業。グローバルな展開に成功した後にコンサルティングで関わった独自技術をもとに、バイオベンチャーであるイーテクスを起業し、2006年にセラスメディコに社名変更する。

— 貴社では今後の医療分野にインパクトを与える、新たな技術の開発に成功されたそうですね。どのような事業を行っているのでしょうか。
当社の事業を一言でいうと、医療素材の研究開発です。炭の効能を科学して、21世紀の医療分野に新たな付加価値をもたらすメディカル炭素「オルガヘキサ」を開発しました。それを核に世界で活躍できる企業を目指しています。

自然が持つ人間に対する治癒力・予防力を、最新のテクノロジーで活性化して、健康増進や予防・治療に応用していくのです。医療機器の開発では現在は臨床研究の最中で、日夜研究開発活動に邁進していますが、市場に出るまではあと数年はかかるでしょう。

一般的なバイオベンチャーでは、商品が市場に出る前に長年に及ぶ研究開発を余儀なくされ、なかなか収入を得ることができません。だから投資家などからの出資を必要とするのですが、当社はバイオベンチャーでありながら、一般市場への販売からも研究開発費を捻出することを目指しています。

そのためにこの優れた素材を家具や寝具、衣料などの一般材に取り入れて、健康増進を図ることができる商品開発を、各業界の大手企業と組んで行っています。すでに2007年4月から、大手家具メーカー数社と提携して販売を開始しました。

この提携ではオルガヘキサを高級ベッドパッドや家具に取り入れていますが、おかげさまで順調に販売実績を上げており、手ごたえは十分です。またこの秋からは、大手寝具メーカーとの提携により寝具の中にも取り入れており、今後も順次OEMの方式で商品開発を行っていきます。
— 確かにOEMでの展開により、既存企業のマーケットを活用することで、事業展開のスピードは増すでしょうが、独自に商品化をした方が収益性は高いですよね。独自ブランド展開のお考えはありませんか。
この素材はとても応用範囲が広いので、市場を持っている企業と組むことで、効率的な展開ができると思います。だから当面は素材の提供に特化して展開します。本音をいうとそういう対応で手一杯というところです(笑)。

別の理由もあります。医療機器の商品開発を目指す当社としては、一般材を自社製品として市場に出すことは、消費者に混乱をもたらし、薬事法に抵触する恐れがあります。それを避ける意味でもここは素材提供が得策と考えました。

当社はあくまでも開発主体の企業ですが、一般の商品に対して素材や中間材として提供していくことにより、一定の収入を得ることが可能になります。それを開発に投資して、医療機器や医薬品を開発することにより、将来のグローバル展開を目指します。
— 炭の効能については多くの人が認めるところですが、それを科学的に商品化するというビジネスは、大きな市場が見込めそうですね。オルガヘキサについてもう少し教えてください。
オルガヘキサとはセルロースを特殊加工後、高熱で炭化させることにより創出された、植物性炭素繊維のことです。これまでよく使われてきた綿や化学繊維に炭を練り交ぜたものでなく、植物性炭素そのものが繊維である素材であり、炭素繊維1グラムあたりの表面積は備長炭の4~7倍もあるのです。

オルガヘキサという名称は有機を意味するOrganicと炭素原子が六角形の構造からHexagonを組み合わせた造語です(Orgahexa)。将来の世界展開に合わせて、主要国では商標登録の申請をしました。
その特徴は3つあります。保温・吸着・抗菌です。1つ目は遠赤外線の放射や吸湿発熱により、高い保温性を持つこと。2つ目は活性炭と同様に悪臭や有害ガスなどを吸着する消臭性です。3つ目は細菌やカビに対する抗菌・抗カビ作用を有することです。

いくつかの実験で健康に対する好影響がみられました。まずは血行を促進することです。赤血球の流動性の向上、血小板凝集能の低下、白血球の粘着能の軽減などが認められています。血流がよくなることは多くの病気に対して有効なのです。不眠や冷えに対しての効果も認められました。
ー それは個人的にも大いに興味がある素材ですね。開発の促進を期待しています。相田社長は学生時代からビジネスを経験されたそうですね。
最初のきっかけは居酒屋で隣に座っていたおじさんとケンカをしたことなんです(笑)。ケンカの後に仲良くなって話していると、その人は軽井沢にレストランを持っており、毎年赤字で困っていることがわかりました。私たちはテニスサークルを設立したばかりで、その運営資金が欲しかった。

そんな両者のニーズが一致して、ゴールデンウィークから秋にかけての運営を行い、儲かった分はもらえるという条件で引き受けることにしました。そのかわり損したら私たちの負担です。早速現場を見に行きましたが、その店はベルコモンズの中にテナントとして入っていました。

かっこいいお店なのですが、店内が見えないので入りにくく、中に入ると暗い印象でした。軽井沢は観光客が多いので、一見さんが入り易い店にすべきということで、改装を行なうことにしました。それからメニューを考えて運営したところ、かなり儲かるようになったのです。ベルコモンズから表彰されたほどでした。

儲かったのはよかったのですが、忙しくてテニスをやる時間がなくなってしまいました(笑)。そんな時に利益も出たので「ウィンブルドンに行こう」ということになりました。しかし途中で道に迷ってしまい、イギリスの片田舎の倉庫にたどり着いたのですが、そこではカシミアのマフラーを扱っていたのです。

興味を持って聞いてみると、タグを外していいのならば、1枚3000円程度ということです。当時は東京でカシミアのマフラーは3万円くらいしたので、これは儲かるぞと思いディポジットを置き、旅を中断して帰ってきました。
ー 学生時代に初めてのビジネスでいきなり成功して、その後すぐに次のビジネスに着手するとは、よほどのアントレプレナーシップですね。
帰国するとすぐに“やさしい輸入実務”という本を買って勉強しました(笑)。そうしたら大量にマフラーが送られてきたので、早速売り方を考えなければなりません。タグがないのでユーザーに信頼してもらうために、製造工場の写真を入手して「ここで作られているカシミア100%のマフラーです」という紹介で売り出しました。

そうしたらかなり売れるようになり、セーターも扱いだしたのですが、ビジネスの規模が拡大すると、在庫を増やさなければなりません。ある雑誌で在庫の危険性の記事を見て、これは学生がやることではないと思いやめることにしたのです。

ビジネスの面白さを知ってしまい、すぐに次のことを考え始めましたが、物を作ったり、在庫を抱えたりするビジネスは、かなりの投資を必要とするので難しい。そこで当時新たな言葉として出始めていた“ソフトウエア”を研究して、何か新たなソフトビジネスを展開しようと思いました。

その結果思いついたのが、学生のサークルをネットワークして、企業のマーケティングリサーチをする「ヤング・マーケット・システム」というしくみです。興味を示してくれた教授の支援も受けて、ちょっとした分析もできるようになりました。学生の本音データを集めることができて、しかも大学教授が分析するという売りで、結構引き合いが来るようになってきました。
— ビジネスのレベルがステップアップしていく過程がよくわかります。そのビジネスモデルは本格的な起業に近いもので、学生マーケットを狙う企業にとっては、使えるサービスでしょうね。
若者向けの商品マーケティングから始めましたが、評判がいいので拡大することを考えました。その結果、学生の家族向けにマーケティングリサーチを行なうことにして、幅広い年齢層を対象とするサービスになりました。しかも家族経由の依頼なので、本音のデータが集まるのです。

ビジネスとしてはまあまあうまくいったのですが、軽井沢の店とソフトビジネスで大学4年間が終わってしまいました(笑)。当時は就職活動の解禁日が10月1日でしたので、4年生の9月末まで仕事をして、さて就職活動と思い大学に行ったところ、友人達は皆内定を持っていました。

「しまった!」と思いましたが、弱みを見せたくないので「寄らば大樹の陰みたいに、大手企業に就職するのは気概に欠ける。自分で事業をすることこそやりがいある道だ」みたいなことをいっていたら、先生などからも頑張れといわれ、引っ込みがつかなくなってしまいました(笑)。

そのまま仲間と3人で起業することにしました。学生が社長というのでは、世間の通りも悪いと思い、知人の紹介で知り合った方に、社長をお願いしました。その会社がユニバーサルデータです。私は専務として参加することにしました。
— 重要な局面でも軽快に決断していますね(笑)。その後の展開は学生時代のベースがあるので、とんとん拍子にいったのでしょうか。
それが卒業したら“学生ビジネス”という売りがなくなってしまい、誰からも相手にされなくなってしまうんです。そんな時にテンポラリーセンター(現在のパソナ)にビジネスの企画を持ち込み、事業部長として任せてもらうことになり、その給料で皆が食べていけました。

その企画とは当時普及し始めたワープロ教室のビジネスです。後発メーカーであるキヤノンからワープロを無料で提供してもらい、学生向けに安価のワープロ教室を実施するのです。学生は安くワープロをマスターできて、キヤノンは学生という将来の顧客に対して製品アピールができるというモデルでした。
他にもコンサルティングやマーケティングの企画を売り込みにいくのですが、企業はなかなか相手にしてくれません。なぜ相手にされないのかを理解するために、顧客の立場になり、コンサルティング会社を選ぶ視点で考えたりしました。
— 起業して最初は資金・人材も不足しますが、それにも増して取引先の確保は大きなテーマです。学生時代の経験があるとはいえ、結局はゼロからのスタートのようなものでしたか。
とにかく試行錯誤の連続でした。知り合いでもなく実績もない、何者でもない輩が来て、さらにペコペコと頭を下げ、商売を欲しがるのでは発注なんてくれるわけがない。だから威張ってみようということになったんです(笑)。「社長に会いに来た」などと威張って堂々と入っていくと、通されることがありましたね。

でも通される確率は低いし、会うことはできても、なかなか提案できることはありません。だから今度は会社を出てくる、年配の偉そうな人についていって、提案をさせて欲しいとお願いする作戦に出ました。電車の中までついていったりすると、たまに話を聞いてくれたり、担当者を紹介してくれることもありました。警察に行こうとする人もいましたが(笑)。
今思えばとんでもない方法ですが、全員が営業として必死に仕事を求めました。努力していると、そのうちに応援してくれる人も現れます。サントリーの重役が興味を持ってくれ、そのおかげで道が開けてきます。その人のアドバイスで海外展開を目指すようになりました。

JETROに行って日本に進出したい企業に対して、マーケティングなどのサポートの提案をしました。徐々に仕事が入ってきたので、今度は海外に進出する日本企業のマーケティングをサポートするようになります。だんだん現地の人とつながりができるようになり、現在のユニバーサルデータは22カ国に拠点があり、グローバル体制でビジネスを行なっています。
— 22カ国にまたがるマーケティング会社というのはすごいですね。その後どのような経緯でセラスメディコの経営に携わるのですか。
まだユニバーサルデータの株の過半数を保有していますが、今はセラスメディコの経営に専念しています。そのきっかけはある技術開発会社のコンサルティングを受けたことで、資金調達のお手伝いもしていました。自ら資金を入れていたりしたのですが、最終的にはその技術を買い取って、医療分野での活用を目指すことにしました。

そこで設立した会社が、セラスメディコの前身であるイーテクスです。いろいろな人が資本を投じてくれたのですが、最終的に私が社長を引き受けることになりました。でもイーテクスという社名では事業がわかりにくいので、セラスメディコに社名変更しました。
— セラスメディコという社名には、どのような思いが込められているのですか。
therath(セラス)とはtherapeutics(治療法)とearth(地球)をあわせた造語です。medicoは医療を表します。医療品と一般材をベースに、世界中の人の日常生活の質、つまりクオリティ・オブ・ライフの向上に貢献することを目指しています。

衣料のウールマークやパソコンのインテルのように、オルガヘキサのマークも世界中で健康増進のシンボルになるようにしたい。そのために各国でマークの商標登録を申請しています。家具や衣料などの一般材に、健康のイメージを付加していきます。

医薬品の市場は拡大していますが、どの国でも医療費抑制の問題があります。そのためには予防が重要で、スポーツの増進やサプリメント、健康食品なども拡大しています。しかし日常の生活の中で健康になれれば、もっと手軽に医療費を低減できます。すごい市場性がありますよ。
— 学生時代から長いこと経営のご経験をされていますが、どのような経営を目指していますか。
強みかどうかはわかりませんが、これだからいいとか、ここまでやったらあきらめるといった、ゴールの概念はあまりないですね。経営者の役割は、自分は100%事業に関与しながら、やがて自分がいなくても、会社が社会貢献の循環に入っていけるようにすることだと思います。

そのために世の中の多くの人とネットワークを持ち、それを自分個人ではなく、会社のネットワークにしていかなければなりません。最初のつながりは経営者が作っても、それを組織の信頼関係に結びつけるのが経営者の役割です。そして社会貢献と、会社としての経済循環の流れを確立するのが、私の目指す経営です。
— 最後に相田社長にとって挑戦とは。
挑戦とは冒険のことだと思います。やったことがないからやる、先が見えないからやる、そういうものではないでしょうか。一定の形ができたユニバーサルデータの社長をやるより、新たな分野で事業展開したいという気持ちが強かった。このセラスメディコの経営が私の挑戦です。
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目からウロコ
グローバルな医療関連マーケットでは、いくつもの新興企業が活躍しており、特に医薬品業界では世界の2位・3位が米国発のベンチャービジネスと顕著である。残念ながら日本にはまだそういう企業はない。そもそも自動車・エレクトロニクスなどの一部の業界を除いては、世界市場の中核会社は少ない。そんな状況下で相田社長は、オルガヘキサでの世界展開を目指している。もちろん道のりは近くはないが、その志がある限りは充分実現性がある。そのような世界的な志を持ちえたのは、相田社長が仲間と起業したユニバーサルデータが、グローバルな展開を成し遂げたからであろう。今回のインタビューではセラスメディコ中心に話を聞いたが、22カ国にまたがるマーケティング会社の展開はとても面白い。機会が有ったらぜひユニバーサルデータの話も詳しく聞いてみたいものだ。

日本において医療費は30兆円規模であり、外食産業全体に匹敵する大きさになっている。国の財政再建にとってそのスリム化は必要条件であり、それは世界各国でも同じことだ。しかし人の命や生活の根幹に関わることだけに、そう簡単に削減はできない。だからCUREからCARE、つまり治療から予防へのシフトが求められる。それだけにオルガヘキサの応用性の高さには期待でき、相田社長のビジョンは決して夢物語ではないのである。社会のためにその実現を祈りたい。
(原 正紀)

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