2014-02経営者129_浜倉的商店製作所_浜倉様

「人から」の発想で
存在感あふれる横丁を創造
昔ながらの空間を再生するプロデューサー

株式会社浜倉的商店製作所 代表取締役社長

浜倉 好宣さん

横須賀に生まれ、京都で育ち、高校生の頃にアルバイトで知り合った経営者から誘われて、卒業後は不動産会社に入社。京都駅にあった飲食店のリニューアルを担当し、18歳で初のプロデュースを経験。その後は、弁当や飲食店のチェーン会社などに在籍し、現場から役員までを経験する。2008年に独立し、浜倉的商店製作所を設立。浜焼き居酒屋や水産系居酒屋などのアイデアで、ブームを作り出す。さらには、集合施設の横丁やセンターを生み出し、生産者と消費者の架け橋になる仕事を手がける。人との関係からビジネスを生み続けるプロデューサーに話を聞いた。
Profile
横須賀に生まれ、京都で育つ。高校生の頃から飲食店でアルバイトを始め、卒業後に入社した会社で飲食店のプロデュースを行う。その後、いくつかの外食企業などに勤め、役員も経験。2008 年に独立して、浜倉的商店製作所、浜倉総研を設立。代表として多くの飲食店のプロデュースにかかわり、現在に至る。

個人が独立しようとするチャンスの場を拡大したい
その思いで、多様な展開を進めています

— とてもユニークで、存在感抜群の業態の飲食店を展開されていますね。まずは、それらのご紹介をお願いします。
現在、飲食店運営を行う(株)浜倉的商店製作所と、施設・業態の総合プロデュースを行う(株)浜倉総研の代表をしていますが、プロデュースに関しては、3つのパターンで行っています。第1に、自社複数のブランド直営店業態について、共感する方々へのライセンス販売を行っています。

産地直送の新鮮素材にこだわる各業態、たとえば魚ならば、漁師からの今朝どれ魚を扱う「魚○(うおまる)」、牛ならば、函館・小澤牧場の大沼牛直送の「牛○(ぎゅうまる)」、さらには今朝挽きの宮崎霧島鶏直送メインの九州づくし「都久志屋」、全国貝直送の貝専門炉端「貝○(かいまる)」、岩手・久慈ファーム直送の佐助豚がメインの東北「むつ味」、そして最近銀座にオープンした、全国直送素材の魚介と肉が楽しめる SAKABA「RIB HOUSE/OCEAN HOUSE」などです。第2のパターンとしては、横丁やセンターなどの飲食店集合施設プロデュースです。個性的な店の集合によって多くのお客様を引きつけるために、1つの施設内に複数の飲食店を集めたものを展開し、ある種泥臭い、お祭りのような空間を創造しています。2008 年に開業した恵比寿横丁を皮切りに、現在は7ヵ所で展開中です。

そして第3のパターンが、他社からの依頼で行うオリジナル業態プロデュースです。これには、浜焼きを展開する「鱗」ブランド、鮮魚酒場を展開する「水産」ブランドなどがあります。
— 随分と多様な展開をされていますね。どのようなきっかけから生み出されたのですか。
飲食の仕事に長くかかわり、チェーン店などの展開を行ってきた中で、個人が独立しようとするチャンスの場を拡大したい、という思いからです。大手のチェーン店も、一時的に流行ったからといって、長く続くとは限りません。大型店のスペースが空いたときにそれを活かすべく、パワーあふれる個人が集まってシェアする、という商店街発想です。

6年前に始めた恵比寿横丁は、元公設市場の土地を活かしたものです。古くからの味を残し、昔ながらの繁盛の神を呼び戻すことを念頭に、再生を進めた事例です。しかし、古くからの地権者が複数おり、複雑な所有状況になっていましたので、話を進めるのにとても手間がかかりました。いまでは成功事例も増え、理解してもらえるようになりましたが、当時はまったくゼロからのスタートでしたから、賛同者も少なく、一度は家主も地権者の賛同をあきらめ、断られてしまいます。

そんな中、何度も交渉を重ねて2年がかりで話をまとめ、当初空いていた 13 区画からスタートしました。独立希望者に声をかけ、業態がかぶらないような構成にしました。1店舗の大きさは2〜6坪程度で、平均3坪ほどの長屋のような形態です。
店舗というよりは長屋の住人募集のような感じで、最初は場所も業態もじゃんけんで決めましたが、これは真剣勝負でしたね(笑)。

パワーのある、毎日がお祭りのようなコミュニティを再現し、人間味のある人たちに来てほしいと思いました。大手法人に声をかけるよりも、個人を集めたほうが雑多なパワーにあふれますので、あえてルールなども決めずにスタートしました。オープン1時間前まで工事をしているような状況で、何の告知もない中でのオープンでしたが、狙いどおりに店そのものにパワーがあふれ、ほかにはない環境となり、「何だろう?」と覗きにくるお客様でにぎわいました。

理想は、世代を超えたコミュニケーションを図れるお祭りのような場
「外食アワード」でも表彰していただきました

— お祭りもそうですが、賑やかでパワーがある場所には、自然と人が集まるものですよね。どのような客層をターゲットに考えていたのですか。
お酒を飲む年代になると、最初は皆、駅前チェーン店からデビューしますよね。でも、だんだんとそれでは物足りなくなって、もっと個性的な場所を探すようになります。しかし、昔ながらの赤提灯の店は敷居が高く、入りづらいと感じている人も多い。その文化をつなぐために、チェーン店は卒業したものの、赤提灯の店には入りづらい層を狙い、若者からおじさん、おばさんまで幅広くスタッフを雇用して、親しみやすさをアピールしつつ、幅広い年代の方々に楽しんでいただくことを目指しています。

理想は、世代を超えたコミュニケーションを図れるお祭りのような場です。女性も多く来てくれていますね。オープン以来、業績はいまだに伸び続けていて、最初は反対していた地権者たちも、いまでは一体となり、2010年に第2期、3期と増床オープンし、現在では 21 区画の集合体になりました。

立地も良く、もったいないと思える施設を再生して1つの文化を作り上げた、好事例となりました。おかげさまで、2009 年には外食産業記者会の「外食アワード」で表彰されましたが、その理由は、「ヒット業態・浜焼きの先駆けと、斜陽となった物件を、飲食をテーマとする魅力的な横丁としてプロデュースし、地域の再生、業態の再生、人材の再生をもたらして飲食業の可能性を広げた」とのことでした。
— 1つの斬新な業態を創造することで、多くの価値を生み出しましたね。それを評価されるのは、プロデューサー冥利に尽きるのでは。
参加してくれた店の利益創出にも貢献できました。通常は、坪 30 万円も売れば良しとされますが、多い店では坪 130 万円もの売上になっています。集合体として、運命共同体としての意を決し、自らも賛同する目的で直営店を出しましたが、そちらも順調に伸びています。どの店舗に入ったお客様でも、すべての店にオーダーできる仕組みですので、まんべんなく店が埋まっていきます。

ルールをできるだけ省き、ノリで商売できるような人たちと組んだことで、お祭りの屋台のような雰囲気になり、どのようなお客様でも楽しんでもらえる活気が生まれていると思います。お酒を中心としてでき上がったコミュニティですね。言ってみれば、「大人の廊下」といった感じで幅広い年齢層が一つになり、ワイワイガヤガヤ賑わっています。

その次に手がけたのが神田ですが、ここは肉屋さんを8区画集めた肉専門の集合体で、神田ミートセンターという名前にしました。裏通りにあった焼肉屋跡地の再生事例です。次は仲卸さんが中心となって一括仕入れを行い、料理法を寿司、浜焼き、バル、地中海風に分けた、魚を集めた集合体の品川魚貝センター。駅前ビル飲食フロアの1区画にあった喫茶店が立ち退いた跡に、一石を投じた事例です。また、仲卸さんとタイアップすることで実現したマグロの解体ショーなどのイベントも、大いに盛り上がっています。

その翌年に手がけたハマ横丁は、横浜を盛り上げたいという8人組からお呼びがかかったものです。「人は多いものの、横浜らしさがなくなってきたため、横浜らしい横丁を立ち上げたい」という依頼でした。こういったケースはまとまりやすいのですが、店を作るよりも人の和を作るほうがずっと難しいというのが実感です。外から見るほど、簡単ではありませんね。

「人から」の発想を活かせる環境創造と
素材を活かす環境の発想を軸としています

ー 集合施設以外にも、個別の店舗のプロデュースを数多く手がけていますね。
独立して最初に手がけたのが、おやじと娘の浜焼き酒場です。町場の魚屋さんが衰退する中、その方々だからこそできる魚の酒場を発想し、作り上げた業態です。私はこのように、「人から」の特性を活かせる環境創造と、素材を活かす環境の発想を軸としています。

同じ魚でも、仲卸さんからの相談で町場に開業した居酒屋が、水産系の居酒屋です。私の発想を追って、類似店が5年ほど前から一気に増え、おかげさまで「浜焼き業態」や「○○水産」という店は全国に広がり、1つの業態として新たな文化ともなりました。接客についても、新たな発想で考えました。50 歳を超えたおやじたちが働く場所は、決して多くありません。でも、料理はできないけれど、魚はさばけるし、威勢も良い。そんな方々は、浜焼き業態ならばできるのです。
とは言え、おやじばかりでは店が重く、入りづらいので、サービスを行うのはやんちゃで元気な娘がいい、と思いました。派手なマニキュアや茶髪は、飲食業ではタブーとされがちですが、それこそが活気のあるキャスティングなんです。

本来、マニュアルやルールなどは不要で、元気で明るく接客すれば、お客様は喜んでくれます。お店の醸し出す雑多で活気のある雰囲気にも、そのほうが似合いますからね。私は飲食店について考えるとき、人からの発想でのキャスティングを考えます。となれば、職人肌のおやじにはやんちゃな娘がよく似合うんです(笑)。
さらに、コミュニティの場を盛り上げるべく、ギターの流しや、最近ではお笑い芸人の一発芸、また文化放送とタイアップしてラジオの生放送なども行っています。これらも、独自の雰囲気づくりの1つですし、店の活性化にもつながります。従来の発想にとらわれずに、自分の感性を信じて文化を蘇らせることに挑戦していきます。

町場の魚屋さんは、大型店の増加などで商売が難しくなっており、つぶれてしまう店も少なくありません。魚屋さんには、魚に関する豊富な知識がありますし、仕入れも得意です。私たちがのれん分けをし、飲食店のノウハウを提供することで、その知識を活かしてほしい。フランチャイズのような負担のあるシステムにせず、やりたい人に自由にやってもらうのがいい、と思っています。

昔からある良いものを蘇らせるのが、私のプロデュースのコンセプトです
プロデュースしてきた店には、新しく創造したものはない

ー 独自のスタイルをしっかりと確立されていますね。“浜倉的プロデュース”は、どのようなスタイルでしょうか。
とにかく「人から」にこだわった、人に立脚した発想が自分流だと思います。お店をやりたいと思っている人や、次の展開に困っている仲買人、良い素材はあるが、売り方のわからない生産者など、かかわった方々の思いや強みを活かすことを考えます。飲食店を通じて、生産者と消費者の懸け橋になれればいいですね。いつも、いかに人と消費者のニーズを合わせるかを中心に、アイデアを出すようにしています。

併せて意識しているのが、わかりやすいこと。「わかりやすいこと」=「来やすい」、「入りやすい」ことなんです。横丁やセンターのにぎわいや雑多な感じは、誰にとってもわかりやすいものだと思います。最近はきれいな店も多くなりましたが、大事なのは、気を抜ける場所であるかどうか。昔ながらの雑多な感じが、その場所を過ごしやすいものにしてくれるのだと思います。

実は、私がプロデュースしてきた店には、新しく創造したものはありません。おそらく、焼鳥や炉端焼きといった業態はなくなりませんから、素材にこだわり、より美味しいものを追求しながら、昔からあるものを蘇らせるのです。さまざまな業態を手がけてきましたが、先日、それらを1店舗に凝縮した「食道楽」という店を上野と神楽坂にオープンしました。いいとこ取りの業態発想ですね(笑)。
— これまで飲食の業界で、多彩な経験をされてきたそうですが、独立までのキャリアをお聞かせください。
私は横須賀に生まれ、京都で育ちましたが、高校在学中のバイト先にそのまま就職します。18 歳で早くも、京都駅にあった飲食店のリニューアルを経験しました。これまでいくつかの会社に勤めてきましたが、伸びている会社で働くことが多く、ブームに乗って急成長し、ブームの終焉とともに厳しい状況になる、という経験をくり返しました。

急成長の会社の現場から役員までを経験してきましたので、良いときに店を成長させるプロデュースのあり方や、厳しいときのリスク対応などを勉強できたと思います。この業界には、そうした浮き沈みは付き物ですから、上っ面の事業展開で終わらないようにすることが大事です。そうした経験をしたことで、本質を見据えながら、慎重に時流を判断するようになったのかもしれません。

この業界は、長く続けることが最大のテーマです。そういう意味では、昔からあるものが手堅いのではないかと思います。普通は、新しいものを次々と手がけたがるものですが、それらの多くは一時的なもので、昔からあるものにはかなわない。もちろん、常に質を高めるための創意工夫は必要ですが、普段のなじみあるメニューを馬鹿にして、美味しく作れない料理人や、それを大事だと感じていない人には、足元を固めることの重要性を伝えています。昔からある良いものを蘇らせるのが、私のプロデュースのコンセプトとも言えます。

接客については、教育をしません。それよりも、自分らしさを表現することのほうが大事だと考えているからです。彼らの作る元気な空気が、活気のある店を作り上げるのです。イキイキとしていることが大事で、ユニフォームもマニュアルもいらない。そんなものがあると、かえって自分らしさが出てきません。言って聞かせる教育ではなく、自分でやってみて気づかせる、自走式教育と言えるかもしれませんね。お客様もノリが良ければ、タメ口だって許してくれますよ(笑)。
— 今後の展開を、どのようにお考えですか。
やっていくことは同じです。何らかの意味があり、人々に求められる飲食店・集合施設を、人の縁とともに深め、自然に広げていけるように追求していきます。また、生産者と会う機会も多くありますので、素材を活かした美味しいものを広めていくことにも力を入れたいですね。

生産者は、自分たちが精魂込めて作ったものを、お客様に目の前で食べてもらうことで、非常にモチベーションが高まります。これをできるのが、飲食店です。そのために、都心に全国産地直送の物販店を併設した飲食集合施設を作ります。いまは場所を選定中ですが、まずは全国直送の食祭街を実現します。そしてもちろん、「人から」の精神は引き続き、大事にしていきたいと思っています。

今後は、さらに人とのかかわり合いを強めていきたいですね。たとえば、魚のことについては漁師の方と触れ合うことが大事で、セリで落としているだけではわからないこともあります。手間はかかりますが、そういったかかわりから気づくことは非常に多い。漁師さんが、「余ったから持って行け」と魚をくれたりして、結果的に利益につながるようなケースもあるんです。

あとは、それぞれの本来の役割を見直すことも大事です。一見非効率に見えても、全体で見れば良い関係の場合もある。また、全体を考えることで、初めてありがたみがわかることもあります。その組み合わせを考えるのが、私のプロデュースのスタイルです。人と人の接点において、トラブルなくやっていけることも、私の強みかもしれませんね。

固定観念をつぶし、常に原点に戻ることを意識していきたい
良い事例を一つひとつ投じ続けるのが、私の挑戦です

— 最後に、浜倉さんにとっての挑戦とは。
長く続けていると、誰しも概念が固まってくるものです。料理や店づくり、サービスについても。でも、そういったものが間違いにつながることもあるんです。ですから、固定概念をつぶして、常に原点に戻ることを意識していきたいですね。「同じ形のもので何百店」という拡大を目指すのではなく、良い事例を1つひとつ投じ続けるのが、私の挑戦です。

目標として数字を設定するのではなく、突き抜けた店や環境を作ることが、世の中のためになるのではないでしょうか。そのためには、協力し合うことが大事で、人とのかかわりを大事にしていくことです。おやじと娘が運営する店舗など、活力にあふれた事例を投じ続けることで、世の中を変えるようなパワーを出せればいいですね。

株式会社浜倉的商店製作所 DATA

設立:2008年1月、事業内容:飲食店の経営・運営、飲食店の商品開発、店舗にかかわる商品・家具などの制作ならびに販売、直営店:銀○、魚○、牛○、貝○、CHICUKAI-UOMARU、魚河岸魚○本店、日本鮮魚甲殻類同好会、ちょい呑み餃子、九州都久志屋、東北むつ味、食道楽、RIB HOUSE/OCEAN HOUSE、関連会社:株式会社浜倉総研
目からウロコ
これまで多くの外食産業と接してきたが、この業界は本当に浮き沈みが激しく、長く続けることが難しい。消費者の変化、時のブーム、自店のマンネリ化、新たなライバルの出現など、その理由は枚挙にいとまがない。そうした中、長く続けるために、「原点に回帰し、個性的に進化させる」のが、浜倉的プロデュースである。

多くの経営者は、それまでにない新たなスタイルを志向する。しかし浜倉さんは、多大な手間をかけて、昔ながらの店を復活させ、賑やかな空間を作り上げている。お店に行けばわかるが、その空気はとても心地良くてなじみやすく、会話も弾む。マニュアルっぽい接客ではなく、近所のお姉ちゃんと話しているような気安さ・あたたかさがある。ひと言で言えば「ざっくばらんな空間」だが、それは実に緻密に計算されたもので、だからこそ顧客をひきつける魅力になっている。

浜倉さんは多くの事業にかかわり、発展と衰退を何度も体験してきたが、そこから学んだことを自身のスタイルとして活かしている。昔ながらの安定したものを重視し、生産者、仲介者、地権者など多くの人とつながっていくやり方は、安定した事業展開を行いながら発展していくためのスタイルと言える。その中から質の高い商品・サービスを生み出し、消費者をひきつけていくと同時に、かかわった人の Win−Win を創出する。これは、地域振興・産地活性化という付加価値も備えた、21世紀型の6次産業モデルであるようにも思える。
(原 正紀)

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