2016‐06経営者157_アイ・アールジャパン_寺下様

日本初の挑戦的な
取組みを実行し続け
資本市場で独自のポジションを確立

株式会社アイ・アールジャパン 代表取締役社長

寺下 史郎さん

青山学院大学を卒業後、海外にかかわる仕事をしたいと考え、当時はまだ日本に根づいていなかった「R分野の制作会社に就職。アイ・アールジャパン創業者の鶴野史朗氏の理念に惹かれ、1997年に同社に転職する。バブル崩壊で「R広報が減少する中、議決権確保・株主判明調査といった新分野に展開し、SR分野での新たなビジネスの創出に成功。2007年に副社長に就任し、2008年にはMBOにより、同社の経営権を獲得する。2011年、東日本大震災直後の3月18日にJASDAQ上場。証券代行業務、投資銀行業務、海外展開と、挑戦的な経営で日本の資本市場に価値を創造する経営者に話を聞いた。
Profile
青山学院大学を卒業後、IR分野の制作会社で経験を積む。1997年に株式会社アイ・アールジャパンに入社し、議決権に関するサービスなどを展開してSR分野でビジネスを確立。2007年に副社長に就任し、2008年、MBOによってオーナーとなる。2011年にはJASDAQ上場を果たし、さらに業容を拡大して現在に至る。

「M&A新時代のソリューションパートナー」として

— 日本の株式市場も、グローバル化の波が目に見えて大きくなっていますね。貴社の現在のビジネスについて教えてください。
当社の顧客は基本的に上場企業で、元々の事業はIR(InvestorRelations)、つまり、従来は各社が独自に行っていた投資家向けの広報業務などをアウトソーシングで受けるというものでしたが、現在はかなり業域が広がっています。一橋大学の米倉誠一郎教授が「機能プロフェッショナルの時代」と表現されていますが、まさにそれが当社のビジネスを端的に表しています。

「M&A新時代のソリューションパートナー」というのが当社の事業です。今後の日本企業の発展的改善に不可欠なのが合併・経営統合・買収などのM&Aですが、当社は自ら構築してきた独自の情報インフラを活用して、買収や防衛への専門的なアドバイスが可能です。新しい時代を迎えたM&Aにおいて頼りになるソリューションパートナーとして、多くの企業に選ばれています。

日本でIRが意識され始めたのは1990年代後半頃からで、それまではその言葉すらありませんでした。もっとも早くIRを意識して日本に根づかせようとしたのは、当社の創業者である鶴野史朗氏で、それゆえ、アイ・アールジャパンという社名にしたのです。当初の主な仕事はアニュアルレポートの作成でしたが、IRビジネスはもっと広がると確信していました。

私が当社に参加したのはバブル崩壊後で、IRの概念をさらに拡大していこうとしていた時期でした。それがSR(ShareholderRelations)で、企業と株主の信頼関係を築くためのさまざまな活動を表します。単なる広報ではなく、具体的な株主の判明調査をし、株主総会成立のサポートなどを行うものです。
— 日本の資本市場や株式市場の進化に大きくかかわられてきたのですね。

企業には、本業以外にもなすべき仕事があります。一般企業では人事、総務、広報などですが、上場企業になるとIR・SRが含まれてきます。上場企業の株主はパブリックな存在で、企業自体も公器になりますので、不特定多数の株主へのかかわり方や対応がとても難しくなっています。日本人だけではありませんのでね。

さらに、機関株主の存在も出てきます。時価総額が100億円を超えるような企業には機関株主がかかわっており、海外の機関株主や外国人投資家もいます。経営に対してものを言う株主(アクティビスト)も増えていて、企業は正面から対応しなければなりませんが、経験がないと非常に難しいため、当社の出番となるわけです。

株主は5%超の株を保有しないと名前が開示されませんので、当社は株主の判明調査というサービスを始めました。日本で初めて手がけたのですが、機関株主が誰かなどを調べ、その対応を提案するものです。従来は、IRと言えば投資家向けの広報活動が主体でしたが、現在はSRも含め、正面から対峙しなければなりません。
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アベノミクスでも方針が示されていますが、日本は国際社会に開かれた金融大国になるべきです。昨年度は東京証券取引所で、コーポレートガバナンス・コードを上場規則として取り入れました。多くの企業は従来、株主総会だけ乗り切れば良いという対応でしたが、現在はきめ細かく適切に株主対応をしなければならない時代です。

しかし、何をどうすれば良いかは不明で、これまでフォローしていた幹事証券会社などにも対応できないことが増えてきました。法曹界もできる対応は限られます。そこで、私たちが機能プロフェッショナルとして培ってきた知見を活かし、新しいビジネスとして対応しており、それが大きく広がっているのです。
ー 近年活況の株式市場を見ていると、多くの企業が直接金融を重視し始めているようです。上場企業はまだほんの一部ですから、貴社にとっての市場拡大はこれからですね。
前述のとおり、創業時は投資家向けの広報制作物の作成が主な仕事で、同業者はいくつもありました。バブルの頃は景気も良かったのですが、その崩壊とともに業績が傾き、経営は危機的状況に陥ってしまいます。私が当社に参加したのはその頃ですが、存続のためにいろいろと取り組む中で、株主の判明などにより議決権を確保するというビジネスモデルが生まれたのです。

それをきっかけにビジネスは大きく広がり、現在は上場企業の中でも株価総額5,000億円以上の大企業については、当社のサービスのシェアが80%を超えるほどになりました。それ以外の企業も含めて、500社ほどが当社のクライアントです。業界トップクラスの企業とお付き合いをしていると、1つの会社からさまざまな案件が出てきますので、たとえ1社でもたくさんのクライアントを持っているような状況になりますね。

日本の株式市場には、現在も持ち合いという制度が根強く残っています。昭和の時代、荒れる株主総会に主催企業が苦労する中で、各社が安定株主を求めて相互に株を持ち合うようになり、ガバナンス機能は失われていきました。そして、その状況下で外国人株主が増え、株主総会が成り立たない事態が懸念されるようになったのです。

最初に仕事をいただいたのはソニーで、次が日立製作所でしたが、終わった後に「これからもすべてを任せるので、ぜひこのビジネスモデルを作ってほしい」と励まされました。最近では敵対的買収なども増え、ニーズは拡大してきましたが、これは企業にとって切実な問題です。

プロキシーファイトとは、そのような買収劇などの中で行われる議決権争奪戦のことですが、最近では大塚家具の経営権問題が注目を集めました。日本で最初に注目されたのは、2005年の三共と第一製薬の経営統合問題で、村上ファンドが統合反対を表明し、株主総会でプロキシーファイトとなりました。

当社はプロキシーアドバイザーとして現・第一三共側につき、統合成立という勝利に貢献することができました。弁護士やファイナンシャルアドバイザーではない、株主対応専門のアドバイザーが注目され始めたのはこの頃からです。当社はこれまで、ありとあらゆる種類の有事局面に参加してきましたが、負けたことはほとんどありません。

マーケットインテリジェンスが独自の強み

ー 大手での80%のシェア、プロキシーファイトでほとんど負けなしというのはすごいですね。どのような強みを発揮されているのでしょうか。
当社の取組みには日本初のものが非常に多いのですが、自らの力で新しい分野を切り拓いてきた経験が強みとなっています。マーケットインテリジェンスと呼んでいますが、この分野における知的資産、つまりノウハウやネットワークの蓄積が独自の強みとなっているのです。

たとえば株主の判明調査は、当初は難しいというよりも、やってはいけないことだと言われました。反対意見ばかりでしたが、そこに勝機があったのですね。現在では一般的な業務となりましたが、このように他社のやらないことを独力でやってきたことが、当社の強みとなっています。

私は、トヨタ自動車の経営を本当に素晴らしいと思っています。その大きな理由は自前主義でやっていることで、当社もそうありたいものです。最初は大変ですが、その投資が後に財産になりますからね。海外展開もそうで、ニューヨークのマンハッタンの真ん中に進出したのですが、これも大きな投資でした。

情報収集や分析も自前でやってきましたが、その結果、独自のグローバルなリサーチ体制と膨大なデータベースを保有することができました。現在、世界60ヵ国以上の2万人近いファンドマネジャーと緊密なコミュニケーションをとっており、10万件以上のデータをデジタル保管しています。

証券代行業務への進出も、日本では40年ぶりの出来事でした。当社の業務で証券業にかかわることも増えてきたため、さまざまな会社と相談したのですが、なかなかうまくいかず、ならば自分たちでやろうと(笑)。コンサルティング会社が金融業に―これも自前主義ゆえです。

プロキシーアドバイザーをしていると、企業の資本政策とのかかわりが深くなります。そのような状況からM&A市場に出ていくことが多くなり、現在では当社でも稼ぎ頭の分野になりつつあります。仲介も含むM&Aのコンサルティングです。また、証券代行業務も地道に続けており、そのような事業の間には強力なファイアーウォールを築いています。あくまでも株主という視点からは離れていません。
もう1つの差別性は、独立系であることです。他のコンサルティング会社は、金融グループの1社というケースが多いのですが、当社は完全に中立的な立場で事業を行っています。もちろん、独立系のコンサルティング会社はありますが、当社のような規模で行っているところはありません。その意味で、独自のポジションを築いていると言えます。

取引のベースはあくまでもIR・SRコンサルティングですが、金融政策や資本政策に対する取組みも増えてきました。ですから、当社は慢性的な人材不足ですね(笑)。現在、社員は160名ほどですが、さまざまなバックグラウンドを持っています。新卒採用にも力を入れていますが、非常に優秀な人材が集まってくれました。彼らも、2年目くらいからは戦力としてバリバリ働いています。
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新しいチャレンジにも自前で取り組む

— 顧客が大手企業で、資本市場の先端的な業務ですから、人材の成長も速いのでしょうね。これまでの道のりについてもお聞かせください。
私が大学卒業後に入社したのは、IRに特化した制作会社でした。そこで最初に任されたのは、イトーヨーカドーグループが米国のナスダック市場に上場するためのディスクローズでしたが、新人が任されるには厳しい仕事で、大いに鍛えられました。いまから30年以上も前で、日本ではIRという言葉もあまり聞かれない頃の話です。その会社には15年ほど勤務しましたが、得た結論は「IRは儲からない下請け仕事」というものでした(笑)。

そこで、日本にIRの概念を持ち込んだ、尊敬する鶴野氏の会社に転職することにします。しかし、当時はバブル崩壊の真っただ中で、仕事量も減少し続ける瀬戸際の状況です。どのような価値を提供すれば生き残れるかを必死で考えた結果、取り組んだのが議決権というテーマでした。きっかけは、ソニーから相談を受けた議決権の確保という問題でしたが、当時はこれほど大きくなる分野とは想像もしていませんでした。

このような新しいチャレンジにも、他社の力を借りずに自前で取り組むのが当社のカルチャーであり、考え方です。それによってスタッフは成長し、自社の競争優位性になっていきます。

同時にもう1つ、大きな強みになったのが、ITへの投資でした。調査などの際に必要となるインフラを早々に整備し、情報を蓄積してきたことが、当社の大きな優位性になっていますが、現在はエンジニアも多数在籍しています。

ボード・エバリュエーション(取締役会評価)というサービスも日本初の試みでしたね。グローバルスタンダードの視点から取締役会のチェックを行うものですが、これは企業に攻めの経営を行ってもらうことを目指しています。世界的な基準をクリアしたうえで、自信を持って攻めの経営を行ってもらいたいと思います。

私がMBOによって当社のオーナーとなったのが2008年のことで、JASDAQへの上場が2011年3月18日。これは、東日本大震災からわずか1週間後で、震災後初の上場となりました。

多くの企業が震災を受けて上場予定を変える中、当社が方針を変えなかったのは、上場を天命だと考えたからです。公募価格を上回る初値がついたのですが、株主の皆様の期待を感じ、資本市場のありがたさを痛感しましたね。

経営の理想論だけでは対処できない部分に寄与

— 多くの日本初の試みにチャレンジすることで社員が成長し、会社も強くなったのですね。日本の資本市場はまだまだ発展段階だと思いますが、今後の展開についてはどのようにお考えですか。
範囲をこれ以上広げていくつもりはあまりなく、これまでやってきたことをさらに掘り下げたいと思っています。株主との対話とファイナンスは表裏一体のものと考えていますので、今後、それぞれに対応できる当社の強みをさらに磨いていきたいですね。日本企業の対応は、グローバルの視点からはまだまだ閉鎖的で不透明という印象を持たれています。

その中で、従来はIR活動に積極的ではなかったファナック社の対応が、グローバル基準に則ったオープンなものに変わったことが世界的に大いに評価され、フィナンシャルタイムズの「名誉ある変化賞」を世界の名だたる企業とともに受賞しました。とは言え、まだまだ日本は変わらないと思われていますので、この努力を継続していかなければなりません。

フェアネス、オープンというあり方は、グローバルではもはや大きな流れとなっており、日本だけ知らないというわけにはいきません。しかし、根強い反論もあります。
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たしかに、経営においては理想論だけでは対処できないこともあるでしょう。ですから、当社のようなプロフェッショナルが介在する必要性があるのです。

現状の日本では間接金融が主体ですが、今後はキャピタルマーケットがさらに拡大し、直接金融が増えてくるでしょう。若手の経営者と話していると、そのような流れを感じます。

ライツ・オファリング(新株予約権無償割り当て)のアドバイザーなどの仕事も一時的に減ってはいますが、今後は拡大していくでしょう。日本企業の活動も一層グローバル化していくでしょうから、当社もそれに合わせた海外展開が必須と考えています。

ニーズがある限り、深掘りをし続けることが当社の挑戦

— 最後に、寺下社長にとっての挑戦とは。
やはり、自分への挑戦こそが最大の挑戦です。現状維持ではダメで、常にチャレンジをして前進し続けたいですね。現在の自分の“保身”への挑戦です。

人間はどうしても守りに入りたくなるものですが、それを打ち壊していかなければなりません。そして、そこにニーズがある限り、深掘りをし続けることが当社の挑戦です。

私の経験上、自分の領域を打ち破るためには、「エイヤッ!」という決断をして投資をしていかなければなりません。新しいことをしようとすると、十中八九は非難されますが、他人が反対するものにこそ勝機はあるものです。当社の証券代行業務への投資も、まさにそうでした。

経営を行う際には、オーナーとしての全権を持った決断が必要です。経営の基本は選択と集中で、それには「エイヤッ!」の決断が必要だということです。

バブル崩壊以降、日本は失われた20年を過ごしてきたと言われていますが、その間は守りの気持ちが強すぎたのかもしれません。これからは攻めの時代にしていきたいですね。
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目からウロコ
企業が繁栄するためには、市場において独自のポジションを獲得すること。それを継続するためには、強い競争優位性を築くこと。これは不変の原理だが、インターネットの登場とグローバル経済化によって市場の変化スピードが速くなり、ポジションの獲得と競争優位性の構築が難しくなっている。

そんな環境下において、同社は日本初の挑戦的な取組みで、他社には一朝一夕では真似のできない知的資産を蓄積し続け、ポジションを獲得して競争優位性を築き上げてきた。しかも、金融という新規参入の難しい業界でそれを成し遂げたところに価値がある。

寺下社長は「エイヤッ!」の決断で選択と集中を実行してきたと語るが、簡単なことではない。

選択を間違えたり、集中できなかったりすることのほうが多いだろう。その根源には、IRを日本に根づかせようという情熱がある。寺下社長は新卒での就職時から、IRという未知の分野の仕事を選んだが、誰もその重要性に気づいていない時期に見事な選択だった。その後、アイ・アールジャパン創業者の鶴野氏との出会いを経て同社に参加し、SRという新分野での事業展開に挑んでいく。まさに、未知に挑戦する経営者である。多くの金融グループが存在する中、独立性を保った展開を行ったことで、そのポジションはより独自なものとなった。M&A新時代とグローバル資本市場時代に向けて、同社が日本にどのような価値をもたらすか、注目していきたい。
(原 正紀)

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