2018‐03経営者178_日本ファンドレイジング_鵜尾様

ソーシャルセクターのファンドとコンサルティングで
社会サービスを変革する経営者

日本ファンドレイジング協会認定特定非営利活動法人 代表理事

鵜尾 雅隆さん

学生の時に世界をめぐり、社会課題解決の重要性に気づき、JICAに就職。米国に留学してファンドレイジングを学ぶ。ソーシャルセクターの戦略コンサル会社ファンドレックスを創業後、日本ファンドレイジング協会を設立し、認定ファンドレイザー資格を創設。社会サービス変革に挑む経営者に話を聞いた。
Profile
大学卒業後、独立行政法人国際協力機構(JICA)勤務、米国留学、NPO勤務などを経て、2008年株式会社ファンドレックス創業、代表取締役就任。2009年日本ファンドレイジング協会設立、2012年代表理事就任。

ファンドレイジングとは社会課題解決に向けての資金集め

— 私も社団法人を2つほど立ち上げ、運営していますので、ファンドレイジングには大変興味があります。どのようなものなのでしょうか。
NPOやソーシャルビジネスなどが社会の課題を解決しようとした場合、当然のことながら活動資金が必要になります。貧困の子供やホームレスなど受益者から対価をもらい、サービスを提供できればわかりやすいビジネスモデルなのですが、なかなかそうはいきません。
 
社会の課題解決のために共感性をベースに資金を集める行為が「ファンドレイジング」です。最近、増えてきたクラウドファンディングも、その一つの手法です。共感を得ながらお金を集めることは、出資者にとって達成感があります。しかし、昔ながらのお賽銭箱みたいに、待っているだけでは達成できません。資金を集めるためには、活用の目的を明確にする必要があるのです。
— 対象とするのは、どのような組織でしょうか。
私たちがメインの対象としている組織はいわゆるNPOで、公益法人や特定非営利活動法人などといわれる民間の非営利法人です。
 
もう一つは、株式会社形式などによる、もっぱら社会課題の解決を主軸に活動しているソーシャルビジネスです。たとえば、貧困層向けに活動している代表的な企業としては、ホームレスの方々に仕事を提供し、自立を応援するビッグイシューが挙げられます。雑誌の販売員はホームレスの方々であり、ソーシャルビジネスといわれるカテゴリーに含まれます。
 
ソーシャルビジネスと営利ビジネスには、オーバーラップゾーン(重なる範囲)があります。日本では松下幸之助さんの時代から、企業は「三方よし」という側面がありますから、多くの会社は「社会のために」と思って事業をしてきました。
 
ただし、ソーシャルビジネスの場合は仮に赤字になったとしても、ミッションの観点から事業を続ける意味があると判断をすることがあります。赤字になったらその事業を畳むのではなく、何らかの方法を駆使して続けようとする。一般の企業とは、優先順位がちょっとだけ違う企業なのです。
ー 資金調達はどのようになさっていますか。
P40-02@
商品を作って、売って、対価をもらうビジネスでは、いい商品を作れば売上が伸びます。けれども、たとえば難民支援では、いい仕事をすればするほど赤字になることがあります。難民になってしまった方々からはお金はいただけませんから。ファンドレイジングとして、まずは寄付として資金を集めるケースがあります。
 
商品を応援するつもりで買ってもらう共感型購入も増えてきました。フェアトレードもその一つですね。コーヒーならどこの産地のものでもいいはずですが、東ティモール産のコーヒーを応援してもらい、わざわざ買っていただくことで売上にしていく。さらに、民間企業から助成金や協賛金をいただくなど、いろいろな切り口でお金を集めています。
ー 協会設立の経緯について教えてください。
日本ファンドレイジング協会は社会課題を解決する、ソーシャルセクターの組織として2009年に立ち上げました。ソーシャルセクターの歴史としては、1995年が「ボランティア元年」と言われています。私は神戸の生まれ育ちなのですが、阪神・淡路大震災の際、130万人のボランティアが神戸に集まりました。そして、1998年にNPO法が施行され、日本で初めてNPO法人が設立できるようになりました。
 
2000年前半には社会起業家がどんどん生まれてきて、若い方を中心にNPOやソーシャルビジネスを起業するという流れができました。社会問題を解決する優良な事業も現れ、業界内に筋肉はできてきました。しかし、そこには血が巡っていないことに気がつきました。お金が流れていないんです。
 
事業に一生懸命取り組んでいても、収支がギリギリで、手弁当のような形でやっている組織が多くありました。「武士は食わねど高楊枝」というように、「お金なんか気にしなくてもいい」のはカッコいいことかもしれません。ただ、本当にクオリティの高いことを継続してやろうとすれば、誰かが「社会課題の解決とお金」というテーマに真正面から向き合う必要があると感じるようになったのです。
 
世界中のさまざまな取り組みを研究したところ、ファンドレイジングの協会が40ヵ国ぐらいで設立されている一方で、日本にはまだ存在していませんでした。そこで同じような考えを持っていた仲間10名ほどと検討会を始めました。2009年に協会を立ち上げるときには、47都道府県から580人の方が発起人で名を連ねてくれました。ソーシャルセクターの主だったプレーヤーが歩調を合わせてくれたのです。
— 具体的な活動内容はどのようなものですか。
最終的には社会課題の解決に民間のお金が流れていくことを目指しますが、どの順番でやるかが悩みどころでした。資金の出し手側である寄付する個人や企業を増やしていくアプローチもありますし、資金の受け手側のNPOやソーシャルビジネスを進化させていくアプローチもあります。考えた結果、受け手側をしっかりさせていかなければならないと思いました。
 
私自身、アメリカのNPOで働いたことがありますが、ファンドレイジングを一生懸命やっているアメリカのNPOと比べると、日本のNPOはやるべきことをやっていないと感じたのです。そこで始めたのが「認定ファンドレイザー資格制度」と、「ファンドレイジング日本」という場作り(イベント)です。
 
認定ファンドレイザー資格制度とは、資金調達の担い手を育てるために設けたものです。ファンドレイジングの基本的な要素を押さえることを目的とした、未経験者でも取得可能な「准認定ファンドレイザー」と、3年以上の有償実務経験も踏まえて、包括的なファンドレイジング力が問われる「認定ファンドレイザー」の2つの階層による資格試験となっています。
 
ファンドレイジング日本は、ファンドレイジングに関する最新事例、世界の潮流、地域のネットワーク、企業によるサービスなど、すべてが一堂に会する場になっています。これらを5年間くらいかけて形にしました。
 
次に取り組んだのが、資金の出し手側の再設計です。その一つとして、「寄付の教室」という社会貢献教育を全国約150の教室で展開しました。学校の授業を通して、子供たちがわくわくしながら社会貢献を疑似体験できるというプログラムを全国で展開しています。
 
もう一つは遺贈寄付の推進です。社会貢献に参加したいというシニアの方などに向けて、全国16ヵ所に相談窓口を作りました。協会が音頭を取って、「全国レガシーギフト協会」という別組織を立ち上げて、取り組みました。
 
さらに、一昨年、法律が成立した休眠預金の社会的活用です。現在、約1,200億円が休眠預金になっているといわれますが、それを社会課題の解決に使うという法律ができました。これまではファンドレイザーなどを通して受け手側を育ててきましたが、「お金の流れを作る」というセカンドステージを迎えています。

社会を変えるためにコンサルティング会社を起業

ー 経営されている株式会社ファンドレックスの事業についてもお聞かせください。
お金の流れに向き合おうと考えて、協会より1年早い2008年に立ち上げたのが、株式会社ファンドレックスというコンサルティング会社でした。お客様は、ほぼすべてNPOとソーシャルビジネスです。アメリカではNPOやソーシャルビジネス専門のコンサルティング会社は何百もありますが、日本では第1号になるのではないでしょうか。
 
当時の日本の状況を考えると、NPOやソーシャルビジネスがお金を払ってまでコンサルティングを受けるとは考えにくかったのです。設立当初、相談に乗ってくださった方々からも「ニーズはあるけど10年早い」といわれましたが、おかげさまで順調に成長し、契約は150法人ほどまで伸びています。ファンドレイジングのお手伝いや経営改善の戦略作りをしています。 

コンサルティング会社を作ろうと思った最大のポイントは、「ファンドレイジングはこうあるべきだ」と協会で活動するだけでは、社会は変わらないと思ったからです。対価をいただいてコンサルティングをやれば、逃げも隠れもできない。
 
実際に日本社会でインパクトを生み出すコンサルティングをしないかぎり、前には進めません。最も早く、最先端の変化を起こせるモデルになるのがコンサルティングサービスだろうと考えたのです。
— 着実に理想に近づいていますね。鵜尾さんのこれまでのキャリアをお聞かせください。
大学生の頃はバブルの末期で、バックパッカーで世界中を旅していました。両親が商売をしており、大学も商学部に在籍していたので、世界を周りながら貿易商になろうと思っていました。それが途上国を訪ねているときに、養護施設や孤児院に泊まらせていただき、困っている人の手助けをしたいと考えるようになりました。政府開発援助(ODA)の実施機関であるJICAに就職することにしたのです。
 
当時、日本最大のNGOである団体の年間予算が2億円ほどでした。JICAは1,800億円だったので、その約900倍です。「NGOはボランティア組織だから、そんなものだろう」と考えていました。しかし、途上国の現場に行くと、欧米のNGOが支援に来ていて、「予算は1,000億円です」という答えが返ってきたのです。この差は何なんだと衝撃を受けました。
 
「社会サービスは行政が担うもの」という先入観がありましたが、NGOやNPOという組織があることに気がつきました。ところが調べてみると、日本は小さな団体がボランタリーにやっているという構造でした。当時の日本では、非営利組織で働くことで食べていけるというイメージがなかったのです。
 
アメリカではNPOで活躍して成果を出した方が、コンサルティング会社を起業して多くのクライアントを持つことで経験値が高くなり、より大きな団体のトップになる……といったキャリアステップがあります。年収1,000万円以上になることも少なくありません。最初に勤めたNPOで給料が安かったとしても、優秀な方は所得が増える構造があります。ところが、日本ではまだ、それができていないこともわかりました。
 
その後、休職してアメリカの大学院でNPOマネジメントを勉強しました。ファンドレイジングを学んでみた結果、「これは大きな可能性がある、日本にはまったくないパラダイムだ」と気がつきました。それが30歳の頃です。ただ、子供が小さかったので起業には迷いました。結局、39歳の時に起業したのですが、子供が2人おり、妻も専業主婦でしたから不安はありましたね。

伴走者としての達成感は、ほかには代えられない

— 資金がいろいろと必要になる時期ですし、思い切って決断されたわけですね。
すごく悩みましたが、「ファンドレイジング道場」というブログを書き始めたのがきっかけになりました。ノウハウを発信していたら200日間ぐらい更新が止まらなくなってしまい、それが評判になって、北海道から沖縄まで全国から相談に乗ってほしいと連絡が来るようになったのです。勤め先のNPOは副業禁止だったので、無料で相談に乗っていましたが、週に1~2回という頻度になってきて、「これはもう起業しろと言われているな」と思いました。
事業計画書を作って起業の相談にまわりましたが、「絶対に無理だ」と言われ続けました。それでも起業を決断しました。いろいろと動いた結果、事業をスタートした頃には2年分の契約が入っていましたね(笑)。
 
大手戦略コンサル会社みたいに儲かる商売ではありませんが、NPOの支援は本当に面白いんです。たとえば、犬の殺処分防止の活動をしている団体が「何とか殺処分をゼロ件にしたい」と相談に来られて、本当にゼロが実現してしまいました。伴走者として経験できる達成感は、ほかには代えられません。
P40-p007サシカエPh@

企業の市場原理と、行政の社会サービスを融合する

— これからのビジョンを教えてください。
財政赤字で少子高齢化という環境下では、社会課題の解決は行政だけには頼れません。行政の社会サービスには競争がないため、非効率にもなりがちです。私が目指しているのは、「企業が市場原理で動き、行政は税金を集めて社会サービスをやる」という二極構造ではなく、「企業の市場原理と、行政の社会サービスを融合させた競争のある社会サービスの実現」です。
 
経済が伸びている時代は増える税収を分配していれば何とかなりました。先進国の共通課題ですが、低成長になると配分が減り、税金だけでは社会課題は解決できなくなります。効率的な社会サービスを考えるなら、NPOやソーシャルビジネスが担うべきなのです。
 
寄付もある意味、人気投票で、効率的で成果が高いところにはお金が多く流れます。今は効率が悪かろうが、一生懸命やってなかろうが、それに関係なくお金が流れていく構造ですが、インパクトを生むところに流れていく構造にしていきたい。
 
より良い社会を作るためには、きちんと成果を評価するということが必要です。「良いことをやっているのだから、成果は気にしない」というあり方は、そろそろやめなければいけない。どれだけの成果が出ているかを評価して、可視化するべきなんです。

NPOやソーシャルビジネスはあまりにも規模が小さいので、一つの町で社会課題の解決策として、すごく面白いものが生まれたとしても、それが隣町や全県・全国に広がらずに一つの事例で終わってしまう。また、企業が社会問題の解決に乗り出す時には、事業の収支が見えないというリスクも生まれます。それらを解決する一つの鍵になるのが、休眠預金の活用です。インパクトを生む人たちが、どんどん生まれ、広がっていくことを期待しています。
 
長期的に最も大事だと思っているのが、教育です。2022年には「公共」という教科が高校で必修化され、そこには地域貢献という軸も入っています。社会の役に立つことについて、子供の頃から楽しく、わくわく学ぶ機会をつくるのは、とても大事だと考えています。先進国の中では日本の子供の自己肯定感が一番低いのですが、「誰かのために役立つ」と考えれば、自己肯定感はすごく上がるでしょうし、日本の未来を変えていく気がします。

失敗体験を共有することで社会全体が良くなる

— 最後に鵜尾さんにとっての挑戦とは。
「誰もやったことがないことには失敗がない」と、ずっと思っています。ファンドレイジング協会の立ち上げも、NPO専門のコンサルティング会社の立ち上げも、遺贈寄付や休眠預金活用の話も、どれも日本で初めてのものです。もしもNPO専門のコンサルティング会社が大失敗したとしたら、「なぜ成功しなかったのか」という本を書いて、講演行脚しようと考えていたほどです(笑)。
 
そういったパラダイムをずっと続けているから、今があるのだと思っています。行政系の機関で働いていた時は、前例とフォーマットから外れるのに、ものすごくエネルギーが必要でした。現状を維持することに対してモチベーションが上がらない自分を30代に発見したんです(笑)。ファンドレイジングのノウハウや事例を紹介している時にはわくわく感があり、日本にない情報に反応してくれているのが楽しかったですね。

NPOやソーシャルビジネス全体としては新しいことに挑戦しているのですが、評価をしないから失敗経験が共有できないんです。たとえば、子供の貧困救済のために新しいプログラムをやってみて、失敗したとしても、それを共有すれば、あとから続く人が違う挑戦をして成功するかもしれない。共感資本主義の時代とは、「失敗体験を共有することで社会全体が良くなる」ということを受け入れるパラダイムだと思います。まわりにいる全員が同僚みたいな感じですよね(笑)。

2020年前後でソーシャルセクターの見え方も劇的に変わると思います。これからが面白いところですよ。
P40-03@
目からウロコ
私は競争社会のビジネスセクターにずっと身を置いてきたが、起業後はソーシャルセクターの仕事やパートナーが増えており、そのやりがいや課題を感じ続けてきた。とはいえ、お金の課題は大きく、どれだけ社会的意義のあることをやりたいと思っても、資金がなく、活動の質と量が限られている団体が多い。
 
鵜尾さんは自身が非営利組織で働いたり、海外留学して学んだりした経験と知恵を生かし、独立して日本のソーシャルセクターの発展を支えるキャリアを選んだ。かつてドラッカーのコメントに、「社会的意識が強い日本こそ、最もソーシャルセクターが発展する可能性がある」というものがあったと記憶しているが、まさにその入り口に来ているのが現在である。
 
本取材での鵜尾さんのコメントの通り、2020年ごろには質・量ともに爆発的に増えるのではないかという予感がした。現在のソーシャルセクターの活動は、欧米がかなり先を行っているかもしれないが、先進的事情を熟知した鵜尾さんの活動で、日本の組織が得意とするキャッチアップ力が発揮されていくだろう。それにより社会が良くなることはもちろん、財政危機である日本の公的支出を抑えられ、若者たちがやりがいを感じられる職場も増えていくという、明るい未来がイメージできる。
 
鵜尾さん率いる日本ファンドレイジング協会の活動から、遺贈寄付や休眠預金など資金確保の具体策も見えてきている。これからのソーシャルセクターの活性化に大いに期待したい。
(原 正紀)

この記事を共有する

コメントは締め切りました