2016‐10経営者161_リクルートホールディングス_柏村様

「Workstyle Maker(ワークスタイルメーカー)」として
未来の働き方を創り出す女性リーダー

株式会社リクルートスタッフィング 代表取締役社長
株式会社リクルートホールディングス 執行役員

柏村 美生さん

大学の社会福祉学科在籍中に、障がい者支援のボランティアを経験し、誰もが活躍できる社会の必要性を痛感する。ビジネスで社会課題を解決するリクルートの事業に惹かれて入社し、新規事業の立ち上げなどを経験。社内の新規事業提案制度を利用して、中国におけるブライダル情報事業を起案し、中国での会社設立からその幕引きまでを経験する中で、会社経営のやりがいと難しさを実感する。のべ6年間の海外滞在を経て、日本で事業責任者となり、2015年4月に(株)リクルートホールディングスの執行役員、2016年4月に(株)リクルートスタッフィングの代表取締役社長となる。今回はそんな「Workstyle Maker(ワークスタイルメーカー)」として多様な働き方の創造に挑戦する女性リーダーに話を聞いた。
Profile
明治学院大学卒業後、(株リクルートに入社。新規事業の立ち上げなどにかかわった後、社内の新規事業提案制度により、中国でのブライダル情報会社設立に携わる。6年間の海外滞在を経て、ホットペッパービューティーの事業責任者となる。2015年より(株)リクルートホールディングスの執行役員、2016年より(株)リクルートスタッフィングの代表取締役社長に就任。

ビジネスを学んで、社会の仕組みを創る側に行こう

— 人材分野は初めてだそうですね。まずは、柏村社長のキャリアについてお聞かせください。
大学では社会福祉学科で学んでおり、民間企業で働く気はなく、ソーシャルワーカーになろうと考えていました。精神障がいの方や、筋ジストロフィーなど介護が必要な方の支援のボランティアをしており、そのまま一対一で人に向き合って、人を笑顔にするような仕事を選ぼうと思っていたんです。
 
大学3年生のとき、「どろんこ作業所」という障がい者の共同作業所の旅行企画で、筋ジストロフィーの方と仙台に行く機会がありました。いまは軽量になりましたが、当時の車いすは10㎏以上あり、本当に大変な旅でした。
 
障がい者は、ほとんどの場所は身体障害者手帳を出すと無料で見学できます。でも、拝観料が300円ほど必要なお寺に行った際、節約のために拝観料を払わず、お寺の周りを回っただけということがあったんです。
 
そのときに、「このまま社会福祉の道に進んでも、きっと私には何もできない。だから、ビジネスを学んで、社会の仕組みを創る側に行こう」と考え、会社に就職することにしたんです。
— コペルニクス的な転換ですね。
リクルートという会社は、当たり前すぎて皆があきらめている“不”を解決している会社だと思ったんです。“不”を解決してビジネスにし、それを持続可能な仕組みにしているという印象で、「私もビジネスとして社会の“不”を解決する仕事をしてみたい」と思って入社することにしました。
 
最初に配属されたのはダイレクトマーケティング事業部で、主力事業だったリクルートブックのデータベースを活用した学生に対する販促事業や、『赤すぐ』(赤ちゃんのためにすぐ使う本)などの新規事業の立ち上げを行う部門でした。100人ほどいた同期のほとんどがHR(ヒューマンリソース)などの大きな事業に配属される中、数少ない新規事業配属となり、新規開拓の営業としてスタートしました。
ー 元々は社会福祉志向ですから、営業という仕事に違和感もあったのではありませんか。
違和感があったというよりは、すぐに辞めたくて仕方がなかったですね(笑)。非常にハードなマネジメントの組織でしたので、いろいろと言われて、とにかく悔しすぎて頑張った1年でした。怒られ続けて社会の価値などを考える余裕もなく、必死に仕事を覚えた1年目でしたが、この頃の経験はいまに通じていると思います。
 
具体的には、就職活動を控えた学生に、就職セミナーなどのイベントにおいて、百貨店とタイアップしてリクルートスーツフェアなどを仕掛けたり、新商品のドリンクをサンプリングとして使わせていただけるように、飲料メーカーや製薬メーカーに営業をしたりといった活動でしたので、先方は大手企業が多かったですね。
 
その後、『赤すぐ』を発行していた部署に異動し、メインの仕事は通販雑誌のマーチャンダイジングでしたが、編集から営業までオールラウンドに携わりました。さまざまな商品のセレクトのほか、流通企画の仕事として、玩具・ベビー用品の大手量販店とタイアップし、店舗内に作った赤すぐコーナーで、オリジナルアイテムの販売もしました。
 
そんな中、事業を再編してブライダル&ベビー事業部になるという流れがあり、結婚関係の情報誌事業であるゼクシィに異動して、ブライダル関係の営業を行いました。それまでの経験から新規事業が大好きになっていましたので、当初はそれほど面白くなさそうな印象もありましたが、ゼクシィという大きな組織がどのように事業を進化し続け、運営しているのかを勉強させてもらいました。

3週間は国内営業、1週間は上海という生活

ー 短期間でさまざまな経験をされましたね。
ゼクシィで営業を担当したのは1年ちょっとでしたが、再び新規事業をやりたいとうずうずし始めました(笑)。そこで、「RING」という社内の新規事業提案制度で、中国への進出プロジェクトを提案しました。新規事業をやりたい気持ちと、急速に経済成長をしている国で働きたいという思いが大きな動機でした。
 
そして、仲間と3人で、インターネットや知人をたどって調べるなどして提案したところ、グランプリを獲得し、事業化への準備室ができたんです。その結果、ゼクシィの営業と中国事業準備室の兼務という非常に無体なアサインメントがあり(笑)、1ヵ月のうち3週間は国内営業で、残りの1週間は上海という生活が半年ほど続きました。この頃は結構、ハードでしたね(笑)。
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準備室ができて半年ほど経った頃、中国での事業の立ち上げが始まりました。中国がWTO(世界貿易機関)に加盟する前で、海外企業が独資ではメディアを扱えない時代です。パートナー選定と、クライアント(ホテルやプロデュース会社)やカスタマー(個人)の調査というマーケティング活動に、半年間をかけました。ゼロから事業を創る経験をさせてもらった良い機会でした。
 
具体的には、まず200社ほどのクライアントを回ってヒアリングを行い、60組ほどのカップルに話を聞いて、中国における結婚の準備や概念を知ることから始めました。日本とは違い、結婚に関する情報がまったく流通していない状況で、披露宴までの準備段取りも決まっていないんです。それぞれの手順を、気づいた順番にやるようなスタイルで、情報がないというのはこういうことなのかと初めて思い知りました。
— 準備期間のマーケティングを終えてから、本格的に中国に進出されたのですね。
本格進出の前に事業企画書を作り、最後の経営会議を通さなければなりませんでした。反対も相当ありましたが、テスト的な意味合いもあってゴーサインが出たようです(笑)。上海に入った当初はまだ会社を設立していませんでしたので、オフィスを借りておらず、知人のオフィスの会議室を間借りさせていただきました。
 
その後、会社を作って本の出版までもっていくのですが、中国において、海外企業が一から現地で取材をして本を出版するのは、リクルートが初めてだったんです。外国の雑誌をそのまま翻訳することはあったようですが。そのため、相当な規制を受けました。たとえば、1ページずつ検閲があり、全ページに真っ赤に修正が入ったり…。
 
中国には合計で6年間いましたが、最初はやりたい事業をスタートさせ、規制や税制など大変な苦労をしながらも走りました。そして最後は、自分たちの作った会社を売却するような形で合弁会社化することになり、企業経営のワンサイクルを経験することになりました。本当にキツい経験でした。
— その後の日本での仕事は、どのようなものだったのですか。 
ポンパレという事業を担当しました。新規事業でかなり大きな投資をして立ち上がったものの、なかなかうまくいってない状況でした。当時は、通販モデルにもかかわらず、営業組織的な運営をしていたため、組織の変革をスピードをもって行いました。結局、中国から戻って半年間ポンパレに携わり、翌年4月にホットペッパービューティーの事業部長に異動になりました。
 
その頃、リクルートの販促事業は、業務支援ビジネスへと拡大がスタートする時期で、美容室では「SALON BOARD(サロンボード)」という、従来は紙で美容師さんのシフトを管理していたものをすべてIT化する取組みがまさにスタートしました。ホットペッパービューティーに掲載いただいているサロンには無償で業務システムを配り、業務効率支援ということでシフト管理をシステム化して、美容師さんたちは自分のスケジュールや、どのようなお客様が来るかを見られるようになっています。シフト表がクラウド上で管理されるため、情報が自動的にホットペッパービューティーに上がり、お客様はインターネットでリアルに空き状況を確認して予約ができる仕組みです。
 
また、訪問美容の普及にも取り組みました。美容の価値は、きれいにすることはもちろん、自分に勇気を持たせることもその1つで、障がい者や高齢者など、寝たきりや車いすの方でも気軽に美容室のようなサービスを受けられるといいな、と思ったんです。3年前に地道にスタートした取組みですが、先日東京で開催したセミナーには、多数の経営者やオーナーなどが参加されました。

派遣会社として多様な働き方を創っていきたい

— このたび、リクルートスタッフィングの社長に就任されましたが、まったく初めての分野ですね。事業の現状をお聞かせください。
リクルートは人の人生を支援する事業を行っていますが、元々は仕事の機会を創り出すところから始まっています。そこから多種多様なビジネスへと広がっており、現在は「販促メディア」、「人材メディア」、「人材派遣」の3つのカテゴリに分けたSBU(戦略ビジネスユニット)体制になっています。人材派遣SBUで、私は国内のリクルートスタッフィングを担当するという位置づけです。
 
当社が大切にしているのは、「Workstyle Maker(ワークスタイルメーカー)」というアイデンティティです。入社以来、「自分たちがやっているのは“未来の習慣を創る”仕事だ」と、どこの部署でも話してきました。そして、どのような時代にしたいかを考えながら、自分たちの仕掛けたことが未来の習慣を創ると信じてやってきました。
当社には「就業機会の創出によって、社会に貢献する」という経営理念があります。社会が多様な働き方を求めるようになり、働く個人の価値観も多様化する中で、派遣会社として多様な働き方を創っていきたい。「派遣社員=正社員になれなかった人」というイメージを持たれがちですが、派遣という働き方を自ら選んでいる方も多くいらっしゃいます。
 
たとえば、週3日勤務のエンジニアという働き方も提案しています。週5日は働けないけれど、週3日の決まった時間ならば働けるという人材の活用をクライアントに提案するなど、さまざまな働き方を実現しています。企業側には、他社の活用事例などを参考に取り入れていただけることもありますので、提案すること自体に価値があると思っています。
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— そのほかに、どのような提案をされているのですか。
若年層に向けた無期雇用の派遣サービス「キャリアウィンク」は、未経験から事務の仕事でビジネススキルを高めることが目的です。無期雇用派遣ならではの安定した雇用を実現するだけでなく、専任担当によるキャリアカウンセリングや集合研修での育成研修プログラムを通じて、事務未経験者の基礎的なスキル習得をサポート。大手企業での就業経験を通じてスキルアップするという、若年層の雇用創出のような仕組みです。そのまま働き続けても、スキルを高めて卒業しても良いというもので、経験がなく仕事探しに悩む若年層のサポートと、人手不足で採用に課題を抱える企業のニーズをマッチングさせています。 

外国人留学生の販売職派遣サービスは、流通・販売業での外国人客向けの接客ニーズと、外国人留学生が日本で働くことを学びたいというニーズをマッチングするものです。成果というよりは、まだまだ雇用創出や日本での働く場の提供など事業を作り上げている段階ですが、流通・販売業だけでなく、他業界にも必ずニーズはあるはずです。
 
短時間で働く仕事を創出する「短時間ジョブ」という事業もあります。朝から晩までの働き方を続けられない事情のある方も多くいらっしゃいます。ワーキングマザーや介護を抱えた方、長時間働けない障がいをお持ちの方などのご希望に合う短時間の仕事を、クライアントとともに創っていくチャレンジです。
 
家事代行サービスの「casial.(カジアル)」は、1回2時間といった単位で仕事の機会を創るもので、専業主婦に空き時間をうまく使っていただき、働く女性の支援というニーズを満たすものです。また、障がいをお持ちの方を紹介する「アビリティスタッフィング」は、法定雇用率の上昇に伴い、障がい者を雇用しようという企業のニーズに応えるものです。さらに、リクルートスタッフィングクラフツという特例子会社では、知的障がい者雇用に対する取組みも行っています。
 
私も4月に着任し、当社がこれほどまでに多様な事業にしっかりと取り組んでいることに、正直驚きました。

多様化する社会のインフラになりたい

— 派遣事業は人材系サービスの中でも、働き方改革にもっとも対応しやすいポジションです。今後の事業展開をお聞かせください。
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派遣会社として未来の働き方を創っていく、未来の習慣を創ることを大事にしていきたい。これだけ多様な働き方が生まれ、働き方改革が叫ばれている中、派遣会社にできることは相当多いはずです。Workstyle Makerは当社のアイデンティティであり、戦略でもあるのです。派遣法改正で、基本的には派遣期間の上限が3年間になりましたが、これはある意味でチャンスだと思っています。この業界はいま、キャリアエントリーやキャリアチェンジの仕組みを、市場から強く求められているのです。
 
派遣という形態でスキルアップをし、直接雇用につながったり、別のステップに進んでいったりなど、これまで以上に役割が進化すると捉えています。終身雇用の前提が崩れつつある中で、一度入った会社で働き続けるだけでなく、キャリアチェンジをしていく方も増えるでしょう。学び直して働くなど、ますます多様化していく社会の中で、社会のインフラになれればと考えています。

当たり前の“不”の解決にこだわり、未来の習慣を創る

— 最後に、柏村社長にとっての挑戦とは。
学生時代から障がい者の社会復帰にかかわってきて、「すべての人に役割がある社会を創る」ことは、私が元々大事にしているビジョンです。販促メディア事業に携わっていたときも、すべての人に役割がある社会を創ろうと考えていました。産業が活性化することは、新しい役割を生んでいくことでもあります。今回は、そのような社会づくりのど真ん中の事業に来たと思っています。
 
インドでの国際人材派遣事業団体連合(CIETT)の会議に出席しましたが、労働人口の多いインドでも、雇用のアジェンダは「多様な働き方」でした。インドの労働大臣は、「なぜ、多様な働き方が必要なのか?」という問いに、「優秀な人は他社からの引き合いも多いため、企業が優秀な人を確保するには、働き方改革に取り組まければならない」と答えていました。多様な価値観や多様な働き方が世界的なテーマであることを、改めて感じましたね。
 
一億総活躍といいますが、すべての人が活躍するためには、産業の活性化が不可欠です。リクルートグループ全体として産業活性化を目指し、派遣会社としては、個人の役割を創っていったり、機会創出をしていったりすることを目指したい。10年後、20年後、社会は大きく変化しているはずです。そのときには、人の働き方や生活自体も確実に変わっています。誰もが当たり前すぎてあきらめる“不”を解決することにこだわり、未来の習慣を創り続ける―そんな企業経営をしていきたいと思います。
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目からウロコ
私もかつてお世話になったリクルートは、人材分野に始まり、幅広い販売促進の領域において、情報提供メディアというビジネスモデルで成長を遂げてきた。そして現在は、業務支援や人材派遣も加わり、より実務的・複合的なモデルに代わってきている。
 
柏村社長は、その転換期における戦略を推進するリーダーとして、女性の時代を象徴するような活躍を続けている。入社当初は、新規事業の推進にかかわった後に大きな事業の運営を経験し、海外での事業を自らのアイデアで立ち上げて、事業の幕引きまでも行った。日本に戻ってからは、事業の責任者を複数経験し、2,000人以上の従業員を抱えるリクルートスタッフィングの経営者となった。女性として、若くしてこれだけの大組織の経営を担うことは稀有と言え、今後の経営手腕には多くの注目が集まるだろう。
 
柏村社長のキャリアにおける特徴は、メイン事業や管理部門など組織の中央だけでなく、新規事業やチャレンジャブルな海外事業などの傍流経験が豊富なことだろう。環境の変化が激しく、先が見通せない時代のリーダーには理想的なキャリアかもしれない。インターネットを中心とする世界的な競争環境下では、どのような企業も挑戦し続けなければ生き残れない。加えて、人材派遣は世界的な再編の時代を迎えており、働き方改革の中心となる業界でもある。そのような中で、時代が求める女性リーダーと言える柏村さんの今後の活躍からは目が離せない。
(原 正紀)

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