2017‐12経営者175_ぴんぴんころり_小日向様

シニアがイキイキと暮らせる社会の
実現に挑戦する歴史アイドル経営者

株式会社ぴんぴんころり 代表取締役

小日向 えりさん

歴史アイドルとして活躍しながらも、ビジネスへの興味が膨らみ、インターネットで通販事業を手掛ける。働きたいアクティブシニアと依頼者のマッチング・プラットフォームを提供する株式会社ぴんぴんころりを設立。自らビジネスの先頭に立つ、アイドル経営者に話を聞いた。
Profile
1988年、奈良県出身。高校生の時から芸能界に身を投じる。2010年、横浜国立大学卒業。歴史アイドルとして活動する傍ら、自らインターネットビジネスなども手掛ける。2017年、株式ぴんぴんころり設立、代表取締役に就任。

「歴ドル」という呼び名は、私が日本初です

— アイドル兼経営者というのは、かなりレアな肩書きですが、どのようなキャリアを歩まれたのですか。 
中学生の頃から雑誌のモデルになりたくて、高校生になって憧れのモデルの方が所属する事務所に入ったのがスタートですね。歴史好きが高じて、歴史に詳しいアイドル=「歴ドル」として活動するようになりました。歴ドルという呼び名は、私が日本初です(笑)。 

当時、私は横浜国立大学の教育人間科学部マルチメディア文化課程の学生でした。芸能活動を続けるために奈良から上京したかったのですが、母が猛反対。娘3人同時に大学に在学して、経済的に余裕がないから国立大に合格しなければ東京には行かせないという条件を出してきたのです。 

後から聞くと、母はただ東京に行くのを諦めさせようとしていたそうなのですが、私はそれを鵜呑みにして「仕送りもいらないから」と言って、1年間、ものすごく勉強して何とか合格しました。おかげで、学生時代は貧乏生活でした(笑)。 

法隆寺のすぐそばで育った環境もあって、お寺や神社をめぐるのは好きでしたね。大学に入学後は時間が少しできたので、歴史小説を読むようになって、さらに深みにはまっていった感じです。
— 「歴女」という言葉が出てきた頃ですね。どのカテゴリーがお好きですか。 
三国志が好きです。あとは戦国と幕末ですね。幕末については『イケメン幕末史』(PHP新書)という本を書いて、大学の卒業制作として提出しました。 

歴史にはまったのは、漫画の「三国志」を読んだことが始まりです。マイペースな性格の私を、父が芸能界でやっていけるのかと心配して、この本を渡してくれました。競争社会で生き抜く厳しさを伝えたかったみたいです。 

今では歴ドルという肩書きのアイドルは3人ほどいるのですが、当時は他には誰もいませんでした。歴ドルと名乗って活動を始めてから半年後くらいに、歴女ブームが起きて流れに乗れたのは運が良かったです。 

歴史番組などに出演してコメントしたり、関ケ原や信州上田の観光大使、会津の親善大使などを務めています。地域創生の一環で、歴史のゆかりのある地に貢献する内容が多いですね。 

「関ケ原古戦場グランドデザイン策定懇談会」という岐阜県と関ケ原町が行っている地域活性化の取り組みにも参加させていただいています。「関ケ原女性武将隊巴組」というアイドルユニットを組んで、歌ったり踊ったりしてプロモーション活動もしています。硬い会議からエンタメ活動まで、歴史に関することは幅広くやってきました。
ー 強みを生かした差別化戦略ですね(笑)。 
「三国志が好き」と公言していたので、たまたま映画「レッドクリフPartⅡ」の試写会イベントに呼んでいただくことができたんです。そのイベントの主催者が、「三国志アイドルとか歴史アイドルってどう? おもしろくない?」と勧めてくれました。それから歴ドルと名乗り始めたのですが、最初はなんだか恥ずかしかったです(笑)。 

キャッチーだったのか、雑誌にもいろいろと取り上げていただいて、それからはどんどん仕事が増えました。「単行本を出しませんか」、「『めざましテレビ』に出ませんか」など、多くの依頼をいただけるようになったんです。それで積極的に歴ドルで行こうと、腹を決めました。 

今は井沢元彦さんとの共著も含めて本を5冊、それからテレビやラジオの歴史番組にも出させていただいて、歴史をオモシロクわかりやすく伝える歴史伝道師を目指して活動しています。
ー インターネットにも、はまっていたそうですね。 
歴史もそうなんですが、私は結構のめりこむタイプなので、インターネットが普及する前の小学4年生の頃からパソコン通信でチャットをしていました。中学校は部活動のテニスに夢中だったのですが、高校は一転して写真部に入ったので時間が比較的あって、そのときにHTMLやCSSを勉強してホームページを作っていました。 

今でもその時の経験を生かして、ホームページは自分で作っています。忘れてしまったことも多いですが、すごく便利になって、今はHTMLを知らなくても作れますからね。ITの進化のスピードにすごく惹かれます。
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インターネットは、活版印刷術の発明以来の、歴史に残るメディア革命です。その過渡期を生きているって、すごいことです。24歳のときにインターネットを使ったビジネスとして、歴史グッズの通販サイト「黒船社中」も手掛けました。 

もともと商売人の家系なので、父をはじめ親戚の多くが何らかのビジネスをやっています。叔父は上場会社の創業社長なんです。小さい頃からそのような環境にいたこともあって、「起業したい」という意識が強かったのでしょうね。歴ドルとして活動しながら、できるビジネスは何かと考えていました。おしゃれな歴史グッズがなかったので、自分で作ろうと思ったのです。

新事業を始めたきっかけは、84歳の祖母の存在

— 通販サイトの運営会社である株式会社カステイラを創業した後に、株式会社ぴんぴんころりを創業されるんですね。
カステイラは黒船出港の日付に創業日を合わせました(笑)。芸能の仕事がいつ入るかわからなかったので、梱包や発送業務を任せられるパートナーを見つけました。必要に応じて仲間にお手伝いを頼んでいる形ですね。ぴんぴんころりを別会社として立ち上げたのは、エクイティ・ファイナンスで資金調達するためには、事業を分割しておいた方がわかりやすいと考えたからです。 

新事業を始めようと思ったきっかけは、84歳の祖母の存在です。80歳になるまでは知り合いのお店のお手伝いなどをしていて、とても元気だったのですが、仕事を辞めて2週間後ぐらいに電話で話したら、驚くほど声に元気がなくなってしまったんです。これは絶対に仕事を辞めてしまったことが原因だ、と直感しました。それまで病気なんて、全然しなかったですから。

仕事を辞めたことをきっかけに体調が悪くなったり、けがをしやすくなったりする人が多いと聞きますよね。大手企業を定年退職した女性が今、私の会社(カステイラ)でパートとして働いていますが、「こんなに楽しくて、やりがいのある仕事を任せてくれてありがとう」と言ってくれるんです。それがすごくうれしくて。 

こういう方を一人でも多く増やしたいと思ったのが、起業のきっかけです。「65歳を過ぎても元気に働ける方はたくさんいるので、支援できる会社を作りたい」と周囲に話していたら、会社を経営している大学の先輩が、多くの企業を支援している方を紹介してくれて、その方の出資で起業につながりました。
— どのようなスタートでしたか。
その方に会ったのが今年の1月末で、今は私を含めて7名で活動しています。マーケティングや営業活動などは私が直接やっています。シニアの方への勧誘のチラシ配布や、サイトのテストを行っています。 

パートナーを探している時期に、仲間のコンサルタントの一人が「ヘルスケア関連をテーマにしたデジタルハリウッド大学のビジネスコンテストがある」と教えてくれました。医療関係のエントリーが多い中で、私たちの事業も医療費の削減につながるし、ヘルスケアと無関係ではないだろうとエントリーしてみたところ、何とグランプリをいただいたのです。特典としてデジタルハリウッド大学の大学院に特待生として入学できるので、来年から大学院生になります。 

「元気シニアの得意を借りよう」をキャッチフレーズにした、働きたいアクティブシニアとお仕事を依頼したい人とのマッチング・プラットフォームを提供しようと考えています。提供する仕事内容は2つの分野に分かれていて、比較的誰にでもできる作業、たとえば簡単な家事や雑務をお手伝いするという領域は、一般分野に分類して「ねこのて」と名前をつけました。

もう1つは、特殊なスキルを提供する領域を、技能分野に分類して「知恵ぶくろう」と呼ぶことにしました。事業としては「知恵ぶくろう」から始めるつもりですが、最終的には広く一般分野をやりたいと思います。シルバー人材センターの機能をアプリでできるイメージですね。技能分野とは、元寿司職人さんが出張してきてお寿司を握ってくれるとか、元銀座のママが人生相談に乗ってくれるといったものです。 

私は歴ドルとして、歴史上の偉人とされるご子孫の方々とお会いする機会が多いのですが、皆さんのお話がすごくお上手で、ご一緒するととても楽しい時間を過ごせます。講演していただくとか、「真田幸村の子孫とお酒を飲みながら会話を楽しむ」といったサービスを提供することも、ニーズがあると思っています。

アイドル活動の経験から、メディアのニーズがわかる

— 今はそういう方々を集めて、プラットフォームを作っている最中ということですね。
そうです。明日もカメラマンとお会いする予定ですが、大企業の商材撮影をされてきた方でテクニックをお持ちです。そういう方々に合流していただくようにお声がけをしています。それぞれの方のスキルをうまく引き出し、強みとしてブランディングして、データベース化していければいいなと思っています。 

ちょっとしたスキルを持った町のスーパーお年寄りが、「知恵ぶくろう」を通じて登録されていくことで、「自分もできる」と思う方が増えていくと思うんです。ハイスキルとまではいわなくても、スキルを持った方々がたくさん集まったら、「ねこのて」に広げていきたい。 

とにかく10人でも20人でも集めてプレスリリースをして、話題性をつくって広く認識してもらうことが大切だと思っています。それができれば、その流れで仲間を集めていくことができます。
たとえば、シニアの方を募集するためにポスティングをしたところ、シニアの方からのお問い合わせもあったのですが、この活動に興味を持ったという若い方からのお問い合わせも多かったです。活動をしていくうちに、志が同じ人が集まってくると思っています。このビジネスモデルが絶対に成功するという確信があるわけではないですが、走りながら考えています(笑)。 

大手企業との連携も検討しています。プロモーション活動を通じて、関心のある人や企業をどんどん巻き込んでいきたい。アイドル活動を通じて得た人脈や知識が生かせますしね。子孫ネットワークがそうですし、話題作りや注目を集めるノウハウもそうです。メディアのみなさんがどのような話題を求めているのかも、芸能活動を通じて、ある程度わかったかなと思っています。
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シニアのスキルを掘り起こし、マッチングを進めたい

— 今後の展開はどのようにお考えでしょうか。
お年寄りが自分の特技を生かして、年金プラスお小遣い程度の収入になるような規模に早くしたいですね。シニアの方は60年の人生の中で一つの会社を勤め上げている方々が多く、すごいスキルを持っています。誰もが特技や強みを持っていて、多様性があります。ところが仕事を引退することで、眠れる宝になってしまっている。私はそれを掘り起こしたいのです。 

データベース化してIT技術を活用することでマッチングを実現したいと思っています。事業計画としては、2019年には年間5億円の売り上げを目指します。マネタイズとしては手数料も得られるのですが、たとえば、ユニークなスキルを持ったシニアの方々がお互いにスキルを高め合うコミュニティ運営や教育のような、別のマネタイズも考えたいですね。 

「ねこのて」の領域である一般分野については東大で研究が進んでいて、その結果にも注目しています。高齢者クラウドというマッチングの研究なのですが、ハイスキルとロースキルのマッチングは比較的しやすい一方で、ミドルスキルは難しいという結果が出ています。 

ハイスキルとロースキル双方から広げていきながらマッチングを進めると、結果的に重なる部分でミドルスキルの需要が生まれる。つまり、ミドルの需要を引き出すためには、ある程度の量が必要になるということです。量を確保するためにも、勤めを引退されたら次のステップとして、私たちに自然に合流していただく流れを作りたいです。 

将来的には定年後の働き方だけではなく、過ごし方の提案をしていきたい。楽しく生きがいを持って、元気に定年後も過ごしていただき、いかに、ぴんぴんころりと人生をまっとうしていただくかを提案していきます。
— 特に力を入れていきたいことはありますか? 
私たちの世代は年金をもらえないという不安があります。そうなると、70歳になっても働きながら自分が食べる分を確保する、という働き方になるのではないかと思っています。人生100年だとしたら、50歳になって人生の後半に入ったときに一つの組織への依存から脱却して、人生二毛作・三毛作で働きながら、全体の仕事量は減らしていく。その中で生活を豊かにしていくということが理想だと思いますし、そこに通じる働き方の提案をしていきたいです。 

とにかく、面白いおじいちゃんやおばあちゃんを集めて、世の中に伝えていきたい。「こんなにキラキラしている元気なシニアの方がいるんだよ」って。そのような方が集まれるような場所や発信の拠点を作りたいです。 

たとえば、宿場町、歴史感あふれる街の古民家などを有効活用したゲストハウスやレストランなども考えています。「おばあちゃん家に来た」と感じられるような雰囲気のところで、シニアの方がおもてなしをしてくれたり、初めて来た人も「なんだか懐かしい」と思えるような場所です。 

80歳のおばあちゃんがレストランなどでフロアに出るときは、真っ赤な口紅をばっちり引いて接客する。「おかえりなさい」と迎えてくれて、最後に「冥土のみやげ」がもらえる「メイドカフェ」なんていうのも面白いと思います。不謹慎かもしれませんが、無関心よりはいいですよね。注文を間違える料理店が話題になりましたけど、そんなコンセプトの活動拠点が作れるといいなと思っています。

歴ドルを続けながら、経営者の夢を追いかけたい

— 最後に小日向さんにとっての挑戦とは。 
私にとっての挑戦とは、今までの人生で経験してきたこと、といっても大したことではないですけど、芸能や歴史とは関係ないところで、新たにシニアの方のためのビジネスを切り開いていくことです。やりたいことをやりたいと思うから、経験や実績とは関係なく取り組みたいと思います。私の人生の中で、夢をかなえることを最も重要視しています。 

ファッションモデルなど写真の被写体になるお仕事をやりたかったので、完全に夢がかなったわけではありませんが、自分の好きな分野でお仕事ができるのはありがたいことです。実は今でも、テレビに出ることがちょっと恥ずかしいと感じることがあって、歴史のお仕事はライフワークに近いです。 

20代後半は、経営者の方にお話を聞いたり、本を読んだりして、素敵だな、かっこいいなと思えて、私もこうなりたいという気持ちが強くなっていきました。30代は、ライフワークとして歴ドルを続けながら、経営者としての夢を追いかけていきたいです。 

今の夢は、シニアの方がイキイキと笑顔で元気に過ごしている社会を実現することです。欲張りですが、自分のことだけでなく、理想社会の実現も目指したい。経済合理性がないと何事も持続しないと思うので、自分のためにも、社会のためにも、事業を成功させたい。シニアの方の特技を一緒に発見して、ロースキルをミドルに、ミドルをハイスキルに引き上げていけるようなお手伝いをしたいと思っています。
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目からウロコ
小日向さんは、自分の感性に対して、とてもまっすぐな人生を歩んでいると感じた。シニア世代の熟年起業も大事だが、まっすぐな若者の起業がもっと増えると、この国が良くなると思える。いうまでもなくビジネスは厳しい世界だが、多くの企業や経営者を見てきて、要は世の中に必要とされているものが残っていく世界なのだと思う。 

ぴんぴんころりのビジョンは、間違いなく世の中に必要なこと、すぐにでも実現させたいことだ。芸能界という特殊な世界にいて、これだけど真ん中の社会課題解決ビジネスを発想し、取り組むことができるのは、育ってきたビジネス家系の影響だろうと本人は語る。身近な人たちが新しいビジネスを立ち上げることを見て育ち、自然と商売感覚が身に付いたという。 

温故知新という言葉もあるが、歴史を訪ね、多くの時代に精通して社会課題解決を発想するのは、自然な流れかもしれない。芸能界で培った人脈やノウハウをビジネスに生かしており、そのキャリアからして差別性を備えているといえる。 

私自身も『人生二毛作社会を創る』という本を同友館から出版しており、シニア世代の活躍が世界一の高齢化社会を迎えている日本の未来を変えると考えている。小日向さんの構想が早く実現することが、明るい未来への確かな道だ。しかし、それに気づいてビジネスを構想している企業や事業家は多くなりつつあり、スピードと影響力の勝負となるだろう。小日向さんの今後の経営には、大いに注目したい。
(原 正紀)

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