2017‐11経営者174_キャリア・マム_堤様

全国10万人の主婦ネットワークを活用
新しい働き方を支援する事業展開で
女性活躍推進を牽引するリーダー

株式会社キャリア・マム 代表取締役

堤 香苗さん

大学在学中よりフリーアナウンサーとして活躍。自らの体験をもとに、仕事と家庭を両立させながら働く女性を支援するため、キャリア・マムを設立。現在は、育児・介護等と両立できる女性起業家向けインキュベーション施設の創設も計画中。女性活躍推進を牽引するリーダーに話を聞いた。
Profile
早稲田大学第一文学部在学中より、フリーアナウンサーとして活動。2000年、株式会社キャリア・マム設立。2014年「女性のチャレンジ支援賞」(内閣府)、2015年「テレワーク推進企業等厚生労働大臣表彰~輝くテレワーク賞~特別奨励賞」(厚生労働省)、2016年「女性活躍推進大賞個人部門」(東京都)など受賞多数。一般社団法人日本テレワーク協会の理事も務める。

女性活躍支援をいち早くビジネス化する

— 女性活躍の時代になりましたが、いち早くそれをビジネス化されましたね。現状のビジネスについてご紹介ください。 
キャリア・マムは、主に3分野のビジネスを行っています。 

1つ目が「アウトソーシング事業」です。企業の業務などで切り出しができるものをアウトソースしていただき、当社が抱えている主婦などを主体とする約10万人の会員の力を活用して、業務請負をしています。これが売上のおよそ6割を占めている主力事業になります。
 
2つ目が「キャリア支援事業」です。主体は国や地方自治体の公共事業で、ここ5年ほどでニーズが高まっています。男女共同参画・女性支援と、在宅勤務の促進やそれに関連したビジネスマッチング支援の2つの領域にわたっています。滋賀県や大分県などからも依頼があり、主婦層の女性をはじめ介護や子育て中の方、障がいをお持ちの方、加療中の方などの新しい働き方を支援しています。 

そして、3つ目は「コンテンツ事業」です。キャリア・マムの自社HPや会員向けのメールマガジンで定期的に情報を発信しています。セールスプロモーションやマーケティングの分野のほか、新しい働き方などについての啓蒙活動を、企業や行政に代わってサポートするものです。動画なども制作しています。制作機能と自社メディアを活用しているビジネスです。 

本社のオフィス内にある「おしごとカフェ」は、仕事が見つかる楽しさ、将来を考える新鮮さ、仲間と出会う面白さなど、1人では味わえないさまざまなエッセンスを感じてもらう、家とも職場とも違う「サードプレイス」として始めました。 

仕事もできるし、一般のお客様にもくつろいでいただけるようにしています。月額でスペース貸しをして、発表や販売を自由にできるようにもなっています。商業施設のため「株式会社キャリア・マム」という看板は出さず、「おしごとカフェ・キャリア・マム」として営業しています。
— 以前は、フリーのアナウンサーをされていたそうですね。堤さんのこれまでのキャリアについて教えてください。
私は中学3年生の頃から、将来はお芝居がしたかったんですが、「女優になりたい」とは親に言えませんでした。その後、早稲田大学第一文学部(当時)の演劇専修に進みましたが、早稲田で演劇サークルに入ると4年で卒業できないと聞いていたため(笑)、アナウンス研究会に入りました。イベントの司会のアルバイトや、役者のオーディションへの参加など、結構、活発に行動していました。テレビドラマ「男女7人夏物語」(TBS)などでは名前のある端役をもらって、出演もしました。

大学を卒業するときには新劇を勉強したくて、文学座の養成所に1年間、通いました。当時の文学座は5,000人以上受けて25人しか合格しないような難関でしたが、たまたま入ることができたんです。 
しかし、生計を支えるために、フリーアナウンサーとして再びイベントの仕事などを始めます。名アナウンサー・押坂忍さんのプロダクションに入って、テレビやラジオの仕事を約3年やりました。 

アナウンサーのときにはそれほど売れなかったんですが、事務所では2番手グループのトップくらいでしたね。テレビ局には呼ばれるけど、画面に映ることが少ないといった存在でした。
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子育て中の母親たちと始めたイベントが会社の前身に

ー それほど簡単には売れない世界ですよね。そこからの転機は何だったのですか。
当時、ラジオ局のスタッフルームで新聞各紙を見ていると、中学生や高校生による飛び降り自殺の記事がよく出ていました。こんなに若い子たちがなぜ自ら死を選んでしまうのか、とても不思議でした。実は、その時に感じたことが、その後の活動につながっていきます。 

キャリアが向上する人たちを横目に見ながら、自分はキャリアアップが実感できないというもどかしさを感じていました。年齢が上がるほど、おばさん扱いされたり、自分のスキルと全然違うところで商品としてジャッジされることが納得できませんでした。それまでやっていた仕事をどんどん若手に取られていく感じになったときに、「もうこの仕事を辞めてもいいかな」と思ったんです。 

そういった時に、夫がアメリカに行きたいと言い始めたので、それなら添乗員の資格を取ろうと思いました。日本で一番大きな添乗員の派遣会社で2ヵ月ほど勉強して、資格を取りました。不規則な生活を送っていたアナウンサーから、旅行添乗員の資格を取るために規則正しい生活を2ヵ月ほど繰り返していたら、それまであきらめていた子どもができたんです。 

その当時、赤ちゃんを連れて公園に行ったときに気づいたことがあります。それは、お母さんたちは自分と同じ価値観の人としかしゃべらないということでした。障がい者の人などが来ると逃げてしまう光景も見かけました。中高生がたった1人で命を投げ出すのは、母親たちのコミュニティーの作り方を見て、自分の理解できないものからは逃げてよいと解釈しているのではないだろうか、と感じたんです。 

当時は、赤ちゃんを連れて電車に乗ると、邪魔者扱いされるような時代でもありました。そのことについても、「何で、誰もおかしいって言わないの?」と考えました。 

「何かやらなければ」と思いながらも、やることがなかなか決められませんでした。そのような時に、「今の世の中、どこか変だよね」と意気投合したお母さんたちと3人で始めたのが、キャリア・マムの前身だったんです。
— 会社に就職することとは違う景色を見てこられたのが、ビジネスにつながっていったんですね。 
最初の活動として、京王線の聖蹟桜ヶ丘駅(東京都多摩市)の商業ホールでイベントをやりました。障がいをお持ちの子も親も、健常の子も親も一緒に交流しました。 

手話コンサートや点字の体験などを行い、500組の親子が集まってくれました。読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞など各紙で紹介されました。記事の反響が大きくて、3ヵ月で1,500人のお母さんから「堤さんの言いたいことがよくわかる」と賛同の声が集まりました。

ところが、イベントを一緒にやった2人のお母さんからは、「これはボランティアの域を超えている。イベントが終わったら辞めさせてほしい」と言われたんです。ビジネスにしなければ、この活動は続けられないと思いました。 

イベントから3ヵ月で集まってくれた1,500人の方たちに会費をいただいて、会員になってもらおうかとも思ったのですが、果たして受け入れてもらえるだろうかと悩んでいました。
— ニーズがあっても、それをビジネスにするのは簡単ではありませんからね。
紆余曲折を経て、子育てサークルをやっているお母さん2人とともに最初に手掛けたのがマーケティング事業でした。主婦の本音の声を、企業にお届けするというサービスです。 

ただ、これだけパソコンやネットワークの時代になってくると、企業は自分で情報を集めようと思えばできます。そのため、当社の今の主流事業は、マーケティングよりはプロモーション側に傾いています。インターネットというツールを皆が使うようになり、企業側のニーズも変わってきたので、ビジネスドメインを変えました。 

この20年くらいの間で、女性をネットワーク化した会社はいくつもありました。その中で生き残れなかった会社に多く見られたのは、1つの事業に特化していたことです。キャリア・マムは、私のキャリアと同じように、さまざまなことを試しながら事業を3本持っていたのが幸いでした。主業のもの、利益率が高いもの、ちょっと面白いものを持っていたからこそ、主業であるものが落ち込んでも、ここまで生き残ってこられたのだと思います。

どこにいても、どんなキャリアでも、働ける社会を

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— 今後の展開はどのようにお考えですか。 
人がなぜ自分と同じ価値観の人とだけ群れたいのかといえば、自分に自信がないからだろうなと思っています。では、自信を持つためにはどうすればよいか。それは、やはり自分で働くことではないでしょうか。 

私たちは、誰でも、いつでも、どの地域にいても、どんなキャリアであっても、働けるような社会にしたいと思っています。私たちが女性やママの支援に力を入れているのは、彼女たちは家族と一番近い存在であるため、その方々がしっかりすると地域社会が良くなると考えているからです。 

現在、保育の場所を併設した女性の起業支援のインキュベーションセンターの建設を計画しているところです。女性の起業家を増やしていくために、コワーキングの形でロールモデルになるような方や、キャリアの相談ができる方がいるという場所も作っていきたいです。 

仕事中に安心して子どもを預け、お昼やおやつも親子で一緒に食べられるような場所を、ここで1店舗つくって、ゆくゆくは全国にフランチャイズ展開したいと考えています。 

すでに各自治体などからも、一緒に事業をやりたいとお声がけをいただいています。遊休のビルを持っている不動産の方なども、そういうものを地域に作ることができるのなら喜んで協力したいと言ってくれています。
— それは広がりのある事業ですね。今の時代の流れにも乗っていますし、レバレッジの効くモデルでもあります。 
たとえば、当社が入っているようなショッピングセンターでは、人が集まってこないと物が売れません。買い物というのは、売り場があるからこそ面白いと思っているんです。買う物以外の物も見られて、予期せぬ情報や出会いを楽しめるからです。リアル感が大事だと思うんですよね。 

最初は、皆が働けるようにと、自分の場所でインターネットを使って働く在宅ワークを推進してきました。でも、ここまでインターネット社会になったからこそ、実際に人と会うことや、一見ムダに思えるようなおしゃべりが大事だと言いたい。働くことも自信につながると思いますが、働けなくても、人に教えることで自信が持てるとも考えています。
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たとえば、街の先生とか、ちょっとお節介な人、お互いのことを気にかける人たちが増えてくると、社会はもっと良くなるんじゃないでしょうか。人間って、1人でも自分のことを気にかけてくれたり、愛してくれたりする人がいれば、自暴自棄にもならないのではないかと思っています。 

街づくりとは、工場が来るとか、学校が来るとか、そういうことではないと思います。街の中で自分のことを気にかけてくれる人たちが存在していることが大事なのではないか。働くことや教えることの仕組みづくりは、すべてそのための1つのツールでしかないと思っています。 

今回の新規事業は、そのようなツールのベースになる器をめざしています。

子どもたちに胸を張れる100年企業にしたい

— 最後に、堤さんにとっての挑戦とは。 
人とちょっとズレているのが、私らしさみたいです。自分がこだわったり、ここが大事だと思っていたりするところが、皆にとっては「そこ⁉」みたいな感じがよくあります(笑)。既成概念にあまりとらわれないんです。 

一般的に「正しい」とか「儲かる」とかいわれているものについて、自分の中の判断基準にはありません。事業を組み立てていくときには、「ワクワクするか、しないか」を重視しています。数字やデータで考えている人たちからは、危うく見えたり、理解できなかったりするようですが、数字的に厳しい局面でも何とかなると私が考えているので、社員たちも安心しているようです(笑)。 

ただ、当社の今のモデルは労働集約型のため、皆頑張って働きますが、そうは簡単に成長できません。現在の年間売上は4億円手前ですが、同じビジネスモデルを拡張していくには限界があると思っています。ビジネスとして仕組みとか、働ける場、仕事のやり方などを変えながら、キャリア・マムをつなげていきたいです。 

今後は、働ける場をたくさん広げていくことで、キャリア・マムが今まで20年かけて創ってきたものを生かすことができればいい。ショートステイやデイサービス付きの働く場もつくりたいです。 

自由な発想の私がリトマス試験紙としているのは、「自分がやっていることを、子どもに胸を張って言えるか?」ということ。2人の息子にも、この会社を続けたい、成長させたいと思ってほしい。100年企業にしていくためには、やっぱり皆が幸せになる会社でなければダメだと思います。
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目からウロコ
私も同じ人材系の企業を経営しているので、堤さんとは委員会やイベント等でよく顔を合わせているが、いつもその自由な発想に感心していた。キャリアの話は今回初めて詳しく伺ったが、一貫して独自性や、人と同じ道を歩まないという姿勢が見られ、それが発想の源なのだろうと納得できた。 

もともとビジネス思考というよりは、表現者・クリエイターとしての思考が強く、それがビジネスの世界においては、他の経営者との差別化につながっていると思う。20年間の経営スタイルは、着実に一歩ずつ進んできているもので、それは女性経営者ならではの強みだろう。創業自体はインターネット勃興期のWeb系企業群と同じくらいのタイミングであり、激しい淘汰の嵐の中で、独自性を保ちつつ、しっかりと進歩をつづけている。 

その堤さんは、20年の時を経て経営者としてのマインドを磨き、今はかなりビジネス思考になってきたようだ。それは企業を存続させるための術であり、経営を譲った時にはさらに進化した経営を行っていくべきという予感からだ。100年企業という言葉も出てきたが、社会性のとても高い事業なので、世の中のためにますますの充実・発展を望みたい。 

しかしビジネスの世界はそう甘くはないので、強いビジネスモデルにすることが重要だ。差別性や強みは明確なため、むしろこれからは得意でない数字の経営に行く必要性を感じているという。これからの堤さんがどのような経営者に進化していくかを注目していきたい。
(原 正紀)

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