2013-03経営者118_地域活性プランニング_藤崎様

ロケーションのマネジメントで「よそ者」の
力を発揮する地域活性リーダー

株式会社地域活性プランニング代表取締役

藤崎 慎一さん

中央大学卒業後にリクルートに入社し、住宅情報事業部で営業力・マーケティング力を磨く。多摩ニュータウンの大型プロジェクトにおいて、地域コミュニティの価値に気づき、新設の地域活性事業部に参加。かばん一つで全国を回り、各地で実績と人脈を積み上げる。収益上の理由で地域活性事業の廃止が決まったとき、全国からの事業継続の期待に応えるために、自ら起業を決意する。住民参加型の自立的地域活性のコンサルティングに始まり、ロケ地情報誌『ロケーションジャパン』、ロケ地検索サイト「ロケなび!」でロケの誘致を支援する。経営者よりもパイオニアを自認する、地域活性のリーダーに話を聞いた。
Profile
中央大学卒業後、リクルートに入社。地域活性事業の立ち上げに参加した後、事業廃止とともに地域からの期待に応えるため、自ら(株)地域活性プランニングを起業する。地域の自立を促す手法で実績を積み重ね、雑誌『ロケーションジャパン』、検索サイト「ロケなび!」を立ち上げ、ロケ誘致による地域活性を推進する。

近所の人たちや学校、商店などの環境に着目して
私も初めて地域の活性化というものを考えるようになりました

—地域活性という言葉は、いまでこそよく聞くようになりました。藤崎さんのようにプロデュース的活動をされる方は、これまであまりいませんでしたが、まさに草分け的存在ですね。
実はもともとは、あまり地域というものに興味はなかったんです(笑)。新卒で入社したリクルートでは、住宅情報事業に配属されたのですが、そのときの仕事は、住宅情報雑誌に広告を掲載してもらうスポンサー獲得の営業でした。私が幸運だったのは、新人の頃にマンション販売会社に出向させられたことです。

リクルートでの本業は広告取りの営業でしたが、出向先では一軒一軒飛び込みで、マンションの販売を行いました。その頃、広告というのは単なるツールにすぎなかったのです。その経験があったので、出向後に住宅情報誌の事業に戻ったときには、周りの先輩たちが広告を取ることに必死で、エンドユーザーが求めている住宅は何か、どのような物件を作るべきかというニーズに対する関心が薄いと感じました。

全体的に、マーケットインの発想に欠けていたのです。そんな中で、マーケットが求めるもの、住宅会社が商品を売るために何が必要かという点に着目して、自分なりのスタイルで営業を続けました。営業の数字にはこだわりましたので、高い実績を上げることができましたが、顧客である住宅会社の業績が良くならなければ、数字はやがて枯れていってしまいます。

そこで、課長になったときに1つのプロジェクトを立ち上げました。読者データバンクを構築したのです。読者である不動産のユーザーは、どのような物件を欲しがっているのか、価格や設備などに対する顧客満足を可視化するものです。それができてからは、住宅会社からセミナーの講師などに呼ばれるようになりましたが、その頃の成功体験が、いまのベースになっています。
— もともとは、別の事業でのスタートだったのですね。どのような経緯で、地域活性にかかわるようになったのですか。
当時の住宅情報事業の最大顧客が、住宅都市整備公団でした。そこを担当して、多摩ニュータウンの仕事にかかわったときに、徹底的に現場に入り込むことにしたのです。地域の一員として泊まり込み、どのような人がいてどのような暮らしをするのか、現場の実態を綿密に把握したのです。そういうところから生まれた広告は、とても効果がありました。

そのときに、コミュニティの存在を意識するようになりました。数千万円のマンションを買う人は、いわば暮らしを買い、地域コミュニティを買います。近所の人たちや学校、商店などの環境に注目して、私も初めて地域の活性化というものを考えるようになりました。

その結果、売上は約 20 倍となり、リクルートで最優秀経営者賞というものを受賞できました。社内でも地域活性が注目されるようになり、行政に対して地域の活性化提案を仕掛けていく「地域活性事業部」がスタートするのです。私は、住宅部門で出世して社長になろうと思っていましたが、新事業のスタートにお呼びがかかってしまいました(笑)。悩みましたが、自分の力を試したい、世の中に自分の価値を問いたいという思いが強くなり、誘いに応じることにしました。

自分たちが当事者になって考え、参加して汗をかき
自信を持つといった人材育成が必要なのです

ーその事業部のスタートが、日本での地域活性プロデュースのスタートかもしれませんね。具体的には、どのような活動をされたのですか。
かばん1つで全国を回ることになったのですが、当時意識したテーマは観光です。別の部署では「じゃらん」というメディアを立ち上げ、観光関係の広告営業を行っていました。でもそれは、地域活性という視点ではありません。地域活性において大事なのは、「面で取り組む」ことです。

1つの旅館から広告をもらっても、地域全体の魅力が増さなければ、地域活性にはなりません。花火大会を行うとか、お祭りをやるとか、地域での盛り上がりを仕掛けなければならないのです。そうした活動をする中で感じたのは、人の流動化の重要性です。それまでの地域における人の流動化には、工場の誘致や、公共事業の投入でダムや道路を造るという発想しかありませんでした。

それは2次産業ですが、それだけの展開で良いのでしょうか。たとえば、ある街に優秀な若者がいたとして、その人間はずっと地域に残るのか。そういう人は、新しい刺激ある産業や、世界展開を目指すのではないでしょうか。私はよく、「地方に学級委員がいなくなった」という乱暴な言い方をしますが、学級委員をやるような優秀な若者は、地域から出て行ってしまうのです。

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クラスをまとめていたような優秀な人材がいなくなり、そんなときに都会から行った人間がアドバイスをすると、どうしてもそれを頼ってしまいがちです。「工場を誘致してきてほしい」、「公共事業を獲得してきてほしい」といった頼り方をしてしまうのですね。でも、地方から都会に出た学級委員たちが、全員活躍しているかというと、残念ながらそんなことはありません。2・6・2の法則がありますが、優秀な人たちの集まりでも、やはり活躍する人間は上位2割に集約されます。だったら、地方で活躍したほうが良いのではないでしょうか。

難関試験に受かるような優秀な人間、つまり役所の人間が、公共の予算を使っていろいろなことをやっていますが、地域の人はそれに頼ってはいけない。子どもの宿題を親がやっているようなもので、これでは地域が甘えの構造になってしまいます。自分たちが当事者になって考え、参加して汗をかき、自信を持つといった人材育成が必要なのです。
ーそういった思想からの地域活性の仕事では、どのような事業展開をされているのでしょうか。
当社は大きく分けると、4つの事業を行っています。1つ目は、地域活性のコンサルティングです。リクルートが、収益面の問題で地域活性の事業から撤退したとき、地域や行政の方々から「藤崎さんがやってよ」と多くの声をいただき、2003 年に起業しましたが、そのときのスタートの事業がこれでした。私のコンサルティングの思想としては、地域の住民に自立してもらうことです。

2つ目は、映画やドラマのロケ地を紹介する雑誌『ロケーションジャパン』の発行です。現在、3万5千部を発行しています。

3つ目が、制作者にロケ地となる施設を有料で提供する、ロケーションサービスです。ドラマのロケを呼びたがっている民間企業などがいることに気づき、その仲介の事業化を行ったのです。従来はあいまいだった使用に関する規定も明文化し、しっかりと契約する仕組みにしました。

それは、3つの視点から行いました。まずは、しっかりとマッチングをするために、ヒアリングシートを作ることです。一方的な話にしないための配慮です。次に規約書ですが、設備を破損したようなときは、原状回復をしてもらいます。最後に丁寧な対応。これは、契約の基本ですね。このようなルールは、リクルート時代のマンションモデルルームのアンケートがヒントになっています。住宅販売の「重要事項説明書」のルールを適用しました。

そして4つ目が、制作者向けのロケ地無料検索サイト「ロケなび!」の運営です。このサイトの掲載料が、いまの収益の中心ですね。現在放映されているドラマの 90%以上が、「ロケなび!」を活用しています。このような一連のロケーションサービスの事業で実績を重ねることで、収益を確保しながら地域活性を実現していく展開を行っています。

地元の人たちの思いだけでは、地域活性はできません
活性化に資する人材を育成することが、私たちの役割なのです

— ロケーションの促進からの地域活性ですか。新しい発想の事業ですね。
韓国を見てください。「冬のソナタ」というドラマの制作によって、世界中から人が集まるようになりました。たった1本のドラマが、韓国繁栄のきっかけとも言えるのです。

エンターテインメントには、とてつもない力があります。テレビや映画で地域にストーリーを作り上げ、そのストーリーにあこがれて人々が地域を訪れるのです。そして、それを知らしめていくのが、『ロケーションジャパン』です。

山形の何でもない堤防に、多くの人が訪れています。映画「おくりびと」のロケで、主役の本木雅弘さんがチェロを弾いた場所です。各地が東京化していく中で、そのような地域の原風景を残すのも大事なことですね。地域活性とは、「地域残し」のことだと思っています。北九州は、最も古くからロケ誘致活動を積極的に行っていますが、工業地帯のイメージから脱するために、門司港のレトロな雰囲気を売り出していったのです。

マーケティングの理論に、AIDMA というものがありますね。気がつき(A)、興味を持ち(I)、欲しくなり(D)、記憶して(M)、行動に移す(A)というものです。その最初のA(アテンション)を、誰かがやらなければ始まりません。それがロケーションの役目で、その誘致を地域に自らやってもらいたいと思っています。誰かに頼るのでは、本当の地域活性になりません。

ロケの誘致もグルメの発信も、地域活性の手段にすぎません。まずは、地元のやる気あるメンバーを集めるところからスタートです。そこで、地域の強みや課題を明確にするSWOT 分析を行い、その後の展開を考えるのです。地元の人たちはどうしても、地域愛から思いが先行するのですが、私たちが入ることで、冷静かつ客観的に戦略を立てることができます。

思いだけでは、地域活性はできません。そのような活動によって、各地の活性化に資する人材を育成することが、私たちの役割なのです。そのような人材を育成するには、チャンスを与えて努力してもらうことです。具体的に何が必要か、誰がやるべきか、どのような役割分担が妥当か、それらをしっかりと行うサポートをするのです。
地域活性の成功事例で語られる「よそ者、若者、バカ者」という言葉があります。私たちは「よそ者」ですが、単なる「よそから来た者」ではありません。裏づけのある事例とマーケティング手法を提示できなければ、「よそ者」の役割は果たせないのです。
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私自身は経営者タイプではなく、パイオニアだと思っています
非情になりきれないというか、管理することが嫌いなんです

—まさにプロジェクトマネジメントですね。もともとの起業のときから、このような展開を考えていたのでしょうか。
リクルートには、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という創業者の言葉がありました。私自身も自ら機会を作り出そうと思い、起業に踏み切ったのです。リクルートの同僚や後輩は誘いませんでした。どちらかというと個人主義が強く、必ず反発や分裂が生まれると思ったからです(笑)。創業期は、良い意味でのイエスマンを集め、できる範囲で地道に継続しようと思っていました。

地域活性事業部をたたむときに、それまでお付き合いしていた各地域の方々が送別会に来てくれました。社内でやるはずの送別会が、半分は社外の人になってしまって(笑)。出資の話もいただいたのですが、お断りして、自分にできる範囲で、無借金で立ち上げました。現在では1人の募集に対し、300 人も応募してくるようになりました。
大学などからはインターンシップの要請も多く、経済産業省からキャリア組のインターンも受け入れました。東大法学部卒の若手女性が2週間来ましたが、山や島に連れて行き、漁師さんたちとお酒を飲んでもらいました(笑)。私自身は経営者タイプではなく、パイオニアだと思っています。非情になりきれないというか、管理することが嫌いなんです。人に愛着があり、頑張ってくれている人は絶対に見捨てない。でも、結果にはこだわるので、結果を出さないと厳しいですけれど。
—今後の展開を、どのようにお考えですか。
各地の物産品として開発したものを、どのようにして販売していくかが大きなテーマです。それが、地域の活性化につながりますので。そのために、多くの方のご要望にお応えして、ネットショップ「ロケーションジャパン・マルシェ」を立ち上げました。物産品の品質にこだわったB to Cのビジネスですが、地域の旬なものをブランド化していくお手伝いです。

たとえば、宮崎の物産品に黒ニンニクがあります。とても美味しく優れたものなので、ターゲットを絞り込み、キャッチコピーを考えてリリースし、好評を博しています。地域物産の成功事例で有名なのは、広島県熊野町で作られていた熊野筆です。もともとは書道の筆で有名でしたが、化粧筆を作り、ニコール・キッドマンなどの海外女優に提供しました。それが話題になり、世界に広がっていったのです。
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まだまだ試行錯誤の段階ですが、そのような仕掛けをしてきたい。幸いなことにうちの会社は、自治体やマスコミ関係者のファンが多いんです。『ロケーションジャパン』は、1万部がマスコミ関係者に読まれていますから。映画監督の堤幸彦さんにも気に入ってもらっていて、ブログなどでもご紹介いただいています。

もう1つの課題は、組織づくりです。創業期は経営者として会社を引っ張っていき、社員はそれについてきてくれました。でも、私は経営者向きではないので、そろそろマネジメントをしっかりとやってくれる人を育成していきたいですね。地域で講演したり、ロケのプロモーションをしたりといったことは、ほとんどの社員ができるようになっているので、ナレッジマネジメント、すなわち仕組み化しなければならないと思っています。

地域にも人にも、どこか良いところがあるものです。
それを引き出していくのが私たちの仕事で、それをビジネス的に発想し、展開していくことには自信があります。

— 最後に、藤崎さんにとっての挑戦とは。
日本で初めてのことをやりたいですね。B級グルメや韓流ドラマで、これほど社会が変わるのです。そんな事例を、1つでも多く作っていきたい。国の施しを待つのではなく、地域から主体的にムーブメントが起こるように活動していきたいと考えています。私たちがお手伝いした富士宮やきそばは、B—1グランプリで優勝したのをきっかけに、いまでは大変メジャーになっています。

最初は、「富士宮やきそば学会」を作ったことで、マスコミが取り上げてくれるようになりました。そこで、小倉焼うどんと「天下分け麺の戦い」を行い、群馬県太田・秋田県横手の焼きそば関係者と協力して「三国同麺協定」を集結し、日本3大焼きそばと呼ばれるようになりました(笑)。そして、青森県で行われたB—1グランプリの第1回大会で、参加十数地域の中から、富士宮やきそばが優勝したのです。

B—1グランプリもいまでは大イベントになり、第1回は1万6千人の来場でしたが、第7回は 61 万人もの人々が押し寄せています。私は直接かかわっていませんが、地域おこしの象徴的イベントとなり、強い影響力を発揮しています。そのような仕掛けを、私もしたいと思います。いま注目してお手伝いしているのは、成田ソラあんぱんです。当時の片山副市長や、熊野筆で有名な三宅曜子さんと試行錯誤して作り上げました。販売開始後、売り切れが続出し、ロスでの試食会や記者会見には海外の記者が取材に来て、国際的に報道してくれました。最近では、コンビニでの展開も見えてきたところです。

こうした取組みは、長く続けることが大事です。当社の活動も、それを大事にしたい。2・6・2の理論はありますが、100%の人が活躍できる社会を目指して、地域おこしを続けていきます。

株式会社地域活性プランニング DATA

設立:2003 年4 月, 資本金:1,000 万円, 社員数:16 人,事業内容:①地域活性のコンサルティング,②ロケ地情報誌『ロケーションジャパン』の発行,③ロケ地となる施設を提供するロケーションサービス,④ロケ地無料検索サイト「ロケなび!」の運営,⑤地域特産品の通販サイト「ロケーションジャパン・マルシェ」の運営
目からウロコ
20世紀の拡大経済の中で生まれたチェーンオペレーションの影響で、地域の街並みが東京的に画一化されてしまった。その独特な風情は損なわれ、地域経済は衰退を続けてきた。多くの地域が、少子化と若者の流出で地域の活力が弱まるという、負のスパイラルに陥っている。

よそ者・若者・バカ者を活用し、地域住民の主体性をベースとする藤崎さんの地域活性術は、効果的なだけでなく、地域に根づくことが可能となる優れた手法だ。地域づくりには、時間がかかる。長く継続する地道な取組みが必要で、その努力を引き出すような、実践的なコンサルティングを行っている。しかし、藤崎流の地域活性術の真骨頂は、そのコンサルティング力だけではない。ロケーション、グルメ、名産品などの具体的手法の活用だ。その根底には、ビジネスマン時代に培った実践的なマーケティング力がある。

また、「ロケなび!」というロケーション誘致の仕組みも開発した。コンサルティング力とマーケティング力、仕組みを併せ持つからこそ、地域にとって価値ある「よそ者」として活躍できるのだ。地域には、多くの人と
たくさんの志が存在する。その熱い思いに冷静な戦略が加わり、継続的な努力が伴ったと
き、地域活性が実現する。インタビューからは、情熱的な話し方の一方、内容は冷静で、客観的な戦略を感じられた。ホットとクールの融合が、藤崎流地域活性なのだろう。
(原 正紀)

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